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 お坊さんが、お経を読み上げている。日本語であって、日本語のようでないそれは音程が平坦な歌のようで、お坊さんって絶対歌が上手いよな、なんてことを思った。

 姉は死んだ。最後まで眠ったままだった。僕は母から連絡を受けて病院へ向かったけれど、結局最期を看取ることはできなくて、母は悲嘆と非難の目で見ていたけれど、これでよかったのだ、と思う。

 これまでの短い人生の中で2回目のお葬式は、お婆ちゃんのときとはまた違った。参列者に若い人が多いのがその一因だろう。あとは、家族が死んだ、というのが大きかった。

 長い長いお経が終わり、父が何事かを言うのを聞くと、お通夜のときと同じように、焼香が始まった。どうしても作法は覚えられなくて、僕は父や母の動きを見て静かに指を持ち上げた。いつまで経っても、姉の顔は見れないままだった。

 花依さんは通夜に引き続いて来てくれていて、号泣していた。ぽろぽろと昨日から止まっていないのではないか、というほどの涙を流しながら、ずっと彼女の遺影を見つめていた。

 何故かこの間公園で会った金魚も来ていて、少し驚いた。あとから花依さんに聞いた話だと、高1のときの担任だったらしい。さらになんと、僕のクラスの理科の担当だった。通りで見覚えがあるはずだ。不審者扱いして悪かったな。

 焼香が終わってしばらくして、お別れの時間がやってきた。本来なら、遺族である僕は火葬場まで行かなければならないけれど、どうしても姉が燃やされるのを見るのは嫌だ、と思ったので、頼み込んで家に帰してもらうことになっている。僕が震える声でそのことを言葉にしたとき、母は真っ赤に腫れた目と完全に表情を失った顔で、そう、勝手にすれば、と呟いた。

 棺の中に、花を入れてゆく。姉が好きだった花、ということで、向日葵を用意してもらった。僕はそれを手に取り、棺の中に落とす。

 そのとき初めて、僕は姉の死に顔を見た。薄く化粧の施された顔。頬はこけていて、肌は真っ白だ。けれども、生きている、というより無理やり生かされていたときよりもずっと生きているような表情をしていた。


「本当は眠ってるんでしょ。姉ちゃんは、いたずら好きだからなぁ」


 視界が段々とぼやけてゆく。頬に何か温かいものが伝うのを感じた。思わず胸の辺りに触れると、カメラがないことに気づく。流石に不謹慎だろう、と、持ち込まなかったのだ。

 姉は、死んだら僕に写真を撮ってほしい、と言った。今僕の手に、カメラはない。でも、シャッターを切ることはできる。

 ぱちり、ぱちり。まばたきをする。

 きっと今、僕の記憶の中の写真をプリントしたら、ぶれぶれで何もわからないに違いない。それでも、僕はいいと思った。これは、僕だけのものだ。僕と、姉ちゃん、2人の約束。

 目を閉じて、今しがた撮った写真をプリントする。写真の中の姉ちゃんの死体は、この世で1番うつくしくて、この世で1番かなしかった。





 霊柩車に姉が乗せられて行くのをぼぉっ、と見ていると、相変わらず表情のない母が近づいてきて、


「あなたが大好きな死体じゃない。なのに、そうやって泣いたりして……本当に気持ち悪い子だわあなたは」


 光のない瞳で、僕を見つめる。


「あんたが代わりに死ねばよかったのに」


 母は僕に背を向けて、もう二度と振り返ることをしなかった。

 霊柩車が発車してゆく。今どきの霊柩車は、ぱっと見霊柩車だとはわからないようになっている。でも、その見た目からはどこか哀愁が漂っている。いくら外見を変えたって、中にあるものがこの世の悲しみの塊なのだから、誤魔化せないに決まっている。

 姉が骨になったとき、僕は母に完全に見捨てられることになるのだろう。もう、母は振り返らない。僕をいないものとして扱う。

 遠いどこかの県の、可哀想な観覧車。彼女は外国へ行った。


「寮制の高校に進学しよ……」


 そのためには、ひとまず学校へ行かなくちゃ。






 父と母は、まだ帰ってきていない。今晩、僕は1人で過ごすことになりそうな予感がしていた。

 僕は、カメラを持って庭に出ていた。今日は、花火大会。新月の日。ムーンタワーと花火が同時に見える日だ。

 ひゅるるるるるるるるる、と白い尾を引いて、どーーーーん、花が空に咲く。遠くの方から、小さく歓声が聞こえてくる。浴衣を来て、愛する人と花火を見ているのだろう。彼らと花火とムーンタワーは知っているのだろうか。今日、家族が死んで、泣き叫んでいる誰かのことを。

 僕の気持ちなんて素知らぬふりをして、花火は続く。綺麗だ、と思った。悲しいほどに。

 ムーンタワーは相変わらず光ってはいなくて、花火の光によって、一瞬だけライトアップしているような感じだった。

 ムーンタワーは、取り壊されることが決まったらしい。花依さんに教えてもらった。今日以降、ムーンタワーが何らかの形で光る日はもう来ないに違いない。


『ムーンタワーはね、私が生まれた日に完成したんだよ』


 僕にカメラをくれた日、姉はそんなことを言っていた。夜空に浮かぶムーンタワーを撮りながら。フォルダの中を探すと、そのときに彼女が撮った写真が残っていた。彼女もまた、ムーンタワーが好きだったのだろう。僕も好きだった。だから、このカメラに『ムーンタワー』、と名づけたのだ。


「ムーンタワー。僕らの街の、小さなタワー。どうかお元気で。さようなら」


 いよいよフィナーレだ。先程までとは比にならないほど、大量の花火が一気に打ち上がる。ムーンタワーがかつての光を取り戻したみたいだ。だけれども、ムーンタワーは、もう僕らを照らしてはくれない。

 ぱちり、ぱちり。闇色の空に亡霊のように浮かぶ、ムーンタワーと花火。僕のムーンタワーは、静かにまばたきをした。





空蝉……内海 世海(終)

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