5
お医者さんは、夏の間に姉は死ぬだろう、と言っていた。夏に病気になって、夏に死ぬだなんて。姉は向日葵の花が好きだった。だから夏に死んでしまうのだ。
姉はずっと、春の終わり頃から意識が戻らないままだった。このまま、眠るように死んでいくのだろう。僕が行方知れずだった人魚を海の底から見つけ出したことなんて知らずに。
現実からの逃避行を中止して、僕は姉の病室に来ていた。母は急な仕事が入って、今日は来ない。ここで母と出会うと、あなたが病気になったらよかったのに、と何度も言われるので、ちょうどよかった。
何故、僕はここまで母に嫌われているのか。それには僕にちゃんと理由がある。
僕は昔、よく虫の死骸や、酷いときには動物の死骸なんかも拾ってきて、家族を困らせていた。それが今に至るまでの母との確執の原因の1つだったりもする。段々とエスカレートしていきそうな僕の行動を見かねた姉が誕生日にくれたのが、この一眼レフだった。
『ほら。カメラで死骸を撮れば、家に持って帰った気分になるでしょう?』
今思えば、姉のこのアイデアは画期的だったように思う。結果的に、僕は写真だけでほぼ満足するようになり、家からは異臭がすることはなくなった。でも、幼かったこのときの僕は行動を制限されることに拒否反応を示し、嫌だ嫌だと抵抗しまくったが、姉の穏やかな言葉が僕の心をすぅっ、と鎮めさせた。
『じゃあ、私が死んだらせみるが写真を撮っていいよ』
僕は軽い気持ちでその言葉に頷いたのだ。
今ではその衝動を随分とコントロールできるようになって、もう死骸を撮る必要もあまりなくなってきたけれど、死骸を見ると、相変わらず習慣のように写真を撮っている。母はその行動を未だに忌み嫌っていた。とはいっても、僕は相変わらず死、というものに惹かれ続けているし、母に疎まれるような行動を慎む気はさらさらない。
僕は女の子らしい服装は好きじゃなくて、でも男の子らしい服装も嫌いで。中間をさ迷うような服装をして、昔から自分のことは「僕」と呼んでいた。そのせいもあって学校では仲間外れ。父は家庭に無関心。僕は一人ぼっちだった。
ただ1人、家族の中で僕に優しく接してくれた姉。その手に触れようとして、寸前に手を引っ込める。病室のベッドで眠る彼女の腕は骨のように細くって白くって、僕みたいなおかしな人間が触れたら陶磁器みたいにぱりん、と壊れてしまうような気がしたのだ。
僕がずっと綺麗だ、と思っていた姉の顔は頬がこけて、肉が削げ落ちて、あの写真の中の笑顔なんてどこにもない。花依さんみたいにアイシャドウやマスカラなんかで彩られていないモノクロな瞼は閉じられたままで、僕は彼女の瞳が薄い茶色だったことをもう思い出せなかった。体のあちこちから管が飛び出し、長く伸ばされていた人魚と違って何処までも真っ直ぐだった髪は6年前にばっさりと切られ、寝たきりの今でも短いままだ。
姉に近づいてくる死の気配は濃厚で、僕の本能はそれをうつくしいと感じているはずなのに、ちっともそんな風に思えなかった。虫の死骸も、動物の遺骸も、人魚の頭蓋骨も、あんなにうつくしかったのに。
ふと体の奥から何か溢れ出てくるのを感じて、僕はベッドから離れて、病室のトイレに駆け込んだ。幸いにして、いたって健康体の僕の胃は朝食を全て消化してくれていたようで、胃液しか出なかった。残ったものは、少しの喉の痛みと、倦怠感だけ。
『せみる、私の写真を撮ってね』
長い眠りにつく前に、真っ白な病室の中でそう言って微笑んだ姉の姿が、目に焼き付いていて、いつまでも消えてはくれない。
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