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 何かを焼くいい匂いで目が覚めた。うーん、と伸びをすると、僕は顔を洗うために、ベッドから起き上がる。昨日抱いて寝たはずのイルカの抱き枕は何故か部屋の隅に転がっていて、はて、と首を傾げる。僕の寝相について、昔姉は「壊滅的だ」と言っていたことを思い出した。

 枕元に置いていた、姉のお下がりであるガラケーを手に取って、いつものようにメールボックスを開く。新着メール0件、という表示はいつまでたっても変わりなく、ふぅ、とため息をついて、僕は階段を下りることにした。


「おはよう」


 キッチンに呼びかけても、いつものように返事は返ってこない。それを気にすることもなく顔を拭いたタオルをそのまま首に下げてキッチンに行くと、母は目玉焼きを焼いていた。

 冷蔵庫から水を取り出し、グラスに注いでがぶがぶと飲む。朝1杯の水が健康にいいのだと、テレビで見た。


「私はこれから病院に行くから、あなたは食パンとこの目玉焼きでも食べなさい」

「はーい」


 母が命令口調なのは相変わらずだ。特にそれは食べ物に纏わることが多い気がする。それでも、こんな僕のためにご飯を用意してくれるなんて、母は優しい人だ。

 テーブルの上に無造作に置かれた5枚切りの食パンの袋から1枚取り出して、トースターに入れる。随分と使い込まれたそれは、この家から姉がいなくなってから買い換えていなかった。

 既に完成された目玉焼きに塩をかけ、テーブルまで持ってゆく。パンが焼けるまであと5分。目玉焼きが冷めてしまわないか心配になった。

 調理を終えた母はその間に身支度を済ませ、家を出ようとしていた。言ってもどうせ返事は返ってこないんだろうな、と思いつつ、いってらっしゃい、と呟くと、母はふと、何かを思い出したようにこちらを振り返った。


「あなたが見つけた骨の人、一橋 魚美さんだったそうよ」

「へー」


 パンの焼き具合を見るのに気を取られて、返事が疎かになってしまった。そのまま、母は黙って家を出てゆく。いつものことだった。

 あと2分。このまま見ているだけなのもどうか、と思ったので、僕はパソコンを起動させよう、と立ち上がる。昨日撮った写真でもプリントしよう、と思ったのだ。

 母がつけっぱなしにしていたテレビから、今日の占いの音声が流れてくる。さそり座は11位だった。

 パソコンは起動が遅く、待っている間に結局パンが出来上がってしまった。チン、と音を立てたトースターからパンを取り出して真白いお皿の上に置き、目玉焼きを乗せた。どこかのアニメ映画で見た食べ方だ。それを、僕は誰もいないので贅沢に、大胆に立ったまま齧り付いた。

 パソコンの前に移動してパンを齧りながら操作し、カメラとパソコンを接続してから、あの日の写真を探す。あの日から数日が経っていた。その間に花火大会があったので、写真を大量に撮っていたのだ。僕は顔を顰めた。今まで写真をまとめる、という行為をしてこなかったので、花火やら虫やら動物がばらばらに散らばっていたのだ。先にフォルダごとにまとめておこうとしたとき、僕は見覚えのないフォルダを見つけた。


「『人魚』?」


 奇妙なそれを開くと、その中にはブレブレの写真ばかりが保存されていた。撮影されたのは6年前で、ほとんどが何を撮っているのかさっぱりわからない写真だったけれど、スクロールしていくと、1枚だけ極端にはっきりと写っているものを見つけた。この家の庭で撮られた写真のようで、被写体は、セーラー服を着た3人の少女たちだった。

 1人は僕の姉、もう1人は花依さん。そして3人目は……


『あなたが見つけた骨の人、一橋ひとつばし 魚美うみさんだったそうよ』


 母の言葉が蘇る。


「……あ」


 思わず声が出た。僕は確かにその名前を知っていた。

 3人の中でも一際目立つ少女が、一橋 魚美だった。

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