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 警察署から出てすぐに、僕は頬を叩かれた。痛い、と呟いたけれど、母は何も言わずに僕を置いてずんずんと歩いてゆく。

 あの後すぐに警察に連絡をして、色々と事情を聞かれた。その過程でもちろん家にも電話をかけられ、母が迎えに来た。僕を見た母はものすごい顔をしていて、これはまた嫌われたな、と先を行く母を追いかけながら、僕はため息をついた。

 桜の木の下に埋まっていた骨は、誰のものなのかはわからない。これから警察が調査していって明らかになるのだろうけれども、白骨化していたということはけっこうな時間が経っているんだろう、と思う。あの公園の雑草があの辺りだけ無駄に育っていた理由がようやくわかった。


「私はこれから病院に戻るから、あなたはこれで何か食べなさい」


 小走りで追いついた僕に、僕の方を見ることもなく、彼女は1000円札を押し付けてくる。僕を迎えに来たときにわざわざ持ってきてくれたおにぎりは既になくなってしまったし、あれだけじゃまだ足りない。それに随分と拘束されていたから、もう夕食の時間になってしまっていた。


「姉ちゃん、調子どうなの」

「ずっと眠ってるわ」


 素っ気なく返して、母は歩いてゆく。僕は立ち止まって、じゃあね、と言った。母は立ち止まらない。返事はなかった。


「さて、と」


 夕陽に包まれたムーンタワーを背に、僕は受け取った野口英世の使い道を考えることにした。コンビニで何か買って家で食べようかと思ったけれど、近くにファミレスがあったことを思い出して、重い足を動かし始める。

 ムーンタワーに近いこの場所は、それなりに発展している。駅だってあるし、映画館だってある。所謂田舎の中の都会だった。周りには田んぼと畑しかない僕の家は、ここからしばらく歩かなければならないので、暗くなる前に帰らなければ。

 仕事帰りのサラリーマンや、この辺の高校の制服を着た学生たちがまばらな人混みをしばらく歩いて、僕はファミレスに入った。カラカラ、と安っぽい音が響いて、いらっしゃいませ、とスマイルで店員さんが僕を迎えてくれた。


「あれ、せみるくん?」


 先手を打って1名様だ、ということを伝えようとしたとき、その店員さんは突然その声を親しげなものに変えて、僕の名前を呼ぶ。柔和な笑みを浮かべるその人には確かに見覚えがあった。


「あっ、もしかして、……花依かえさん?」

「そうだよ、久しぶり! あっ、よかったら待ってて。もう交代の時間だから」


 厨房の方へ走り出した花依さんを見た他の店員さんは苦笑して、取り残されて立ち尽くす僕を空いている席まで案内してくれた。本当に交代の時間だったのだろうけれど、突然いなくなってしまうのはどうかと思う。こういうおっちょこちょいなところは昔と変わっていないな、と思った。

 運ばれてきた水を飲んで大きな氷を舌で転がしながら、ぼーっ、とメニューを見ていると、制服から着替えた花依さんが僕の前に座り込んできた。かなり急いで来たみたいで、茶色く染められた髪が乱れてしまっている。


「何にしよっか。私はここのたらこスパゲッティが好きだな」

「じゃあ、僕もそれにする」


 すみません!と彼女が店員さんを呼ぶと、先程彼女の代わりに僕を案内してくれた店員さんがやってきて、彼女はすみません……と頭を下げた。叱られた犬みたいな様子が無性に面白く感じて、僕は声を上げて笑う。彼女は恥ずかしそうに、たらこスパゲッティを2つ、と呟いた。


「それにしても、本当に久しぶりだよね。えーと、私が高1の頃以来だから……6年ぶり?」

「多分。僕が今中2で、最後に会ったのは小2だったから」

「わー、すっごい大きくなったよねせみるくん。でも、あんまり顔とか変わってないから、すぐにわかっちゃった」

「そういう花依さんも、あんまり変わってないね」

「やだ、子供っぽいって? これでも22歳なんだよ」


 くすくす、と彼女は笑っている。髪の毛の色や、化粧をしていることで顔なんかは変わってしまったけれど、身に纏う雰囲気はほとんど変わっていない。だからこそ気づけたのだけれど、小学生の頃、僕の家に来て遊んでくれた彼女の声と笑顔は、今でもよく覚えていた。


「せみるくん、中2ってことは来年受験か」

「……うん」


 なんとはなしに振られた話題に、僕はぎこちなく頷いた。そんな様子に彼女は何かを察したのか、口を閉じて、目線を下に彷徨わせる。マスカラやアイシャドウで彩られた目元が随分と鮮やかで、姉のものとは随分と違うな、と思った。


「月子、元気? メールを送ったりはしてるんだけど、返事が返ってこなくて」

「……最近はずっと眠ってるよ」


 そっか、と呟いた彼女の顔は暗くて、窓ガラスに映る僕の顔も、闇色をしていた。もう夕陽は沈んでしまったらしい。外を歩く人の中にぼんやりと見えるムーンタワーは光を放ってはいなくて、外灯だけが街を照らしている。


「ムーンタワー、私が高校生の頃までは光ってたんだよ」

「あれが?」

「そう。ほら、この街ってこの辺を離れたら全然発展してないでしょ? 高校生のときは、よくムーンタワーのライトを頼りに帰り道を歩いてたなぁ」


 彼女も僕の視線を辿ってそれを見ていたらしい。いくらか表情を明るくして、懐かしそうに話した。

 ムーンタワーが何の目的で作られたのかはわからないけれど、あれが光っていた思い出は正直あまりない。僕は昔っから外の世界に馴染めなくて家にばかりいたし、夜はすぐに眠ってしまう子どもだった。

 小学生の頃は、毎日のように花依さんが家に来て、一緒にゲームをしたり、本を読んだり、話をしたりしていた思い出で埋め尽くされている。

 それなのに、彼女は突然家に来なくなった。6年前のある日、突然。


「今日はもう遅いし、これ食べ終わったら車で送ってあげるね」


 いつの間にかテーブルに置かれていたたらこスパゲッティを、彼女はフォークでくるくると絡めとる。


「花依さん、免許持ってるの?」

「もちろん。もう就職だもん」


 22、という数字が頭を巡る。姉も、本来ならこうやって日々を過ごしていたのだろうか。花依さんはもうすぐ社会人だ。なら姉は、就職活動にでも奔走していたのかもしれない。

 フォークを手に取って、僕もたらこスパゲッティを食べ始める。しかし1口食べて、予想もしていなかった辛さに慄いた。


「間違えたね。これ明太子スパゲッティじゃん。たらこスパゲッティがあったのは前のバイト先だった……」

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