Episode2『見えぬ明日』
―――果てなき暗闇に落ちた意識から引き上げられるように、シルバリオの体が起き上がる。
鉛のように重く、硬くなった身体を無理矢理引き起こす。
激しい動悸と共に皺のない肌に汗が流れ落ち、体にかけられていた薄汚れた布を反射的に握りしめる。
(俺は……どうなったんだ……? ……生きている……?)
がさついた銀髪が肩から滑り落ち、顔を抑える彼の瞳は血の色よりも赤く、真紅に輝いていた。
「あら、どうやら意識が戻ったみたいね」
半壊したドアの向こうから、誰かが喋りかけた。
「誰だ……?」
シルバリオは、武器を持たずしても殺意を見せる。
野犬にも近しい程にむき出した闘志を、今にも叩き伏せんばかりにぶつける。
「っと、今は武器持ってないから安心して。貴方には聞きたい事がいくらでもあるし」
古びた床がきしむ音と共に、外の光が差し込む壁を背に、黒髪の彼女は優しい微笑みを向けた。
Episode2『見えぬ明日』
「……じゃあ、貴方が……シルバリオが居たあの施設が崩れたのも覚えてないって事ね」
「ああ……俺にも信じられない……」
自らを"ホワイティス・カラード"と名を語った白い衣服の女は、赤茶色のサビにまみれた椅子に座りながら彼に語りかけていた。
その一方でシルバリオの脳内からは、何もかもが消失していた。
己の名前以外の全て、家族も友人も知り合いも、全てがその脳から消え去っていた。さながら全てが濁流に押し流された後のようである。
残された自分自身の記憶など一片も残っておらず、元からそこには何も無かったように、全てが虚構へとなっていた。
そこに唯一残ったものは、親なくして生まれた謎の人間という存在のみであった。
自分がなぜ倒れているのか、左腕の義手が何故付いているのかも、何故あの崩落現場に埋もれていたのかも、全てが謎のままであった。
「お前達は……何故ここに?」
「私達は……訳あってここで暮らしているのよ」
顔に僅かながらの陰りを見せた彼女の後ろでは、今にも崩れ落ちそうな木材がきしむ。
この時代での木材は、もっぱら金持ちの戯れかスラム街の建材でしか見られぬ物になってた。
主流となる建築資材に比べて脆く、風化しやすく、そしてあまりにも前時代的だった。
そしてここの廃屋じみた小さな建物は風化しきった木材で作られている。
それどころか、隙間から見える周辺の景色全てが風化しきった木製の建物だった。
……彼らが居るところは、言わばスラム街の一角であった。
申し訳無さそうな顔を浮かべ、ホワイティスは会話を続けた。
「ところで聞きたいんだけども……今まで貴方と同じように銀色の義手を付けた遺体を沢山見たわ。……でも貴方は生きてるのよね」
「ああ……何故だ?何故俺は生きている? それに俺以外にも似たようなのが居たって事か……?」
「それは……きっとそうなのかも……」
その時、肘を抱える彼女の後ろ、ドアらしき板が軋み歪な音を立てて開いた。
それと共に壁に立てかけられた血に濡れた担架が倒れ、限界を迎えた木材が木っ端微塵に砕け散る。
「お姉ちゃん、痛み止めと消毒液と包帯確保できたよ……ってうわ、起きてるじゃん……」
同じく薄汚れた黒い衣服を着た、恐らくはホワイティスの身内であろう少女が荷物を抱えて帰ってきた。
小柄な身体はどこからか運ばれてきた大量の荷物に隠れ、ほとんど見られない。
「紹介するわシルバリオ。私の妹のブラクネスちゃんよ」
「……どうも」
小さい彼女はムスッとした顔のまま、壊れた担架を蹴り飛ばし、荷物を朽ち果てかけた机の上に置く。
今にも崩壊しそうな机だが、軋んだ音を立ててなんとか耐えている。
「とにかく、早い所消毒と鎮痛しときなさいよ」
興味がないと言わんばかりにつんっ、とそっぽを向いて隣の部屋へと消えていく彼女を、シルバリオ達は目で追った。
「……ごめんなさいね、どうも人見知りで」「ああ……では鎮痛剤を使わせてもら……?」
シルバリオは、体に巻かれた包帯の下、傷があったであろう体に違和感を覚えた。
爆発の中から奇跡的生還を果たした体は瀕死の重傷を負うほどにズタズタになっていてもおかしくないのだが、その包帯は灰色に近い白色を保ったままであった。
まさか、そんなはずはない。そう思った彼が包帯を外すと、何一つ身体には傷が付いておらず、元から何も無かったように肌色を保っていた。
「嘘……傷一つ無い……!?」
信じがたい物を見たようなホワイティスの顔が、わかりやすく動揺している。
「運んできた時は瀕死だったのに……何が……?」
「俺にも理解できない……だが、どうやら俺は俺の思っているよりも大事になっているようだ……」
自分の腕を見ると、シルバリオはまじまじと義手になった左腕を見つめだす。
(しかし、俺の腕は元からこうだったのか……?)
鎧が動くような音を鳴らしては拳を開いては閉じる。
その姿を見つめるホワイティスの心の内には、僅かながらの恐怖心が芽生え始めていた。
最初こそ親切心だったが、得体の知れない相手を拾ってきたのかも知れない、という事に後悔すら覚え始めていた。
だが、彼が二度三度と手を開いている内に何かに気がついた。
彼の聴覚に、何者かが歩み寄る音が聴こえる。鼓膜を小刻みに揺らす何かの音が。
ザッ、ザッ……と、舗装されていない道を踏み荒らす無数の足音が、次第に大きく聴こえる……
「……お前達に大人数の知り合いは居るか?」
「えっ?居ないけど……」
「何かが来ている。……!隠れろ!」
―――次の瞬間、銃弾の雨が廃屋を貫いて飛来した。
「くっ、下がれ!!」
「きゃあっ!?」
ホワイティスの肩を掴み、自分が盾になるように覆いかぶさったシルバリオに容赦なく着弾した弾丸は、彼の腕と腹を貫き、肉を引き裂いた。
血しぶきが壁に飛び散り、弾丸が朽ち果てかけた机を使い物にならない木材へと破壊していく。
銃弾が開けた風穴から吹く風が、短い黒髪を揺らす。
ブラクネスが持ってきた薬品が激しく音を立てて割れ、青い液体が床にぶちまけられた後に土の染みと化す。
「ぐっ……!」
銃弾が肉を抉っていく痛みを堪える。
戦場では声を上げた者から死んでいく、そうした教えが彼の身体に刻み込まれていた。
足元には流れ出た血液が小さな血溜まりを作り、先程まで眠っていたベッドは潰れきった綿と鉄屑へと変わり果てていた。
……20秒程の銃撃が終わると、シーン……と辺りの空気が静まり返った。
遠くの方で軍靴が歩き去る音が聴こえ、ガンベルトと銃器の揺れる音が次第に遠ざかる。
「……シルバリオ……?」
ホワイティスが目を開けると、口から血を流して盾になったシルバリオの顔と、引き裂かれた肉体が目に入った。
「……! 貴方、一体なんて事を……」
自分を守って死んだと思い込み始めた次の瞬間、彼の身体は再び動き出した。
「俺は……無事だ……」
しかし、彼の身体は無事ではなかった。
彼の知らない内に、その躯体は確実に"変異"していた。
「ぐっ……あっ……!」
体内で止まって痛みを発し続ける銃弾が、彼の意識に反して勝手に体内から排出される。
体内に埋まったはずの銃弾が、半壊した床に音を鳴らして転がり落ちていく。
穴の空いた体を、彼の知らない物が瞬く間に塞いでいく。
実際の時間で1分もしない間に、傷口は完全に無くなっていた。
(……!? 銃傷から弾丸が出てきた……? それに傷跡も残っていない……?)
それを見つめていたホワイティスも、彼の異常さに気づいていた。
「貴方……あれで死んでないの……? それに今銃弾が身体から……」
「さあな、何があろうと俺が知ったことか……」
不可思議と言うにはあまりにも具体的すぎる対処に、一番戸惑っていたのは彼自身であった。
「姉ちゃん!大丈夫!?」
「クロちゃん!私は良いけどシルバリオが……」
「分かってる!そこの男は……」
ブラクネスが目を向けると、無傷のシルバリオが周囲を警戒していた。
「……嘘でしょ?さっき着弾した音が聞こえたはず……」
「どうやら嘘じゃないみたいよ?彼にもわからないみたいだけど」
「……!」
目をキッ、とさせたブラクネスが、小さな体をシルバリオに近づけると共に眉間に拳銃を突きつけた。
「あんた、人間じゃないでしょ」
銃を握りしめて、長い間切られてない長い黒髪が風に揺れる。
「……俺が知ったことか」
「半機械人間(アーマロイド)でも全機械人間(メカニノイド)でもないなら何なのよ……!」
彼女が疑ったのは体の半分を改造した人種か、体全てを機械に置き換えた人種かのどちらかであった。
深く傷つき力尽きかけた戦場帰りの男の象徴的であるそれらか、あるいは今までに見たことのない"何か"の可能性に恐れ、武器を突きつけるに至ったのだ。
「……俺のほうが知りたいぐらいだ」
「それに俺に残された物は何一つとして無い、死を恐れる理由など無い。……俺が知っている事は、俺が死ぬ事はまだ許されていないという事だけだ」
「……っっ!何なのよそれ……!」
拳銃を下ろすと共に、やり場のない疑惑を追い出すように床へと一発、銃声が響いた。
(クロちゃん……他人を疑う癖がまだ残って……)
諸事情を知る姉の心の内では、両者を想う心がせめぎ合っていた。
彼女らが此処に住む事となった因果が、彼女の心を蝕んでいるのであろう。
「……! 待て、今の銃声で事情が変わった」
「事情?」
「また奴らが来る。……5人と言った所だな」
戦場で鍛えられた彼の聴覚が、足音を聞き分ける。
仕留めたと思ったはずの獲物が銃声を鳴らした事に驚嘆したのだろう、襲撃者達が戻ってくる足音が僅かに聴こえたのだ。
彼らには見えぬ場所のボロ小屋の周囲には、同じアーマーにガスマスクを付けた5人の兵士たちが控えていた。
『こちら殲滅部隊、目標の実験体の生存を確認』
『……持ちうる弾薬全てを打ち込め』
『了解、目標を殲滅します』
肩に装着された通信機越しに、殲滅部隊へと謎の男の声が聞こえると共に、5人の黒いアーマーを装着した者たちは再びボロ小屋へと向かった。
「この家に隠れられる場所はあるか?」
「一応床下に穴が……」
「そこに隠れてろ、あとは俺がなんとかする」
「何とかするって……5人相手に素手でどうするのよ! それにあんたに守ってもらう理由なんて……」
「武器なんていくらでもある。さあ早くしろ」
ズタボロになった木材板をめくると、そこには土を掘り返した穴蔵があった。
前時代的にも程がある穴蔵だったが、銃弾を凌ぐにはこれを利用せざるを得ない、そんな過酷な状況で生きてきたのだろう。
あまりにも原始めいた黒い土の穴に二人が入り込むと共に、遠くから銃声が響いた。
風化した木材を貫く弾丸が一片の木材を木片へと変えていく。
その向こうには、ガスマスクを装着した兵士が覗いていた。
(5人と言った所だな……)
シルバリオが敵の居場所を目で追うと共に、足元に転がるベッドを模っていた鉄パイプを蹴り上げ、しっかりと握りしめる。
…………一瞬の静寂、敵も彼も、互いに出方を伺っている時であった。
(……! そこだ!)
シルバリオが後ろを振り向くと、鉄パイプを握り返して壁の向こうへとジャベリンの如く遠投した!
「ぐうぉぇ!」
木材で作られた壁と塀の向こう、ガスマスクを装着した兵士の腹に鉄パイプが突き刺さり、背中から貫通する。
『ナンバー4死亡!撃て撃て!』
通信機越しに僅かにそう聴こえた後、背中へと銃弾が当たり、左腕に当たった銃弾が弾き返されて屋根を貫く。
数十発の薬莢が落ちる音が遠くに響く中、シルバリオは一歩、また一歩と銃弾の飛ぶ方へと歩み寄る。
人間の所業とは思えぬ反応速度で、額を狙った弾が左腕に掴まれて阻まれる。
その姿はさながら悪鬼羅刹の如く、恐怖の象徴として彼らのガスマスクに映った。
「何故だ!何故倒れない!何故……!」
銃弾が切れ、内部の金具が内部機構に打ち付けられる音がした後、銃弾のリロードをする為にスコープから目を離した時であった。
眼前に目標とするその悪鬼羅刹は立ちふさがり、赤熱化寸前の銃身を掴んでいた。
「うおおおお!?」
声を上げて半狂乱となったガスマスクの兵士の顔を、銀色の義手が叩きのめすまでには5秒もかかる事がなかった。
顎を狙ったアッパーがクリーンヒットし、骨が砕け散る音と共に宙を舞った身体が重力に叩きつけられると、シルバリオは次の目標へと目を向けた。
足元にガコン、と音を立ててガスマスクが転がり落ち、兵士の素顔が見えたが、その顔は大きくひしゃげていた。
シルバリオは兵士が握っていた前時代的でシンプルなアサルトライフルを拾い上げ、兵士のベルトに装着されていたカートリッジを1個蹴り上げ、空中で掴む。
そのまま慣れ親しんだような素早い動作でリロードを行うと、どこかへと隠れ忍んだ残りの3人を探し始めた。
再びの静寂、彼の足元には物言わなくなった死体だけが転がっていた。
誰も喋る事もなく、何一つとして物音も、風も無く僅かな時が過ぎ去る。
辺りにはネズミ一匹歩くこともなく、あまりにも静寂という言葉が似合いすぎた。
(…………!)
先に動いたのは、シルバリオの方だった。
銃声が一発響くと、薄い壁の向こうに隠れていた兵士の眉間には銃痕が残された。
『ナンバー5死亡……散開するぞ』
通信機から僅かながらに聴こえた音に反応して、シルバリオが振り向き3点バースト連射を行う。
誰も住む事の無くなったあばら家に弾が貫通し、その一角がバラバラと崩れ落ちる。
「ぐあっ!?」
崩れ落ちた木材の下敷きになった男の声が聴こえ、次の瞬間には2発の銃声がした。
一発目は銃を破壊し、もう一発は額を貫く。
残された最後の一人は、ただ恐れおののく事しかできなかった。
(あの男……確実に始末している、殺し慣れているだと……? 記憶を消されたというのは偽りの情報だったのか……?)
「お前で最後だ」
長考を続けた最後の一人の後ろ、無傷のシルバリオは後頭部に銃を突きつけていた。
崩れ落ちた木材の音で足音をかき消し、アサルトライフルを撃ちながら優位となる位置取りまで移動していたのだ。
最早降参すら許されない状況の中、シルバリオはトリガーを引いた。
―――何もない虚空のスラム街、それが、その兵士の最後に見た景色だった。
銃口からは僅かな硝煙がかすかな風に消え去り、足元に転がる死体からは赤い鮮血が流れ落ちる……はずだった。
その体から流れ出るは緑色の血液、そして素顔は先程のひしゃげた兵士の顔と全く同じ。
「……クローン人間、捨て駒か」
そう呟く彼を、二人の姉妹は僅かに恐れる様子で静かに眺めていた。
二人を知る由もなく歩き去ろうとする彼が背を向けると、ホワイティスは急いで彼に駆け寄った。
「待って!」
一瞬銃口を向けかけたシルバリオが、声の主に気づいて銃を投げ捨てる。
「……なんだ」
「どこへ行くのか知らないけど、私達も一緒に連れて行って……!」
「……俺の知ったことか、こうして襲われた以上どんな手段を使ってでも去るだけだ」
「私達もこの地獄から出たかった所よ!」
「…………来るなら勝手にしろ、だが命の保証はしない」
「……! ありがとう! クロちゃん!早く持てるもの全部持ちましょ!」
「分かったわよ、仕方ない……」
ブラクネスが崩落寸前となった家の中を探り、両手に収まる程度の家に残された荷物を広げる。
拳銃が1丁、銃弾が6発、錆びた刃物が1本、古びた手帳が1冊。
家の中に残されていた物は、これが全てであった。
「あとは非常食が3食分だけね……」
「大丈夫だ、銃ならあと3丁ほど残っている」
「それでお腹満たせる訳じゃないでしょ」
「非合法だが奪取せざるを得ない、お前たちの手も借りるぞ」
そう言うとシルバリオは大きくひしゃげて歪な形になったガスマスクを手に取る。
さほど血液が付着していないマルチサイズのコンバットスーツもしっかりと着こなしていた。
二つとも先程殴り飛ばした兵士が身につけていた物だ。
「後は"足"を確保する、付いてこい」
「お姉ちゃん、なんか嫌な予感がするんだけど
「今の生活とどっちが良い?」
「……分かったわよ!もう!」
後は野となれ山となれ、そんな言葉がブラクネスの脳裏によぎった。
…………彼女たちが住んでいたスラム街から一時間ほどかかって数キロ歩いた頃だろう、一行は何もない崩落現場に到着した。
グラウンド・ゼロじみて何も無くなった一面の瓦礫の山、その向こうには巨大な壁、そのさらに向こうには空中を駆け巡るハイウェイが無数に通っている。
日が沈みかけて仄暗くなっている辺りを、遠い街並みが派手に照らしていた。
「丁度いい、ここを抜けるぞ」
「ここは……貴方が倒れてた場所ね、昨日今日の話なのにもう懐かしい……」
「最早俺にとっては関係のない場所だ、行くぞ」
過去の自分の墓標を踏み歩くように、荷物を汚れた布で持ったシルバリオの後ろを二人が付いて歩く。
(お姉ちゃん、まさかコイツ強盗でもするつもりじゃ……)
(そうでもしないと生き延びれないでしょ、それにこの機会を逃すなんてありえないわ)
(そうだけど……ああもう!)
ひそひそと話し、自分の意に反するブラクネスが地団駄を踏むと、足元に転がった瓦礫の山からはみ出た一枚の名札に気づいた。
(ん?何これ、名札……?)
拾い上げると、そこには『ノアカンパニー アングルボザ研究所教授 アーネスト・ブッキー』と書かれていた。
土埃にまみれたそれを手で払うと、裏面には血がべったりと付着していた。
(気色悪いけど何かのヒントになりそうね、それにノアカンパニーって言ったら大企業じゃない)
「クロちゃん、早くいらっしゃい!」
「分かってる!それにその名前で呼ばないで!」
急かされた彼女は、薄汚れた衣服のポケットに名札をしまい、姉が待っている方向へと駆けていった。
……彼らがその瓦礫の山を抜けるまでに30分かかり、やがてスラム街を隔てていた壁だった場所にたどり着いた。
すっかり日が沈み、周囲の暗闇を切り裂くような光源を出す機械が三箇所に設置されていた。
その光源の下、厳重警戒され、5メートルはありそうな巨大なゲートが出入りする者を阻む。
「……ここね、忌まわしい壁ったらありゃしないわ」
「何故こんな所に壁が?」
「スラム住民の出入り制限ね、あと元研究所の連中が通勤する時に使っていたらしいわ」
「で、その研究所からの廃液は全部スラム街に垂れ流してたのよ、その廃液を飲んだ大体の人間は死んだわ」
「成程、ならば同情は不要。強行突破には十分な理由だ」
「強行突破……?貴方まさか……」
「少し待っていろ」
シルバリオがコンバット・スーツに包帯に巻き止めていた歪んだガスマスクを身につけて、カートリッジを一つ、銃を1丁持つと警備室へと向かっていく。
あまりにも即決すぎる判断に姉妹二人は止める間もなく、数秒後には揉み合う声が聴こえてきた。
ガスマスクを装着して、アサルトライフルを構えたシルバリオが銃口を向けて窓口を叩く。
「おい、開門させる装置はどれだ」
「なぁっ、なんだお前は!」
そう叫ぶ警備員の後ろに人の気配を感じ取った次の瞬間、シルバリオは銃口を外すと共に、左腕を振りかぶり、窓口のガラス素材を叩き割った!
「うわああ!」
パラパラ……と破片が崩れ落ち、周囲の警備員が呆気にとられる。
窓口の警備員は全身を強打し、身動きが取れなくなっていた。
「この装置だな」
「ちょっと!勝手にコントローラーを……ぐあっ!」
待機していた警備員の頬を、アサルトライフルのストックで殴り飛ばす。
「邪魔だ」
意識喪失間近のその警備員を蹴り飛ばし、こぶし大のコントローラーを引くと巨大なゲートが音を立てて開く。
背中に背負ったもう1丁の、使い物にならない程歪んだライフルを取り出すと、それを足元に倒れていた警備員に持たせる。
銃身を無理矢理に握らせ、ストックをレバーの隙間に挟み込み、その場を去ろうとした時だった。
「動くな!撃つぞ!」
もう一人の警備員が小さな拳銃を向けたが、その手をアサルトライフルのストックで殴られ、銃が転がり落ちる。
「くっ……誰か……誰か警備班を呼び戻せ!……ぐええっ!」
アサルトライフルのストックで側頭部を殴り飛ばすと、あっという間に警備員は気絶した。
通信機からは応答を求める声が聴こえたが、踏み潰すと共に雑音は止まった。
(あのレバーを引いている間だけ開くゲートのようだ、奴が起きるまでになんとか通り抜けなければ)
そう考えつつ、物陰に隠れていた二人に(いくぞ)とハンドサインを飛ばし、応援を待つ事無く3人は壁の向こう、人で賑わう街に突入した。
……二人の姉妹が見るのは、数年ぶりの賑わいと輝きであった。
「はぁ。7年の間にすっかり変わっちゃったわね」
「スラムなんて人口以外微塵も変わりゃしないのにね」
姉妹が辺りを見回し、隔壁のゲートが徐々に閉じていく中、シルバリオは次の行動目標を探していた。
「……ハイウェイの入り口はあそこか、ならば駐車場は……見つけた」
一人で呟いた後、シルバリオは1台のホバー・トラックへと向かい歩き始めた。
その運転席では一人のくたびれた中年男性がポルノ本をにやけた面で読み漁っている。
薄汚れた助手席には『ハマチャン』と赤いフォントがパッケージ上部にでかでかと存在し、レトロ・チャイナな可愛らしいキャラクターが描かれた即席麺とブロック状の非常食がいくらか積まれていた。
当の運転手は、横着する性格である事が格好の獲物として狙われる事など知る由もなかった。
「おい、そこのお前」
シルバリオが声をかけると、怯えた様子で中年男性が窓から身を乗り出す。
全身一体型の浅葱色のスーツの彼が、心底気怠そうにシルバリオと目を合わせた。
「な、なんだよ……」
真紅の瞳から得体の知れぬ殺意を感じたのか、その男は冷や汗を出してたじろぐ。
「いい車だな」
「あ、ああ……どうも……」
「少し借りるぞ」
「えっ?……あっ!うわあっ!!」
一瞬の安心も束の間、シルバリオは中年の胸ぐらを掴み、引きずり下ろすと共にドアを開けて運転席に座り込む。
慣れた手付きでエンジンを動かして、計器がオールグリーンを示す事を確認する。
「ドロボー!返しやがれ!」
「急ぎの用事でな、これでも読んで待っていろ」
ポルノ本に興味を示す事もなく男の顔に投げつけると、そのままホバー・トラックを発車させた。
「ねえお姉ちゃん、この先に行けばあの家もあるのかな」
「もう7年だから跡形も無いんじゃない?まぁ、あったらあったで困るんだけど」
「……ま、どうなっていようと私達には帰る場所も無いんだけどね……」
7年ぶりに見つめる懐かしき夜景の中、二人が話し合っていると、追いかける元持ち主を尻目にシルバリオがトラックを横付けしてきた。
「乗れ、早く行くぞ」
元持ち主の後方からは無数の警備員が、シルバリオ達の動きを止めようと群れをなして駆け寄る。
「待ちやがれー!」
烏合の衆の如く群れをなして襲いかかる連中にしびれを切らしたのか、ブラクネスが小さく舌打ちをする。
「ちょっと!後ろがうるさいからライフル貸して!」
「分かった」
シルバリオは、特に考える事もなくブラクネスへとライフルを手渡す。
「邪魔しないで!」
薬莢が徐々に過ぎ去る景色に溶けて、マズルフラッシュが夜の街を照らし出し、無数の銃弾が警備員の足元へと着弾する。
銃の扱いに慣れているのだろう。しっかりとわきを締めて、的確に外した。
既の所で銃弾が命中する事無く、慌てふためきながら足を止めた警備員達を尻目に再びホバー・トラックは走り出した。
夜風にブラクネスのロングヘアがなびき、硝煙と排出されたカートリッジは闇に消えていく。
そして彼らは、静かなる走行音と共に夜の街に消えていった。
あてもなく逃避行を行った彼らの前に、新たなる壁が潜んでいるとは知る由もなく……
「……ノア様、先行部隊の全滅を確認しました」
惑星を見下ろす宇宙船の中、薄明かりだけがその空間を照らす。
「これぐらいただの小手調べ、期待なんて最初からしてないさ」
「しかしノア様、何故彼の記憶を、私達同様に一部の記憶だけを残したのでしょう。そうしなければ今頃倒せていたはずでは……」
「決まっている、君たちは生まれた時から完璧な兵士でなければならない、その為の無駄な教育時間を減らすためさ」
「よし、そうだな。質問の対価として次はキミに行ってもらおうかな」
「カラスのSIN(シン)であるキミであれば、彼を殺せるはずだ。……さあ、行ってくれ。―――コクヨク」
惑星が照らし出すのは、メタリックブラックに輝く翼だった。
(次回予告)
追う者と追われる者、その先にいる者。
歩む事で動き出した歯車は大いなる舞台装置を動かし、やがて運命は狂い出す。
追われる者はその運命に抗い、狂い出す運命の渦中に居る者と出会った。
やがて現れる舞台装置の大きさを知る由もなく、只々歩み続ける者と……
次回 『会遇』
機械仕掛けの神など、存在しない。
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