第6話 開夜

 詩子が扉を開け、前へ進むと、そこはどしゃ降りの雨だった。


 うるさいほどに雨は路面を叩き、出歩く気持ちが削がれる。


 しかも、詩子がドランクと戦っていたときは夕方だったが、目の前に広がる街は夜で、街灯や建物の照明がぼんやりと存在を示していた。


 とても冷たく、悲しく、寂しい雰囲気があった。


「行くしかないわね……」


 自分に言い聞かせて一歩、踏み出す詩子。


「……」


 イブが言っていたとおり、見える雨量にもかかわらず、髪や制服などは濡れることはなかった。


 雨粒の一つ一つが詩子に触れる直前で弾かれるように、避けているからだ。


 歩くたびにパチャパチャと路面を流れる雨水を踏む音はするが、その水でさえ、詩子と接触することはなかった。


「ここは……、中央通り。イワリザクラがある所」


 見覚えのある風景に、呟く詩子。


 背後で扉が消えるのを感じつつ、そのまま歩いていく。


「とりあえず、行ってみよう」


 ドランクを倒し、翔太の魂を回収する。


 それはいいが、そのドランクの居場所が分からない。


 ひとまず詩子は現実世界でドランクと交戦した場所へと向かった。


 そこは、詩子のいる位置から五百メートルほどの距離にある。


 周りの街並みは、よく知っているもの。


 だが詩子は、呼吸や肌に感じる空気から自分が違う世界にやってきたんだなと思った。


 街の灯りの具合から夜でもそんなに遅くはなさそうだが、人はおろか自動車の一台でさえも通らない。


 突然、人だけが消えてしまったかのように静かで、雨の音、歩く音だけが響く。


 ここは世界夜セカイヤで人々の精神が住んでいると言っていたが、区画整理をしたとも言っていた。


 そのせいかもと考えながら歩いていると、正面、二十メートルほどのところで一人の男が立っていた。


 年齢は三十から四十才くらい。


 百九十センチはあると思われる大きな身体で、ロングコート、ズボンといった格好ながら筋骨隆々の体型が分かる。


 軍用のブーニーハットを目深に被り、靴もそれにちなんだ物であるようだ。


 ────間違いない。


 ドランク。


 ずぶ濡れで、身につけている物は水を大量に吸っているため、冷たく重そうだった。


「まったく忌々いまいましい雨だ。俺の力を削ぎ落していく」


 詩子に気づいたドランクは、声をかけるように言った。


「姉ちゃんは乾いたまんまか、いいな。俺と変わんねえか?」


 かまわず歩みを進める詩子。


「それに、こりゃあれか、都市神とししんの仕業か」


「……」


「こんなことができるのは都市神しかいねえよな。俺が街を乱すからか」


「……」


「それとも、翔太くんのためか。確かに、魂は新しい魔法を作るための最高の素材。いわば、宝だからな。守りたくなる」


「宝? そうね確かに宝だわ。だって翔太は。私の弟なんだから!」


 そう言うと詩子は猛然とドランクへ駆け出した。


 バチャバチャと大きな足音が響く。


 同時に、詩子の四肢から黒い霧のようなものが現れた。


 まるで夜の空間を絡めとったような黒い霧。


 それをともないながら、詩子は右手を振った。


 すると黒い霧は斬撃となり、ドランクに襲いかかった。


「ふっ」


 斜めに飛ぶ斬撃を、ドランクは直前で回避した。


 だが、詩子の攻撃は続いていた。


 右手からの流れで左手を振り、その勢いを利用して左後ろ回し蹴り。


 さらに右前回し蹴りの動作で斬撃を繰り出した。


「ちぃ……」


 斜めはともかく、横二つ上下に跳ぶ斬撃はかわしきれないと判断し、ドランクは防御体勢になった。


 防御した両腕と胸のあたり、そして両膝に黒い霧の刃が通り抜けていく。


 ズバッと切断するような勢いの斬撃だが、身体が切り離されることはなかった。


 そのかわり、衣服を含めたドランクの身体が半透明になっていた。


「予想どおり、姉ちゃんのもう一つの力は、夜気ヨキだな。夜だけにある気を操るっていうレアなやつ」


 防御を解くのと同時に、接近した詩子に右蹴りを振るドランク。


「はあっ!」


 詩子は素早くしゃがんで避けると、立ち上がりながら一歩踏み込んで身体を半回転させ、強烈な体当たりをくらわした。


「ぐっ……」


 吹っ飛ばされ、ドランクは仰向けに倒れた。


 すかさず詩子が馬乗りになり、黒い霧で作られた短剣を両手に持ち、振り下ろした。


「いい、やっ!」


 気合い一閃。


 短剣は深々とドランクの胸に突き刺さった。


「……」


 見た目は半透明の身体であり、出血もないが、その感触は肉体のものと変わらなかった。


 当然、詩子にとっては初めてのことで、気持のよいものではないが、目的とする行動はできた。


「ふふ、やるな姉ちゃん」


 とどめをさされたドランクが呟くように言った。


 半透明の身体はさらに透明度を増し、消えようとしている。


「だが、俺はまだ二体いる。翔太の魂を持ってな。せいぜい足掻あがくといいぜ」


 そう言い残すと、ドランクは衣服ごと静かに消えていった。


 かわりに小さな光球が現れ、詩子の胸に吸い込まれた。


「翔太……」


 短剣は黒い霧となって消え、詩子はそのまま光が吸い込まれた胸に手をあてた。


 あたたかい。


 ────雨の中、詩子は一人、弟のぬくもりを感じていた。


 四つに別れた魂はあと二つ。


 その雨はまだ止む気配がなかった。

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