今夜、あの山の頂上で
T.KANEKO
第1話
午後10時、高尾山登山口、辺りに人の気配はない。
これから高尾山、城山、影信山を越えて陣馬山の山頂を目指す。
あの日、君と出会った思い出の場所へ……
あの日、僕は一人ぼっちだった。
いや、あの日だけではない。
それまでの人生、ずっと孤独だった。
人と接するのが苦手で、食事をする時も、釣りをする時も、キャンプをする時も、山を登る時も、いつも一人ぼっちだった。
でも僕は、一人でいる事を望んでいた。
一人でいれば、好きな時に、好きな場所へ行って、好きなものを食べて、好きな事をやって、帰りたくなったら、いつでも帰れる。
そんな気楽さを楽しみ、それが幸せだと思っていた。
君と出会うまでは……
あの日、僕はいつものように出発し、登山客の少ない稲荷山コースを進んで、茶屋に立ち寄る事もなく、高尾山、城山、影信山を越えて陣馬山へ到着した。
セミの鳴き声が騒がしい日で、汗びっしょりになった僕は、茶屋には入らず、風が吹きぬける緩やかな斜面に腰を掛けて、自分で握ったおにぎりを食べようと思っていた。
君と出会ったのはその時だった。
誤って落としてしまったおにぎりが、傾斜を転がり落ちて、辿りついたのが君のところ。一人でシートの上に座っていた君は、おにぎりを追いかけていった僕に笑いかけて、手渡してくれたよね。
「よかったら一緒に食べませんか?」
僕は、このひと言に心がときめいたんだ。
君は僕のような、ハイカーではなくて、小さなザックを背負って走るトレイルランナー。僕が4時間掛かって歩くところを、君は2時間足らずで駆け抜ける。
かもしかのような脚をして、無駄のないスッキリとした身体で、森の中を走りぬける
君の姿に、僕は魅了されたんだ。
そんな君が、なぜ僕のような人に付き合って一緒に下山したのかは、未だに謎だけど、僕たちはゆっくりと山を降り、麓のカフェでピザを食べ、翌週も陣馬山で会う事を約束したんだよね。
僕が歩いているところを、君が一瞬で抜き去り、振り返ったときに魅せてくれた笑顔は、今でも鮮明に思い出せる。
木漏れ日を浴びた、あの時の君は美しく輝いていたよ。
そんな君に影響されて、僕も山を走るようになり、数え切れないくらい沢山の山へ出かけたね。
「より遠くへ、より速く、より楽に……」は、君の口癖。
一人遊びが好きだった僕なのに、出会ってからは、君と一緒にいる時間が何よりも楽しくて、それまでの人生が酷く味気ないものに見えてきたんだ。
幸せの本当の意味を教えてくれたのは君だった。
僕達は、夜の陣馬山にも登ったね。
誰もいない山頂に寝転がり、手を繋いで見上げた満天の星空。
流れ星を見つめながら、もう僕は一人ぼっちじゃないんだって信じていた。
それなのに……
一緒に行くはずだった南アルプス、熱を出してしまった僕が行けなくなり、一人で縦走する事になった君。
「これから登り始めるよ」
「気をつけてね」
これが最後の会話になるなんて思いも寄らなかった。
山を愛していた君が、山に愛されて、帰って来なくなってしまうなんて……
お陰で僕は、また一人ぼっちに逆戻りだよ。
でも、いいんだ、元の僕に戻っただけだから。
それに陣馬山の頂上では、きっと君に会える。
ようやく景信山までたどり着いた。
あの山まで、あとひとふん張り。
星になった君に巡り会うまで、あと少しだ……
今夜は雲ひとつない星空だから、君の輝く笑顔に会えそうだ。
完
今夜、あの山の頂上で T.KANEKO @t-kaneko
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