第二十話 脆弱な己を

ジェボールは、そのスイリュームの口から出てきた言葉に、恐れ隠し切れやしなかった。さっきまで女とは思えないほど勇ましい態度をしていたのだから、無理もない。

 スイリュームは、頭を抱えて、


「うぁっ、うあっ、うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 と、まるで肉食獣の雄叫びのような怒号をあげる。ジェボールが彼女の瞳を静かに近づいてみてみると、そこには涙が浮かんでいた。うるうると、光っていた。

 ジェボールはそっと訊いた。


「どんなことがあったんだよ、スイリューム、教えろよ、なぁ」


 何度かそう尋ねても、返答は次の一点張りであった。


「やめろ、やめろ、やめろ」


 だんだん聞いていくたびに狂気じみているようにも感られてしまう。そして、彼女の心の底に眠っている恐怖が、こちらにも移っていくようである。

 脳裏には、よくわからない文字が映された。何かの暗号か、否。意味のわからない文字なのに、脳に直接意味が響くような気がする。感覚を研ぎ澄ませ、察知して見せようと試みる。脳には、スイリュームの声が確かに響いてきた。

 や……め…て……。に……がっ、せ……。

 小さな声だったが、主張は悍ましかった。恐怖心てのが、浮き彫りになっている。聞けば聞くほど、苦しくなるような。とてつもないマイナスの波動。


「スイリューム。どういうことだ」


「ふっふっふっ。それはね、私ガスイリュームにかけた『心の闇』の能力が、今発動してしまっただけさ。君に直接話しかけてくる感覚は、どうだい」


 なぜか答えたのはケルセウスの方であった。ケルセウスは、わざと挑発するように説明してくる。それが、また気に食わなかった。

 ジェボールは、ケルセウスに言った。


「お前は、何がしたい。ここまでして、そもそも何がしたいのか、自分の心に問え。そしたら、こんな無意味なことをなぜしてるんだ俺は、って己のした行動の無意味さを悟り、そしてなぜそんな無意味なことをしちまったんだってことになるからよォォォ!」


 ケルセウスは、自分の胸に手を当てた。一瞬その表情が眩む。しかし、すぐに元の挑発するかのような作り物の笑顔に戻り、ドヤ顔で叫んだ。


「私は私のした行動を悔やんではいない。無意味な行動ではないことも分かったよ、ありがとう、ジェボールくん。ちゃんとした理由もあるが、今は話せない。君が脆弱な己を克己するまではな」


 ーーくそッ、逆効果か。なんだよ、ゼージャク、コッキ、とか。


 わからない言葉がたくさん出てきたので、首をかしげた。帰ったらミネルバに意味を聞こうと決めた。

 後悔するのが、まさかこちらになるとは。思ってもいなかった事態に、ジェボールはチッ、と軽く舌打ちをしてみせた。

 全部返される。こいつの体も心も、鉄壁の要塞なのだ。特殊な何かが心にコーティングされている。

 悔しい。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい。戦いたいよ」


 ロングトーンに叫んだケルセウスは、いつの間にかジェボールの頭上に浮いて立っていた。声のする方を見ると、ジェボールの眼球に向かってナイフが飛んでくる。もうすでに来ている。

 咄嗟の判断で右に避けたおかげで、目の怪我は防げた。しかし右肩に猛烈な痛みが走った。電流が回路を流れるように、痺れる。

 肩をみると、そこは皮膚が引き裂かれているかのようであった。血がじんわりと染み込んでいた。真紅。ジェボールは肩を抱え、睨みつける。その目には、暗く明るい怒りの炎が宿っていた。


「テメェっ、何しやがったんだ今俺にヨォ」


 ケルセウスも、流石にこの気迫に押されたようだ。ビクッ、と少し震えた。

 それを目に見ることができ、ジェボールはやや嬉しさに近い感情を覚えた。なので、にやけついてしまう。なんかヤだ。

 ジェボールの手に、じんわりと小さな雷が現れる。それを持つジェボールの口元は、微笑んでいた。痛みに堪えていて嗤っているような感じとは、また違った嗤い方だった。

 雷は炎へと変貌する。


「二度は効きませんよ。同じやり方は」


「同じと思ってたや痛い目に遭うぜ」


 不敵な嗤い。そして次の瞬間、


 ドバッ、ボーン!


 炎がケルセウスに確かに触れた。それがわかると、炎の手を離した。青い炎に触れられ、ケルセウスは恐怖で怖気付いた。

 確かに服が燃えていた。


 その時、ケルセウスは何かに反応する。


「何、一人やられた?」


 頷きながら時が経った。


「総員、撤退いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 ケルセウスは宣言する。


「じゃあね、ジェボールさん」


 ジェボールはそっぽを向いた。

 この新たな戦友を、どのように彼方へ連れて帰ろうかを、考えていた。ケルセウスが撤退したので、集中して思考に徹することができた。

 帰る、しかない。最終的にそういう結論に落ち着いたので、ジェボールは眠っている巣イリュームをおんぶし、静かにそっと王宮の方へと歩いて帰った。

 肩の傷は、今もなお痛々しく残っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る