第四話 コーンスープの災難

 その日は、あまり眠れなかった。ジェボールという名前にもまだ耳や体の感覚が慣れない。ミネルバに言われたことも、体では理解できない。ウキウキしているのに、ウキウキできない。矛盾を抱えている原因は、おそらく次であろう。


 ーー初めて尽くしだ。


 こんなに一度に多くの「初めて」が降りかかるような経験を、彼は十七年生きてきた中で、一度も経験したことはなかった。だからこそ不安いっぱいで、楽しみだろう。矛盾を抱えてしまうくらいに楽しみなんだろうか、これからの異世界生活が。気持ちいいのか、気持ち悪いのか。

 自室の窓から、日の光がさしてきた。物思いに耽るということは、こんなにもすぐ二時間が立つものなのかと驚かされる。


「王子、朝ですよ」


 昨日の女性が話しかけてきた。昨日のように豪勢なさらに入ったコーンスープを持って彼のベッドの前に佇んでいる。

 その目は、とてもおっとりしている。何を言っても信じそうな、天然ドジっ子な眼だ。


 ーー多分。


 彼女は、昨日彼が嫌がったコーンスープを、今日も彼の目の前へ突き出している。つまり、王子がコーンスープを嫌いということは、もう忘れているようである。


 ーーよぅし。言ってみるか。


 ジェボールは、その重い口をゆっくりと開き、静かに


「あの、あなた、誰ですか」


 と訊ねてみることにした。


「あれ? ま、いっか。ーー私、チェグロス・イーミルっていいます」


 なるほどこいつは相当なドジっ子ではないか。やっぱり彼女には言って良かったんだ、彼女には。そう言う風に本能的に確信出来た。こう言う人には言ってて良かったんだと確信してしまった。

 彼女は、いまだにその手にコーンスープの器を抱えたまま、その場で止まっている。何をしたらいいのか、わからないようだ。


「チェグロス。コーンスープを、麻婆豆腐と変えてきてくれないか」


 そう言われたチェグロスは、何を彼に渡せばいいのかわからなさそうな表情をした。

 

 ジェボールは、推察してみた。


 ーーえっと。麻婆豆腐という概念がないのかな。


「はい、王子。『まぁぼぅどおふ』ですね。今しばらくお待ちください。すぐそちらへと持っていきますので、お願いします」


「良いよ、まぁぼぅどおふは」


 コーンスープを奪い、スプーンで丁寧に食べ始めることにした。


 良いですよ、好きな分だけ食べてください、という声がだんだん遠ざかっていた。


 ーー美味しいな。

 

 その味は、何故か自然に馴染むような美味しさを持っていた。不思議なものだ。


「でもそう安心ばかりもしてられないわよ。王子が朝ごはんを召し上がってから、休憩の後には王室任務があるから」


 急に部屋に入ってきた女性の声。声のする方へ目をやってみると、そこにはミネルバが堂々とした感じで立っているのが見えた。


「ミミミ、ミネルバさん?」


「さぁ、食った食った。早く食べる」


「はぁい」

 

 ゆっくり、だがガツガツと食べる姿。結構こういうたわいない行動が、ミネルバはひかれた。


「おかわり!」


「だめです!!」


 ミネルバの厳しいこと極まりない返事に、ジェボールはしょんぼり、というように落ち込んだ。

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