ちょっとキレちゃった系婚約者
第1話
ここ最近疎遠となりがちだった婚約者のオスカー様が、久しぶりに私の元に訪ねてきた。最終学年に進級し、
通された応接間。そこに座る久しぶりのオスカー様は、神妙な面持ちで私を待っていた。
「ようこそ、オスカー様。こうしてお会いするのは何ヶ月ぶりかしら?」
「ああ、久しぶりだな……。その、変わりはないか?」
皮肉を込めた物言いに、オスカー様はバツの悪そうな表情を浮かべ、やや口籠もる言い方になったのは自身の何がいけなかったのか、自覚があるせいか。
どう言葉を返して良いのか、当たり障りがないと言えば聞こえは良い。しかし正当な理由無しに婚約者として、『久しぶり』と言わざる負えないほど、逢瀬の間を開けるというのは如何なものか。
これではまるで、自身の不貞を裏付けている言動では無いか?
オスカー様は、燃え盛る炎を思わせる赤髪と澄んだ青い瞳を持つ、背丈は百八十センチを超える長駆の騎士科に所属する美丈夫である。
ハーレイ伯爵家の三男で爵位の継承もなく、学園卒業後は騎士団への入団が内定している。
叔父に騎士団長がおり、一番上の長男、次期伯爵様も第二騎士団に所属し隊長を勤めているそうだ。次男は、幼い頃の落馬が原因で足を傷め、騎士の道は望めなくなった為、長男に変わり領地経営の方に注力している。
そして向かい合う席に腰を降ろした私は、レティーナ・シュタイン。淡い金髪と色味の薄い金茶色の瞳をしている。背は167センチと、女性にしてはやや高い方。体型はメリハリが有り、そう悪くないと自負している。シュタイン子爵家の一人娘で、結婚後は婿を取って子爵家を継ぐ事になっている。
「そうですね。恙無く…とは、申しておきましょうか」
「………すまない」
『すまない』って、何が?
何が、『すまない』なのか?
婚約者を蔑ろにして、他の女性に入れあげていることが、今更『すまない』と?
最初の頃、私は彼にも相手の女性にも「婚約者がいるのだか、節度を持った対応をして下さい」と、注意はした。
それなのにオスカー様は、その換言を聞き入れては下さらなかった。
「彼女との事を誤解しているのか?」
「ただの友達だ、レティの思っているような関係ではない!!」
等など、言い訳にもならない様な弁明を声高々と宣っていた。
最初は私も戸惑った。そしてその度に傷付きもした。
ある時、学園の中庭でオスカー様と彼女…セリーナ様とが木の影で抱き合い、キスをしている所も、見てしまった。
ピシリ……ッ!!
その瞬間、私の中で何かがひび割れる音が聞こえた。
学園を卒業したら私達は結婚する。家同士の約束であり、私達の意思とは別に決められた事。それでも八歳で決まった婚約は、今年で十年になる。
燃え上がるような恋情とは言えないが、私の方はそれなり以上の恋心は抱いていたつもりで。オスカー様だって私を尊重してくれて、夫婦としてやっていくのに充分な信頼関係は築けて居たと思う。
それなのに……。
ピシリッ……。ピシッ、ピシッ!!
目の前に広がる………これは、なに!?
この十年は、じゃあ一体なんだったと言うのか。
こんな結末を迎えるために、十年と言う歳月を過ごしたのではないわ!!
パキンッ!!!
何かが砕けた音が、私の中に広がった。
そして、私は思い出したのだ。
所謂、前世というものを……。
様々な記憶が蘇った。悲しい記憶、嫉妬に駆られた憎々しい記憶も……。
前世の私は結婚目前だった。新居となるマンションには、夫となる男が先に暮らしていて私は仕事を辞めて引っ越すまでの間、新居に通っていた。
そんな中、いつも通り新居に足を向けて入った室内。見知らぬ女と、婚約者の男が私達のベットで一糸纏わぬ姿で寝ていた。
当然、場は荒れる。目の前が真っ白になって、音にならない声で男の名前が口から漏れた。そして、『終わった』。その言葉が脳裏に過り、心の奥底から猛烈な怒りが込み上げて台所から包丁を持ち出した私と婚約者の男と浮気相手の女。三人で揉み合いになった。
挙げ句……。そして、その人生が終わった。
当時、私が好んで読んでいた物がある。ウェブ小説で、異世界転生物や乙女ゲームや転生物。
そうして甦る様々な記憶と、類似点の多いこの状況から、恐らくここは『乙女ゲーム』或いは『転生ヒロイン』を模した世界なのだろうと推測した。
件の女性…セリーナ・コロン男爵令嬢と言う者の出自や、学園編入の経緯、そして貴族としての
まぁ、そうでもそうでなくても関係ないけど、『浮気』これだけは絶対に許せないと、オスカー様とセリーナには、キッチリ仕返しをしようと心に決めたのだった。
「それで、今日のお話とは何かしら?」
じっ…。と、オスカー様の青い瞳を見る。
久しぶりに見るその顔は、以前と変わらなく見えるがやや精彩に欠けるとも見える。
今から話そうとしている内容に関わりがあって、そのせいで気持ちが揺れているのかしら?
「その…ここ最近の俺の事は、レティにはすまないと思っている。ただ、わかって欲しい。俺はもう、君とは結婚できない。他に好きな…愛する女性が出来てしまったんだ…」
「…………セリーナ様、ですね?」
「……そう、セリーナ。俺は彼女を愛している。真実の愛を見つけたんだ。だから、俺との婚約を解消して欲しい」
切々と懇願する青い瞳は、その意志が固そうに見て取れる。余程彼女が好きなのか、その想いの深さが感じられてしまう。
(私には、そんな焦がれるような目を向けてはくれなかったのに……)
ギュッとドレスの裾を握る手に力が籠もる。きっと後でシワになってしまう。けれど、そんな事はどうでも良い。
ズキズキと胸が痛い。悲しくて悔しくて、鼻の奥がツンと仕出した。涙が込み上げそうになる。
けれど、泣いてはいけない。泣いたら負けだ。この悲しみと苦しみを自らの中に飲み込んで、おいそれとオスカー様を開放なんてしてやる物ですか!
婚約者を蔑ろにして、他の女に愛を囁くなんて、そんな男こっちから願い下げよ!!
気が向けば、婚約は解消してあげましょう。けれど、それは今ではないわ。
その前に、私を蔑ろにして傷付けた落とし前は、キッチリ払ってもらうんだから!!
やられたら遣り返す、グウの音も出ないくらい徹底的にその心をへし折ってやる!!
相手の
「随分と、急な話ですのね」
方針は、決まった。
悲しみも、寂しさも、怒りも、憤りも呑み込んで、にこりと優雅に見える淑女の微笑みをオスカー様に向ける。
一瞬、その姿に気圧されたのかオスカー様が身動ぎ、視線を自身の膝に落とした。……が、一つ息を吐きそして意を決したかのように視線を上げて口を開いた。
「急ではない。これでもだいぶ悩んだんだ。それでも、自分の気持ちには嘘は付けない……だから」
「だから、婚約を解消すると?真実の愛故に?」
小首を傾げ、人差し指を顎に添えて彼の言葉の意味を不思議そうに代弁する。
「そうだ……だから、頼む、承知してくれ」
「……はぁ。それは、セリーナ様もですか?」
「俺は、セリーナを愛してる。勿論、セリーナも俺を愛してくれている」
「そうですか……」
それは小さな声だが、絞り出すように紡がれたレティーナの言葉は、諦めたような、仕方がないとでも聞こえそうなトーンの物で。
けれど、その内心は全く真逆の物である。
何処までも、殊勝と取れる態度で婚約解消を願い出るのね。オスカー様?けれど、貴方は知っているのかしら?セリーナ様の、彼女の「真実の愛」が、一つじゃないことを……。それを知った上で、セリーナ様と一緒になりたいと…そういう事?
それに、「真実の愛」なんて陳腐な名目の元、元来定められていた婚約を横からかっ攫われるなんて、それでは婚約者として過ごしてきた日々は一体何だったのか……。
燃えるような愛ではない。
緩やかに培われた穏やかな関係だったと思う。
それなのに、ぽっと出の平民上がりの女に婚約者を奪われるなんて、面白い訳がない。
怒り……よりも落胆。そして虚しさと寂しさ、怒りと悲しみ。
負の感情が幾つも折り混ざり合った、何とも言えない混沌と全てを喪ったかの様な空虚が心を覆う。
「婚約解消については承知しました。けれど、私から一つだけお願いが有ります」
「お願い?……何だ?」
「私に時間を下さい。一週間だけ、オスカー様との時間を下さいませんか?ここ数ヶ月は疎遠で寂しいし思いを募らせていましたの。このまま婚約解消となれば、ズルズルとこの想いを引きずりそうで。最後の思い出…と言うのもあれですけど、キッパリ思いを断ち切るためにも最後にオスカー様と過ごした日々を綺麗な思い出として終わるためにも、それだけの時間を頂きたいのです。ですから、正式な婚約解消は一週間だけ待っていただけませんか?」
レティーナの瞳は、潤んでいた。
ズキリ。オスカーの心に痛みが走る。
数カ月、放置し続け婚約者を蔑ろにした。その罪悪感ゆえの痛みだろう。
それを煽るように、声音は震わせている。弱々しく縋る様に、オスカー様の良心を抉るように殊更傷付いていて、放っては置けないと判断せざる負えないほど儚い表情で。
私の最後の願いを発する姿を見ていたオスカー様は、ハッとした表情浮かべた。次いで何かを思案しているようにも見える。その表情はとても硬く、そして青褪めてもいる。
レディーナが要望を伝え終えるが、オスカーから返答は直ぐに得られなかった。二人の間に沈黙が横たわり、室内は暫しの静寂が支配する。
「しかし……そんな事をして何の意味がある?」
「あら…?心外ですわね。一週間私にお時間をくだされば、後腐れなく婚約を破棄し、オスカー様を解放して差し上げようと言うのに。良いのですか?私と結婚すればオスカー様はシュタイン子爵家の入婿として子爵当主の座が約束されていたんですよ?それなのに婚約をはきしようなんて……。賠償金はいかばかりになるとお思いで?それをこの一週間の犠牲で帳消しにして差し上げようと思いましたのに……。私としては、当家に婿入りするのは腕の立つ貴族子息であれば誰だって構わないのですよ?それを……十年。貴方が婚約者の座に居座った挙げ句、その座から降りるとなれば……ねぇ?」
そう。十年も掛けて、子爵家の当主教育も中半まで費やしたのに、それが無駄になった。
それだけの時間があったなら、他のアテだって探せたのに、有望な子息は既に婚約なり交際相手がいるなりして、完全なフリーの子息は少ないのだ。
シュタイン子爵領は国境に近く、魔物の出る森も近い。その為、当主には一に武力二に武力、三四が無くて五に武力と言うくらい、腕の立つ当主が求められる。
領地経営やその為事務的な部分は、その妻と家令が請け負い、当主は主に領地内の治安維持に尽力するのが特色だ。
だから、騎士団長をよく排出するぐらい武に偏るハーレイ伯爵家から三男のオスカー様と縁が結ばれたと言うのに……。
「………一週間。それで、良いんだな?」
裏事情を鑑みるに、絞り出すような苦渋の滲み出た声でオスカー様は、期間の確認を求めた。
「ええ、一週間。オスカー様との、最後の時間を私に与えてくださいませ」
殊勝に取れる、ささやかな微笑みでオスカー様の警戒心を薄らがせる。ここで悪巧みでもしているかのような表情や声音は禁物だ。
相手が許容しうる最小限の時間で、最大限のインパクトと効果を与えることが今の目的なのだから。
「…………分かった。善処しよう」
「それからもう一つ」
「まだ、あるのか!?」
「この一週間で知り得たことは、他言無用に願います。互いの今後のためにも……ね?」
若干、意味深に聞こえるかも知れない。
その様に表情を作ったから、それが私の秘め事であるかの様にも聞こえただろう。
苦々しくも一週間の期間さえ婚約者に付き合えば、円満に婚約解消に同意するのだからこれは譲歩したと言うことだろう。
とは言っても、何処まで善処してくださるのかしら? なんて、疑問は残るけれどね。
※※※
「すまないセリーナ。レティーナが婚約解消は承諾したんだが、一週間だけ俺との時間をとゴネてな。一週間だけ我慢してくれ」
その期間さえレティーナに付き合えば、婚約解消には素直に同意するとの確約は得られた。
しかしそれを伝えたら愛しいセリーナは、きっと悲しむ。
わかっている。
わかってはいても、今後を考えるなら平和的解決が望ましい。
一時的に寂しい思いはさせるだろう。けれど、そこは我慢してくれ。
俺が愛しているのは、心の奥底から真実愛しているのはセリーナ、君だけだ。
「そんなっ……!?一週間もオスカーと離れるの??そんな……そんなのって……わたし、寂しいわ……」
今にも泣き出しそうな程、悲嘆に暮れた表情をセリーナは浮かべると、その華奢な体を俺の胸に預けホロリと涙を零した。
「俺が愛しているのはセリーナ、君だけだ。だから、一週間だけ我慢してくれ。そうすればレティーナとの関係は終わるから……な?頼むよ。わかってくれ、セリーナ」
「…………分かりました。……一週間ですね?本当に、それでオスカーはわたしと一緒にいられるようになるのよね?」
「もちろんだ。愛してるセリーナ」
翌日、王立学園の昼休み。レティーナとオスカーの姿は中庭の一角、花壇の側にあった。
レティーナが朝、オスカーに昼休みに時間を作って欲しいと要求したためだった。
「これは何だ?」
「魔術科の子が品種改良した花で、従来よりも香りが強く出るそうですよ。今は、ピンクと白の2色のみですが、今後、他の色も増えるでしょうね」
「………ふーん」
オスカーは騎士科、レティーナは魔術科を専攻している。今日は、この花壇の主は所要で学園を休んでいる。その為、親しいレティーナに花の水やりを頼まれ、ここにいるのだ。
昼休み、昼食と余暇の時間を共に過ごすのは、実に3ヶ月ぶりになる。
二人の間には、ただ静かな空気が流れていた。
レティーナが花壇に水を撒くのをオスカーは、ぼんやりと眺めていた。
そよそよと心地よい風が吹き、カサカサと葉擦れが鳴る。ただ静かで、穏やかに過ぎていく時間だと思っていた。
特に会話をするでもなし、横たわった静寂に雑音が混ざったのは次の瞬間だった。
ガヤガヤとした、誰かの会話がの声だと分かったのは、その音がはっきりと聞こえる頃だった。二人いる、誰か。
低いテノールと高いソプラノの声。女と男。その片方の声に聞き覚えを感じ、オスカーは胸の奥がざわりとなるのを感じた。
嫌な予感がしたーーー。
「少し、いいか?」
側にいるレティーナに、そっと身を隠せそうな木陰を示す。向けられた視線にレティーナは小首を傾げると、オスカーの意図を察したのか一瞬、顔を顰めた。
「オスカー様、盗み聞きなんてはしたないですわ。」
「今だけだ、頼む……」
懇願するような視線を向けられ、レティーナはそっと息を吐く。
「仕方がありませんわね。今回だけですよ。覗きだなんて、はしたない事ですからね?」
「………そうだな」
「クラウス様、わたしクラウス様が好きです……!!」
「えっ?でも、君はラン王子ともオスカーとも親しいじゃ無いか」
「……そんな!ラン様やオスカーとは親しいお友達なだけです。私が好きなのはクラウス様だけだわ!」
「セリーナ…本当に?本当に俺を好いてくれているのか!?」
「はい。……あの、迷惑でしたか?わたし、ずっとずっとクラウス様の事が好きで、仲良くなりたいと思っていたんですよ」
「迷惑な物か!嬉しいよ…セリーナにそう言って貰えて!!」
木々の合間から、そよ風に乗って聞こえて来たのは男女の恋情を語らう会話で。
『セリーナ』その名前が耳に届いた瞬間、オスカー様はピシリと硬直した。
そして腕をブルっと一つ大きく震わす。握りしめた拳が白くなりながら小刻みに震えていた。
その様子に隣にいるレティーナは、そっと息を吐く。
ショック……ですよね。『真実の愛』で結ばれた相方が、早速浮気しているのでは。しかも、恋人だと思っている相手からはまさかの『仲の良いお友達』発言。本当に好きなのはクラウス様と来たら、その衝撃足るやいかばかりか。
それともアレかしら?あんなこと言われちゃっても、そんな多方面に愛を振りまく彼女ごと愛しているから、それ程の大きな愛で結ばれているから『真実の愛』なのかしら?
『真実の愛』
その言葉、『愛』と言う感情自体に懐疑的なレティーナには、オスカーの様子は気の毒でも何でもなく、ただただ愚かに見えた。
冷静に相手の人と成りを判断せず、妄信的に直情的に信じて心を寄せる。
周囲に目を向けられないほど、そこまでのめり込むその様は、愚者の行いにしか見えない。
突出した感情の一つに振り回されて動くなど、実に愚かなものだ。
「オスカー様、突撃なんて野暮はおよしになって下さいましね?あと一週間。オスカー様は私な婚約者とし側にていてもらいますから」
その言葉に、オスカーは目をきつく閉ざし、セリーナ達が木陰の向こうから姿を消しても握られた拳ごと腕を震わせていた。
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