3.仙女は妃となりて
帝には何人もの子がいる。規定の年齢を満たすと
ほどなくして一行は内廷にある
内廷の中央には帝が住まう
着いたのは震礼宮の奥部、客人を出迎えるための間ではなく、最低限の調度品しか置かれていない質素な
「華仙紅妍、大都はどうだ?」
「どれも初めて見るものばかりで驚きました。まさかこんなにも人がいるなんて」
「だろうな。あの里は時代に背をむけていた」
里のことを思い出したのか、秀礼が口元を緩める。小馬鹿にしたような仕草から、彼はあの里を快く思っていないのだと伝わる。
「お前の故郷は、文や遣いに返事を出すということを知らぬようだからな。あれでは大都の繁栄も耳に入るまい」
「文や使いを送っていたのですか?」
唖然と問う紅妍に頷いたのは、秀礼のそばに立つ清益である。
「華仙術を用いる娘をお借りしたいとの旨、何度も文を出しておりますよ。どれも里からはお返事いただけませんが」
「華仙とは字も読めぬ者の集いかと思い、使者も送っている。一人として帰ってこなかったがな」
華仙の里は外部の者を嫌う。特に宮城からとなれば長たちは拒否していただろう。
「お前としては突然都に連れ出されたようなものだろうが、我らとしても長く待ったのだ。それでどうだ、里に帰りたいか?」
秀礼に問われ、紅妍は迷った。馴染みがあるのは華仙の隠れ里だが、帰ったところで婆や姉の
どうせ殺されるのならばどこであろうと変わらない。紅妍は首を横に振った。
逡巡から否定まで、紅妍をつぶさに眺めていた秀礼は小さく呟く。
「……だろうな」
まるで紅妍の答えがわかっていたかのような呟きだ。
「華仙一族というのは理解できないな。お前が隠れていた室の奥に、もう一人の娘がいただろう。あれは身なりも良いのに、お前は枯れ枝に襤褸切れ引っかけたようなひどさだ。これでお前が偽物であり華仙術も使えないとなれば、お前も一族も斬り捨てていただろう」
隠れていた白嬢のことも見抜かれていたと知り、紅妍は驚きに顔をあげた。その反応を見た秀礼がにたりと笑う。
「気づいてないとでも思ったか。音を立てて木箱が震えているのだ、人が隠れていると誰でもわかる。堂々と室を出てきたお前に対し、奥に潜む者は臆病の顔をしていたからな。あれでは鬼霊に立ち向かえるまいと知らぬふりをしたまでだ。あの女の方が華仙術に優れているというのなら話は別だが、実際はどうだ?」
華仙術が優れているのは紅妍の方であり、白嬢は花詠みも満足に出来ない。だがこの場で白嬢のことを話すのは気が引け、紅妍は口を引き結んだ。
無言から何を読み取ったのか秀礼は満足げに「よい」と手で制した。ひとつ咳払いをし、再び口を開く。
「お前に引き受けて欲しいことがある」
空気が張り詰める。清益は変わらず微笑んではいるが、瞳が冷えていた。宮城に紅妍を呼び寄せた理由はこれなのだと重い空気が語っているようで、自然と唾を飲みこんでいた。その音は張り詰めていた紅妍の身によく響く。
「公にはされていないが帝は臥せっておられる」
清益も口を開く。
「大都では疫病が流行っていますが、それとは異なります――何人もの宮医が診ましたが原因はわかりません」
「ああ。だが、それは表向きだ」
「となると、秀礼様は理由がわかっているのですね」
紅妍が問う。これに秀礼、そして清益が頷いた。
「おそらく
「それで華仙術の使いが必要になったと……」
「鬼霊であれば宝剣で叩き斬ることができるが呪詛であれば太刀打ちできぬ。昔に宮城にいたという華仙術使いが呪詛や鬼霊祓いに優れていたと調べた。そこで華仙一族の生き残りを探したのだ」
華仙術は花詠みと花渡しを主とする。花渡しは浄化することであり、鬼霊や呪いといったものを祓うのは得意とするところだ。帝を苦しめるものは断定できないが、呪詛鬼霊の類いであるならば紅妍でも祓うことができるだろう。
秀礼は瞳をすっと細める。射貫くように鋭く、紅妍を睨めつけた。
「ここまで来て、この話を聞いているのだ。拒否すればお前の首を跳ねる。失敗しても同様だ。その首が地に落ちると思え」
紅妍が逃げ出さぬよう脅しのつもりとして秀礼は言ったのだろう。だが紅妍は元より居場所のない身。里に帰ってもいずれ殺されてしまうだろう。山を下りると決まった時から死の覚悟はできている。椅子を降りて床に膝をつく。両手を胸の前で組んだ。
「里を出た時から死は覚悟しております。力の限り尽くすと、誓います」
それに対し秀礼はというと、自ら脅しておきながらも不思議そうに首を傾げていた。
「お前はよくわからんな。まだ若いだろうに枯れ枝のような痩身をし、生を諦め達観している。華仙術の使い手はみな厭世的なのか」
白嬢や婆は厭世的でなかったが、どちらも華仙術の力は紅妍ほどに強くない。過去の華仙術の使い手がどうであったのかは知る由もなく、紅妍は黙りこむしかなかった。
「ともかく覚悟のある娘で何よりですよ。次にこれからのことを進めましょうか」
動いたのは清益である。
「
「震礼宮に置くわけにもいかないからな……どうするか」
顎に手をつき考えこむ秀礼に対し、清益は策が浮かんでいるようだった。彼はにっこりと微笑んで紅妍に言う。
「ここは、帝の妃として後宮に迎え入れるのがよいかと」
妃。予想もしていなかった単語に紅妍は目を丸くした。つまり紅妍が嫁ぐということだ。
驚いているのは紅妍だけで、発案者の清益はもちろん、秀礼も納得しているようである。
「なるほど。妃であれば後宮内を自由に調査することが可能か」
髙の後宮には帝が迎えた妃たちが住んでいる。最も上位にあたるのは皇后だが逝去したため現在は貴妃の位を持つ者が代わりを務めている。皇后が正室であれば、貴妃や妃は側室だ。つまり秀礼や清益は、紅妍を帝の側室に仕立てようと画策しているのである。
内廷に立ち入れる娘は限られている。客人として迎え入れることはあるが、それは正式な手続きを踏まなければならない。客人の家柄も重視され、公主や名家であれば問題ないが、山奥の、それも一部の者しか知らぬような華仙の名では何度も立ち入るのは難しいだろう。
「秀礼様の他、
「
「そういった方々には紅妍が仙術師であると明かしましょう。鬼霊祓いができると伝えれば納得してもらえるかと」
「……ふむ」
秀礼は再び考えこんだが、結論を出すのに時間はかからなかった。清益に向けていたまなざしが、今度は紅妍を捉える。
「よし。お前を妃に仕立てる」
「わ、わたしが……帝の妃に……」
紅妍は青ざめた。目通りしたこともない相手の元に嫁ぐのは抵抗があった。まして相手は国の象徴である。山奥の生活しか知らない紅妍には理解しがたい話だ。
それに。紅妍は密やかな憧れがあった。白嬢が夢見がちに語る恋愛というものに少なからず興味を抱いていたのだ。花痣を持つ忌児であるため叶わないことはわかっているといえ、惹かれ合う男女の語りをする白嬢の陶酔を見るたび、紅妍も憧れたものである。嫁いでしまえばその憧れも消えてしまう気がしたのだ。
戸惑いに目を泳がせる紅妍に秀礼が怪訝な顔をした。
「なんだ。妃は不満か」
「い、いえ……その……わたしのような出自の者が妃になってよいのかと……」
「手段だと言っているだろう。それとも何だ、妃では不満だと言うのか」
「その……嫁ぐのは抵抗が……」
「はっきりと言え。まったく伝わらん」
まごつく物言いに、秀礼は眉間に皺を寄せる。それでも紅妍がなかなか語らずにいるのでしびれを切らして言った。
「まさかお前、愛だの恋だのというものに憧れを抱いていたというのか?」
紅妍の頬がかあっと赤くなる。言い当てられたことはもちろん、秀礼がそれを小馬鹿にするように言ったので恥ずかしくなった。
秀礼、そして清益が息を呑む。夢見がちなやつだと嗤われる想像がつき、紅妍はうつむいた顔をあげられずにいた。
「……ふ、はは」
だが聞こえてきたのは秀礼の哄笑だった。
「お前はよくわからんな」
いまだ抜けきらないようで、言葉の端々に笑いが漏れている。
「枯れ枝と思いきや、私に説教をする胆力を持ち、生を諦めていると思えば、恋に憧れる。おかしな娘だ」
ここまで嗤われてしまうとは。秀礼から伝播したらしく清益もくすりと口元を緩めて嗤っている。羞恥に耐えながらちらりと様子を伺えば、秀礼と目が合う。彼の唇は愉快なものを得た時のようににんまりと弧を描いた。
「安心しろ。帝は臥せっているからな、お前に手を出す余力はない。その枯れ枝では寵愛を受けることも難しいだろうが――それよりも鬼霊の心配をしたらどうだ。お前を好むは生者より鬼霊かもしれんぞ」
そう言い終えるなりくつくつと笑う。こうなると羞恥は苛立ちへと変化していくのだが、相手は第四皇子である。紅妍はぐっと唇を噛み、苛立たしげに秀礼を見上げた。
反抗的な紅妍のまなざしがまた、秀礼にとって面白かったのだろう。委細まとまるまでの間、紅妍は
連翹が散る前。華仙紅妍の姿は後宮にあった。華仙の名を伏せ、
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