ソロになった日
橋本洋一
男の独り事
ああ、すみませんね。最後まで聞いてくださった上に、一万円入れてくれるなんて。これでなんとか生活できますよ、へへ。ありがとうございます。
えっ? 凄い腕前だって? まあそれなりの腕はありますけど、大したもんではありませんよ。こうして独りでバイオリンを弾くくらいしかやることもできることもありませんから。
それでは私はこれで……えっ? 話が聞きたい? どうしてですか?
へえ。SNSで有名になりつつあるんですか、私。
うーん、最近スマホやアイフォンで撮影する人、増えてましたね。
つまりあなたは記者で、私のことを記事にしたいと?
普通は断りますけど、誠意が見えますので、いいですよ。
とは言っても、面白いかどうかは分かりませんけど。
私の名前は信司といいます。信じるに司るで、信司です。
年齢は二十四歳……ふふ、驚きましたか? まあそうでしょうね。
今の私はかなり老けて見えますから。
これでも昔はオーケストラの一員だったんですよ。音大のね。
あの頃のことを語るのはつらいですけど、こうなった経緯を話さないといけません。
簡単に言えば、追い出されたんですよ。
オケの部長というんですか、彼によって追い出されたんです。
私の所属していた音大のオケは、褒めて伸ばすのが信条でしたね。
そのせいで実力もない人が勘違いして、偉そうにしていました。
その中で私は必死になって腕を磨きました。
褒め合う仲間たちはぬるま湯に浸かっていると思っていたので、私はそれらを嫌っていました。
そんな私を部長は毛嫌いしていましたね。
恥ずかしながら私は、プロになりたかった。日本だけではなく、いずれ世界を代表する奏者になりたかった。
でもね、ぬるま湯に浸かっている人ほど、向上心や向学心のある奴を嫌うんです。
ある日、錦という女が私の演奏を褒めてほしいと言ってきたんです。
はっきり言ってくだらない演奏でした。
だから無視して練習していたんです。
すると部長の竹田が私に「どうしてみんなと協調しないんだ?」と詰め寄ったのです。はっきり言って言いがかりでした。
私と竹田は口論となり、結局追い出されてしまったのです。
私は大学もやめてプロとなる道も諦めました。
いくら練習しても実力を認めない馬鹿はたくさんいる。
なあなあでやっている人も大勢いる。
それに気づくと、なんだか馬鹿らしくなってしまいましてね。
でも私は今、伸び伸びとバイオリンを演奏しています。
誰のことを無理に褒めることもなく。
ただ独り、演奏をしている。
それが心地良いんです。
別に褒めて伸ばすことが悪いというわけではありません。
ただ彼らは音楽について本気ではなかった。
文字通り楽しむことしか考えられていなかった。
どうして上を目指さなかったんでしょうか?
どうしてストイックに生きられなかったのか?
私は未だに分からないのです。
ひたすら音楽だけに打ち込めたら、こんなに幸せなのに。
私は今、独りきりですけど――幸せなんです。
大勢の前で演奏はできないけど、少ない人数でもしたい音楽を奏でられる。
あなたはどう思いますか?
私を哀れだと思いますか?
そして、あなたは今、幸せですか?
ソロになった日 橋本洋一 @hashimotoyoichi
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