尊いと萌えについて考えてみた

ラズベリーパイ

第1話

 キャラクター同士の行動について「尊い」という言葉を目にするようになって久しいが、そういえばこの言葉、結構定着していたような気がするなと思ってネットを調べてみたのですが、どうも、「萌え」を超越した言葉であるらしい。

 ただその言葉を見ていて思ったのは、「萌え」とは元々、現在の「尊い」と同じような言葉として昔は使われていたような気がする? という疑問だった。

 私自身の昔の感覚からすると、「萌え」=「尊い」のようなニュアンスであった気がする。


 では何故、このように「萌え」のニュアンスが、感情の大きな変化を表さなくなってしまったのか?

 私が考えるに、「萌え」という言葉がある程度【大勢の人】に知られる言葉になってしまったから、なのではないかと推測している。

 つまり特定の業界(大げさな言い方)、オタク界隈で使われている熱い情熱がこもった「言葉」であるのに対し、それが一般的になってしまったせいで、【普通の言葉】になってしまい、自分の内から出てくるような大きな衝動のようなものを示すには“足りない”言葉になってしまっていたのかもしれない。


 この辺りに新しい言葉が生まれたりする理由があるのだろうか?

 では古い言葉とはどんなものなのだろう?

 どちらかというと堅苦しい、という部分があるのと、一つの物を表すのにニュアンスがちょっと違う、というものはあるかもしれない。


 このニュアンスの違いが、世代的なものなのか、使われ続けた結果によって意味が変質して、本来の意味とニュアンスが異なってしまった、というのもあるのだろうか?

 言葉によって受ける印象が違うのかもしれない。

 とはいえ、現在の私は、「尊い」という言葉は確かに「萌え」という言葉よりも強い感情を示している感覚はある。


 初めて見た時は違和感はあったが使っているのを見ていくうちに、その【空気】のようなものを感じ取れてきたせいなのかもしれない。

 言葉に対する感覚の違いのようなものは見ていて結構面白かったりする。

 古い言葉は、どちらかというと堅苦しいような四角いような、重いような…それこそ【石】のような感覚を受ける。


 対して新しい言葉は【風船】のように軽く、丸く、簡単に手渡しできるような【気軽さ】がる気がする。

 そういった言葉の感覚の違いを私は感じており、こういった、古い言葉によって受ける印象と新しい言葉によって受ける印象の違いというのは面白いので、私も時々両方を使っていた。

 そういった点を考えると、古い言葉というのは時代を経るについて【定義】が確立されていき、輪郭がしっかりして、【あいまいな部分】が消えていくのかもしれない。


 その【あいまいな部分】が実の所時代にそぐわなくなり、【新しい言葉】が必要とされ、作られていくのかもしれない。

 そうなるとこの【尊い】という言葉はどれくらいで次の言葉になるのだろうか? 

 とふと考えてみた。


 実の所、もう書く予定はなかったんですが、もう少し様子見をしてもよさそうだったので参加しました。

 とりあえず説得力のありそうな言葉で適当に考えた事を書いて、果たして、読み手がもっともだな~、とか、説得力があるな~、と思える文になっているのか、適当に考えた事を書いてみました。

 多分、1200字超えたと思うのでこの辺で終わり。

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