第35会 パラレルワールド
奥に薄暗い書斎が見える。
一人のようだ。
「あ、来た来た。
いらっしゃい。」
「静かに紅茶を飲んでたね。
退屈してない?」
「最近はあなたが来てくれるからそうでもないかしら。
人は増えたけどこうしているのも悪くないわね。」
「そうだねぇ。」
ふと気になって自販機のボタンを押す。
ごとん。
「お? コインがないね。
原理がわからないな。
資格外になったのかな。」
「方向性が変わっただけだったりして。」
「まさか。」
ボトルを見ると大きな黒い丸。
「……なんだこれ。」
「ラベルの裏じゃない?」
「あ、そういう。」
ぺろん、とラベルを剝がすと黒丸の裏に90の文字。
「90は90なのね……。」
「私も押してみようかしら。」
「紅茶はあるのかな。」
「うーん。」
自販機そばにある神界文字翻訳小冊子を見ながらリーフェがにらめっこしている。
「あるみたい、これね。」
ごとん。
ちゃりん。
「あら、コインだわ。」
「なんて書いてある?」
「……60ですって。」
「ほー。」
「あら、意外に嬉しそうじゃないわね。
私に勝てる部分なんて少ないでしょうに。」
「こういうところで勝っても嬉しくないかな。
そもそもリーフェは僕にしてみたら神様みたいなものだからね。」
「ほーんと、面白い感性してるわね。
90ってそういうものなのかしら。」
「今は数字は関係ないの。」
「勝てなかったら悔しがるくせに、いざ勝っても喜ばないんだから。」
「よくわかってらっしゃる。」
「で? クッキーでも食べてく?」
「いただきます。」
さくさくとクッキーをいただいていると、リーフェが口を開く。
「ねぇ。
エシェンディアに会いたい?」
「ん-、特に。
リーフェはリーフェでしょ。」
「黒い感情を抑えてよく言えるわね。
怒ってもいいところなんだけど。」
「リーフェは悪くないでしょ。」
「あなたに傷を与えたのは私、それは変わらないわ。
時相を捻じ曲げて私が出て、あなたに助けを乞うてもよかったわけだし。
でもダメね。
私はあなたを試したのよ。」
「それがリーフェの答えなら、エシェンディアは助けを求めなかっただけ。」
「私が出たら?」
「助けたよ。」
「あら意外ね。
エシェンディアの邪魔をするなって言うと思ったわ。」
「どっちも時間が違うだけで本人だからね。
出来ることならしたいかな。」
「意地悪なこと言ってもいい?」
「怒らないよ。」
「……やり直せるとしたら?」
「お。
そう来たか。
リーフェの例えばは割とやろうか、なんだよね。
出来るんだ?」
「まぁね。」
「エシェンディアは何て言うかなー。」
「……あのさぁ。」
「ん?」
「なんで突っ込まないの?」
「どこを?」
「また傷を負わせるのか、とかないわけ?」
「その傷が治るかもしれないと思ったんだけど。」
「……あぁ。
もっと先を見ていたのね。
あなた考えが割と普通じゃないわよ。」
「そう?」
「いいの? やっちゃうわよ?」
「どうぞ?」
ぐにゃん、と空間が歪む。
「はっ!」
気付いたらボロボロの大理石空間。
エシェンディアのお城だ。
王間まで駆けていく。
「……エシェンディア様は無事……、ではないね。」
「シュライザル様……。」
分かってはいるんだけど、胸にこみあげるものがあるね。
そっとエシェンディアの上半身を抱き上げる。
「……あの。」
「なんだい?」
「私はもう長くありません。
でも寂しいので、抱いていてくださいませんか。」
「うん。」
そっとエシェンディアが瞳を閉じる。
「助かるとしたら、助かりたい?
出来るかもしれない。」
「いいえ。
民に顔向けできませんから……。
ここで生涯を終えさせてはいただけないでしょうか。」
おや、リーフェはどういうつもりなんだろうか。
小さく、ツーッと音がする。
「ん……、何の音……?
あっ。」
体調に変化があったのかエシェンディアの目に光が差す。
「……どうして。」
「駆け引きは嫌いなんで正直に言います。
僕は別の世界線でエシェンディア様を見殺しにしました。
証拠はあります。
ここを滅ぼした国は船で来たエルバンタールだ。」
「っ!」
驚きの目を向けるエシェンディア。
「リーフェにパラレルのやり直しを提案されて、乗りました。
でも良くなかったですね。
自分の傷が癒されるという意見を隠れ蓑に
エシェンディア様の反応を見ているだけの悪趣味な時間の流れだという愚かさ。
誰も幸せにならない。」
「……。」
黙っているエシェンディア。
違う傷を負いそうだね。
「申し訳ありません、この世界は間違っている。」
「待ってください。」
「叱っていただけるのですか?」
「いいえ。
無茶を承知でお願いがあります。」
「何なりと。」
「シュライザル様の明晰夢の範囲や効能を無知を承知で伺います。
建物、命、全てを反転することは可能でしょうか。」
胸からギクッ!と音が飛び出たかと思った。
「……やれます。」
「リーフェ様は未来になんと?」
「守りに徹したことこそ失策であったと。
攻めこそ最大の守りであったと言っておりました。」
「今なら私もそう思います。」
にっこり微笑むエシェンディア。
「あの、怒ってないんですか?」
「どうしてですか?」
「死なせてほしい願いを切ったんですよ?」
「ですから、わがままを言いました。」
「エシェンディア様は面白いですね。」
「シュライザル様に言われると嬉しくなります。」
喜んで明晰夢の力を使った。
ツーン!と不快で大きいモスキート音が流れる。
苦しそうな表情を浮かべるエシェンディア。
「……くらくらする。
出来ましたかと。」
「あ……!」
窓のほうに駆けるエシェンディア。
「す、凄い……!
全て……、全てが元通りです!
こんなことが……!」
「さぁて、エルバンタール艦隊には痛い目にあってもらうかな?」
「待ちなさい、バカ。」
「ぐぇ。」
急に服の襟を引っ張られたので振り返ると……。
「おや、リーフェ。
ここで出てくるんだね。」
「リーフェ様。」
「悪かったわね、エシェンディア。
死にたかったんじゃない?」
「いいえ。
生きていれば、と言うこともありますが
全てが戻るなら生きていても良いと思います。
ですが、心配事があります。」
「なぁに?」
「私が生きていることでリーフェ様の未来にお変わりはありませんか?」
「側流の流れが変わったところで本流の流れは変わらない。
なんでかって?
未来の私には経験として見えているからよ。」
「……私の寿命が少し伸びただけなのですね。」
「えぇ、おばあちゃんになるまでね。」
「……え?」
「今死んでも長生きしても、私が再誕するまであなたが生きていない限りは変わらない。
それに側流と言ったのは別の意味もある。
ここはパラレルよ。
こういう世界もあった、が実体化しただけ。
本流ではあなたはここで死んだんだからね。」
「私、幸せになります。」
「ほんっと、私よねぇ……。
ほら、帰るわよシュライザル。」
「もうちょっと待ってくんない?」
「帰ったらこの世界は消える。
何をしたって一緒よ。」
「僕の希望を一つ聞いてほしい。」
「なぁに?」
また小さくモスキート音が流れる。
「あっ、こらまた明晰夢を。」
すると。
「シュ、シュライザル様!?」
驚くエシェンディアは華やかなウェディングドレス姿に。
「血まみれの服じゃなんかね。」
「二回も明晰夢を使ってからに、もう。」
「夢のやり直し程度だから、これくらいはエシェンディアにサービスしてあげようよ。」
「シュライザル様、ありがとうございます。」
向日葵のような笑顔。
「お幸せにね。」
「おっと、帰ってきたか。
車酔いみたいな感覚して慣れないなこれ。」
と、正面にいるリーフェが真っ赤だ。
「どしたのリーフェ、真っ赤だよ。」
「あのさぁ、あそこでは言わなかったけど
あなたのしたことって私の経験になるって忘れてない?」
「そこは失念してたけど、エシェンディアの笑顔を見て僕の傷は癒えたよ。」
「本当に?」
「リーフェも人が悪い。
助けてって言ってくると思ってたのに。」
「私らしく意地悪してやろうかと思ったのよ。
そしたら……、もう。」
顔をそむけるリーフェ。
この辺の人、可愛い人多くないかい。
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