赤ん坊を殺す理由

久世 空気

第1話

「すべての命が尊いわけではない」

 カーテンを背にして雅雄の顔はよく見えなかった。部屋の電気を付けたかったが、あまり刺激したくない。

 私は彼の持ったナイフから目を離さないようにうなずいた。

「死んだ方がましな人間、殺したいほどクズな人間。社会的にも、死刑がある以上、命の価値は平等ではない」

「そうかもね」

「でも『生まれた子どもには罪はない』って『赤ん坊は純粋無垢』って思ってる」

 雅雄の腕には乳児が抱かれている。私たちの従姉の子どもである佐久馬くんだ。佐久馬くんの首元にはナイフが当てられているが、本人はすやすや眠っている。

「・・・・・・だって赤ちゃんはまだ生まれたばかりなんだもの。一人で何も出来ない、守られているだけでしょ?」

 私は言葉を選びながら慎重に発言する。

「うん、姉さんの言いたいことは判るよ。人間の価値は、付加価値だ。生き方によって高くも低くもなる」

 佐久馬くんはまだ6ヶ月だ。柔らかいほっぺた、小さな手足、綺麗な目。どこにでも居る、汚れのない赤ん坊。

「だけどね、生まれてこなければいい子どももいるんだよ」

「どうしてそう思うの?」

 徐々に雅雄の口調が熱くなっていく。あのナイフが佐久馬くんの柔らかい皮膚に食い込まないか、怖くてたまらない。

「人を不幸にする子どもって、いるんだよ。皆、本当は知っているはずだよ。悪魔の子、人の子どもではない子ども。人の形をして、実際には違うものが混じっている。それを感じ取った人がそれを題材にした映画や漫画を作ってる」

 力強く演説する雅雄に、足が震えて崩れそうだった。いつ佐久馬くんを衝動的に殺すのか。

「佐久馬くんが、何したって言うの?」

「生まれてすぐに、隣のベッドで寝ていた子どもが死んだ」

 新生児室には他にも赤ちゃんがいた。悲しいことだけど、たまたま佐久馬くんの横にいた子が死んだだけだ。

「よく家に来ていた野良猫が死んだらしいじゃないか。口から血を吐いて」

 野良猫はどこからでも餌をもらってくる。たまたま悪いものを食べた後に、従姉の家で息絶えただけだ。

「俺たちのじいちゃん、ばあちゃんは狂った」

「認知症よ!」

 私はたまらず言い返した。確かに二人はイライラしておかしなことを言うことが増えたが、高齢だからそういう症状が出るのは仕方がないことだ。それに二人とも佐久馬くんにはやさしい。

「まだあるぞ! 俺がこいつのことを話そうとしたら大声で泣いて邪魔するんだ」

「赤ちゃんだから泣くのが当たり前でしょ!」

「何で判ってくれないんだ!」

 しまった。言い返しちゃいけなかったんだ。逆上した雅雄の声に佐久馬くんが目を覚ます。きょとんとした顔で雅雄を見た。

「ほら! こういう状況でも泣きもしない!」

「わかった、わかったから。とりあえず、私に佐久馬くんを」

 雅雄は躊躇うことなくナイフを振り上げた。

 

 パンッ

 

 ナイフが高く上がった瞬間、カーテンが揺れた。雅雄の体が大きく傾き、佐久馬くんが投げ出される。私はとっさに佐久馬くんの小さな体を抱き留めた。

「雅雄?」

 雅雄は動かなくなっていた。首元から赤い血がドクドクと流れている。カーテンにも血が付いている。砕けたガラスが床で光っている。

 何が起こったの?

「佐久馬!」

 従姉が部屋に飛び込んできた。私から佐久馬くんを受け取ると泣きながら抱きしめた。旦那さんも従姉ごと佐久馬くんを抱きしめ「よかった。よかった」と泣いている。

 二人とも雅雄も私のことも見ようとしない。

「あの・・・・・・」

 私が2人に話しかける前に間に警察官が割って入ってきた。

「時間を稼いでくれてありがとうございます。おかげで私が間に合いました」

 その手には拳銃が握られていた。

「あ、救急車を・・・・・・」

「いらないでしょ、もう死んでる」

 警察官の目も私を見ていなかった。それどころか焦点も合っていない。

 その後ろで従姉夫婦や祖父母が佐久馬くんを囲んで喜び合っている。

 佐久馬くんだけが私を見てニコニコと笑って手を振っていた。

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赤ん坊を殺す理由 久世 空気 @kuze-kuuki

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