第4章 結
塾のドアを開けると、室長がいた。こっちが合格発表で高血圧になるんじゃないかってくらいになっていたってのに、相変わらず飄々としていた。冬雪先生もいる。
「こんにちは」
靴を脱いでから、受付カウンター越しに彼らを見る。
――妖怪……なんだよな?
あの時、室長の言った「アメノムラクモ」という言葉を検索かけてみたことがあった。それを確認しなければならない。なぜなら、もしかしたら、室長は妖怪ではないからだ。
「室長ってもしかして、ス……」
メデューサもビックリな視線による制止が促された。しかし、それが却って俺の仮説を裏付けるだろう。言わずにおくが。そもそも妖怪とは何なのか、分かってないのかもしれない。現に室長は妖怪というより神にカテゴリーされる存在のはずだ。けれども、人が勝手にカテゴライズしているだけであって、もしかしたら、妖怪と神様の間には、≒や∽や≡やらの記号が成り立つのかもしれない。まあ堕天使というのもいるらしいからな。
どっちにしろ、支配するとか言っている室長たちの片棒を担ごうなどとは思っていない。駕籠屋のバイトはするつもりないし。だが、彼らが講師として言ってきたことも的を射ている。だから、俺は今こうしているのだし、俺にできること、したいことを選ぶことにした。そして決してこいつらや、こいつらの手先に支配されないような社会を、いや、そんな大それたことは出来ないが、その一端を担えたらと思う。それに、そうしないとあの時見た札束がもったいなく思えて仕方ないのだ。
あの時。センター試験後、青海さんが親御さんと室長と個人面談している時に、冬雪先生から渡された大学のパンフレット。室長からの差し入れ。まんまと俺は乗せられたってわけだというのが今になって分かる。俺の志望変更を見越してのことだったようだ。どうせ教育業界にも触手を伸ばすため、俺を送り込もうとかいう算段だったろうが。けどまあ、俺が描く未来は今の方が一番心動くわけだ。楽しげでありまた、それを逆算すると今が腹立たしくもあり。
「合格しました。ありがとうございました」
深々と礼をするのだ。他にはあるまい。直後、
「先生、合格しました!」
勢いよく開かれたドア。その声を間違えるはずはない。その弾む声が随分と懐かしくも感じられる。
「おめでとう、二人とも」
室長と冬雪先生が拍手をしている。
「赤崎君も? おめでとう」
「ありがとう。青海さんもおめでとう」
「うん、ありがとう」
一月からの怒涛の日々で見た、陰鬱とした表情はそこにはなく、俺がそう魅かれていた青海真紀さんの笑顔がある。
「では、二人とも、今後も活躍期待しているよ」
室長と冬雪先生が手を差し伸べてきた。多分神様・妖怪自己申告と握手。何の和平交渉だ、これ? 青海さんは両手でそれに応える。知らないというのは何とも幸せなことだろう。
「室長、俺に志望校変えさせたこと、後悔させてやりますからね、いつか」
「それは楽しみだ」
「冬雪先生、ヒヤヒヤさせますから、いつか」
「やってごらんなさい」
恩師たちとそう言って順に握手した。
それから数分会話をした後、俺と青海さんは塾のドアを閉めた。晴れてはいたが、まだ肌寒い空気が身体の中に入って来ると、すうっと肩が軽く感じた。室長たちに引かれて変なのが憑いていたんじゃないだろうな。
「さっきの何? 室長が志望校変えさせたって。赤崎君が変えたんじゃないの?」
「えっと……ほら、室長みたいにさ、勉強教えるのも面白いかなって思わせてくれたから、そう言う意味で……」
「そう。確かに、今まで会ったことのないタイプの先生だったね」
ここで、かねてより決めていたことを行動に移そう。男赤崎元、本当の気持ちを告げぬまま卒塾はらしくない。
「青海さん、」
俺の言葉を聞いて、青海さんは目を丸くしてから、いつもの屈託のない笑顔になった。
そして――春が始まった。
というのが数年前のことである。
現在俺は塾講師のアルバイトをしている。言わずもがな氷川塾で、である。
あか・ほん~赤崎元の本気~ 金子ふみよ @fmy-knk_03_21
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