第3章 その1

 総合問題の対策に四苦八苦していると、あっという間に時が過ぎていく。

 二次試験の科目が違ってしまったこともあり、青海さんと同じ時間帯に塾には来るものの、どうやらベルリンの壁らしきものが建設されたようで、違う教室でのほとんど先生一人・生徒一人でのマンツーマン個別指導状態になっていた。

 そんな障害よりも気になるのは、学校でのマスク姿の青海さんのことであり、志望学科変更以来、以前よりは学校でも話すようにはなったが、それはさし障りのない会話で、塾のような男子女子の溌剌とした感じはでない。

 が、そのわずかでもあるが、マスク越しの声を聞いて、その姿がずっと続いていると否応なく、思い出される。妬みや恨みの思念とか言った、妖怪室長が説明したことをである。

――青海さんのあの成績になったってのに、まだ妬んでるやつがいるのか?

 そう思うと、はらわたが煮えくり返ってくる。ダウジングでもやれば、真犯人が分かるだろうか、俺にはできないが。

 そんな二月二日。冬雪先生からみっちりこってり絞られた後、室長が近づいて来た。机に臥せっていた重い頭を起こした。

「随分疲弊していますね」

 アルファベットが四六時中頭の中で読経しているのを共感してくれるか?

「それは良い傾向です。そんなことより」

 俺の人生がかかっている勉強を「そんなこと」と呼ぶなよと突き返す気力さえない。

「青海さんの学校での様子を聞かせてください」

 いぶかしがるものの、答える。

「マスクはずっとしてますね。声の調子も悪いみたいで。前程じゃないですけど、保健室行くのもあったり。あ、保健室て言ったのは、俺がつけたわけじゃなくて女子たちがそう言ってたんですけどね」

「なるほど、ありがとう」とだけ言って立ち去ろうとするものだから、

「理由を聞かせてください。なんで突然そんなこと聞くか」

 当然室長の思惑を伺っておかなければならない。

「彼女が危ないからです」

 これまた聞き捨てならない解答。慌てて更なる説明を求める俺。

 室長は無言で指す。教室の壁にかかったカレンダー。二月三日。節分。

「節分であるこの日に処置しなければなりません」

 節分というのは立春、立夏、立秋、立冬の前日、季節の変わり目で、とりわけ立春の前日は気が大きく変わる。その際には体調を崩しやすから、気を付けましょうという意味があるそうだ。節分が年に四回もあるなんて初耳だが。

「では、なぜオニを豆で追い払うなんてことになったのでしょうね?」

 質問されても分かんねえよ。

「オニ、漢字で書いて音読みしてみると?」

「キ……?」

「そう。気合の気。気が変わる、すなわち鬼が現れやすいということです。で、豆ですが、鬼は豆を嫌うそうです。それに豆は昔では貴重な栄養源。それを摂取することで体調改善を図ったのです」

 俺の疲弊しきった脳でもわずかばかりの糖が使われ、様々な計算式が出来上がっていく。

「おいおい、まさか鬼がいるなんて言わんよな。青海さんの不調もそれ絡みで」

「ご名答。私たちがいるくらいですから、おかしくはないでしょう」

「いや、それとこれとは……で、その鬼が青海さんを……とか……?」

「当たらずも遠からずですね。どうもありがとう。これで対処ができそうです」

「室長、そこまで言って俺はのけ者ですか?」

「いえ、君は貴重な情報提供者という役を十分働いてくれました。ですから、後は心置きなく勉強に邁進してください。鬼退治は私と冬雪先生に任せてください」

 そんなもん聞いてられない。連れて行けと主張するしかない。キビ団子はいらん。犬でも雉でも猿でも、役なら何でもかまわんからな。

「これは君のやることではありません。君がやるべきことは勉強をし、合格をすることです」

 ここまで話聞いて、青海さんのこと放って置くことは出来んだろ。

「放っておいてもらいます。君はまだおつむが足りないようですね。自分のことを満足に軌道修正できない奴が他人をどうこうなんておこがましい。これで不合格になったらどうするんですか?」

「自信ねえのかよ。俺が一噛みすることで、合格させられないって」

「いいですか。二次試験までのこの時期を他人のために……」

「他人じゃない。青海さんを放っておけないっていう俺のためだ。アホでもアホなりにやることはある」

「アホを通り越しておバカさんですね。当然合格はしてもらいます。そのための覚悟は出来ましたね?」

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