第2章 その8

 夜。青海さんから電話が来た!

 メールの交換は何度かしたが、電話は初めてだ。スマホの画面上の着信名がバグでないことを祈りつつ応答する。

『赤崎君? 青海ですけど、今いい?』

「俺はいいけど、青海さんは大丈夫なの?」

『塾、途中で帰ったから? それは平気。あんなことになったから赤崎君にも知らせておいた方がいいかなと思って』

 青海さんが親御さんと、室長と行った面談は、こんなことだったらしい。

医学部医学科は無理だが、看護専攻、放射線治療専攻、検査技術専攻のある保健学科なら合格の可能性ありということだった。青海さんの父親も家が代々医療に携わってきているから、それならば別に問題はないということになり、またどうしても医学科でなければならないというなら、二年次に転科をするという選択肢もあるそうだ。転科とか、そんな裏ワザ学校じゃ何も言わんかったぞ。

『それでね、帰ってからも少し話をしたの。親はね、現役で合格してほしいって。それで医学部ならどこでもって話になって』

「青海さんは?」

『私は……』

 微妙な沈黙。気が利かなければ、励ませばいいのに。それさえもできない、俺。

『私本当はね、医学部なんて受けたくなかったし、医者に何てなりたくなかったの』

 俺のイメージ全否定な驚きの一言。いやそれは青海さんの気持ちだった。

『本当は童話を作りたいとずっと思っていて。それは今も変わらないの』

「童話……を?」

『そう。でも医者になって当たり前みたいな感じで育てられてきたから、一人っ子だし尚更私にそう言って来たんだと思うの。それは家業みたいなものと考えていたから、仕方ないって言うかね。でもこうなちゃって、なんか今まで組み上げて来た積み木が一気に崩れちゃったみたいな感じがしててね。でもね、私医学部の保健学科受けることにしたの。検査技術専攻で』

「なんで検査?」

『何となく。もうこうなったらみたいな感じよ。どの専攻でも二次試験は数学と英語だし』

「青海さん、数学……」

『医学科でも二次試験は数学あったわけだし、数Ⅲのある医学科よりもⅡBまでしかないなら何とかなりそう……じゃなくって何とかできる、何とかしたいから。それに童話はどの職業になっても書けるって思うことにしたの。それで、赤崎君は? 二次どうにかなりそう?』

 ふいに尋ねられる。何を答えればいいんだ? 頭の準備体操は教えてもらってないぞ。

「いやまだ全然。てか、英作文をどうにかしないとってのは、冬雪先生と話してんだけど。俺苦手だし」

『私は英語得意で数学苦手。赤崎君は数学得意で英語苦手。まるで逆だね。今度教え合いっこしようよ』

「ああ、そうしよう。ぜひご指導お願いします」

『ええ喜んで。じゃ、突然の電話ごめんね。おやすみなさい』

 俺も返答をしてから電話を切り、青海さんからの勉強のお誘いに、「苦手って言っても、俺よか数学の点数良いじゃん」なんて返答をしなくて本当に良かったと思った。去年の俺なら天にも昇るほどの有頂天具合になっているだろうが、いまいちそこまでテンションが上がらなかった。

 医学部医学科を目指していて、それを変える。それをこのタイミングになってだ。

親から言われていて、家が代々やっているからそれを甘んじて受け入れなければならない。

 それでも叶えたい夢を持っている。

 もしかしたら、電話の後泣いているかもしれない。悔しくない訳がない。どんな理由があったとしても、これまでの努力がこうなってしまったのだから。一気に崩れた積み木の前で「さあ、もう一度やるぞ」と即決を振り絞った勇気。俺だったら、どうだ? なんだかんだで、もし今センター試験の結果が自己ワーストなんてだったら、青海さんのようには決して振る舞えないだろう。それは俺がチキンでないとしてもだ。きっと今頃ゲーセンで遊びほうけているか、悪友たちとカラオケしているだろう。

 しかし、俺の結果は良かった。俺は二次試験に臨まなければならない。

――君はなぜ大学に行きたいんですか? そして、大学を卒業したその後何をしたいですか?

 入塾の時の室長からの質問が頭に浮かぶ。

 それがトリガーだったようにして俺は大学のパンフレットを開いた。

 そうだ。アホならアホらしくしてみようじゃないか。

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