第2章 その1

 朝、ニュースが一向に日本の地方都市で光学兵器が使用されたとなどの速報がなされていないことに安心しつつ、塾に行ってみたが閉まっていた。そりゃそうだ。年末年始休校に入ったんだから。でも、何が起きたかは知りたかった。年明けの初っ端なの授業の時にでも聞くしかない。

 と思っていたら、元日。一人で初詣に行くと、そこに室長がいた。

 挨拶も早々に、問うた。あれの説明を求めるくらいは容赦されるはずだ。

「魔術です。そう言えば、ゲーム世代の君にも理解できるでしょう。本来なら妖術と言った方がいいのですが」

「魔術? 妖術? でも、あれなんかぶっ壊したとかじゃないんですか?」

「壊したと言えばそうかな。不必要なものをね」

言っていることがさっぱり分からない。苦手な英語のやり過ぎで現代日本語の理解ができなくなったのか、俺?

「支配のための施術だよ」

 軽妙で端的な言いようだったが、その目は真剣そのもの、というより威圧感させ漂わせていた。たかだか一介の高校生である俺が感じるくらいである。よほどのものだろう。

 しかし、このワンフレーズだけで室長の言っていることを一〇〇字以内で簡潔に説明できるはずものなく、国語も担当する冬雪先生がいたら、「理解できないの?」みたいな冷たい視線からのブリザードを実際に引き起こすのではないかと戦々恐々とするものの、やはりこう言わなければならない。

「支配?」

「そう。人間社会を支配する。妖怪や魔物ならしそうなことだろ」

 これまた明瞭な言い分である。あれだけのことを見させられたら、納得もしそうだが。

「妖怪と言っても、今の社会は昔とまるで違ってきている。私たちにとってもね、肩身を狭くして生きるのはしんどくてね。だから、人間社会を支配する」

 冬雪先生、申し訳ないが、これが国語の読解問題だったら、間違った選択肢を選ぶか、見当違いの説明記述をする自信がある。

「合点がいかないようだね。こちらも変わってきているということだよ。人間に住処を奪われた妖怪が人間に攻撃をして、居場所を奪還する。それはかつての物語だよ。現代は違う。もっと的確な方法がある」

「それが塾だと?」

「そういうことだ。教育だよ」

「いやでもおかしいでしょ、それ。勉強教えて皆成績が上がって、行きたい中学や高校や大学に行って、だとしたら、人間社会に貢献しているようなもんでしょう。妖怪が入る余地など……」

「貢献? それは君の誤謬だよ。私たちが支配をすると言っているんだ。そのための方向付けをしているのは当然でしょ。人間でいうところの時間はかかるでしょうね。五〇年、あるいは一〇〇年単位での計画です。ですが、私たちにとってはそんな時間大したことありません。君たちが大人になる。そして子を宿す。その子たちがまた子を宿す。私たちの影響を受けた人間が増えて行き、人間社会のトップ、中枢へ。そして社会を変えていく。君もそうなるんですよ」

「つまり、妖怪が住める環境になるようにとの影響を受けた人間が、その人数がネズミ算式に増えて行ってそうとは気づかずに社会を変えていく」

「まあ、そんなところです。革命はふさわしくありませんから」

 そういやさっき、俺が言い終わらないうちに室長が割ったな。こんなこと授業ではないことだ。いつでも誰でも室長は生徒の、親の言うことをしっかり聞いてから答える先生なのだ。だから、これはよほどのことだろう。しかし、室長の言っていることが実施されたなら、それはいわば洗脳ではないか。

「だろうね。けれど、赤崎君。君が受けて来た教育が洗脳ではないとどうして言い切れる? ま、こういう場合は洗脳というより、マインドコントロールと言うんですけどね」

 円周率。3.14……と無限につづいていく。が、これを3だと教えられた時代がある。

 日本には旧石器時代なんかないと教えられた時代がある。それを主張していた方々はさぞかし岩宿遺跡の周りを霊になった今でもたむろしているだろう。

 枚挙にいとまがない。こうだと教えられたら、そうだと知るのだ。それ以外の文言を排除するかのようにして、成立してしまうのだ。

「じゃあ、何のために勉強なんてもんを……」

「洗脳されないためだよ。洗脳されないために、洗脳という教育を受け入れなければならない。人間というのは実に興味深い。さすがは大脳辺縁系を発達させたエゴイスティックな動物だね」

 矛盾してないか、それ。だが、俺には言葉がない。では、何のために受験なんてものがあり、こうまでしてしんどい思いで勉強などせねばならんのだ。

「言ったろ。君たちが洗脳されないようにするためだ。そこから脱出し自ら考え、そして新しい社会を形成していく」

「妖怪がいる社会」

「そういうことだ。かつて私たちは人間とともに社会を作っていた。昔話、童謡、伝承、伝説などなどで分かる通りだ。では、なぜ今はそんな話がない? おかしいとは思わないかね?」

「いや、それは科学が発達して、妖怪現象だと思われていたのが単なるガスのせいだとか……」

「それがまさに洗脳だと言っているんだよ。私たちの仲間、例えばイギリスなどにいる連中は、まだまだ現役で当地でご活躍中だ。あの国はまだ人間と妖怪が、魔物がともに社会を作っているからね。だが日本は違う。どうもこの国は極端でね。近代化、機械化が素晴らしいとなると、それに不都合なものは排除する。そういう国民性らしい。だから、変えなければならない」

「んな勝手な」

「その言葉そっくりお返しします。その一端を見てみるといい」

 塾長が指を鳴らした。すると、俺の周りにいた人々が色とりどりの霧みたいなのに包まれているのが見えた。黄色の人、赤の人、青の人、そして灰色や黒色の人もいた。塾長に促されて、絵馬の方にも目をやる。絵馬がそれぞれ同じように色を醸し出していた。

「それぞれの人が抱いている思いの色です」

 オーラとかいうやつだろうか。それにしても鮮やかで気分が良くなる色もあれば、気色悪くてむかむかするというか気分が悪くなる色もある。

「これが思いです。色にしてみると分かりやすいでしょう。そして私があの時行ったのは、このどす黒く淀んだ思いを断ち切る作業」

 やっぱり良いことしてんじゃないか、と思った次の瞬間には、

「そうすれば、唯々諾々と従う人も増えますから」

 つまりは淀んだ色は余計なことを考えていて従順ではないと。だから、それを消して究極的には塾長に従う人を残そうと。

 じゃあ、俺の思いの色はと思ってみてみたが、自分の色は見えなかった。

 ふと気づくと室長はすでに姿を消しており、取り残された俺は普通に柏手を打ち、合格祈願をし、お守りを貰い受けた。

――俺の思いって、どんなだ?

 なんてことを帰途に思ったものだ。

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