『魔界』の雑魚モンスター

 気温は暑くも寒くもないのに木々の葉っぱは剥げ散らかし、一歩一歩足を踏み入れるごとにパキパキッと枯れた葉と枝が砕ける森。

 上を見上げれば嵐の前のような禍々しい紫の空と、どんよりとした空気。

 背面には先ほどまで俺とリズ先生が居た断崖絶壁の奥底に繋がっている紫色の不気味なゲート。


『魔界』


 こここそがJROの深淵の地である。


「へぇ。ここが伝説に聞く魔界ですかぁ。……地面のポキポキは枯れ枝だけじゃなくて生き物の骨とか死骸が砕ける音も混じっていそうですねぇ」


 研究者の血が疼くのか、リズ先生はしゃがみ込んで躊躇いもなく『魔界』の土を調べ始めていた。


「……変な虫とか居ませんか?」


「いないですねぇ。これだけ葉っぱと死骸が落ちてるなら生き物ももっといて良いはずなのに不思議ですよねぇ」


「そ、そうなんですか」


 前世、俺は何よりも虫が嫌いだった。お風呂場に紛れ込んでいたでっかいクモが怖すぎて小一時間フリーズした記憶がある。

 JROに虫型のモンスターはいなかったし、虫が生息している描写とかも特になかったけど、現実となったこの世界ならいてもおかしくない。


 いや、実際小さい虫はこの世界に転生してから幾度となく見て来たし。


「ハイトさんはあんまりこういうのに興味なさそうですねぇ。首席なのにぃ」


「……父様とアイリーンが悪魔に憑かれてますからね。流石に自由研究の気分にはなれません」


「そうですか。そうですねぇ。だったらボクも好奇心に従って行動するのはほどほどにしてぇ、先を急ぐ必要がありそうですねぇ」


 リズ先生は少し真面目な表情になってから立ち上がり、それからスタスタと『魔界』を歩き始めた。

 断崖絶壁の奥底――地上世界と繋ぐゲートが次第に見えなくなり『魔界』の奥地に歩みを進めるごとに瘴気がどんどん強くなっていく。


 瘴気はJROのシステム的に言えば定数ダメージを与えてくる毒ガスだ。


 そのダメージパーセンテージは濃さによって変わるが、ここくらいだと恐らく20秒に1%……自動回復で全然追いつくので全く問題ない。

 ただ、怪我とかすると治りが遅くなる程度だ。些細だけどこの瘴気も魔界の攻略難易度を上げている大きな要因の一つである。


 そんなこんなで歩みを進めること更に三十分。


「グルルルルッ」


 枯れた木の枝の先端から突如として真っ黒な――狼のようで狼ではない、陽炎のようにぼんやりとその存在を掴めず、しかし確かな存在感を示している影の塊が、俺たちの目の前に姿を現した。


 その姿はスクリーン越しで何度も見たことがある。

 魔界であればどこからでも出現する、討伐推奨レベル140の魔物……ティンダロス。大きさは2mほどで、ちょっと大きいくらいの犬のようだが、ファフニールくらいなら軽く八つ裂きにしてしまえるほどの強敵だった。


 とは言え今の俺のレベルは143。JROをやり込んだ俺が討伐推奨レベルを超えていて、魔物に負けるはずがなかった。


 鍬と鎌を構え、俺はティンダロスとの距離を詰めた。


「『耕耘・レンコン畑』ッ! からの『草刈り』ッ!」


 泥沼によって足場を奪い、ティンダロスの胴を鎌で切り裂く。ティンダロスはまるで蜃気楼を斬ったかのようにゆらりとぶれて、そのまま影が霧散する。


「バウフッ!」


「ハイトさんっ!」


 その刹那、俺の後ろから獣が吠える声が聞こえると同時にリズ先生の声が響いた。慌てて振り向くとブリキ製の人形が黒い犬を殴り飛ばし、犬が地面に叩きつけられている。


 ……ティンダロスの固有スキル『虚像分身』

 JROだと偶に『攻撃がティンダロスの虚像分身によって躱された』の表示がでるだけだからそこまで警戒していなかったけど、リアルに直面するととんでもない衝撃だった。攻撃したと思ったのに躱されていて後ろから襲ってくる。

 なるほど。農民の『耕耘』がゲーム以上に効果を発揮したように、敵のスキルもゲームと同程度の脅威とは限らないのか。


 なるほど。頭では解っていたけど、勉強になる。


「バウフッ! グルルルル」


 ティンダロスが牙を剥き、こちらを威嚇するように吠える。その視線は俺よりもリズ先生の魔法で呼び出された兵隊に向いていた。


「へぇ。咄嗟とは言え全力でやったつもりなんですけどねぇ。ボクの攻撃を受けてピンピンしてる魔物は初めて見ましたよぉ」


 リズ先生は心底愉快そうに笑いながら追加で数体のブリキで出来たような兵隊を召喚して、ティンダロスを袋叩きにする。しかし、それらの攻撃はやはり蜃気楼を殴ったように空を切るばかりだった。


 と言う事は次出てくるな。

 俺は力を溜めながら、ティンダロスが次に出てくる場所を注意深く観察する。


 リズ先生の背後。地面に落ちてある小石の突起からティンダロスが出現する。


「そこだ! 『草刈り』ッ! 『草刈り』! 『草刈り』ッ!」


 高速で三連発、ティンダロスに斬り込みを入れる。確かに肉を斬り割く手ごたえ。ティンダロスが上から下へと焼け焦げた紙切れが崩れるように消えていく。

 最後に、ティンダロスの爪も消えようとしていた時だった。


「バウフッ」

「グルルルルッ」

「ガルルルッ」


 ティンダロスが三匹、倒したティンダロスの爪の先から出てくる。……JROでもティンダロスを倒すと低確率でもう一度数匹のティンダロスと戦う事があるけど、運が悪い。まさか一発目でそれを引くなんて。


「リズ先生!」


「わ、解ってるのですよぉ!」


 リズ先生は咄嗟に50のブリキの兵隊を呼び出す。……俺と戦った時と同じ構成、同じ数だ。それらが三匹のティンダロスを取り囲み、袋叩きにする。

 しかし全てのティンダロスが、当然のように残像を殴ったように消えていく。


『虚像分身』……三匹分。どこから出てくるか、全てに注意を向けるのは難しいし、気づいても三匹だと反応しきれる自信がない。

 リズ先生も困ったようにキョロキョロとしてティンダロスが次に出る場所を注意深く観察しているが、しかし、ティンダロスは神出鬼没。どこから攻めてくるか解らない。


 マジで『虚像分身』現実にすると厄介すぎる。

 でもJROだとダメージ覚悟で殴れば良いだけだったから対応策がない。JROの通りダメージ受ける前提で戦っても良いかもしれないけど、俺は大黒鬼との戦闘で学んだのだ。

 現実となったこの世界、ダメージを受けるとめっちゃ痛い。


 痛みが大きな隙に繋がるし、それによって危険が更に深刻になることもある。


 そうでなくとも痛いのは嫌だ。だからこそ可能な限りダメージを受けずに倒し切りたい。……本当はこんな序盤で切りたくなかったんだけど――


「『百姓一揆』ッ!」


 俺は生命力と魔力の半分を消費し、事故を絶大に強化するスキルを使用した。

 速度が上がる。時間がゆっくりになる。防御無視で攻撃力を押し付けられるから、如何にティンダロス相手でも『草刈り』で確定一発を取れるはずだ。


「『草刈り!』『草刈り!』『草刈り!』」


 リズ先生を背後から奇襲しようとした二匹と、俺を奇襲しようとした一匹を見つけ、全て俺の『草刈り』によって切り裂く。

 JROだと呼び出された後のティンダロスは仲間をもう呼ぶことはないけど、一応念のため注意しておく。


 しかしティンダロスの爪の先から新たなティンダロスが出てくることはなかった。

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