尊いドラゴン
ちかえ
尊いドラゴン
人間の間では、ドラゴンという生き物は尊いものとして扱われていました。神聖で崇高な生物。それが人間にとってのドラゴンでした。
それをドラゴンの方もよく知っていました。彼らは、自分たちの事を神聖とも崇高とも考えていませんでしたが、人間は自分たちを恐れ多い存在だと思っていると。
もちろん人里に降りたとしても邪険には扱われはしません。しかし、人間はドラゴンを見ると地面にひれ伏してくるのです。それはドラゴン達にとって気分のいいものではありませんでした。なのでめったに人の前には現れず、ひっそりと暮らす事にしていたのです。
しかし、そんな人間のドラゴンの微妙な関係を子どものドラゴンが理解出来るはずがありません。なので、なかなか人里に降りれない事を不満に思っていました。
なにせ、人里には面白そうなものがたくさんあるのです。明るくて賑やかで楽しそうで。少し覗いてみただけでも、とても魅力的に感じる場所だったのです。自分たちもその楽しさを味わってみたいと思うのは自然な事でした。
なので、時々、やんちゃな子どものドラゴンは大人に隠れてこっそりと人里に降りていました。とは言ってもドラゴン姿だと目立つので人の姿に変化はしていましたが。
この日も、一匹の子どものドラゴンが人里に降りていました。
ちょうど、『あさいち』というものがやっていたので、人里はいつも以上に賑やかでした。おまけに美味しそうな匂いでいっぱいなのです。
近くで肉の匂いがします。肉はドラゴンの好物でした。自然と足がそちらの方に向きます。
「いらっしゃい。何が欲しいの? 坊や」
優しそうな人間の女性が問いかけてきます。ですが、ドラゴンの子どもは困ってしまいました。人間は、『おかね』というものを使って物を手に入れるのだと聞いた事があります。でも、彼は『おかね』を持っていないのです。
「えっと……その……」
「ママはどこ? もしかして迷子かな? 探してあげようか?」
人間の女性は優しく問いかけてきます。でも、それはドラゴンには困る事でした。人里に行っている事が両親に知れたら叱られてしまいます。
「えっと……ごめんなさい!」
それだけを言ってドラゴンはその場を離れました。
『待って!』という言葉が後ろから聞こえますが、無視して走っていきました。賑やかな喧騒を抜け、人の少ない木の陰に隠れます。
「びっくりした」
そっとひとりごちます。
疲れたのでドラゴンは元の姿に戻る事にしました。彼は小さな子どものドラゴンなので、元の姿でも木の陰には隠れられると考えての事でした。
ふいにドラゴンは空腹を感じました。無理もありません。先ほど美味しそうなお肉を見たばかりなのです。
食べたかったなぁ、と小声でつぶやきます。
そろそろ帰ろうか、と考えた時、近くで小さな足音が聞こえました。
ドラゴンは思わず身を固くします。なにせ、今は人間の姿に化けていないのです。
「きゃー! カワイイ!」
ですが、不安になっているドラゴンの予想に反して聞こえて来たのは嬉しそうな声でした。
そちらを見ると、九歳くらいの人間の少女が目を輝かせてこちらを見ています。
ドラゴンはきょとんとした目で彼女を見つめます。
何を思ったのか、少女はいきなりドラゴンを抱きしめました。そのまま頭を撫でられます。
「大人しくていい子ね」
予想外の反応にドラゴンは目をぱちくりさせます。それを見た少女はさらに嬉しそうな目をします。口元が思い切り緩むのが見えます。
「やだ、もう! すっごく尊い!」
人間はドラゴンを尊いものだと思っている。だからあまり近づきたがらないのだ。彼はそう大人達から聞かされていました。
でも、この少女は積極的に彼と近づこうとしているように見えます。尊い、と口にしていましたが、それも好意的なものに聞こえます。
お父さんとお母さんは『尊い』という意味を勘違いしているのだろうか。少女に頬ずりされながらドラゴンはそんな事を考えます。
でもそんな楽しい時間もわずかでした。
「お前、ドラゴン様に何をやっているんだ!」
大人の男性が慌てた様子でこちらに走ってきます。そうしてドラゴンと少女を引きはがしました。
男性はドラゴンに向かってひれ伏します。
「申し訳ありません、ドラゴン様。娘が大変な無礼をいたしました事、どうぞお許しください!」
ドラゴンには何が何だかわけが分かりません。ただ、男性がドラゴンの事を怖いと思っている事は伝わってきました。
「パパ?」
「お前は! ドラゴン様がいかに尊い存在なのか分かっているのか! そんなドラゴン様に頬ずりするなんて許されない事だぞ!」
ドラゴンにはわけが分かりません。この男性も『尊い』と言いました。でも、それと少女が言った言葉は何か違うように感じます。
両親が言っていたのはどういう事なのかドラゴンにはやっと分かりました。
こんな事を知りたくはなかった。ドラゴンは心の中でそうつぶやきました。
***
それからその子ドラゴンは人里にあまり降りなくなりました。
両親に厳しく叱られ監視が強くなったというのもありました。でも、それ以上にあんな思いはもうしたくなかったのです。
でも他の子ドラゴンは違います。皆で遊ぶと嘘をついてこっそり人里に降りようと彼を誘ってくるのです。
仕方なく、一回だけと決めて、ドラゴンは友人と一緒に人里に降りました。でも、また辛い思いをするのは嫌なので、しばらく見て回ってからわざとはぐれることにします。
人間や友人に見つからないようにまた木の所に行きます。今度は木の葉っぱの間に隠れる事にしました。大きな枝の上に座ると肌を気持ちのいい風が撫でていきます。
「あ、ドラゴンさん」
聞き覚えのある声がします。びっくりして声のする方を見ると、このあいだの少女が何も変わらない笑顔を見せています。
「この前はごめんね」
ドラゴンは返事をしませんでした。どう話したらいいのか分からないからです。もしかしたら人間と同じ言葉を話す事で怯えられてしまうかもしれません。それは彼には嫌な事でした。
「ドラゴンさん、おこってる?」
少女の声が悲しそうに聞こえます。
「そんなことないよ!」
つい、ドラゴンは怯えも忘れ返事をしてしまいました。
なのに、少女は動じません。
「ボクが怖くないの?」
「ぜんぜん」
「でも人間にはドラゴンは『尊い』んでしょ?」
その言葉を口にすると胸が苦しくなります。少女が『そうだね』と言って立ち去ったらどうしようという不安が彼の心の中を渦巻きます。
「うん。尊いよ。かわいくて最高!」
少女の言う『尊い』はそういう意味だという事をドラゴンは初めて知りました。なんとなく男性の言っていた『尊い』とはやはり違うように感じます。
「ボク、やっぱりそっちの『尊い』の方が好きだな」
ついドラゴンはそうつぶやいてしまいました。少女がくすくすと笑います。
彼女の方こそ『尊い』。ドラゴンは心の中でそうつぶやきました。
尊いドラゴン ちかえ @ChikaeK
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