夢見の国の神子さまは

三谷一葉

たとえ紛い物だとしても

 むかしむかしあるところに。

 少し先の未来を夢に見る少女がおりました。

 ある寒い雪の日に、少女は人がたくさん死ぬ夢を見ました。

 とても悲しい夢でした。

 とても苦しい夢でした。

 少女の国は、隣の国に戦争を仕掛けようとしていました。

 人が死ぬのは戦争のせいなのだと少女は思いました。

 何とかして戦争を止めなければ。

 けれど、少女には力がありません。

 お姫様ではないのです。

 少女が夢のことを話しても、誰も真面目に耳を傾けませんでした。

 だから少女は言ったのです。

「わたくしは、神の御使いたる神子みこなのです」────と。


 ────幼児向け歴史教材『ゆめみのくにのはじまり』より。


☆★☆


 尊いお方夢見の神子みこよ。

 哀れな人々を導きたまえ。

 無力な人々に道を示したまえ。


 荘厳な祈りの歌が流れる中、分厚く重い扉が開かれる。

 〈祈りの間〉の内周に沿うように、ずらりと並んだ聖歌隊。

 その前方、右側に並ぶのは、この夢見の国の王族や貴族たち。普段は煌びやかに着飾っている彼らも、聖歌隊と同じ灰色の儀式服を身につけてしまえば、そこらの村人と変わりは無い。

 左側には、神官が並ぶ。こちらの儀式服は、深い夜を思わせる濃紺だ。

 大理石でできた床は鏡のように磨きあげられ、乳白色の壁が照明の光を受けて柔らかく輝いている。

 その中を、神子みこはゆったりとした足取りで進んでいた。

 まだ若い。十代半ばの少年だ。

 雪のような真っ白の髪に、空色の瞳。身につけているのは、純白のローブである。

 そのすぐ後ろには、漆黒のローブの娘が影のようにぴたりと着いてきている。

 こちらは少年よりやや年長で、褐色の肌、黒髪、赤い瞳と、何もかもが神子とは正反対だ。


 尊いお方夢見の神子よ。

 哀れな人々を導きたまえ。

 無力な人々に道を示したまえ。


 聖歌が響く。

 〈祈りの間〉の中央で、神子は足を止めた。

 聖歌隊は口を閉ざし、王族と貴族はこうべを垂れる。

 彼らをゆっくりと見渡した後、神子は静かに口を開いた。

「夢の内容をお話します」

 神官の中の一人が、懐から羊皮紙を取り出した。

 ペンを握る手が震えている。神子の言葉を全て書き留めようと、彼は必死に手を動かした。

「南の食物を北に、北の木を南に渡しなさい。暖かな食べ物は冬の寒さを退け、雪深い地で育った木は頑丈な橋となるでしょう」

 記録係を気遣ったのか、神子の口調はゆったりとしたものだった。

 紙の上にペンを走らせる音が響く。

 記録係がほっと息をついた後に、神子は再び口を開いた。

「南の川に橋を掛けるのです。大きな水の流れが、人々を襲うでしょう」

 誰かが小さく息を呑む音がした。王族や貴族が並んでいるあたりからだ。

 神子はそちらをちらりと見る。灰色の儀式服を着た彼らは、頭を垂れたままぴくりとも動かない。

「三度目の満月が昇る前に、南の食べ物を北へ、北の木を南へ渡すのです。災いは訪れます。ですが、災いから身を守ることは難しくありません」

 聖歌隊、王族と貴族、神官。

 順番に眺めた後、神子は一番端に立っていた記録係に目を留めた。

 無事に記録を終えたのか、今はペンは動いていない。

「夢の内容は、以上です」

 誰かがほっと息をついた。

 神子はくるりと身を翻し、元来た道を戻って行く。

 その背後に、守役の娘が影のように付き従っていた。


★★★


「疲れた··········おれ、ほんとがんばった··········」

「お疲れ、アル。立派だったよ」


 〈祈りの間〉の北側。神子の部屋。

 無事に夢見の儀式を終えて、自室に戻った神子────アルは、純白のローブ姿のままベッドの上に突っ伏した。


「これで北の食糧不足と、南の増水問題が解決だね。良かった良かった」

「ホントに大丈夫かなあ。エル、おれ、ちゃんと喋れてた?」

「大丈夫だよ。神子様の守役、このエルティーシャが保証いたします」

 冗談めかした調子でそう言って、エルティーシャはアルのすぐ横に寝巻きを置いた。

「着替え、手伝おうか?」

「··········良い。自分でやる」

「そう。じゃあ、お茶の準備をして来るよ。紅茶で良い?」

「ミルクティー。甘いやつ」

「了解」

 軽い足取りで、エルティーシャが部屋から出て行った。

 のろのろと起き上がり、ローブを脱いで、寝巻きに着替える。

 そのまま眠ってしまおうかとも一瞬考えたが、すぐに思い直す。

 重い身体を引きずるようにして、壁際に置かれたテーブルまで移動して、引き出しの中から分厚い資料を取り出した。

 エルティーシャが戻って来たのは、アルが三枚目の資料に目を通している時だった。

「お待たせー。お? もう資料読んでるの?」

「だって、次いつ儀式があるかわからないし」

「今日ぐらいは大丈夫だと思うけどなー。さっきやったばっかりだし。はいこれ、ミルクティー」

「あ、ありがと」

「汚しちゃうとまずいから、これは一度預かっておくね」

 カップを渡されて、代わりに資料を取り上げられた。

 ミルクティーを一口飲む。ふわりと暖かい甘さが、口の中に広がった。

「今度は〈石化熱〉の症状と、感染者の数、治療法··········か。神子って大変だねえ」

 アルから取り上げた資料を眺めて、エルティーシャが顔をしかめている。彼女はまだ儀式直後のままの黒いローブ姿だ。

「仕方ないよ。おれにはご先祖さまみたいな夢見の力が無いんだから」

 神の御使いたる神子の一族は、夢の中で神の御言葉を聞く。

 表向きには、そういうことになっていた。

 だが、実際に未来を夢見ることができたのは初代だけで、後の神子は皆、莫大な資料から導き出した予想をそれらしく伝えているだけだった。

 そもそも、初代の神子からして、未来を夢見ることができたのは最初の一度だけだったのだという。

 自国が隣国に戦争を仕掛ける夢。

 たくさんの人が傷つき、倒れ、死んでしまう夢。

 何としてでも戦争を止めたかった初代神子は、神の名を利用することを思いついた。

 更に、より自分を神の御使いらしく見せるために、実際に未来の災いを予知し、それを退けてみせなければならなかった。

 これが神子の一族の始まりだ。

 このことは、神子の一族と、神子の世話役となる守役の一族のみが知っている。

「ねえ、エル」

「ん?」

「もし··········もし、さ。おれに夢見なんてできないって、予知能力がないってバレたらどうなるのかな」

「··········」

「みんな多分怒るよな。騙したなって。捕まったり、こ、殺されちゃったり、するのかな」

 それは、神子になってからずっと恐れていることだった。

 もしも、自分の夢見の言葉が外れてしまったら。

 もしも、予知能力が無いにも関わらず神子を騙っていたことがバレてしまったら。

 人々はどのような反応をするのか。

 呆れるのか。

 怒り狂うのか。

 それだけならまだ良い。神聖なる神子の名を騙った罪に問われて、幽閉されたり、最悪処刑などということには────

「大丈夫だよ、アル」

 カップを持つ手を覆うように、エルティーシャの手が添えられる。

 アルの正面で膝をついたエルティーシャが、ふわりと穏やかに笑っていた。

「そんなこと、私がさせない。絶対に」

「エル··········」

「あんた抱えて逃げるぐらいなら私でもできるよ」

 エルティーシャは、笑顔のままで言う。

「ねえ、アル。逃げちゃおうか」

「え?」

「ここから。今すぐに」

 思わず息を呑む。

 そんなことが、可能なのだろうか。

「アルが神子じゃない、ただのアルで居られる場所まで連れて行ってあげる」

「··········」

「なんてね。冗談だよ」

 エルティーシャの手が離れた。立ち上がり、部屋の外へ向かおうとしている。

「エル」

「着替えてくる。後で片付けに来るから、カップはテーブルの上に置いといて」

 部屋から出る直前、アルに背を向けたまま、エルティーシャは確かにこう言った。

「さっきのは冗談だけどさ。アル、逃げたいならいつでも逃げて良いんだよ。それは覚えておいて」

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