平和と犠牲

常盤木雀

尊い犠牲


「シア、君との婚約を破棄し、私はここにいるチトル嬢と新たに婚約すると決めた」


 私の婚約者ルクリ様が、パーティー会場で衆目を集めながら宣言する。

 ああ、ついにこの時が来てしまったのだ。




 私の国は、大妖精クワン様という尊い存在によって守護されている。

 大昔、クワン様はどこからか現れて当時の王を気に入り、この国の平和を約束してくれたそうだ。そのお力は強大で、この国は気候が良く、戦にも巻き込まれず、食糧も豊富である。他国が度々戦火や日照りに苦しむことを考えると、とても恵まれている。大妖精であるために時々気まぐれに何かをお求めになることもあるが、王家はいつでもそのお心を満たせるように努力している。その恩恵に報いるためだ。

 私たちはみんなクワン様を敬い、愛し、感謝を捧げている。


 私とルクリ様の婚約も、クワン様の祝福を受けている。この国の王子であるルクリ様と六歳の時に婚約し、祝福をもらったときの興奮は今でも忘れられない。私たちの左手の甲には祝福の印が授けられ、それもルクリ様とおそろいであることが嬉しかった。

 私は良き婚約者であろうと勉学に励み、マナーも習得した。王子妃になるための教育も熱心に取り組んだ。私はルクリ様が好きだったし、さらにクワン様の祝福まで受けたこの婚約を名誉にも思っていたからだ。


 ところが、数か月前、クワン様が、

「やっぱりルクリ王子と令嬢シアの結婚は認めない」

とおっしゃった。理由を尋ねても、気に入らないとしか答えていただけない。

 この国の平和は、クワン様のおかげだ。そのクワン様が結婚の許可を取り消した。手の甲の印も消えてしまった。――私たちに選択肢はなかった。


 国王陛下を交えて相談を重ねた。

 私たちの婚約と仲の良さは広く知られている。もしもクワン様のお言葉で婚約を解消したことが広まれば、悲恋好きの人たちからクワン様を悪く言う者が出るかもしれない。万が一、それによってクワン様のご機嫌を損ねてしまったら、この国の平和は終わってしまう。

 クワン様に非のない婚約解消の計画を立て、許可をいただいた。

 その結果が、現在である。




「まあ、わたくしが何をしたと言うの? 国王陛下は何とおっしゃるかしら」


 声が震えそうになるのを何とか抑えて、口にする。

 チトルがルクリ様に身を寄せた。分かっていることなのに、胸が苦しい。


「君が何を言おうと決めたことだ。そこで好きなだけ文句を言っていれば良い。さあ、チトル嬢、行こう」


 二人が会場を立ち去ると、静まり返っていた人々がさざめき立つ。


「ルクリ王子がチトル嬢にご執心って噂は本当だったのね」

「シア様、最近あのチトルとかいう子を虐めていたらしいわ。だから愛想を尽かされたのよ」

「あのチトルって子は、何者なんだろうな。婚約者のいる王子をたぶらかすなんて、ひどい悪女じゃないか」


 ああ、国のためとはいえ、どうしてと思わずにはいられない。印のない手を隠すための手袋に目を落とす。

 ルクリ様は心変わりするような軽薄な人間ではないし、チトルは清純で優しい子だ。私だってチトルを虐めることはない。

 けれど、それを口に出すことはできない。クワン様の守護を受け続け、この国が、人々が、平和で幸せに暮らすために、私たちは悪人になるしかなかったのだ。




 日を改め、王宮に呼び出された。

 今日、正式に私たちの婚約が解消されるのだ。ルクリ様は勝手なことをしたために謹慎、ルクリ様をたぶらかしたチトルは追放、チトルを虐めて犯罪まがいのことをした私も追放。決まっている内容だ。

 事前に決まっている話のため、私は追放後は隣国で貴族並みの生活ができるように手配されている。評判の悪くなった国内にいるのは辛かろうとの判断で、国外に出る追放を決めたのだ。チトルは私の侍女だから、一緒についてきてくれることになっている。チトルの本当の恋人も共に来てくれるそうだ。


「シア、隠していた話があるんだ」


 形式上の沙汰の言い渡しを待っていると、ルクリ様が落ち着きない様子で話し始めた。


「実は、大妖精様から追加で許可をいただいたんだ。今日、私は王族の資格を失う」

「どういうことですか」


 ルクリ様は数日の謹慎で済ませると決まっていたはずだ。王族の資格を失うなど、そこまでの裁きが必要だなんてあまりにひどい。


「先に報告した計画は変更は認めていただけなかった。だが、そのあとなら、『王子ではない』ルクリと、シアとの結婚は構わないとのお言葉だった。シア、苦労をさせると思うが、私が王子でなくなっても、隣国で妻になってはくれないだろうか」


 思わず涙がこぼれた。

 うまく言葉が出ないまま、ルクリ様の手に手を重ねた。

 ――私たちは婚約を解消して国外へ出ます。大妖精クワン様、どうか今後も末永くこの国をお守りください。

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