第39話 死闘の果てに

 1人きりで向き合う敵は、酷く大きな存在のように見えた。単純に体格で負けている事もあるが、それだけではない。向けられた殺意が、荒々しい闘気が、ただ一身にのみ降りかかるのは凄まじい重圧だった。


「なんだテメェ。震えてんのかよ、オイ」


 膨れ上がった筋肉が化物のように蠢く。その身体で大型武器を振るえば、どれだけの威力が生まれるのか。これまでの過程でレベルは上昇したものの、太刀打ちできる程かと問われれば、極めて疑わしい。そう思えるくらい彼我の能力差に開きがあるように見えた。


 ツバを飲み込む。喉で突っかかり、微かにむせる。やれるか、勝てるか。ケティもミランダも居ない戦闘なんてほぼ経験がない。1人で戦う恐ろしさが、腹の奥底を握りしめるようで、酸い感覚が込み上げてくる。


「勇者様! そんなブッサイクなオッサンに負けないで!」


「フレーフレー、勇者様」


 その代わり外野は賑やかだ。これを頼もしいと感じるか、集中を阻害してしまうかは、人による所だろう。


「どうしたよネズミ野郎。来ねぇならこっちから行くぜ!」


 頭目の先制攻撃。速い。図体に反して俊敏な足運びだ。


 煌めく刃。それを反射的に避け、いなす。身のこなしに比べて剣速は今一つだ。これなら付け入る隙も見つけられる。


「そこだ!」


 振り下ろしの攻撃を潜り、すれ違いざまに脇腹を斬りつけた。手応え有り。振り向き、追撃の姿勢に入る。しかしこの動きは突如伸ばされた腕によって、アッサリと阻まれた。


 首は一掴みにされて宙吊りの状態に。早くも無力化されてしまう。


「そんな。確かに斬ったハズなのに……」


「へっへっへ。オレの脇腹を見やがれ」


 頭目が見せつけた腹は、衣服が破れてはいても、血の一滴すら見えなかった。


「なぜ平気なんだ!」


「剣士カスケレド。オレ様はこう見えても、元々は名うての冒険者でなぁ。肉体強化のスキルで刃を弾くことなんざ朝飯前よ」


「チクショウ、離せ……!」


「こうしてテメェを粉々にする事もなぁ!」


 身体が飛んだ、いや投げ飛ばされた。凄まじい勢い、背中の衝撃、眼が眩む痛み。壁に叩きつけられ、そこを突き破ったらしい。ガレキに手を着いて立ち上がろうとしても、血が口から溢れて止まらず、そのままむせた。


「おっと。殺すつもりでやったんだが、意外としぶといじゃねぇか」


 いたぶる様な声。それは追撃の手段も同じだった。


「あと何発でおっ死ぬか、賭けでもやりてぇ気分だぜ!」


 腹が何度も踏みつけにされ、何かが破ける音を聞いた。吐き出される血も留まる所を知らず、延々と垂れ流される。


「へっ。大した事ねぇ。弱者は弱者なりに、逃げ回ってりゃ早死にせずに済んだのによぉ」


 霞む視界に足の裏を見た。観念。潮時。ここでお終いかと覚悟したが、トドメの一撃は止まった。


「やめて、勇者様に酷いことしないで!」


 いつの間にか、周囲は女性達で埋め尽くされた。そのうち何人かは、オレを庇うように覆いかぶさっている。


 逃げろ。そしてミランダ達を探せ。そう言いたくとも、溢れる血液が邪魔をして言葉にならない。


「何だテメェら。一緒に死にてぇのか!」


「親分さん。お願いします、勇者様を、そして皆を見逃してください。その代わり私は1人残って、死ぬまでご奉仕します」


「ちょっとアマンダ!」


「決して逃げないと約束します。ですから、皆を……」


 その言葉で激しい闘気が鳴りを潜める。まさか、情にほだされたのか。


 どうにか首を持ち上げてみたものの、その眼に見たのは救いではない。嗜虐心の極みだった。


「何か勘違いしてるようだが、テメェらはオレ様の所有物だ。1人たりとも逃がす訳にはいかねぇ。勝者の総取りってヤツだ」


「そんな……」


「そしてなぁ、敗者をブッ殺すのは勝者の権利だ。とっとと退きやがれ!」


 平手打ちで皆が脇に払われていく。そして高々に振り上げられた大刀。オレの命もこれまでか。指先には感覚すらない。まるで、魂が抜けたかのような気にさせられる。


――私にその価値があるのなら幸いです。


 ふと、脳裏によぎる言葉があった。そうだ、ミランダが待っている。オレが無事に帰る時を。


――ごめんなさい。ケティが弱くてごめんなさい。


 そしてケティ。あの子にこれ以上、死に別れの苦しみを与える訳にはいかない。


 その瞬間、身体に僅かな活力が宿った。刺し違えか。いや、それでは足りない。一撃で葬るには何か新しい力が必要だ。その答えは本能が教えてくれた。


 剣を寝かせ、横一文字に振り抜く。刃に宿るのは炎か、それとも稲光か。暗い室内に一瞬だけ煌めき、炸裂した。


 魔力50消費による勇者奥義だ。


「グハッ……この野郎……」


 聞こえた声は怨嗟に満ちており、そして掠れている。


「テメェに関わったばっかりに……厄日だぜ」


 頭目は身体を二分された刹那、霞へと消えた。撃破に成功したらしい。


「やったぁ! 敵をやっつけちゃった!」


「凄いよ勇者様、カッコイイ!」


 思いもよらぬ大逆転に湧き上がるが、オレはまだ死地の真っ只中に居る。回復薬だ。一刻も早く飲まねばならないと、直感が警鐘を鳴らす。


 インベントリに、保険として残した最後の1点。すぐに取り出し、開封しようとしたのだが、手元が狂った。瓶はオレの指先から零れ落ち、あらぬ方へと転がっていった。


「薬を、飲ませてくれ……」


 薄れゆく視界にはいくつもの泣き顔、そして何かを叫ぶ声がする。しかし、それらは1つさえも言葉として響いてこない。ただ騒がしいと思っただけだ。


「寒い。身体が、寒い……」


 そこで意識は途切れ、暗闇の世界へと堕ちていった。


 再び眼を開いてみれば、そこは晴天の広がる大平原だ。これは死後の世界か。そう思える程に穏やかで、永遠の時間を感じさせる光景だった。


 そして紅茶を愉しむ人の姿。この世界の番人と思われた女性は、オレを見るなり怪訝な顔を向けてきた。


「賊徒ごときに深手を負うとは、まだまだです。この程度では後継者と認めるのも遠い先の話となりますね」


「こ、後継者……?」


「それに成り行きとはいえ、代わる代わる女と口づけを交わすとか。貴方には女たらしのスキルでもあるのでしょうか」


「えっと、何の話?」


「ともかくお戻りを。安心してください、まだ死んでませんから」


 その言葉を軽蔑の視線とともに浴びせられると、再び意識は遠のき、元の世界へと戻された。


 ただし眼に映ったのは、アマンダが顔を間近に近づける光景だった。


「えっ。何してんの?」


 問いかければ、アマンダは顔を仰け反らせ、激しく咳き込んだ。


「ゲホッゲホ! うえぇ、お祖父ちゃんの肌着の臭いがします……!」


「これは一体?」


「良かった、回復薬が効いたのね」


「うん。まだ痛むけど、だいぶ楽になった……って、それだけじゃないよな?」


「そうね。瓶の口から飲ませようとしたんだけど、全然飲んでくれないから、試しちゃった」


「試したって何を?」


「えぇ? 気になっちゃう?」


 リノアは悪戯っぽく微笑むと、自分の唇を指先で弄んだ。


「き、聞かないでおく!」


「あら勇者様ったら。そんだけカッコイイのに女遊びとかやんないの?」


「どうでも良いだろ! つうか、ここに用はねぇんだ。村に帰るぞ!」


「ねぇ勇者様。私とミレーナ、どっちのが気持ち良かった?」


「知るかーーッ!」


 オレは騒がしさを振り払うようにして砦を後にした。もちろん皆も付いてくるのだが、何かに浮かされた様にはしゃぎ、そして纏わりつく。雪道でなくても歩きにくくて仕方ない。


 やがて平原を抜けると、ケティの声が響き渡った。遠目にはミランダの姿もある。


「お兄ちゃん、無事だったんだねーー!」


「ただいま。どうにか帰ってこれたぞ」


 駆けつけるケティ、遅れてミランダ。しかし、2人とも眼を見開いてオレの事を凝視した。


「ホラみんな、もう安全圏だぞ。そろそろ離れてくれ」


「ダメですよ勇者様。お腹の中が破れたんだから、無理しないでください」


「それに両手に華、ならぬ両脇に華。こんなの貴族様だって中々やらない」


「ミランダに治して貰うから大丈夫だ!」


「それに寒いって言ってたじゃない。人肌で温めてあげてんのよ」


「もう暑苦しいくらいだって! それよりミランダ、回復魔法を頼めるか?」


 苦し紛れに頼んでみたものの、反応は鈍かった。


「回復ですか? どなたか怪我を?」


「オレだよオレ。薬は飲んだけど、まだ万全までは治ってないんだ」


「そうですか、何やら楽しそうですけどお怪我なされてると。でもお腹が空きましたねぇ、食事の後でもいいですか?」


「う、うん。それくらい待てるけど」


 妙に早口なミランダは、そこで森の方へと消えた。やがて煙が上がり、何らかの料理を始めたのだと分かる。


「ねぇお兄ちゃん。ケティね、いくら何でも、あの登場は無いと思うの」


「えっと、そうかな?」


「お姉ちゃん、凄く心配してたんだよ」


「こう見えて死にかけたんだがなぁ」


「だってさぁ、お姉ちゃんってば、待ってる間ずっとね……」


 話を続けるうち、やがてミランダは串焼きの鶏肉を携えて戻ってきた。


「さぁ皆さん召し上がれ。お腹が空いたでしょう、私もペコペコなんですよウフフフ」


 怖い。何だか良く分からんが、ミランダさんおっかない。いつもの微笑みに不思議な迫力が上乗せされている。


 飯はちゃんと美味い。助けた人質の面々も、久しぶりのまともな食事で大いに湧いた。しかし何とも言えぬ不穏な空気だけは、ついに解決されないままだった。


 

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