第36話 身を案じるのなら

 明けて翌朝。眠気覚めやらぬオレ達に食事が振る舞われた。カチカチの黒いパンが半個、それと塩をまぶしただけのお湯。もてなしには程遠いのだが、これでもマシな方だろう。村人にはパンの一欠片も無いのだから。


「これはもう、いよいよって感じだな」


 こうなれば気になるのはケティの動向だ。少ない足りないと騒ぎはしないか恐々とさせられたが、実際は真逆だった。食べ終えた今も不平は一言も漏らさず、自分の指を舐めては堪えているのだ。


 偉い。偉いぞ。ここまで心の機微を理解できるとはお姉さんすぎる。


「凄いじゃないかケティ、大人になったな!」


「やめてお兄ちゃん。髪が乱れちゃうよ」


「す、すまん……」


 なんて事だ、いつの間にやら難しい年頃になりおって。そこまで急に大人にならんでくれ、寂しいから。


「さてと。そんじゃあ敵さん拝みに行きますか!」


 飯を食い終わるなり、オレ達は村を発った。見送りに来たのはキュナンと木こりだけで、他は村長宅に居残ったままだった。同行人も無い。道は既に判明してるのだし、消耗しきった彼らを連れ歩く気にはなれなかった。


「フェリックさん。決心の程はいかがですか?」


 ミランダはいつもの様に優しい。昨日の発言を今もこうして気にかけている。


「大丈夫だよ、もう割り切ったから」


 敵が大軍でも烏合の衆かもしれず、逆に小勢であっても強敵が混じっている可能性がある。数字に惑わされるべきではない。せいぜい、攻略法を決める際の材料に留めるのが良い。


 そう思い至るのに一夜が必要だった。時間をかけただけあって、理屈への揺れは弱い。


「だから気遣いは要らないよ。今は目前の敵だけに集中しよう」


「わかりました。そのようにしま……ッ!?」


 ミランダ、まさかこのタイミングでコケる。そしてその場で尻もちを着くと、そのまま戯れのように坂を滑り落ちていく。敵だけに集中する事は許されそうになかった。


「仕方ないな。ケティ、応援だ」


「オッケー。じゃあお姉ちゃんの所まで……」


「違う。オレにやってくれ」


「お兄ちゃんに? どうして?」


「これから敵地に向かうんだ。昨日みたいに目立つ訳にはいかんだろ」


「なるほど、それもそうだねぇ!」


 納得したケティは、鈴の鳴るような声で囃し立てた。がんばれお兄ちゃん、がんばれお兄ちゃんと。


 するとどうか。まるで腹の中にマグマでも突っ込まれたような、凄まじい活力が湧き出した。力が溢れるなんてレベルじゃない、発散しなくては全身が破裂してしまいそうだ。


「これはイケるぞ。さぁミランダ! 」


「は、はい!」


 斜面を落ちたミランダを背負い、来た道を駆け上がっていった。急な勾配も何のその。凍てついた足元に靴先を突き刺して足場を作り、悠々と登りきってみせた。


 しかしこの程度は序の口。緩やかな道に出ればもう暴れ馬の如し。人を背負うハンデなど物ともせず、山道をグングンと駆け抜けていった。


「凄いねお兄ちゃん。めっちゃ速い!」


「そうだろう、そうだろう!」


 さすがにケティは余裕で随行してくる。どちらかと言うと、おぶさってるだけのミランダの方が辛そうだ。オレの動きと重心を合わせる事が出来ないのか、左右に体がブレる度に悲鳴をあげてしまう。


「ひぅっ! へぅっ!」


「ミランダ。ちゃんと掴まれ。そのうち落っこちちまうぞ」


「そうですか。では遠慮なく」


 そうして後ろから回される両手。密着する互いの体。押し付けられては離れる2つ。潰れては戻る極柔の何か。


 それからお婆さんは川で拾ったモノを背中に抱えて帰りました。山道で荷物が揺れるたび、首元にプヨんプヨんと柔らかい感触が感じられます。お婆さんは「おやまぁ、これは心地よいもんだねぇ」と喜び、何度も荷物を揺さぶりながらお家へと向かうのでした。めでたしめでたし。


「フェリックさん、前ッ!」


「えっ……うわぁ!?」


 迂闊で不覚。決して背後に気を取られた訳ではないのだが、首元にかかる柔らかみになど惑わされていないのだが、しくじってしまった。


 前方で構える急カーブ、向こうは崖。それが見えた瞬間に足を踏ん張り、勢いを殺しても間に合わず、ルートからフッと零れ落ちてしまう。ただし本格的な落下だけは免れた。崖の壁面からピョコンと突き出す木の根っこに救われた形だった。


「あぶねぇ。落ちたらポックリ死ねる高さだな」


「フェリックさん。どうか安全第一でお願いします……」


「返す言葉もねぇです、はい」


「お兄ちゃん大丈夫? 助けに行こうか?」


「平気だケティ。自分で何とかする!」


 周りを見回したなら、崖の上から長いツタが垂れ下がっている。弾力を確かめ、それを手に巻きつけてはよじ登っていった。そうして得た生還は、何とも言えない達成感と罪悪感を同時に与えるようだった。


「よしミランダ、こうしよう。しっかり掴まりつつも、あまり身を寄せないように」


「難しい事を仰います。それに密着していた方が安全ですし、体も冷えないのでは?」


「諸事情だ、察してくれ」


「ええ。良く分かりませんが、分かりました」


 こうして体勢を整えたオレ達は、快調に山道を踏破していった。登り降りに右折左折。道中は平穏そのもので、魔獣や賊の妨害は一切ない。


 すると半日すらも待たずに、敵の拠点付近へと辿り着いた。雪山において限られた平原に、ひっそりと佇む石造りの砦が。


「あれが雪賊団の住処か。悪党には勿体ないくらい立派だな」


「元々は国の施設ですからね。粗末な造りでは無いのでしょう」


「ねぇねぇお兄ちゃん。これからどうするの? ドカーンと突撃しちゃう?」


「いやまさか。そんな無謀な事はしないって」


「じゃあどうするの?」


 ケティの質問に対して、答えは既に出ている。しかし2人にどうやって説明したものか。


「一度くらい、中に潜入できないかと考えている。敵の主力とか、人質や財宝の在り処とか、知っておきたい情報は多い」


「潜入かぁ、ケティはそういうの苦手だなぁ」


「私もです。尽力しますが、なにぶん不器用な気質ですので」


 そう言うだろうと思った。どちらにとっても不向きなミッションだ。そして、そんな都合を差し引いても、連れて行く気にはならなかった。


「オレだけで行ってくる。2人はここで待っていてくれ」


「お兄ちゃん! それは流石に無茶ってもんだよ」


「暴れん坊のケティに言われるようじゃ、よっぽどだな」


「本気で言ってるの。ねぇお兄ちゃん、ケティも連れてってよ。超強いんだからね」


「私も反対です。もう少し安全な作戦を考えませんか?」


 ミランダまでも珍しく異を唱えた。その瞳には、どこか縋るような色味が窺える。


「確かに危ないかもしれない。だが他に方法は無いだろう。一番簡単なのは罠の力を借りて蹂躙する事だが、人質を取られている以上、派手な攻略は出来ない」


「しかし、だからと言って……」


「ミランダ。村の人たちを思い出せ。彼らがそう何日も堪えられると思うか。オレとしては、お喋りする時間すら惜しく感じるぞ」


「はい。正論だと感じます」


「それに今回の敵は魔獣じゃない、荒くれ者だ。万が一敵に惨敗を喫した場合、君らはどうなる。汚い手に弄ばれるのが関の山だ」


「戦場に身を置くからには覚悟しています」


「そうか。立派だと思う。だがオレは嫌だ」


「それはなぜですか?」


 なぜか。なんでだろう。自分でもよく分からない。


 格好をつけたいから? いや違う。今さらやせ我慢をするような間柄でもない。足手まといにしかならないから? それも違う。ミランダにしろケティにしろ、実に有能な働きをしてくれる。むしろオレの方がお荷物だと見なせてしまう程に。


 一通り考えはしたものの、整然とした言葉が湧いてこない。ならば心の命ずるままに語るのみだ。


「2人の幸せを願っているから、かな」


「お兄ちゃん。それって説明になってるの?」


「なってないか? じゃあそうだなぁ、リーダー権限って事で2人はお留守番。はい、この話はやめ」


「あっ。説明するのが面倒になったでしょ! ずるい!」


「騒ぐなって。ともかく譲る気はないからな、ミランダもそれで良いだろ?」


 ミランダは僅かに瞳を伏せると、静かに頷いた。一応は納得してくれたらしい。


「よしよし。それじゃあ行ってくる。もし日暮れまでに戻らなかったら、2人は先に村まで……」


「私はフェリックさんが戻られるまで、ここを離れません」


「何でだよ。さすがの君でも、こんな場所で突っ立ってたら凍えるぞ」


「飲まず食わず、そして眠らず。ただここで貴方の帰りをお待ちしています」


「いやいやいや、おかしいだろ。そんなの数日と保たずに死んじまう」


「はい。もし私の身を案じていただけるなら、必ずご無事で戻ってきてください。フェリックさんお一人を死地に追いやったのに、眠りこけてなど居られません」


 そういう事か。何となく意趣返しをされた気分にさせられた。


 改めてミランダの顔を見る。こちらへ真っ直ぐ向けられる眼差し。普段の微笑みに僅かな陰りを見せる口元。冗談でも、撤回するつもりも無いことが、無言の重圧が代弁するようだった。


「自分を人質にする気かよ」


「私にその価値があるのなら幸いです」


「責任重大だな……むざむざ殺される気は無かったけど、マジで死ねなくなったじゃねぇか」


「私も、フェリックさんの幸福を願っているのですよ」


「ケティも! お兄ちゃんの幸せを考えてるもん!」


「そっか。ありがとうな2人とも」


 そこでつい、ケティの頭を撫でてしまった。また怒られるかなとも思ったんだが、結局は文句の1つも飛び出さなかった。見えたのは、むくれ面を下に向ける様子だけだった。


「さてと。そろそろ行くかな」


 すると今度は、ミランダが袖を引いて引き止めた。オレの両手を取っては、暖かな吐息を吹きかけた。掌からはジンワリとした温もりが伝わってくる。


「女神様のご加護がありますように」


「ありがとう。じゃあ、行ってくる!」


「お兄ちゃん。敵さんに虐められたら、すぐにケティを呼ぶんだよ? そりゃもう、弓矢より速く駆けつけるんだから!」


「頼もしいな。オレが戻るまでミランダを頼むぞ」


「任せといて!」


 こうしてオレは独りきりで敵地へと向かった。吹き荒れる寒風は強く、遮るもののない原野では猛威を振るう。しかし、不思議と寒さは感じなかった。ミランダの吐息が、2人の暖かな言葉が、オレを守ってくれるのかもしれない。


「そうだよ。死んでたまるかっての」


 打ち捨てられた砦を睨みつつ、静かに雪原を突き進んでいった。風で舞い散る粉雪に霞む、悪党の本拠地へと。



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