第31話 ケティの異変

 宴の後に迎えた朝。ミランダに続いてオレも目覚めたのだが、ケティだけがいつまでも起きようとしない。いつものネボスケかと思って気にも留めなかったのだが、何と朝食を前にしても寝転んだままだ。ありえない。たとえ魔法で強制的に眠らされていようと、苛烈な食欲で動き出しそうなのに。


「どうしたケティ。調子でも悪いのか?」


「ミュミュゥ」


「胸焼けかな。昨晩は食い過ぎた訳だし」


「フェリックさん。少し診てみますね、病気だとしたら大変です」


 そう言ってミランダはケティの顔色を見定めた。それから額に手をやり、首筋にも触れて確かめた。


「微熱、脈は強め……ですか」


「どうだ。何かわかるか?」


「もしかすると風邪を引いたかもしれません。食あたりの可能性もありますが」


「そうなのか。治せそう?」


「病魔治療は上級魔法です。今できる事と言えば、ヒーリングで体力を補うくらいでしょうか」


「それで構わないよ。しばらく頼めるか」


「はい、お任せください」


 ミランダの見立てでは重病ではなく、1日2日も寝れば快癒するだろうとの事だ。その程度ならと看病を彼女に任せて、オレは街へと繰り出した。


 旗や垂れ幕など昨夜の余韻が冷めぬ大通りを歩いてゆけば、やがて冒険者ギルドへと辿り着いた。目当てはもちろんメンバー入りだ。もはやホームレスではないのだ。いや、職業名に名残はあるものの、オレは勇者様なのだ。名を連ねるには申し分無い肩書きだし、下手すりゃ相手から頭を下げてくるだろう。「名前を貸すだけで良いから登録してくれ」ってな具合に。


 きっとそうなる。そうなってくれなくては困ると、口元を歪めつつ扉を開いた。他の街と内装に代わり映えのないギルド内、正面カウンターで待つ男に話しかけてみれば、次のような回答を得られた。


「悪いが、アンタをギルドメンバーに加える事はできない」


 そう言って、マスターは丸太の様な腕を組みつつ言い放った。顔が青白いのは二日酔いでもしてるのか。


「いやいやいや、どうしてダメなんだよ。オレ勇者だぞ? しかも街の恩人だぞ?」


「まぁそこは感謝してるし、こっちだって心苦しく思うよ。でもな、勇者様にメンバー資格は与えちゃいけないルールなんだよ」


「……せめて理由を聞かせろよ」


「ゲームプレイヤーを誘導する為だな。剣士なり魔術師なり、クリアするのに推奨される仲間を連れ歩かせたいからだ」


「つう事はだ。オレもそういった仲間を募れば、ギルドを利用できる?」


「理屈としてはそうだ。仲間が見つかれば、だが」


「なんか含みのある言い方だな」


 マスターはそこで周囲を見回した。少し大げさな動きは、ゼスチャーという方が近いかもしれない。


「前勇者の悪名が轟きすぎてな。みんな神託所へは行っても、ギルドには寄り付きもしねぇんだ」


「じゃあ、神託所で誰かしらをスカウトすれば問題ないな」


「おうよ、ただし注意しろ。転職したばかりのヤツだと、経験の無さから審査落ちする可能性があるぞ」


「あれこれと注文が多い……難癖つけてんのかよ?」


「おいおい勘弁してくれ。こちとらルールに従ってるだけだ、悪く思わんでくれ」


 マスターは丸太のような両腕を垂れ下げて、力なく笑った。嘘では無いらしい。そこで、オレも言い過ぎたと詫びを入れ、ギルドを後にした。


「あーーぁ。勇者なんて肩書がついても、結局は似たような境遇かぁ」


 期待外れも良い所だ。晴れてメンバー入りを果たし、ガッツリ稼いでやろうと思っていたのに、現実はこのザマだ。もう少し役得というか変化が無ければ、どこかのタイミングで飢える。財布の銀貨など、街中で暮せば半月も保たずに消えてしまうから。


 見上げた空は曇天。暗く折り重なる雲が、オレの人生を現している気がして、気持ちまで塞がれたようになる。せめて一筋。スッと光明が差せば違うのに。などと思っても、空は依然として重たいままで、今にもボトリと落ちてきそうに見えた。


「あのぅ、失礼ですが、勇者様でお間違いねぇでしょうか?」


 気付けば隣に見知らぬ男の姿があった。若い割に腰は低く、フードの隙間に見える雪焼けした顔。軽装の旅行者らしき容貌で、使い込まれて黒ずんだ革袋は、旅の踏破距離よりも使用年月の長さを語るようだ。


「うん、まぁ、そんな感じだけど。アンタは?」


「大変失礼こきやした。アッシはレンパイヤ村のキュナンと申しやす」


「レンパイヤ? 聞かない名前だな」


「こっから西の方にずぅっと、街道から外れた山奥にございやす。ご存知ねぇのも当然でして」


「んで、山村のキュナンが、オレに何の用だ?」


「実はアッシら、大変困っとりまして。どうか勇者様にお助けいただけねぇかと、お願ぇしたいんです」


「困り事……!」


 オレは不謹慎にも握りこぶしを作った。そうだ、この勇者クエストがあったじゃないか。仕事なんか探さなくとも、向こうから都合良くやってくるのが、勇者というポジションなのだ。


「もしよろしければ、どこかで食事でもしながらお話出来ればなと。もちろん、お代はアッシが持ちやす」


「しかもタダ飯……!」


 心にガツンと響くものがある。これはケティも喜ぶだろう、とまで浮かぶと、今は療養中である事を思い出した。


「話なら聞くが日を改めたい。仲間が倒れてしまってな」


「それはそれは大事だ。婆さまがくれた飲み薬は要りますけ? 腹イタぐれぇなら一発です」


「好意だけもらっとく。一応は医者がいるから」


 そうしてオレ達は再会を約束して別れた。キュナンは別宿に泊まっているそうで、準備が整えばコチラから出向く手はずとなっている。


「メシと聞いたら、さすがに飛び起きるかもな」


 石畳をトントン、軽やかに駆けていく。仕事のアテが出来たのだ。朗報を胸にすれば羽でも生えたかのようで、曇り空でも晴れやかな想いを感じていた。


 この直後に、全く予期しない事態に見舞われるとも知らずに。


「ただいまーーって、ケティは?」


 部屋に戻れば、ベッドにケティの姿は無い。ついでにシーツまでも消えており、シミだらけの敷布と、大量に散らばる白い毛が目についた。


 出かける前と一変した様子に面食らっていると、すぐにミランダが迎えてくれた。ただし顔面は蒼白で、どこか要領を得ない口ぶりに不吉なものを強く感じてしまう。


「すみません、私も驚いてるのですが、ケティちゃんが眼を離した隙に……」


「まさか、居なくなったのか!?」


「はい。容態が安定を見せたので、お手洗いに。それほど長く空けたつもりは無いのですが」


「ともかく探しに行くぞ!」


 宿から飛び出し、顔を左右に振った。裏路地に人の姿はないものの、通りの端に木箱やゴミやらが散乱し、見通しは今ひとつ良くない。


「オレは思いつく場所を総当りする。ミランダは宿屋内をくまなく探してくれ!」


「わかりました、お気をつけて!」


 返事を聞き終える前に駆け出していた。その最中も分かれ道やら物陰を覗き見つつ、可能な限り手広く探してみる。


「ケティ、どこ行った!」


 まず向かったのは飯屋と酒場。匂いに釣られてフラフラと、というのが一番有り得そうだが、結果は空振り。店番に尋ねても、ダンシングキャットなど見掛けてないと言う。


「空腹じゃなきゃ、遊び呆けてるか?」


 次は子供達が集まる場所へ足を向けた。最寄りは昨晩の空き地で、子供達は思い思いの雪遊びに熱中していた。近寄ってみると子供達に絡まれてしまい、散々に雪玉を頂戴してしまった。「ケティを見ていない」という言葉を引き出すためだけに、シャツの中まで雪塗れになる事態に晒された。


「全ッ然見つからねぇぞ……」


 それからも方々を探し回り、時には路肩に転がる空き箱を開いたりもしたのだが、手がかり1つ見当たらなかった。やがて息があがってしまい、中央通りの観光名所で腰を降ろした。


 ここの目玉は庭園に囲まれた噴水だ。寒冷地なのに水は冷えておらず、むしろ人肌のようにホンノリと温かい。これも魔術的な建築法なのかと思いはしたものの、今はそれどころではない。


「おおいケティ! どこ行ったんだーー!」


 暗い空に向かって叫んでみた。そして目を凝らし、聞き耳も立てる。どんな些細な変化だって見逃さぬよう、視界の端々まで眼を向けた。


 そうして必死に手がかりを掴もうとすると、背中に小さくない衝撃が走った。振り向けば、子供が体当たりしてきたのだと理解した。


「どうしたお嬢ちゃん。ちゃんと前を見て歩くんだぞ」


 その子は煌めかんばかりの金色の髪を持つ、12歳くらいの女の子だ。頬にかかる程度の長さなのだが、頭頂からミョンと伸びた毛束は異様に長く、根本が鮮やかなリボンで結われる。子供らしく真っ直ぐでつぶらな瞳からは純粋さと幼さが窺えた。


 ただし装いは、ボロ布をマントのように羽織っては全身を包み込んでいるだけだ。十分な厚着とは思えず、そもそも素足である事に、思わず保護者に物申したくなる姿だった。


 しかし、そんな外見の特徴など吹き飛ぶくらい、衝撃的な発言が少女から飛び出した。


「どうしたのお兄ちゃん。ケティのこと呼んだ?」


「キミ、何か知ってるのか、教えてくれ! ケティは今どこにいる!」


「うん。だから、ここに居るじゃない」


「……へっ?」


 少女はマントから白い手を出すと、自身を指差した。この幼い肩や頭にケティが乗っている、という訳でもない。


「あんまり街中で騒がないでよね、皆が驚いちゃうでしょ」


「え、いや……えぇ!?」


「まったくもう。気晴らしに散歩に出たら慌てて探そうとするなんて。お兄ちゃんってば相変わらず寂しんぼだね。ケティが居なきゃダメなんだから」


「えっ……えぇーーッ!」


 理解不能。思考回路は完全に閉ざされている。こうなってしまえば、ケティを自称する少女の前で、ただひたすらに驚愕の声をあげるばかり。曇天のせいか、普段よりも大きく響き渡った気にさせられた。

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