第30話 宴の夜に

 ノザンリデルは前線基地の名残か、様々な施設があった。神託所に宿屋、各種ギルドに武具雑貨店に交易所。そして、今しがた訪れた法製店も、この街で長い歴史を持つ施設だった。


「ほほぅ、使い込まれた杖ですなぁ」


 店主の男はメガネを上げ下げして、ミランダの杖を注視した。カウンターと来客用の椅子だけがある店内では、その声が無用に大きく響いた気にさせられる。


「どうでしょう。直りそうですか?」


「もちろんですよお嬢さん。誠心誠意やらせていただきます」


「それで、お代の方は……」


「お気になさらず。街を救ってくださった恩人に請求など出来ましょうか」


「宜しいのですか?」


「次からはお支払いいただきますが、今回は結構でございますよ」


「ありがとうございます。ご厚意に感謝します」


 店主は静かな足取りで隣室へと消えた。こんなケースもあるのか。相場の金くらい渡せるのだが、話がまとまってしまえば口出しする理由もない。壁際の椅子に並んで座り、仕上がりを待つことに。


「街の皆さん、元気になりましたね。まるで生き返ったかのよう」


 ミランダが窓の外に眼を向けると、走って行き来する人の姿が目立った。なんでも祭りを催す事が急遽決まったらしい。それで飾り付けだとか、諸々の準備で騒がしいのだが、誰もが晴れやかな顔を見せていた。


 こんなにも大勢の人が喜んでくれている。かつて経験した事のない結果に、胸にむず痒いものを覚えた。


「嬉しそうだよな」


 皆が笑顔を隠そうとしない中、一迅の風が吹き抜けて、窓枠をカタカタと鳴らした。


「本当ですね」


 ミランダの慈愛に満ちた視線は、外の景色を捉えて離さない。


「ミュミュウ……」


 一方でケティは関心が薄い。オレの肩で大あくびを披露すると、そこで身体を横たえた。さながらマフラーのようで、首の裏がじんわりと温まるのを感じた。


 どれだけの間くつろいだろう。やがて隣室の扉が開き、杖を携えた店主が現れた。


「終わりましたよ。仕上がりをご確認ください」


「はい。それでは失礼します」


 ミランダは恭しい仕草で杖を受け取ると、両手で握りしめて気迫を込めた。すると、手元で煌めいた光が先端へ向けて走り、そこが夜天の星のように輝いた。


「ありがとうございます。申し分ありません」


「それにしても良い品ですね。かつては量産された安価な型ですが、今では生産されておりません。造り手がそこまで大事に使い込まれたと知れば、心から喜ぶ事でしょう」


「ええ。これからも大切に扱います」


「そうなるだろう事は疑う余地もございません。あなた方の行く末に、幸多からん事を」


 そこで別れを告げると、ついには用事が無くなった。予定も目標も無し。危機感が薄いのは、財布に珍しくも銀貨が埋もれているからだ。


「ここらでパァッと豪勢な昼飯でも食いに行きたいがなぁ」


「フェリックさん。今晩はお祭りに招待されているのでは?」


「そうなんだよ。美味いもんが一杯出るらしい。しかもオレ達はタダ!」


「ミュウミュ!」


「ケティ、食って食って食いまくるぞ。これまで飯に困らされた分、腹がはち切れるまで食い倒してやるんだ!」


「ミュッミュウゥーー!」


「あの、お2人とも。何事も程々が一番ですよ」


 往来で晒した決意表明は明らかに早すぎた。日暮れまで時間はまだまだある。仕方なく、観光がてらアチコチを巡る事に決めた。


 大通りの武具店、雑貨屋。それらは軒並み休業しており、張り紙には「本日休み」とだけ貼り付けられている。


 裏手まで足を伸ばしてみれば、小ぢんまりとした民家が立ち並び、それもしばらくすると様相が一変する。見渡す限りが芝生という空き地に出くわすのだ。


「ここが会場か。晴れると良いな」


 テーブルが屋外に並べられ、その上には未使用の食器が山の様に積み上がる。興味をそそられたケティが食器を小突き、あわや皿の山を倒壊させかける事態はあったものの、平穏無事に空き地を後にした。


 やがて迎えた日暮れ。あれほど広く感じた空き地は、大勢の人々で混み合い、むしろ手狭に感じられる程の賑わいを見せた。


「すげぇ人混み。はぐれないようにな」


「ミュウミュ!」


「いや、ミランダもそうなんだが、オレとしちゃお前の方が心配だからな?」


「ミュミューーッ!」


「言ったそばから走るんじゃない、待て!」


 フンフンと鼻息を荒くするケティを、右手左手を交えて制御するうち、一際大きなテーブルへとやって来た。ここは主賓席。垂れ幕まで用意されてしまい、力強い文字でデカデカと『まこと正しき者、家なき勇者御一行』だなんて書かれている。恥ずかしいなんてもんじゃないが、皆が座れ座れと進めるままに席に着いた。


 だが恥ずかしがるのも束の間。眼前には皿が、ナイフフォークが次々と並べられ、続けて数え切れない料理で彩られていく。


「すっげぇコレ……まるで王様みてぇだ」


 まずは飾り付けが豪勢で驚かされる。キレイにスライスされた半生の肉にはちょちょいと濃いソースが乗せられ、同じもので皿のフチまでも装飾がなされている。盛り付けられた肉の隣には、モッサリとした草が満載だ。


 この草は食えるのかと一口かじってみれば、香ばしくてほんのり甘い。旬の香草を油で揚げたものだそうで、パリパリパリパリと止まらない。そこへ肉を1枚も口にすれば、口中は絶妙なハーモニーに支配されてしまい、その瞬間から料理の奴隷と化してしまった。


「うん、うんうん。超絶美味いな!」


「ミュンミュン、ミュンミュクミュン」


 肉料理ひとつでこの始末だ。魚にしろサラダやスープにしろ一切の隙は無く、出された品を次々と平らげていった。


 そうして皿を舐める勢いで、実際ケティがオレの皿までベロンベロンと舐めだした頃、席の前で1人の男が顔を出した。


「お気に召していただけましたかな、勇者殿?」


「区長さん。もうスゲェ美味いよ、ビックリした」


 ミランダも食が進んでいるようで、大変美味しいですと太鼓判を押した。それらの反応を受けて、区長は柔らかな溜息をついた。


「そう言っていただけると安心しました。本日は宮廷料理人の経験を持つ、確かな腕前の男が誠心誠意に臨んでおります」


「なるほど、どうりでね」


「さて、遅ればせながら。1杯いかがですかな?」


 区長がぶどう酒の瓶を片手に言った。断るのも悪いので注いでもらった。


「うわぁ、すっげぇフルーティ!」


 まるで果物を直接食ったかのような風味と甘さ、そして腹にスッと差し込む熱さ。料理だけではなく、酒まで美味いとくれば、笑いも止まらなくなる。まぁ止まらなかった理由は、美味いだけが理由じゃないのだが。


「お初にお目にかかります、勇者殿。私は西区の長を務めておる者でして……」


 1人、また1人と現れるうちに列が生まれ、挨拶は延々と続いた。


「初めまして勇者さん。あなたには心から感謝してますよ!」


 列はまだまだ終わらない。


「勇者様よ、今度うちの店においでよ。良い武器揃ってるよ!」


 もう何人目か数えるのを止めた。酒を飲むのもだ。いい加減腹がパンパンで、酔いも強くなっている。


 そうして、ようやく人が途切れた頃だ。とうとう休めるかなと思えば、また新たな人物がやって来た。しかし、これまでのような厳しい老人やらの重役連中とは違う。女性と呼ぶには幼さを多く残す、華やかな装いの少女が現れたのだ。


「初めまして勇者様! 悪い勇者を倒してくれて、ありがとうございます!」


「お、おう。キミは……」


「申し遅れました! ワタクシ、南区長の孫娘アレッサです。この可愛い顔を覚えてくださいね!」


 その少女は言うだけあって、確かに整った顔立ちをしていた。大きな瞳が印象的で、アゴはライトグリーンの髪先で覆い隠されている。しかし、それらよりも特徴的なのは服装だ。誰もが厚着をして寒さを凌ぐ中、この子は半袖チュニックにハーフパンツと、暴挙としか言えない姿を晒していた。


 だから思わず尋ねてしまう。酒のせいか、デリカシーに欠けた質問を。


「キミ、その格好は寒くないの?」


「はい、ワタクシは美少女ですから!」


「それは答えになってないよね、酔ってるの?」


「いえいえ、まだ19歳ですので。お酒は20歳からです!」


 それを聞いたミランダが、私の1歳年上だと呟く。確かにその通りなんだが、凄まじい違和感だ。ミランダの方がずっと年上に見えて仕方ない。


「勇者様、こうして出会えたのも何かの縁。今宵はじっくりお喋りしませんか!」


「いや、そろそろ眠たいなとか考えていたんだが」


「何を仰いますか。睡眠なら昨日もとったでしょう。惰眠よりも愛すべき事は、世の中いっぱいありますから!」


「キミこそ何を仰りやがる。毎日ちゃんと寝るもんだぞ」


「むむむ、ガードがお固いですね。ならばここは1つ、知恵比べをして勝った方の案を……」


 何やら面倒な事が始まりかける。しかし、本格的な動きを見る前に、少女は保護者の区長によって引き取られていった。恨み節を叫ぶ姿からは、やはりミランダを上回る歳月を感じさせなかった。


「さてと、オレらもそろそろ宿に戻るか?」


「そうですね。私は存分に楽しみました」


「よし。ケティもそろそろ良いよな?」


 チラリと横に眼を振れば、テーブルの上でケティが寝転がっていた。腹が3倍くらいに膨張している。空き皿も戦果であるかのように積み上がり、闇夜を屹立(きつりつ)と貫く塔のようだ。


「お前、いくら何でも食いすぎだぞ!」


「ミュ、ミュウ」


「クラゲみたいに膨らみやがって。このまま戻らなくなっも知らないからな」


「ミュウゥ」


「あらあら、致し方なしだなんて。難しい言葉を覚えたのですね」


「ともかく帰るぞ。もう良い時間だ」


 去り際に会場を突っ切ると、他の参加客の姿も見えた。料理を片手に談笑する人、カード遊びに興じる人、酒瓶を離さず輪を作って歌う人など。会場の端っこでは、皆の眼を盗んで語らう男女の姿まである。


 皆が皆、思い思いに楽しんでいるのだ。この賑やかさは不思議なもので、眺めるだけでも胸の内に温かな灯火が宿るようだ。


「嬉しそうですね、フェリックさん」


 ミランダがこちらの顔を覗き込む仕草をした。顔が良く見えないのは、会場から離れたせいで、松明の光が届かないのだ。


「別に。月がキレイだなと思っただけだよ」


 夜空に輝くのは三日月。鋭い形だが、降り注ぐ青い光の温もりは相変わらずだった。ふと立ち止まって空を見上げると、ミランダも足を止めた。彼女の顔は見ない。どうせ暗くて見えやしない。


 さて、明日からどうしよう。別の街に移るか、それともしばらく逗留するか。何ら予定の立たないままに、やがて宿屋が照らす灯りの下を通り過ぎた。

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