第28話 神の力

 既視感。それは旅を始めてから時々陥る錯覚であり、今現在も感じているものだ。見知らぬ土地はなぜか何度も訪れた気にさせるし、野外で茶をすする女神じみた女にも、不思議な親近感があった。


「ここは? そしてアンタは誰?」


 そう尋ねてみると、超高速の説明が切り替えされた。唇の動きすら追えない程だったが、オレはすんなりと全てを理解した。いや、思い出したという方が正しいのか。


「久しぶりだな、アドミニーナ。元気か?」


「いえ、あまり。バグに侵されつつある身体は、不快感を忘れる事がありませんケロ」


「オレを呼び出したって事は、なにか用があるんだよな?」


「もちろん。世間話の為だけに召喚したりはしませんから」


 そう言ってアドミニーナは、手を口元に添えて微笑みを作った。そしてゲヘヘと心底楽しそうに笑う。


「まさか私の助力なしにシステムに潜り込むとは思いませんでした。やはり貴方はただのキャラクターとは一線を画すのですね」


「システム? 何の話だよ」


「勇者との一件です。貴方は、本来であれば不敬罪により投獄されるはずでした。お仲間と一緒に」


「となると、あの男は本物だったのか?」


「ええもちろん。更に言えば、転職不可の星付きでした。物語の破綻を防ぐため、特定の職業は改変が出来ないようロックがかけられています」


「でも、あいつの職業はゴミクズ外道だか、そんなんだったぞ」


「クソゴミ野郎です、お間違い無きよう」


「詳細はどうでも良い。その星付きとやらが、なんで変わっちまったんだ」


「貴方がロックを解除して改変し、勇者の肩書を奪いました」


「オレが? そんな常識外れの事を……」


「私の予定では、貴方の言動によって勇者を改心させ、二人三脚的に活躍してもらうつもりでした。しかし、これも運命かもしれませんね」


 そこでふと気づく。もしかすると、殴る直前に起きた異変が原因だろうか。尋常とは思えない、なにか、この世からかけ離れた事象に触れた気がしなくもない。


「あの平たい声、システムがどうのと言ってたような」


「はい。それこそ世界を変貌させる力。言い方によっては神の力と呼べるものですね」


「神の力って、いくらなんでも大げさだろ」


「では、ほんの少しだけお見せしましょう」


 アドミニーナは人差し指を突き立てると、ヒラリと蝶が舞い降りた。


「この世は、全て文字列で作られています」


 そう言って指先を煌めかせると、宙に見慣れない言葉が浮かんだ。まるで虚空に直接書いたかのように。


「正確に読み取り、書き換えたなら、この世の事は思いのままです」


 アドミニーナの指が走る。すると文字列の一画が書き換えられ、蝶は小鳥に変身した。ピチチという鳴き声から、本物のように思えた。


 そしてもう1度指が走れば、その鳴き声も、人間の低い声に様変わりして、流暢な言葉を語りだした。


「下着なら先程、パンに挟んでしまったぞい」


「いかがです。信じていただけましたか?」


「その台詞のチョイスは何なんだよ」


「この様にして、世界のあらゆるものを自在に操る事が可能です。地形だろうが、国家だろうが、全てを意のままに改変できますぜ旦那、ウヒヒ」


「意のままに……!」


 そんな手段が存在したのか。ほんの一時とはいえ、オレは凄まじい力を操ってしまったのか。恐ろしさに震える反面、心に弾むものを感じつつ、姿を戻された蝶が舞うのに眼を向けた。


「はいソコ、調子に乗らない。今後、私の許可があるまで使用を禁じますから」


「何でだよ。こっちは毎日苦労してんだ、少しくらい楽させろよ」


「それが許されるなら、旅立ちの日に授けています。なぜそうしなかったのか。理由が分かりますか?」


「分からん。ケチッてるから?」


「大いなる力を操るには、相応の土台が必要なのです。魔力という具体的なものも含みますが、最も必要とするのは心の強さです」


「心の……強さ?」


 アドミニーナの視線が鋭くなる。力を授けないのは、出し惜しみの類ではなく、明確な理由があるようだ。


「生半可な心構えで神の力を授かれば、必ずや邪道に落ちます。我欲に負けて、自身の繁栄だけに固執するようになるので」


「そんな事ねぇって、オレは結構マジメに生きてんだぞ?」


「豪邸に積み上げた金銀財宝、余らせる程の美食に美酒。昼も夜も無く、数多の女を並べてケツ祭り」


「卑怯だぞ、心を読むなんて!」


「貴方は、前勇者モケヌケケから何も学ばなかったのですか? 彼は今や外道に成り果てましたが、当初は清廉な人物だったのですよ」


「本当かよ、信じられねぇ」


「彼は絶対的立場に甘んじるうち、激しく歪みました。勇者特権ごときでこの結果です。神の力など授かろうものなら、早晩に心を失くす事でしょう」


 その言葉を聞いて、背筋に冷たいものが走る。自分も、あんな汚らしい存在に堕ちてしまうのか。信じがたい部分はあるものの、有無を言わさぬアドミニーナの視線が強い。


「貴方は確かに、私の後継者であり、副管理者であります。ゆくゆくは力の扱い方を教える事になりますが、決して今ではありません」


「使い方くらい教えてくれても良いだろうに」


「来たるべき日をお待ちなさいモッチ」


「いつだよ、それ……」


 軽口で不満を述べた所、アドミニーナが顔色を変えた。鋭さに陰りはあるが、今度は深くまで見透かすような視線を向けるようになった。それは、不思議と気圧される程の凄みを孕んでいる。


「貴方は悪人ではありませんが、特別、善人とも呼べません。犯罪に手を染める事はしないまでも、我欲を満たせる機会があれば、脇目も振らず飛びつきます」


「そりゃそうだろ。こちとら、その日暮らしなんだぞ」


「礼節や言葉遣いを知らず、常時ふてぶてしく、そして厚かましい。知略家じみた考察をする癖があるのに、基本的に詰めは甘い。せいぜい罠を見つけるだけが能の穀潰しです」


「ケンカ売ってんのか」


「そして幼馴染との離別を引きずる一方で、早くも新しい女に興味津々。恋路とは無縁を装いつつも強烈な性欲までは隠しきれず、相手の隙を捉えては柔肌を盗み見る。バレてますから。そういう視線、女の子にバレてますからね」


「ケンカを売りつけてるよな、そうなんだろ?」


「しかし、貴方には大きな美徳があります。それは他者の幸福も重視する点です」


 急に方向性を変えてきやがった。オレは肩透かしを食らった格好だが、心の機微を気遣ってくれそうな相手ではない。


「貴方は権力や肩書に従う事はあっても、決して心酔しません。国家や権力者に大義を求めず、人そのものに求めるからです」


「えっと……どういう事?」


「心の奥深くには、意外ですが義侠心に近いものが宿っています。すなわち仲間を、時には名も知らぬ人々までをも、幸福へと導くことに強い関心を抱くのです」 


「そうなのか、全然ピンと来ねぇけど」


「仲間に感謝なさい。今後も行く先々で、権力や立場の使い方を、何らかの形で教えてくれるでしょう。そして存分な心構えが出来た頃、大いなる力を授けましょう。私の正当な後継者として」


 何だか、巧く丸め込まれた気がする。力を授かるには哲学めいたものが必要で、それはミランダ達から学べという事か。日々に積み重なる苦労から教われと。


「話が長くなりました。そろそろお茶会を終わりにしましょうか」


「そうかよ。オレは何も飲んじゃいないがな」


「貴方の魂に刻むべき物は全て差し出しました。よって、無用なコストは削る事としました」


「やっぱりケチじゃねぇか」


「では御機嫌よう。目覚めたら、勇者の館を目指しなさい。それが最も良い選択となります」


「あいよ。頑張ってお勉強しますとも」


「縁なら既につむぎました」


 その言葉を最後に意識は途絶えた。


 気付けば、視界は宿屋の天井で埋め尽くされていた。朝日が黒ずんだ木目を照らし出す。ケディとミランダはまだ夢の世界のようだ。


 反対側の荷物置き場を見れば、昨晩と変わりがない。金と装備一式は取り返せたものの、大事な杖は折れたままだ。


 どうにかして直してやりたい。しかし手持ちの金では、とてもじゃないが修理代には届かない。せめて1千ディナくらい無くては、店に出しても門前払いを食らうだろう。


「参ったな、ほんと……」


 重たい空気は、活動時間を迎えても大差なかった。3人とも動きに精彩を欠き、会話もどこかぎこちない。傷心を隠そうとする想いと、力づけようとする気遣いが、上手く噛み合わないのだ。


 そんな珍しくも不具合な朝食を迎えていると、声をかけられた。見慣れない老人なのだが、痩せ細った身体にも負けず、杖を頼りに背筋を伸ばしている。


「お食事の所を失礼致します、勇者殿」


 最初は誰に用があるのか分からなかった。しかし、視線から自分の事だと理解した。老人とは思えない強烈な眼光が、オレ1人だけに向けられている。


「初対面だよな。そのアンタが、一体何の用だ?」


「ワシはこの街の南区域を取りまとめる区長にございます。他に3名ほど同列の者がおりますが、本日はワシが代表して押しかけた次第でございます」


「そうかい。その区長さんがどうして?」


 すると爺さんは上着を脱ぎ捨て、骨の浮き上がる裸体を晒した。そして膝を着き、静かに頭を下げた。


「一命を賭してお願いがございます。勇者の館に集められし財をお返しください。あれらは全て、我らが心血注いで貯めに貯めた、生きる為の糧にございます」


「勇者の、館……?」


 返せと言うのなら応じてやりたい。しかしオレには何の心当たりもなく、ただバカみたいな返答だけで固まってしまった。


「お返しいただけぬならば、致し方なし。この老い先短き命、貴方様に捧げとう存じます」


「えっ、ちょっと待て……」


 区長は背後からナイフを取り出した。刃は錆びついており、切れ味は劣悪だろうが、渾身の力であれば身体を引き裂けそうである。


 もちろん黙って見過ごす事は出来ない。振り下ろされようとする両手を掴み、辛うじて自刃を止めた。


「離してくだされ。役目を全う出来ずして、おめおめと戻れませぬ!」


「こいつ、スゲェ腕力だ……。ケティ、応援を頼む!」


「ミュウミュ!」


「おぉぉ、これは女神様のご加護か。老骨に若かりし頃の力が宿るようじゃ……!」


「爺さんにかけてどうすんだ! 止めるんだよ!」


「さぁとくとご覧あれ、かつては幻魔騎士と畏れられし男の散り際を!」


「分かった、アンタらの物は全部返すから、とにかく落ち着いてぇぇ!」


 焦っていたとは言え、迂闊な事を口走ったもんだ。空約束に終わる危険性もあるというのに。


 ともかく話が進んでしまえば仕方ない。完璧とまではいかなくても、やれる限りの事はやろうと思った。老人が送る半信半疑の視線を感じながら。

 

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