第27話 特別な存在
「勇者特権だと……!」
どうにか絞り出した自分の声が、酷く震えているのが分かる。そんな無様な態度が面白いのか、勇者を名乗る男は格好を崩して笑った。その拍子で真紅の長い髪が垂れ、長い指先でそれを払うと、端正な顔立ちを歪ませた。こんな経緯で無ければ、キザったらしいがキレイな顔、くらいには感じただろう。
「キミ、知らないのかい。僕と仲間たちにのみ認められた権利の事さ。グランディアナ王国は広しと言えど、他に例を見ないものだよ」
「そうだとしても、なぜコソ泥みたいな真似をする! 盗られたら皆が困る事も分からねぇのか!」
「困る、だって?」
勇者は体を折り曲げて笑い声をあげた。心底愉快であるかのように。
「キミらのような無価値な人間が途方に暮れた所で、いったい何が問題だというんだ。僕は救世主。この世でただ1人、魔王と対抗できる崇高な存在だ。その辺にうろくつ雑魚どもとは立場が、格が、生きてる次元が違うんだよ」
「恩着せがましい! 魔王討伐はお前の仕事だろうが!」
「これだから人にブラ下がるだけのゴミ屑は、発想からして腐りきってる」
「答えになってねぇぞ!」
「いいかい、世界平和は僕の壮絶なる働きよって得られるんだ。死と隣り合わせの過酷な使命だ。でもその最中にも、君たちはのうのうと暮らしてるだろう。人が命の危険に晒されてるというのに、美味いものを食らい、清潔な寝床で眠りに就く。だったらせめて、私財くらい差し出さなくては釣り合いが取れないだろ」
その言葉には思わず二の足を踏んだ。身勝手な暴論に違いないのだが、わずかに一理あるとも思えてしまい、それが荒れ狂う怒りに水を差した。
すると、勇者の背後で扉が開いた。民家から現れた人物は鋼鉄の鎧を着込んだ剣士で、お仲間の様子だった。
「おぉ勇者。こっちは上首尾だぞ」
「そうかい。この袋は?」
「ここの貧乏人、戸棚に大金を隠してやがった。1万ディナはあるぜ」
剣士は袋をドサリと地面に置いた。中を開いて下卑た笑みを浮かべるのだが、しばらくして表情が固まる。
「なんだろう、紙切れが入ってるね?」
「手紙だな、どれどれ。親愛なる母さんへ、どうにかお金が貯まったので送ります。これで病気を治してください……だってさ!」
「うわぁ親孝行、泣かせるね!」
「やべぇよ、治療費が全部盗られちまう、お母ちゃん死んじまうぞコレ!」
あまりの言葉に脳が理解するのを拒絶し、絶句してしまった。人の大切な金を奪っておいて、なぜ笑えるのか。自らの手で他人を不幸に陥れて、何も苦に思わないのか。
拳が固くなるのを感じる。だが、それと同時にまた別の男が現れた。杖とローブ、魔術師の風体で、老齢だった。
「カァーーッ、シケとるのう。木の実だのキノコだの、そこらで拾った食い物しか無かったわい」
「爺さん、その革袋は?」
「これは山羊乳よ。母親が赤子に飲ませようとしたのを徴収した」
「うわ、ひでぇ! 鬼畜すぎんぜ!」
「見せてやりたかったのう。『それだけはお許しを』だなんて、老け顔をいっそう醜く歪ませておったわ」
そこで一同は笑った。この世の春を謳歌するように、暗く沈む街中で高らかと。
何が勇者だ、ただのクズ野郎じゃないか。そんな言葉が過ぎると共に、オレは抱いて当然の敵意を振りかざし、連中の前に迫った。
「お前ら、フザけてんのか。聞くに堪えない悪事をどれだけ積み上げれば気が済むんだ!」
「おや、その拳はなんだい。やる気?」
「それはお前ら次第だ。すぐに盗品を返して謝ってこい!」
「怖いなぁ。断ったら殴りかかろうってのかい。勇者特権その2、何人たりとも不敬を働いてはならない」
「何だと……!」
「殴りたいなら殴ってみるかい? どんな結果が待ち受けてるか試してご覧よ」
勇者は涼し気な顔でアゴを突き出してきた。思わず拳が跳ね上がりそうになるのを、懸命に堪えた。クレバー。ここでこそ、クレバーさを発揮せねば、無用な災難を招く事になりかねない。
そう頭では分かっていても、腹のうちは怒りがトグロを巻く。どうにかしてひと泡吹かす事は出来ないか。血が上りきった頭では、何ら名案は浮かばず、気楽に揺らぐアゴ先を睨むばかりだ。
「丁度良い、そこの暇人にでも聞いてみたら?」
勇者の指差す方には通行人の姿があった。現地人だろう。特権だの不敬罪だの、それらがハッタリかどうか見極めてやる。
「なぁそこのオッサン、衛兵を呼んでくれ。コイツらは強盗なんだ!」
オレが頼んでも無意味だった。男は顔を背けながら足早になり、やがて曲がり角へと逃げ込んだ。
腹に焦りのようなものが募るが、それにもめげず辺りを見回す。すると幸運にも警備中の衛兵を見掛けた、しかも2人だ。
「おい衛兵、犯罪者を捕まえたぞ!」
「本当かい? どうしよ、どっちの手柄にしようかな」
「そんなのは後で話し合えよ、強盗はコイツらだ」
オレが指を突きつけてまで糾弾したのに、衛兵は途中で回れ右。それから何も見なかったかのように、雑談を重ねながらどこかへと立ち去った。
「どうよ貧民君、僕らの事を理解したかな?」
「クソッ……どうしてこんな非道がまかり通る!」
「世の中って理不尽だよねぇ。強い者は際限なく肥大化していくし、弱者は食われて野垂れ死ぬ。まぁ、そこは野生の理屈と大差ないから、諦めが肝心だよね」
その時、背後に誰かが駆け寄る気配を感じた。また仲間かと思いきや、現れたのはミランダだった。手のひらを胸に当てて息を切らしている。
「ハァ、ハァ。探しました」
思い返せば、ミランダ達を置き去りにしていた気がする。
「すまん、1人で駆け出しちまって」
「いえ、引き止めていただきありがとうございます」
ミランダは大きな呼吸を1つ挟むと、毅然とした立ち振る舞いで勇者と向き合った。そこには、普段から絶やさぬ柔和な仕草は見当たらない。
「盗んだ物を返してください。大切な品なんです」
「そんな事を言うためにワザワザ来たのかい? 貧相な剣にボロっちい杖、それと小銭だけだよね」
「貴方にとって価値が低くとも、私達にとっては違います」
「ほんと面倒だよ。君たちも調教してあげようか。ここの住民のようにさぁ!」
勇者たちが一斉に武器を抜いた。鋼鉄製の真新しい武器が、日差しを浴びて寒々しく煌めく。
「やれるもんならやってみろ、村人を傷つけたヤツは……」
「勇者特権その3。正義の執行を阻む者は討ち果たしても良い」
「正義だと! お前たちのどこに道理があるってんだ!」
「僕の為すことは全てが『正しき行い』として扱われる。すなわち、邪魔者はおしなべて悪となるのさ」
「この、クズ野郎……!」
「といっても、まぁ、僕だって情くらいはある。女の子の勇気に免じて、杖くらいは返してあげるよ」
勇者は剣をクルリと回転させ、腰に納めた。続けてインベントリから取り出されたのは、確かにミランダの愛用品だった。
「ほら、受け取りなよ。君のものなんだろう!」
勇者は杖を差し出す素振りをみせる。ミランダが相手を注視しながら歩み寄る。罠だ。そう叫ぼうとした時には手遅れだった。
ミランダが傍に寄ったのを見計らい、勇者は杖を壁に叩きつけた。飛び散る木片、本体から零れ落ちる先端、投げ捨てられたもう半分。カラカラという渇いた音が、路地裏に長々と響き渡った。
「あぁっ、お祖母様からいただいた思い出の杖が……!」
ミランダが這いつくばり、拾い集めようとした。しかし、その手すらも、勇者の足によって踏み潰されてしまう。
「あぁっ! 痛い!」
「この優しさに感謝しなよ。本来なら、僕に要求するだなんて、首が胴から離れるくらいの不敬なんだからさ」
「痛い……離しなさい……!」
「いっそ殺されてみる? 死んでしまえば、痛みや哀しみから解放されるんだよ」
「おい勇者、こんな美女を殺すだなんて勿体ねぇ。奴隷にして奉仕させんのが相場ってもんだ、なぁ爺さん?」
「フン。ワシは10歳以上のババァを女とは認めん」
「うへぇ。そうだった、アンタは割と手遅れだったよな」
そのまとわりつく笑い声を聞くうちに、とうとう堪えは限界が訪れた。心のなかで何か、ブチンという音を聞いた気がする。
クレバー? 知るか、んなもん。勇者特権? クソ食らえだ!
「いい加減にしやがれ、その足を退けろ!」
そう叫ぶなり身体は動き出した。渾身の力を込めた拳。丸腰で勇者と渡り合えるのか、アッサリ殺されるかもしれんが、もう我慢ならない。
勇者までせいぜい5歩。不意打ちなら一発くらい、相手を倒せないまでも一矢報いるくらいは出来るハズだ。両足に渾身の力を込めて、憎たらしい横顔に迫ろうとした。
しかしどうした事だ。全力で跳んだハズの身体は酷く遅い。徒歩にも劣る、忍び足かそこらの速度しか出せなかった。
「何で……!」
足が地面を踏む寸前に気づく。遅いのはオレだけじゃない。ミランダやケティ、勇者たちも全員が固まっているのだ。まるで絵画であるかのように、指先ひとつ変わりがなかった。
「いったい、何が起こってんだ!?」
オレだけが唯一動けるらしい。それでも冗談のように重く、鈍い。
これは何者かの魔法による攻撃か。そう警戒したのだが、耳に聞こえたのは想定もしない言葉だった。
――このアクセスは認められません。管理責任者に問い合わせてください。
抑揚のない、平坦な声が響く。アクセス? 責任者? 何の事だが分からないが、今は構うつもりもない。
「誰だが知らねぇが邪魔すんなよ!」
声は出た。言葉の尾が無駄に間延びした気がする。
――管理者アンドウミナコにより権限を一時的に付与されました。権限の失効までに作業を完了してください。ご命令をどうぞ。
「ゴチャゴチャうっせぇ、誰なんだ!」
――ご命令をどうぞ。
「オレはブン殴りたいだけだ、こいつが勇者だとか認めねぇ!」
――プロパティにアクセスします。ユニークキャラの改変は代替キャラを必要とします。実行するには手動と最適化モードの、いずれかから選んでください。
「何でも良いから邪魔するなーーッ!」
――最適化が自動選択されました。
その抑揚の無い声が鳴り止むと、辺りは緩やかに動き出した。
2歩目、踏み込んだ足は重力を取り戻し、タンと軽快な音を鳴らす。何が起きた。いや、今は構うまい。敵は勇者、こちらを見てはせせら笑う。その顔をブッ飛ばしてやる。
「喰らえや、クソゴミ野郎が!」
渾身の拳が勇者の頬を狙う。防御されるか、それともアッサリかわされるか。次の動きも想定しつつ、右腕を滑らかに走らせた。
だが、思いがけずクリーンヒット。拳は、拍子抜けするくらい的確に頬を打ち抜き、勇者の身体は吹っ飛んだ。そのまま路地裏のゴミを巻き込みながら転がり、石壁にぶつかることでようやく止まった。
「えっ、何で避けねぇんだ?」
もしかして物理無効タイプか。不意に湧き上がった疑念は、勇者の鼻からボタボタと零れ落ちる鼻血によって否定された。
「よぐも、ボクを殴ったな! これでお前は死ぬまでブタ箱暮らしだ!」
途端に辺りが慌ただしくなる。騒ぎを聞きつけた衛兵が駆けつけ、路地を封鎖してしまった。その兵力は、突破を諦めて観念するくらいには多い。
「勇者殿。後は我らにお任せあれ」
「ブヒャーッヒャッヒャ! 残念だったな。女の手前で格好つけたは良いが、これでお前も犯罪者だよ!」
衛兵たちが機敏に駆けては軍靴の音を響かせる。抵抗するだけ無駄だ。もし事情を説明する機会があれば、存分に語らせて貰おう。
そんな悲壮な決意は、すぐに無駄だと分かる。速やかな捕縛を開始した衛兵たちだが、オレ達を完全に素通りして、勇者の元へ駆けつけたのだ。すると勇者御一行の全てに縄をかけ、拘束してしまった。
「容疑者モケヌケケよ。窃盗、暴行の疑いで逮捕する!」
「何をするんだ! ボクは勇者だぞ、気でも狂ったのか!」
「勇者だと。世迷い言はステータス画面を見た後でホザくんだな!」
「クソッ、後悔するなよ。必ず領主に命令して、お前を家族もろとも処刑してやるからな!」
そこで勇者を騙った男は全てを明らかにした。レベル1という貧弱さに驚かされたが、見るべきは職業欄だった。
「なぜだ! ボクの職業が『クソゴミ野郎』になってる……!?」
「さぁ立て。申し開きは伯爵閣下にするが良い」
「待て、離せ、国王に会わせろ! こんなの何かの間違いだーーッ!」
聞き苦しい叫びが、その姿と共に遠ざかっていく。最後に衛兵の1人が振り返り「ご協力を感謝致します、勇者殿」と告げて立ち去っていった。
訳が分からず呆けてしまう。ミランダを見ても、理解できないのは彼女も同じ。ケティはというと、散らばった杖の残骸を拾い集めており、一連の異変は気にしてる様ではない。
「何だったんだ。幻覚でも見せられた気分だよ……」
ふと気になって、オレもステータス画面を開いてみた。すると、そこには、異変の爪痕がギッチリと残されていた。
変貌したのはやはり職業。祟りとまで感じた例の単語は、何度見ても「家なき勇者」と上書きされていたのだった。
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