第26話 路頭に迷い

 絶望。それはそのまんま希望が絶えるという意味だ。いや絶たれるかな、たたられるかな、祟られるっていやオレの人生は呪いみたいなもんかもね。


「アハハッ。もうどうにでもなれぇ!」


 神託所からはすでに離れた。かといって大通りまで戻る気にはなれず、小さな路を当てもなく彷徨い歩いた。街行く人達の顔を見渡せば、どれもこれも暗く伏せられる。


 何がそんなに辛いと言う。オレの境遇に勝る不幸なんか滅多に存在しないハズだ。大多数の人間には生業が与えられ、住む家だってあるのだから。無収入で根無し草の方がヤバイに違いない。


「おいそこのオッサン。どっちの人生がより過酷か、ちょいと勝負しようぜ!」


 通行人は聞こえないフリをして立ち去っていく。そうですか、ホームレスとは口もききたくないと、そうですか。


「世間は冷てぇなぁ! 寒風が身にしみるなぁ!」


 怪訝そうに睨む顔、俯かせたままの顔が、風に乗る砂埃の様に流れて消える。そんな不毛な散策をしばし。やがて見かねたのか、ミランダがそっと語りかけた。


「フェリックさん。お疲れのようですし、1度宿屋に向かいませんか?」


「えぇーー? まだ夜になってないし、観光しようぜ。まぁ、オレなんかが訪ねたら、みんな嫌がるかもしんないけどアハハッ」


「1日の睡眠は百の休憩に勝ると申します。ぐっすり眠れば、多少は心の痛みも和らぎますよ」


「ふぅん、まぁそこまで言うなら。お金は全然無いけどね!」


 思いつきで町中を歩き回ったが、土地勘なんか無い。フラフラと路地を渡り歩き、ようやく見つけた宿に入り、店主に話しかけた。背を丸め、顔を青白くする様が、オレのライバル心を掻き立てる。


「オッス、一泊したいんだけどいくら? 手持ちは300ディナしかないけどな!」


 すると店主は、掠れた声で『1人80ディナ、ペット無料』とだけ言った。激安だ。古びちゃいるが広々とした宿なのに、こんな価格帯だとは驚きだ。


「そんじゃ2人と子猫ちゃん、一晩だけ世話になるよアハハッ」


 通された部屋は比較的広い。ベッドは2台で、荷物を置いてもまだゆとりがある。窓が無いのは窮屈で、木の床がギシリと不穏な音を立てるのだが、気になるのはそれくらいだ。


「フェリックさん。この宿には温泉があるそうですよ。旅の疲れを癒やしてみては?」


「ほんと? じゃあ一足先にサッパリしてこようかな!」


 軋む廊下を進むと、あちこちの扉が開いていた。それらは客室で、宿泊客はゼロではないにせよ、ほとんど居ないようだった。流行ってない宿なんだろうか。


「へぇ。霧温泉っていうのか。もうもうと立ち込める湯気で、湯上り後も温かです、と」


 極寒レベルに冷え込む財布も温めて欲しい。そんな軽口も、脱いだ衣服を棚に置き、ヒノキの扉を開けた時には霞んでいた。


「マジかよ。屋外なのに湯気まみれじゃねぇか」


 温泉に天井はなく、四方を木の壁で区切っただけの簡素な造りだった。それなのに濃霧を思わせるほど視界は悪い。いつぞやのミスティフォレストを思い出させるような湯場だった。


 かけ湯をして、岩に囲まれた温泉の中に身体を投じた。程よい湯音だ。源泉がチョロチョロと流れる音、そして壁の向こうから微かに聞こえる街の喧騒が、不思議なハーモニーを実現していた。


「ハァ。この湯だけでも100ディナくらいの価値がありそうだな……」


 時間帯が良いのか、他に客は居ない。足を存分に伸ばし、湯船で顔を洗っても咎める人は居ない。ふと見上げてみると、湯気の切れ間に青空を見た。陽は西の方へ傾いており、じきに夕暮れとなるだろう。


「何でだよ。オレなりに頑張ってるのに、どうして転職できねぇんだ……」


 ジワリ、ジワリと重たい感情が持ち上がってくる。この気持ちは憤りか、それとも悲嘆なのか、自分でも分からない。ただ、突きつけられた現実が辛く、解釈が追いついていない様に感じられる。


 もはや大金持ちになるだなんて贅沢は言わない。汗水流して働いて日銭を貰い、暖かな晩飯と寝床のある生活を送りたい。オレを見捨てたハンナを見返したい気持ちは、多少なりとも残されているけど、それも今は遠い。5年10年経って、ふと再会した折に「頑張ってるね」くらいの言葉が引き出せれば十分だ。


 しかしこの現状、ささやかな目標すら達成できそうに無かった。


「これからどうしよう。まともに金も稼げないし、とうとう詰んだかも……」


 その時、トテテという軽い足音を聞いた。続けて飛沫があがり、辺りに湯が舞い飛ぶ。相手の顔は見えないが、気配だけおおよそ何者かが理解できた。


「ケティ。遊び場じゃないんだぞ!」


「ミュゥゥイ……」


「いい湯だな、じゃねぇよ。もし仮に、他のお客さんがいたら迷惑かけた所だぞ」


 そうこうするうちに扉の開く音がする。1人風呂をのんびりと愉しむのも、これまでか。


「ケティちゃんは足が早いですね。全然追いつけませんでした」


「えっ。その声は……」


「フェリックさん、湯加減はどうですか? 私も失礼しますね」


 反射的に顔を向ければ、確かにその人は居た。湯気に阻まれてるとはいえ、見慣れた顔を隠す程ではない。ぼやっと霞む視界には、直視してはいけない人の姿が確かにあった。


「ミランダさんんん、どうして男湯に!?」


「あら、ここは男女が別れていませんでしたけど」


「あ、そうか。言われてみれば……」


 混浴なのか、ここは。どうりで安宿のくせに立派な風呂があると思った。


「あの、オレ先に出てようか。さすがに同席は宜しくないだろ」


「私は平気ですよ。湯気でお姿がハッキリ見えませんし」


「それは、そうかもだけどさ」


「フェリックさんさえ良ければ、ご一緒させてください。滅多にない機会ですから」


 風呂から出るタイミングを逃した。指先までガッチガチに固まった体は、謎のプレッシャーに支配され、思うように動けなかった。フゥとミランダが吐息を吐く。その何気ない仕草ひとつで、我ながら過剰に反応し、肩を跳ね上げさせてしまう。ある意味では、ドラゴンが迫った時よりも勝る圧力が側にあった。


「少しは落ち着きましたか?」


 不意に投げかけられた言葉に、胸がズキリと痛む。不思議なもので、衣服を脱ぎさると心まで丸裸になるのか、彼女の一言は深い部分にまで揺さぶりをかけた。


「落ち着いたよ。そんでもって、自分の不甲斐なさを痛感した」


 低くこぼした言葉を、パチャパチャと楽しげな音が攫っていく。ケティが泳ぎ回っているのだが、それに目を細めるほどの気楽さは、持ち合わせていなかった。


「オレさ、何の才能も無いんだ。家柄とかも自慢できたもんじゃない、ごく普通の村人だったんだよ。それをどうにかして変えたくってさ。何度も危ない目に遭ったし、死にそうな程苦しい経験にも堪えてきたんだ」


 帰らずの森、入江の洞窟では飢えや渇きに苦しめられた。ミスティフォレストの森では罠に背筋が凍ったし、そもそも道中の魔獣との戦いも危険がつきまとうものだ。一通りは旅に慣れ、自分なりにはレベルを上げ、転職可能な域にまで達したハズだ。


 しかし、この世界はオレの努力を認めない。必死にもがく姿を嘲笑うようですらある。


「でもダメだった。オレは成長したつもりだったけど、意味なんか無かった。村の端っこで邪険に扱われながら、ただボンヤリ過ごした頃と、何も変わっていないんだよ」


 いっその事、追い剥ぎや盗賊にでも堕ちた方が立身出世に繋がるんじゃないか。そうして世界に復讐を果たす方が、有意義な人生になるんじゃないか。そんな発想まで過るようになる。


 そんなものは悪手だと分かる反面、恨みつらみが邪道へ誘おうとつきまとう。真っ当に暮らしたい、できれば誰かしらの役に立って感謝されたい。しかし、日々の暮らしすら立ち行かない自分には、それすらも過ぎた願いなんだろうとも思う。


 湯船から出した両手を眺めて見る。程よく引き締まり、若さに溢れている。しかし何も為さない手だ。その事実が疎ましい。いっその事、片手くらい切り落としてしまおうかなんて、八つ当たりじみた怒りがこみ上げてくる。


 そんな最中、湯気の中からソッと手が伸び、掴まれた。いつの間にかミランダは隣に座り、オレの手を引き込んだ。そして、宿主に睨まれたオレの利き手は、彼女の柔らかな両手に包み込まれていった。


「お辛いでしょう、苦しいでしょう。私はフェリックさんに大恩があるにも関わらず、何らお役に立てず、今も心が張り裂けそうになります」


「どうして。君には普段から十分助けられてるし、そもそも、これはオレの問題なんだから」


 ミランダは何も答えない。ただ両手を胸元に当て、祈りの仕草を見せた。ただし、オレの手も巻き込んだ形で、だ。


 手の甲に明らかな感触がある。フニッというか、ムニュッというか、未知なる弾力が拳に伝わる。それは電流となって全身を駆け巡り、肌がひりつくような感覚と入れ替わった。おずおずとミランダの顔を覗き込んでみる。しかし、バカみたいに濃い湯気が細部をものの見事に覆い隠していた。


「ご自分を卑下なさらないでください。貴方は立派で、高潔で、勤勉な方のですから」


 耳に届いた言葉は、なぜか頭に入ってこない。とりあえず曖昧な返事だけしておいた。


「私は貴方に救われました。たとえ世界のあらゆる人々がそっぽを向いたとしても、私は貴方を敬愛し、そして何者よりも信頼します」


 そう言うと、ミランダはオレの手を強く抱きしめた。敬愛とはこんなにも柔らかで、信頼とはこれ程にも頭がクラクラするとは知らなかった。もう限界だ。そろそろ逃げ出さないと、何らかの境界線が崩壊してしまう。


「オレ、湯あたりしたから、先に上がるわ!」


 逃走は割と慣れてる。扉まで一直線に走り、濡れた体もロクに拭かずに服を着た。それから脱衣所を後にし、廊下でボヤッと過ごしていると、ミランダ達も現れた。しっとりとした青髪を後ろ縛りにする姿に、少しソワソワとさせられたが、つき上げてくる衝動には自分の腹を殴って耐えた。


「何だか腹が減ったな」


 とりあえず取り繕う。言うほど空腹ではないが、ケティが大いに賛同して飛び跳ねた。


「では、台所をお借りしましょう。残りの素材からして、イカ焼きがメインになりそうです」


「良いんじゃないか。あれ、旨いし」


 廊下を歩く間、特に気まずさもなかった。身体の火照りが抜けると共に、心も平衡を取り戻していく。


 しかし安寧は再び遠のいた。それは部屋に戻った時、眼前の光景に目を見開いた事から始まる。


「だ、誰だよアンタは!」


 見知らぬ男が侵入していたのだ。最初は部屋を間違えたかとも思ったが、空室が目立つ状況で、それはあり得ない。隅に寄せた荷物もオレ達の所有物だ。


「おい、答えろ。そこで何をしてる!」


 問い詰める声が聞こえないのか、それとも聞く気がないのか。男は気だるげな言葉を呟くばかりだ。


「うわぁシケてるなぁ。財布には小銭だけ、装備も安っちいものばかりだ」


 そんな捨て台詞を吐きつつも、剣や杖を持ち出し、部屋を出て行った。これは、もしかしなくても盗人に間違いなかった。


「待て、返せよ!」


 男は足を止める素振りも見せず、宿の外へと出て行った。その頃にはオレも頭に血が上り、一人飛び出して後を追う。目につく路地裏を駆け巡り、その姿を見つけると肩を掴んで引き止めた。


「良い加減にしろ、返さないと承知しないぞ!」


 そこで返ってきたのは謝罪でなければ装備でもない。一発の鉄拳だった。鼻先目掛けて一直線に走る拳をかろうじて避け、改めて叫んだ。


「あぶねぇ、何すんだ!」


「しつこいな。これ以上邪魔すると後悔するよ」


「なんてふてぶてしいヤツ。今すぐ衛兵に突き出してやるからな」


「泥棒だって? 何言ってるんだい」


 男が顔を歪めて笑い出した。さも、傑作の冗談でも聞いたかのようだ。


「何がおかしいんだ、この野郎!」


「僕は勇者だよ。正真正銘のね」


「勇者だと? だからって泥棒が許されるとでも……」


 その時、脳裏に過ぎるものがある。それはオレの体に寒気を起こすのに十分な力があった。


「これは泥棒じゃないよ。勇者特権であり、国王から認められたものだ。街にあるものは何だって好きにして良い。そういう契約なのさ」 


 男は鼻息で嗤(わら)いつつ説明した。まるで、物覚えの悪い子供でも諭すかのように。


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