第25話 旅のひと区切り

 はるばるやって来た最北端。丘の先は緩やかな下り坂で、街道以外は雪で白く染められている。城塞都市ノザンリデル。街をグルリと囲む防壁は、遠くから眺めるだけでも小さくない迫力が感じられた。


「すごい、大きいですね……」


 ミランダがそう、感慨深く呟いた。


「かつては東大陸から押し寄せる魔族を迎撃した、一大拠点だ。そんじょそこらの村とは格が違うよな」


「こんな所にも神託所があるのですね」


「前線基地のひとつだから。兵力を維持するのに、職業を管理できる施設が必要なんだろう」


 答えながら歩いた。人通りは多く、道すがら何人も擦れ違う。真新しい装備の若い剣士、荷馬車を走らせる商人に、5人規模の冒険者グループなど。去っていく人の方が多いのは、彼らも神託所が目当てだった為か。


 歩を進めるごとにノザンリデルが近づいてくる。すると、胸の中に熱いものがジワリ、ジワリと込み上げてくる。旅に出て一ヶ月足らずだと言うのに、やたらとイベントが盛り沢山だった気にさせられた。


「ここまで色々あったよなぁ」


「本当ですね」


 レストールの村を飛び出し、成り行きに任せてみれば魔獣に追われドラゴンに殺されかけ。それからケティやミランダと出会い、頻繁に遭難するお茶目はありつつも、こうして無事に辿り着くことが出来た。苦楽を分かち合う仲間に巡り合えるだなんて、旅立ち前には想像もしなかった事だ。


 長いようで短かったオレの旅も、ここで一区切りがつく。全ては転職ありきの旅。やがてノザンリデルが眼前に迫り、視界に収まらないほどにまで接近した。


「でけぇ壁……でも、所々壊れてないか?」


 遠くからは気付かなかったが、傍で見れば印象が変わるもんだ。切り出した石を積み上げて建てた防壁は、あちこちに穴やヘコミがあり、堅牢さに綻びを感じさせる。


「なんだか、もっとスゲェもんを想像してたけどな」


「補修が追いついていないのでしょうか?」


「さあてな。ともかく神託所だ。観光とか考察は後でゆっくりと楽しめば良い」


 そのまま道なりに進み、大きな門をくぐれば市街地だ。通りの石畳に積雪は無いので、歩くことに苦はない。また戸数も多い。通りに面した商店は大店ばかりで、露店に比べれば冗談みたいなサイズだ。裏通りも、覗き見ただけで家々が立ち並び、大人数が住まう街なのだと理解できる。


 ただし、眼を見開いて驚いたのは街の規模ではない。その活気だった。


「何だか、怖いくらいアンバランスだよな」


 大通りはそれなりに賑わっているが、装いからして皆が来訪者、つまりはよそ者だ。現地人らしき姿は、どこまで進んでも大通りには現れなかった。


 数多の商店も水を打ったように静かだ。休業中かとも思ったが、店は開いており、店員がカウンターで来客を待ち受けている。その表情は、暗い。心なしか、店内も薄暗いようにすら感じられた。


「気味悪い。ケティ、ミランダ、はぐれるんじゃないぞ」


「ミュッ!」


「フェリックさん、これからどうしましょうか?」


「ひとまず神託所へ行こう。それからは宿に泊まるなり、買い物するなりしようか」


 人の流れに続いて中心部を目指す。道すがら、見えたのはクッキリとした明暗で、もはや顔色だけで現地人だと分かるくらいだ。何がそこまで、と考えを巡らすうちに辿り着いた神託所。旅の終焉だ。


「立派な施設ですね」


「そうだなぁ。ちょっと見惚れちゃうよ」


 神託所はグルリと茶褐色のレンガで囲われており、町中の割に広々とした敷地を有していた。正面のアーチ状の門から館まで石畳が続くのだが、その左右に設えた園庭が美しい。


 整えられた草木が雪を被りつつも健気に伸び、命の力強さを無言で語る。また通路を挟むようにして飾りの石柱が立ち並び、それに寄り添うようにして水路も走る。とうとうと流れる水が、小刻みに造られた段差でチョロチョロと澄んだ音を奏でる。間断なく続く水音からは悠久というか、無限の様なものを感じさせられた。


「私は以前、東部の神託所を利用したのですが、これほど大きくはありませんでした」


「なんか理由でもあるのかもな。そんでもって遊ぶのは後回しだぞ」


 水路の傍でジッと佇むケティをつまみ上げて肩に乗せ、幾本もの飾り柱を横目に歩く。それから館へと足を踏み入れた。両開き式の大きな木戸は、意匠が実に精密で、来る者の襟を正すような迫力があった。


 中の様子はというと、いきなり大部屋だ。部屋の奥に広々とした階段がある。その先には中二階ほどの高さに、演台らしきが見える。それは木造で、壁際には女神アドミニーナの銅像があり、その頭上でステンドグラスがきらめく。辺りに降り注ぐ斜光が、焦げ茶ばかりの室内を色とりどりに染め上げた。


「先客がいるな。大人しく待つことにしよう」


 前に並ぶのは2名。うち1人は若い女性で、階下でひざまづいて微動だにしない。その一方で法体の男、恐らく神官だと思われる老夫は演台の上に立ち、厳格な態度で言葉を授けた。


「これよりそなたは、錬金術師として励むが良い」


「ありがとうございます。精一杯、新たな生を全うします」


「よろしい。往く先々に女神の加護があらんことを」


 女が頭を下げながら横にはけると、今度は2番目の男の番が来た。この頃になって、手が汗ばむのを感じる。緊張しているのかもしれない。


「フェリックさん。転職に成功した暁には、故郷に戻られるのですか?」


 ミランダの消え入りそうな声は、厳粛な場に遠慮した訳では無いのだろう。彼女の顔を曇らす暗雲を払いたい。そんな気持ちにさせる、いじらしさが漂っていた。


「オレさ、剣士になってみようかなって考えてる。そうすればギルドに入れるし、今後もグッと楽になるだろ」


「フェリックさん、それでは……」


「君さえ良ければ、一緒に旅を続けよう。世界のあちこちを探検してさ、たまに人助けなんかやってみて。どうだろう?」


「はい、どこまでもお供致します……!」


 ミランダがそっと指を絡めてきた。触れ合う肌は温かで、柔らかい。つい気恥ずかしくなって、手を離しつつ視線を正面に向けると、ちょうど次の儀式が始まる所だった。


 前の男は華奢で、歳は40くらいか。彼は小さな小袋を神官に捧げ渡すと、階段の前でひざまずき、格闘家になりたいと告げた。


「良かろう。では心より祈るのだ」


 そこで会話は途切れ、辺りに静寂が漂い出す。自分の飲み込むツバの音がうるさい程の静けさだ。


 固唾を飲んで見守る中、神官がゆったりとした動きを開始した。静かに掲げられた両手が、ステンドグラスの斜光に重なる。両手の間に七色の光球が生まれ、神官はそっと光から手を離した。すると綿毛を思わせる速度で落下し、ひざまずく男の背に落ちた。


 そして次の瞬間、眩い閃光が室内に走り、消えた。その瞬間には思わず目を見張った。なにせ転職を希望した華奢な男は、筋肉自慢の大男に変貌していたのだから。


「これよりそなたは、格闘家としての道を歩むが良い」


「ありがとうございます! これでバカにしてきた連中を見返せますよ」


「我欲の為に力を振るう事なかれ。女神の加護があらんことを」


「えっへっへ。分かってますって!」


 男が調子の良い言葉を残して立ち去ると、とうとうオレの番が巡ってきた。ケティをミランダに預け、階段の前で膝を着く。


「よくぞ参られた。転職をご希望かな?」


 神官の顔つきは厳(いかめ)しいが、声色がどこか和らいだ気がする。思い返せば、聖職者に気に入られるスキルを持っていた。それが上手いこと作用したのかもしれない。


「はい。剣士になりたいんですけど」


「一般職であれば、レベルを15まで上げる必要がある。いかがかな?」


「ええと、16なので大丈夫です」


「ふむ。では心より祈るのだ」


 神官が先程と同じ仕草を見せた。いよいよだ。この瞬間、ホームレスという職業から解放されるのだ。そう思えば、七色の光が待ち遠しくて仕方ない。両手の間を、今か今かと眺めた。眺めた。眺め続けた。


 しかし一向に、待望の光が宿る気配を見せない。


「むむっ。おかしい、力が発動せぬ」


 神官は何度も試してみたのだが、結果は同じだった。ただ延々と老人の手が掲げられるだけで終わる。


「もしやとは思うが、そなた、職業に星がついてはおらんか?」


「えっ。それって何か意味があるんです?」


「それは女神の命により、人為的な変更を禁止された証なのだ」


「まさか、そんな。オレみたいな何の取り柄もない一般人に、わざわざ特別扱いなんか……」


 笑いながらステータス画面を開いてみれば、それはオレの眼に突き刺さった。職業欄、ホームレス。その隣に星の形をした、凶々しいアイコンが。


「……すんません、ありました」


「左様か。ならば転職は叶わぬ、諦めてもらおうか」


 とんでもない言葉が飛び出した。オレの頭は静かなるパニック状態で、つい同じことを聞き返してしまった。そうして念押しに告げられたのは、転職不可という事実。その慈悲の欠片もない結末は、オレの心を凍てつかせるのに十分な破壊力があった。

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