第21話 囚われの果てに
この迷宮に足を踏み入れて何日経つだろう。睡眠を基準にすれば3日目か。相変わらず閉じ込められたままで、一切の希望もないままに、ダンジョンを彷徨う時間だけが過ぎていく。
「やっと溜まった。1杯分……」
オレ達を絶賛に苦しめるのは飢えではなく、渇きだった。持参した水筒はすでに空っぽ。付近にまともな水源も無く、十分な飲水を確保出来ずにいた。
そんな窮地の中で目をつけたのは、石壁を伝う水滴だった。地上から海水でも染み込むのか、僅かばかりの水にありつけた。塩辛くはない。小砂利が濾過(ろか)しているのか、そもそも海水ではなく湿気の集約なのかは知らんが、飲めるものは飲める。
だから錬金術で石の碗を作ってもらい、1日がかりで溜めた水を回し飲むのだ。
「さて。順番に飲もうか」
「フェリックさん。お先にどうぞ」
「ミュウミュ!」
「はいはい、ケティが最初な……って、飲み過ぎだ、交代!」
「ミゥゥ……」
「泣き言はよせ。みんな辛いんだぞ」
オレは口ではそう言いつつも、泣き言には同意だった。ひと口ふた口の水で足りる訳もなく、身体は更に寄越せと欲求を暴れさせる。飲んだ方が辛く感じる気もするが、水を断てば命に関わる。有るだけマシと考えるべきかもしれない。
「明日、いよいよ依頼の期限日となりますね」
ミランダがぽつりと呟いた。
「何だよ、この期に及んで失敗を気にしてるのか?」
「いえ、そうではなく。私達が戻らないと知れば、ギルドが捜索隊を出してくれるかなと思いまして」
「望み薄だろ。誰もやらないような依頼だ、逃げたと思われるのが関の山だって」
「そうかもしれません。しかし、考えても答えが分からない以上、希望を捨てるべきではありません」
「すげぇな。その前向きさは見習いたい」
「女神様の教えです。荒天に瞳を閉じることなかれ」
この過酷な状況でも、ミランダには気丈さが残されている。伊達に不運から愛されてないという事か。
「そもそもケチ臭い話だったろ。宝箱を開けるなとかさ、報酬に上乗せして、お宝も寄越せってんだ……」
チラリとそちらを見れば、未開封の宝箱が鎮座していた。じっと眺めていると、新たな選択肢が浮かんでくる。
「なぁミランダ。宝箱を開けてみないか?」
「それは、約束に反しますが」
「もしかすると、一発逆転の道具が眠ってるかもしれないだろ。脱出アイテムとか、秘密の地図みたいなヤツが」
「確かに、その可能性は捨てきれませんね」
「単なる武器とか、不要なアイテムだったら元に戻す。使えそうなら借りて、後日返せばいい。こちとら命がかかってるんだから」
「そうですね。背に腹は替えられません」
話がまとまれば即行動。フロアの宝箱は3つ。辺りの敵は全て倒し尽くしたので、行く手を阻むものは何もない。
「まず1つめ、いくぞ」
「お願いします……!」
固唾を飲んで見守る中、顕わになった中身とは。
「これは、武器だよな?」
「魔除けのナイフという名品のようです。その名の通り、死霊系の敵に対して特効があります」
「便利かもしれんが、今はいらねぇよな」
仕切り直し。部屋を移動して次なる宝箱に手をかけた。
開く。今度こそ、目が眩むような品であって欲しいのだが。
「クソッ! 金かよ!」
「大金ですね、しめて1千ディナはあるでしょうか」
「金は欲しいけど今じゃない、チクショウ!」
何だこれ、運命が嘲笑うかのような展開。都合良くいかないとは分かっていても、この仕打は刺さるものがある。
「フェリックさん。最後の1つですが、私が開けましょうか?」
「そう? じゃあ、頼むよ」
もはや精根尽き果てた気分だ。気怠さが強い。指先すら動かすのが億劫で仕方なく、箱を前にしても手が伸びていかない。
それを見かねたミランダが代わってくれた。最後の希望、絶望の方が色濃い箱に手をかけ、開こうとした。だがその時、予想だにしない事が眼前で繰り広げられた。
「何でしょう、この光は……?」
きらめいたのは箱の中身ではない、ミランダ本人だ。彼女は全身を白く染め上げると、霞んでいき、やがて消えてしまった。何ら痕跡1つ残さずに。
「ミランダ、どうしたんだ!」
もちろん返答はない。オレの声と、ケティの鳴き声だけが虚しく響き渡るばかりだ。
「もしかして、新種の罠なのか?」
とりあえず箱に触れてみる。するとどうだろう。オレにも白い光が宿り、視界も眩さで薄らいでいく。
「ケティ、離れるんじゃないぞ!」
「ミュッ!」
そんな言葉を叫ぶうち、意識は遠のいていった。
それからどれだけの時間が流れただろう。オレは呼び声に気がつくと、眼を開いた。そこには見慣れた顔が間近に迫っていた。
「フェリックさん、ご無事でしょうか?」
「ミランダ……。良かった、離れ離れになったかと思った」
「再会できて何よりです」
意外なほど早く合流できた。しかし手放しで喜べないのは、状況が飲み込めないからだ。上下左右を見渡し、溜息をひとつ。吐き出した息が行く宛もなく虚空に消えた。
「ここは、どこだろうな?」
「さぁ。私にも分かりません」
見渡す限り真っ白な世界だ。壁も床も天井さえも無い、奇妙な場所だった。更に言わせて貰えば、なぜか既視感のようなものも感じられる。記憶に無い光景のハズなんだが。
「どうしよう。とりあえず、歩き回ってみるか?」
「お待ち下さい。あちらで何か動きがあります」
ミランダの指差す先で七色の光が煌めいた。それはすぐに円形の石となり、石材で形作られると、続けて中央から水が勢いよく吹き出してきた。噴水だ。何も無かった場所に、大した前触れもなく出現したのだ。
サァサァと心地よい音が響く。そして、噴水の上に何者かが現れたのだが、オレ達の意識はそちらに向かない。
「よくぞ参られました、伝説の勇者……」
「ミランダ、ケティ、水だぞ!」
「ミュミュウ!」
「すみません。水を飲ませていただきます!」
「ええぇーーッ!?」
相手が困惑するのを無視して、オレ達は水面に飛びついた。頭から顔を突っ込んだり、あるいは両手で掬うなどして、思い思いに水をむさぼる。美味い、ただの飲み水がここまでとは、想像した事すら無かった。
「ちょ、ちょっとアンタ達! 話を聞け……お座り!」
初対面の人に叱られるという赤っ恥をかいたのだが、オレの胸には大して響かない。腹の隅々までもたらされた潤いが、かつてない幸福感を誘うせいだった。向き合う謎の女はしかめっ面だが、オレは溢れんばかりの笑みで向き合った。
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