第22話 精霊の祖
水の誘惑に負けたオレ達は、刺さる視線をものともせずに、心ゆくまで噴水を飲み続けた。そしてとうとう一喝を頂戴してしまった訳だ。それでも存分に潤った事だし、とりあえず謝る事にした。
「なんかゴメンな。喉が渇いて死にそうだったから」
噴水の主である人物は、改めて見ると異質な姿だった。一見する限りでは、アップにまとめた藍色の目立つ女性なのだが、背中には虹色の羽を生やしている。宙に浮くのはそれのお陰か。服装も青の濃淡でグラデーションを作るデザインで、体型に張り付くように細い仕上がり。そのくせ裾はヒザ下から大きく広がっており、噴水の概形に寄り添うかのようだ。
雰囲気からして神聖な存在だろう。しかし容貌とは裏腹に、女は自身の親指の爪をかじりにかじる。酷く神経質なのか、それともヒステリックなタイプなのか。口調も苛立ちを隠そうともせず、キンキンとした響きが強かった。
「まったく……前代未聞ですよ。霊験あらたかなる清水を飲むだなんて。しかも無作法に、何の断りも無く、顔ごと突っ込んで!」
「だからゴメンって。ほら、人助けってヤツだから」
「ハァ……。こんなのが伝説の勇者だなんて、世も末だわ」
「いや待て、何の話だよ。勇者?」
「えっ。だってアンタ、精霊界に来てるんだから勇者でしょ? 世界中のメインシナリオを達成してきたんでしょ?」
オレはミランダと顔を見合わせたが、まったく理解できなかった。ケティを見れば、退屈なのか大あくびを浮かべる始末。
その一方で、噴水の女はワナワナと震えだし、顔面も蒼白になった。
「待って待って。あのさ、ここに来たってことは、勇者の証を持ってるよね? 三賢者に認められてさ、朽ち果てた神殿で転移したんだよね?」
「何の話だよ、全く分からん」
「えぇっ! じゃあ大鳳カシミアは? 伝説の武具は? 魔神三人衆との決戦は!?」
「どれもこれも初耳なんだが。そもそもオレ、ただのホームレスだし」
「ホームレス……!」
女はまんまるに眼を見開き、それに負けじと大口を開いて叫んだ。
「ちょっとぉぉ! だったら何でアンタ達、ここまでやって来たのよぉ! イベント起こしちゃったじゃぁんん!」
「いや知らんし。気付いたら居たって感じ」
「そんな、野良猫がシレッとやって来たみたいに言わないで!」
「怒られてもなぁ。オレだって何が何やら」
「フェリックさん。もしかすると、これもバグなのでは?」
「あっ……!」
その言葉に閃くものがある。イベントワープだ。バグといえばアイテム消失ばかりかと思っていたが、こんなパターンもあるのかもしれない。
「そっかそっか、なるほどねぇ。ワープバグもあるってどこかで聞いた気がするよ」
「納得してんじゃない! どうすんのよ、イベント起こしちゃったんだから!」
「慌てる事かよ。必要なタイミングが来たら、またやれば良いじゃん」
「違うのよ。私、精霊の祖であるエレメンティアナは、一度しか実体化出来ないの! イベント重複を回避するために!」
「まぁ、構わねぇべ? どうせゲームが再開される事はないだろうし」
「万が一って事があるでしょ。アタシは勇者に最終奥義を伝えなきゃならないの。これが無きゃ魔王を倒せないから、実質、詰みになっちゃうのよ」
「そりゃ大変だな。そうなったとしても運命だろうよ」
「あぁ嫌だ。自分の責任で物語破綻だなんて堪えられない……」
恨み節の尾が長い。というのも、喋りながらオレを凝視して、眼を離そうとしないからだ。
「な、なんだよ」
「アンタ、奥義を会得しなさい。そんで、勇者に教えなさい。それでオールオッケーね、さすがエレメンティアは賢い!」
「勝手に決めんな! 何でオレがそんな面倒臭い事を!」
「別に良いでしょ。市井(しせい)に紛れる剣聖って事にしてさ。宿無しってのもむしろ雰囲気出るじゃない?」
「思いつきだろ、適当な事を言いやがる」
「まぁまぁ。本気で伝授する訳だから、アンタも使えるようになるんだよ。バリクソ強い最強奥義が」
正直言ってそこは魅力的だ。戦力の凄まじい増強は、今後の旅を盤石としてくれるだろうから。
「じゃあ、そこまで言うなら任されようか」
「オッケー。そんじゃ袖まくって腕を出して」
「急に何でだよ?」
「良いから早くする! そろそろエレメンティアさんの魔力が尽きちまうぞ?」
話がまとまるなり煽り口調か。品が良いのは見た目だけだと確信した。
「ほらよ。出したぞ」
「よろしい。それでは最終奥義を授けよう!」
かしこまった言い回しと共に、エレメンティアが気迫を込め始めた。指を2本だけ伸ばし、ゆっくりと天を指す仕草を見せる。そして勢いよく、無遠慮に振り下ろされた。打撃音と激痛。オレの右手首に強烈な一撃が浴びせられたのだ。
「いっってぇ! 何すんだこの野郎!」
「これにて伝授は完了。以後も正しき道のために使え」
「ただのシッペじゃねぇかフザけんな!」
「失礼な。しっかりと精霊の印が刻まれているでしょうに」
「これはミミズ腫れだろうが!」
「フェリックさん。ちゃんと授かったかどうか、スキル欄で確認されてみては?」
ミランダの取り成しもあって、ひとまずステータス画面を開いてみる。すると、雑多なスキルが並ぶ最下段に、大仰な言葉が追加されていた。
「最終奥義……マジだった」
「フフッ、短慮なニンゲンよ。己が不明を恥じたかしらね、クソたわけ」
「だったら早速、試し打ちしてみるか」
発動方法も分かる。片足を大きく後ろに下げ、深く屈み込む。腰をひねり、剣は寝かせて後方へ。そして万全の気合を乗せつつ、下半身のバネを一気にフル稼働し、横一文字に斬るのだ。
「グレイティフル・ギャラクシアン・ソード!」
風切り音がひとつ。それだけ。それ以外には、驚くほどに何も起きない。心なしか、オレの絶叫だけが山びこのように響いた気がする。
「不発! どうして!?」
「クスクス。何今の。カッコイイ技名ね」
「教えたヤツが笑うなよ!」
「ミュモモッ ミュモモモッ!」
「ケティも笑い過ぎだ……!」
「まさかとは思うけど。アンタさ、魔力が足りないって事ないよね?」
「魔力はゼロなんだが。魔法だって使えないし」
「その技、魔力を50消費するヤツだから」
「魔力消費……!」
最悪の知らせだ。つまりオレは、魔法職にでも就かなければ扱えない、という事だ。
「それ先に言えよ、使うアテが無くなったじゃねぇか!」
「知らん知らん、エレメンティアさんは知らんもんね。それから、勇者への伝導は任せたからね、破ったら承知しないよ」
「聞けよ、こんなもん詐欺と変わらねぇ……」
「ハァーー疲れた疲れた。話はお終いだから、サッサと帰ってよね」
「まだ終わってねぇんだよ」
「そんじゃニンゲン世界に帰すからね、宜しくどぉぞーー」
「少しくらいはフォローしろよーーッ!」
そこで意識は遠のき、腹立たしい浮遊感に包まれた。混濁する意識の中、いつしかサァサァと心地よい音が聞こえ、瞳に眩しいものを感じた。
「ここは、もしかして……!」
まぶたを開けようとする。眩しさが痛んだ。ゆっくり、ゆっくりと視界を取り戻せば、眼前に金色の穂が揺れるのを見た。オレ達は不思議な力により、地上へと戻されたのである。
「どうやら無事、帰還できましたね」
「ここは、ファーメッジ村か」
「そのようです。これで依頼も間に合います」
「ミュウミュ!」
「お、おう」
それからは全員揃ってギルドへ出向、報告。正直不安だったんだが、出迎えの顔は極めて爽やか。逆に警戒してしまうんだが、言動に裏は感じられなかった。
「いやぁ助かった! 完璧な仕事ぶりで驚いたぜ!」
「そ、そうか? 仕掛けも、魔獣も問題ない?」
「もちろんだとも! いやぁ兄ちゃん達がギルドメンバーじゃない事が惜しくて惜しくて」
「そこまでかよ。だったら報酬の上乗せをしてくれても……」
「そいつは無理な相談だ」
マスターが弾けるように笑った。話によると、入り江の洞窟では全ての仕掛けが初期化され、魔獣の数も程良く減ったらしい。無我夢中の幽閉ライフだったのだが、最後は見事丸く収まった形だ。
約束の金が手渡される。そして、ささやかながら、コネクションも出来た。それでも何か釈然としない気持ちが残されているのは、エレメンティアに刻まれた印のせいだろう。奥義伝授とかクソ喰らえ。オレは袖を下ろしてアザを隠した。
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