第20話 洞窟の奥底で

 ようやくだ。深い森を抜け、眼前に広がる海岸線。対岸は船で何日もかけて辿り着く距離なので、一面が大海原、たまに孤島が見えるという景色だ。だがそんな事はどうでも良い。依頼開始から6日目になるとかも、クソどうでも良い。


 一番の問題は、昨日から何も食っていないという事だ。


「フェリックさん、入り江の洞窟が見えましたよ」


「そうかい、そうかい」


「ミュウミュ、ミュウミュ」


「階段は無さそうですね。斜面を降りますから、足元にお気をつけください」


「そうかね、そうかね」


「ミュッミュ、ミュッミュ」


 降り立つ。錬金術で枯れ木を松明代わりにし、明かりを灯す。中は海水を引き込んだ造りとなっていた。脇の地面が歩道のように隆起しているので、そこを歩くことになる。


「御覧ください。新種の魔獣が見えます。十分に注意して……」


「よっしゃぁぁ! 飯ゲットだオラァ!」


「ミュミューーッ!」


 敵影を見掛けた瞬間、オレは駆け出した。肩に座るケティも、普段より遥かに鬼気迫る応援をかけ、後押ししてくれる。


 相対するはイカの化物。人間の数倍はある足をムチの様に振るうのだが、避けるのは簡単だった。罠で動体視力を培ったお陰だろうか。新品のグラディウスを抜き、払う。納得のキレ味。思い通りに斬りつけて両断すれば、それだけで撃破。戦闘終了だ。


「やった、素材だ、飯が食えるぞ!」


 収穫は赤い吸盤だ。それをミランダに手渡してクリエイション。出来たのはイカの姿焼きだった。立ち昇る湯気が、香ばしそうな焼き目が理性を奪い去る。


「うおっ、うんめぇ! 歯ごたえ最高!」


「フミミミ……!」


「ケティ、引っ張るんじゃなくて噛み千切るんだぞ」


「確かに美味しいですね。ようやくひと心地つけそうです」


 ひとつだけの料理とはいえ、巨大であるので食いごたえは十分だ。各々が3方から食べ進め、手早く完食したのだが、まだ足りない。腹の隙間にかなりのゆとりを感じられた。


「おっ。今度は空飛ぶ魚が居るぞ!」


 それからも『お仕事』は続く。倒しては食い、食っては倒す事を繰り返せば、ようやく腹が存分に満ちた。さらには当座の素材までも溜まり、ひと安心。この頃になれば、依頼の詳細を聞く姿勢になった。


「ギルドからは、全ての仕掛けを初期状態に戻すこと、それと魔獣数の適正化を求められています」


「仕掛けは分かるけどさ。敵の数なんて、どうやって確かめれば良いんだ?」


「地図で分かるそうですよ。この洞窟にピンを立てると詳細が出るので、そこでの評価を『普通』にまで落として欲しいとの事です」


「どれどれ、試しに覗いてみるか」


 地図を開き、言われた通りに洞窟を指でなぞってみた。するとそこにアイコンが表示され、洞窟の情報が浮かんできた。入り江の洞窟、推奨レベル15。魔獣の数は『多い』と評価されており、それを普通にまで戻せば良いらしい。


「なるほどね。これから何体相手にすりゃ良いんだろうな」


「やってみるしか無いでしょう。預かった資料には、目安さえ書かれてはいませんので」


「分かった。んで、仕掛けとやらは?」


「このダンジョンでは、石像を所定の位置まで動かすと下り階段が出現するそうです」


「それを戻すとなると、1度は最下部の手前まで潜らなきゃいけないよな。めんどくさっ」


「任された仕事ですから。多少の苦労は受け入れましょう」


 ミランダがそういうと妙に説得力がある。彼女に降り掛かった苦労の跡が、有無を言わせぬ力を宿すのか。


「まぁいいや。敵を倒しつつ、一旦潜ろうか」


 オレは手始めとして、件の石柱に手をかけた。足元を見れば、土の上に引きずった跡が残されており、数歩先で途切れる。そこまで押せば良いのだろう。


「行くぞ、よいしょっ。結構重たいな」


「フェリックさん、手伝います」


「ミュッ!」


 隣にミランダ、足元にケティが参戦すると、徐々にだが像は動いた。ズリズリと小砂利を擦る音、最後にカチリと場違いな音を聞けば、やがて振動に見舞われた。壁際にポッカリと出来た穴は下り坂。次なるフロアへ続く道だった。


「なるほどね。こういう感じか」


「仕掛けを動かす間、襲われると大変ですね。安全を確保した上で臨みましょう」


「そうだな。その都度確かめてから押すようにするか」


 砂を敷き詰めた坂を降れば、石造りの迷宮が眼前に飛び込んできた。通路や小部屋が整然と並んでおり、地下は上よりもずっと広いのかもしれない。


「灯りが欲しいな。ミランダ、オレの隣に」


「分かりました」


「そこに落ちてる小枝は罠だから、触れないように」


「あっと。ありがとうございます」


 ミランダが生成した松明は、品質が良好だった。一部屋を照らすには十分な光量で、至近距離に限れば、天井の隙間に生えるカビの様子までハッキリと見える。視界の悪さは思ったより足枷にならないだろう。


 灯りはミランダに委ねたまま、地下空間を探索していく。すると、暗闇でうごめく敵の陰を隣室に確認した。機を窺っている。そんな気配だった。


「殺気が高まってきた。オレが合図したら、ミランダは後ろに飛び退くように。ケティは応援を始めてくれ」


「はい。分かりました」


「ミュッ!」


 油断を装ったほうが良い。ノンキな足音を鳴らしつつ、殺気渦巻く闇の方へ。煌めく。金属の反射だ。グラディウスを構えて叫ぶ。


「今だ、やるぞ!」


 迫る白刃。弾く。速いが重たくはない。2撃、3撃と、後退しながら受ける。すると、追撃に出た敵の全貌が明らかとなった。


「うぇっ。ガイコツ?」


「キシャァァア!」


「こいつらは確か、ボーンフロウだったか?」


 襲いかかってきたのはボロ布をまとった人骨だ。がらんどうのハズの窪みが煌めき、真っ赤な目玉でも備えているかのよう。手にする湾曲した片刃の剣は、所々に血サビが見て取れ、激戦の様子を彷彿とさせた。


「海賊の成れの果てってところかな……。おっと危ねぇ!」


 腹のひりつくような音が高速で迫った。飛矢だ。身体を反らすと額に風を感じ、次いで壁の方からカキンと鳴る。


「なるほど。遠近どちらも揃ってるのか」


「フェリックさん。援護します」


 その言葉とともに発動したのはアクセレーション。ケティの応援もかけられているので、身体能力は瞬間的に増強した。


「今度はこっちからだ!」


 まず跳んだ。正面、剣を持つガイコツ。蹴りを叩き込み壁まで飛ばす。続けて弓手のガイコツ目掛けて走り込んだ。つがえた矢、頬を掠める。踏み込んで剣を一閃。斬るというよりは叩く感触だ。腰骨から真っ二つになったガイコツは、霞の向こうに消え去った。


 残りの一体も同じ要領だ。切り結ぶ必要も無く袈裟斬り。渾身の一撃で事は済んだ。


「あれ。素材が見当たらないな」


 姿を消す所まではいつもと同じだが、その場には何も残されていなかった。


「もしかすると死霊だからでは?」


「マジかよ、損した気分だな」


「それでも戦闘経験にはなりますから。依頼達成に必要な事でもありますし」


「分かってる。ちゃんと働くよ」


 そうは言っても殲滅してはならないので、加減が難しい。隅々まで探索はせず、仕掛けを見つければひとまず階下へ。戦闘は接敵した時だけに絞り、ダンジョンを進んでいった。


 仕事はすこぶる順調だ。ミランダの魔力回復のために小休止を挟む事はあっても、現時点で問題はない。しかも、攻略を始めて半日足らず。急げば期日内にファーメッジまで帰還できるかもしれない。


 そんな事を考えてしまった。その油断は、思わぬ形でオレ達を窮地に陥れてしまった。


「さてと。次の地下4階で最後かな」


「そのようですね。手元の資料にもそう書かれています」


「あぁ、宝箱開けてみてぇなぁ。すんごい便利なアイテムが入ってたりするんだろうなぁ」


「お気持ちは分かりますが、堪えてくださいね」


「もちろんだって。言ってみただけだよ」


 ひとまず最下層へと向かった。仕掛けを考えれば潜る必要は無いのだが、魔獣を減らすには無視する訳にもいかない。


 坂を降りると、構造は変わらない。小部屋がいくつも並ぶ広大な空間だ。すっかり慣れきったオレ達は、何ら警戒すること無く次の部屋へ。


「あれ。今、何か音がしなかったか?」


「ミュッ?」


「そうでしたか? 私には何も……」


 そこそこ遠くからカチリという場違いな音が聞こえた気がした。それが何かと考えるうち、途端に腹の底が冷えていった。


「もしかして!」


 オレは走った。ミランダもすぐ背後で伴走している。杞憂であってくれ。そう願うが、虚しくも予感は的中してしまった。


「無い! 登り坂が、脱出ルートが無いぞ!」


 勘違いではない。確かにこの部屋に3階へと繋がる道があったのだ。天井を見れば、その名残である隙間が見えるばかりだ。


 それを眺めるうち、脇腹から酸い感覚が込み上げてくる。ツバを飲み込んで堪えると、今度は受け入れがたい現実が這い寄ってきた。


「ミランダ。脱出の魔法は?」


「治癒でも錬金術でも有りません。ちなみに代替アイテムも、残念ながら……」


「どこか別の脱出路とか、救済措置みたいなものは?」


「この資料には書かれていません。どうやら上の仕掛けだけの様です」


「つまり、オレ達は……」


 考えられる事は1つだけ。


「閉じ込められた! どうすんだコレぇ!?」


 心の叫びは、薄暗いダンジョンの中で鬱陶しいまでに響き渡った。

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