第16話 名も知らぬ華

「聞け、アドミニーナ。ケツは入り口じゃなくて出口だぞ」


 自分の声でハッと気付く。目に映るのは宿屋の古ぼけた木目の天井、窓から降り注ぐ柔らかな日差し、寝息をたてながら四肢を投げ出すケティ。朝の眠たい光景だ。そんな中、1人だけ気配が違う。ベッドに腰掛けながら微笑むミランダの姿があった。


「お目覚めですか。随分とうなされてましたよ」


 彼女はそう言いつつ、オレの手を握った両手を自身の膝上に乗せている。そのせいか、随分と温かなものが感じられた。


「そうか。オレ、夢を見てたのか。全然覚えてねぇけど」


「何やら、女神様の御名を囁いてました。フェリックさんも信心深いお方なのですね」


「うぅん、そうなのか? 違う気がしてる」


「夢に見るだなんて羨ましい限りです。頻繁なのですか?」


「いや、稀にって感じだな。内容は忘れちまうし、妙に疲れるしでロクな事がない」


「傍目から察するに、困難な試練を受けていた模様です。あまりにも苦しそうだったので、せめてもの応援とばかりに手を握っておりました」


「そうなのか、ありがと。もう大丈夫だよ」


「女神様の祝福を貴方に」


 彼女は手を離す前に、オレの手を包み込んだ両手の中に、柔らかく吐息を吹き込んだ。温かだが、少し面はゆい心地にさせられる。


「ケティ、そろそろ起きるんだ。朝飯食うぞ」


「ミュミュッ!?」


「いやいや、さすがにキングスマンモスの肉なんか用意できねぇよ」


「理論上、ゴブリンの爪にして16384個分の媒介を必要としますね」


「諦めろケティ。鶏肉だって十分にご馳走だぞ」


「フミュミュ……」


 食事の準備は部屋でなんか出来ない。場所を変え、やって来た共用のキッチンダイニングは、人の姿はまばらだった。他の宿泊客はまだ眠っているらしい。


 ちなみに料理の間、ケティは寝ぼけたままなのか、そこそこ不機嫌な様子だった。食った事すらないキングスマンモスの肉に未練タラタラだ。そのくせ、鶏もも肉の塩ガーリック焼きを並べた途端、夢中になって食べるんだから。子供ってのは分かるようで分からん。


 腹ごしらえを済ませばチェックアウト。手持ちの金は、素泊まり2人プラスペットの代金を差っ引いて、残り2千8百ディナ。武具を新調するには少なすぎるが仕方ない。例のクソ衛兵に眼をつけられた訳だし、手早く村から退散してしまいたい。


「フェリックさん。これからどちらへ?」


「商店街で買い物だ。それを済ませたら出立しよう」


「分かりました。それにしても、大通りは賑やかですね」


「そうだな。ケティ、傍を離れるなよ」


「ミュウミュ」


 通りにひしめく露店は昨日より数を増しており、呼び込みの声はやかましい。もちろん人通りだって混雑してるから、ただ通過するだけでも大変だ。


「ファーメッジに来たならコレ食わなきゃ。もっちりモチ味の辛味餅はいかが? 今なら百ディナとお買い得だよ!」


「何でも入る不思議なツボ、ツボはいらんかね」


「恋する男女に必見の品はこちら! ムフフ瓶が5百ディナの大特価、これで意中の人もイチコロだぞ!」


 擦れ違う人々を避けながら歩くうち、ようやく裏路地までやってきた。そこから薄暗い道を抜ければ、ようやく商店街まで辿り着いた。


「さてと、手持ちの金は2千7百ディナか。これで買える物を探すしかないな」


「ムゥム」


「食い終わったかケティ。武具屋に行くから、汚れた手で触らんようにな」


「ミュッ!」


 店に入れば、店主が昨日と同じ文句で挨拶をくれた。こちらはというと悩む段階に無い。片隅にまとまる、見切り品コーナーへと一直線に向かう。雑然と並ぶ武器や防具からいくつかを手に取り、カウンターの前に立った。


「なぁ親父、これ全部くれよ」


「まいどあり。全部で2千2百ってところだ」


「分かった。代金はここに」


「今すぐ装備していくかい?」


 店主が勧めるので従う事にした。まずオレは麻のシャツ。これは防具と言うよりは肌着だ。以前、ステータス振り分けの時に破けてしまったものの代用品だ。鎧や盾の新調は見送る。


 その代わりに武器は新しいものだ。グラディウスという、やや短い両刃の剣だ。先端が尖っているので、払うだけでなく突くこともできる。


「それにしてもな、こんな立派な武器が8百ディナとかお値打ちじゃん」


「流行りじゃねぇからな。最近の冒険者は何かっつうとデカイ武器ばかり買いやがる。短槍やダガーだって、扱い方次第じゃ無敵だってのによ」


「まぁ、派手な戦闘が好きなんだろ。大剣の破壊力とか憧れる」


「気持ちは分からんでもないがよ」


 続いてケティ。魔獣用の装備なんか無いと思っていたが、意外にも品数は多かった。その中でも買い与えたのはリボンだった。色味は真っ赤、シルクで出来ているんだが、頭飾りだけの為に4百ディナも支払ったりはしない。


「おう、ペットの子も似合ってるな」


「なぁ親父。本当にこれ、マジックアイテムなんだろうな?」


「もちろんよ、オレは嘘が大ッ嫌いなんだ。気になるんなら、ここで試してみるかい?」


 そういって店主は、奥から木の板を引っ張り出してきた。ケティもやる気満々になり、構えた途端、板切れに蹴りを浴びせかけた。


 すると、モーションは一撃だったのに、板には3ヶ所の風穴が空いたではないか。


「おっとっと。可愛いのに立派な威力してんね」


「すげぇ、これがマジックアイテムか……」


「攻撃時のみ、クローンズの魔法が自動的に発動する。今みたいに複数回攻撃が可能になるぞ」


「有能過ぎる……これ4百ディナで良いんだよな? あとで4千とか言われても払えないぞ」


「心配すんな。ダンシングキャットを連れてるヤツが滅多に居ないってだけだ。在庫を抱えるくらいなら、安くても売れたほうが良い」


「そういう事か。ケティ、活躍に期待してるからな」


「ミュミュッ!」


 最後のお披露目は試着室から戻ったミランダだ。彼女の新装備である防具が一番値が張り、千ディナ掛かった。その理由として、ボロボロのローブなんか下取りできなかったというのが大きい。あんな服、ヘンタイでも無ければ欲しがらないだろう。


「どうでしょうフェリックさん。似合いますか?」


「おお、良いんじゃないか」


 ミランダは新たなローブに身を包んでいた。グレーを基調とし、裾や袖周りに黒の縁取りがある。女性が身につけるにしては地味かもしれないが、半裸みたいな格好よりはずっと良い。


 ちなみにそれは「宣教者のローブ」といい、普通の衣服よりも僅かばかり魔力伝導率が高いんだとか。意味はサッパリ分からんが、自身に魔法をかける時に効果が上がったり、色々と恩恵があるという。きっと良い買い物をしたんだろう。


「それにしても、もったいねぇな。せっかくの美人さんなのに、こんなノッペリとした服装だなんて華が無さすぎる」


「アンタには関係ないだろ。オレ達は納得の上で買ったんだから」


「ちょっと待ってろ。良いモン持ってきてやる」


 再び店主が奥へ引っ込むと、ガタガタと騒がしくし、やがて戻ってきた。手にしたのは焦げ茶色の革細工で、細かな模様が意匠として施されている。あまり安物のようには見えない。


「何だよそれ、ベルトか?」


「これは『淑女のコルセット』という装備だ。着けてごらん、きっと似合うはずだ」


「では、少々お借りしますね」


 ミランダは困惑しつつも、その場で装着した。腰に巻き付け、後ろで紐をギュッと締めたら完成だ。


「おぉぉ、素晴らしいな。嬢ちゃん最高だぜ!」


「おい親父。これにはどんな効果が見込めるんだ?」


「魔法効果の範囲が広がるんだ。今までより遠くからの援護が可能になるぞ」


「それだけじゃないだろ」


「何と言っても見た目! ボディラインがめちゃくちゃ強調されて、もう最高!」


「そう言うと思ったよ。ずっとそんな顔してるからな!」


 この親父、気の良いツラして危険人物か? 人の仲間をエロい眼で見やがって、この度し難いヘンタイめ。 


「そもそもだ。売りつけようだなんて無駄だぞ、もう金に余裕は無いからな」


「お代なら……要らねぇ!」


「な、なにぃ!?」


「オレはただ、道端で見掛けた名も知らぬ華を、より美しく輝かせたいだけなんだ。これはもう商売なんか度外視の、真心一本だ!」


「こいつ、そんなにもか……」


 余りの言葉に目眩にも似たものを感じた。金を理由に突っ返そうと思っていたのだが。譲ると言うのなら、一応、本人の気持ちも聞かねばなるまい。


「あんな事言ってるが、ミランダはどう思う?」


「ええと、今ひとつ理解が及びませんが、能力が強化されるのですよね? だとしたら、有り難くいただきたいです。我々には、救わねばならぬ人々が大勢待っているのですから」


「うん、まぁ、君がそう言うんなら」


 正直なところ、ミランダに派手な格好をさせたくない。薄着でうろついた時なんか、多くの男達が振り向き、宜しくない視線を向けていた。下手すると危険な眼に遭いかねず、地味に徹するのは必然の理屈だ。


 しかしこの状況はどうか。力を伸ばして活躍したい健気さと、膨らみを大きく押し出したいという、2人の劣情が重なるという珍事。本来なら折り合いの悪い両者が、今ばかりは1つの目標に向かって団結しているのだ。


 こうなってしまえば、オレに否と断る権利など存在しないのだろう。


「分かった。その好意はいただこう」


「オッシャア! 話が分かる兄ちゃんで助かるぜ!」


「それほどの事……いや、もう何も言わねぇよ」


 そうして、手厚いお見送りまで受けて、武具屋を後にした。なんだか妙に疲れたが、休む予定は無い。食品店で数日分の食料を買い求めたら、村での用事は終わりだ。


「おっし。買い物も終わったし、そろそろ出発しようか」


「承知しました。いつでも問題ありません」


 話は決まりだ。さっさと村から退散しようと思い、村外れの方を目指して歩いた時の事。オレ達の後方から追いすがる男が現れた。よく見れば、冒険者ギルドのオッサンだった。


「おぉい、待ってくれ。仕事を頼まれちゃくれないか!」


「えっ。仕事?」


「そうだよ。バカバカしくて誰もやらない依頼があるんだが、やってみないか。金に困ってるんだろ?」


 息を荒くする一方で、やたら失礼な暴言を投げつけられた。オレのこめかみに小さくない青筋が立ったのも、当然の事だと言えた。



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