第8話 出会うは壁の尻
「テオドールさん。世話になったな、忘れられない1日になったよ」
町の郊外。司祭テオドールだけでなく、子供達までも見送りに出てくれた。ただし、3つ全てが幼いむくれ顔だ。
「私共としては、もうしばらく留まっていただければとも思います。しかしながら、未来へ歩もうとする若人の前途を阻むわけには参りません」
「北端の城塞都市に神託所があるんだ。そこで立派な職業に就いてさ、手土産を抱えて帰ってくるよ。一宿一飯の恩を返したいからな」
「御身の無事こそが何よりの土産品です」
「もちろん安全第一で行くよ」
「貴方の行く末に、女神の加護があらんことを」
テオドールは両手を掲げて円を描くと、握りしめた右手を胸元に当てた。話は終わりと言う代わりか、口を結ぶと柔らかく微笑んだ。
その一方で、子供達はまだ納得した風ではない。それでもオレやケティに、頑張ってねとか、また会おうねと別れを告げてくれた。そんな温かな声援を背に、ノカドの町を後にした。
「良い人達だったな、ケティ」
「ミュウミュ」
「食料もジャガイモやら人参だとか、色々とくれたし。これで数日は食っていけそうだ」
「ミュゥゥ」
「贅沢言うなよ。野菜も食わないと大きくならないぞ」
「フミュ!」
「そうだとも。オレ達の旅はまだ始まったばかりだ!」
意気揚々と街道を北へ。時々ゴブリンが襲撃を仕掛けてきたが、もはや敵ではない。ケティの応援さえあれば勝つのも容易だった。
しかし、場所を変えれば様相も変わる。道幅が細くなり、深い森に差し掛かったころ、それは現れた。
「また厄介そうな敵が出やがったな……」
「カチカチッ。カチカチッ」
行く手に立ちふさがるのはオニスズメバチだ。体長は人間の半分くらい。優秀な飛行能力が、細やかな滞空はもちろんの事、素早い飛行も可能とする。今のオレにとって難敵でしかなかった。
「注意すべきは口のキバ、それと毒針だったよな」
「ミュッ!?」
「静かにケティ。刺激しちゃダメだ。このままゆっくり後ずさるぞ」
頭を低くして、1歩、また1歩と退がっていく。相変わらずハチに睨まれたままだが、追ってくる気配は無い。上手くいけば安全地帯にまで退避できそうだ。そう思っていたのだが。
――パキリッ。
渇ききった音が響き渡った。うかつにも枯れ枝を踏んだらしい。
「カチカチッ。カカカカカッ」
「掴まれケティ、走るぞ!」
こうなれば逃げるだけだ。自力での逃走が通用するかは不明だが、戦うよりも生存確率は高いはずだ。
枝を避け、茂みを飛び越し、未開の道を駆ける。駆ける。不意に伝わる悪寒。とっさに転がった。おぞましい羽音が身体のスレスレを通り過ぎていく。
再び立ち上がれば、ハチが前方で折り返すのが見えた。存分なスピードを乗せている。今から走り出したのでは、とてもじゃないが逃げ切れない。腹をくくるべき時が来た。
「チクショウ、やってやるよ!」
剣を抜き上段に構える。迫る羽音。敵の身体。存分に引きつけて気合の一閃。だが手応えは空虚。
「は、外した!?」
ハチは予見してたかのように斜め上に避けた。次の瞬間には敵の攻撃だ。マズイ、かわせない。尻から突き出る針が、こちらの首を目掛けて一直線に飛来する。
胃液がこみ上げる程の恐怖。死の予感か。それでも動けない。グッと身体を強張らせて、せめてもの抵抗を試みた。だが、向けられた毒針は刺さることは無かった。攻撃は寸での所で不発に終わったのだ。
「ミュミュッ!」
防いだのはケティだ。なんと高速で迫る敵の腹に、見事な飛び蹴りを浴びせる会心打。ダメージは薄い。しかし、ハチの態勢を崩す事には成功し、地面を這わせる程に追い詰めた。
「凄いぞケティ!」
このチャンスを逃す訳が無い。駆ける、跳ぶ。縦に一閃。それがハチの胸と腹の境目を両断し、致命傷を与えた。その身体は霞のように消えると、後には掌大にまで縮んだ羽だけが残された。
「うわぁ、助かった……マジで死んだかと思ったぞ」
「ミュウミュ」
「そうだな。ありがとう、お前のお陰だよ」
「ミュッ!」
ケティがどこか頼もしい顔になる。頭をゴシゴシと撫でてやれば、それもだらしなく緩んだ。その顔が愛らしくて、つい長々と構ってしまった。
「お前の活躍があれば、オニスズメバチだって怖くないな。これからも頼むぞ」
「ミュミュッ」
気合は十分。ここから城塞都市を目指して再出発だ。そんな風に快進撃を続けたい気持ちとは裏腹に、事態は絶望へと向かって傾きだした。
まず道を見失ったのが致命的だ。街道からは大きく離れ、地図もコンパスも無い現状、深い森から逃れる事は極めて難しい。延々と歩いてみたものの、出口は一向に見えず。後日判明した事だが、ここは『帰らずの森』と呼ばれる危険地帯らしく、準備も無く飛び込むような場所ではなかった。町での情報収集を怠ったのが心から悔やまれる。
日に日に目減りする食料、それに反して積み上がる魔獣の素材。例の消失バグは不要な小石やらを消していくばかりで、何の恩恵ももたらさず、オレ達の困窮する姿を嘲笑うかのようだった。
「とうとう、ジャガイモが1個だけか……」
「ミュゥゥ」
「ヤバイなんてもんじゃない。そろそろどうにかしないと」
飢え死に。不吉すぎて言えなかった言葉は、間もなく訪れる未来だった。幸いにも湖を見つけたので飲み水には事欠かない。だが、腹を水だけで満たしても、膨らむものは少なかった。
「どっかに果実でもあればな。不味くても食えりゃ何でもいいんだが……」
「ミュゥゥ」
「どうしたケティ。そっちに何かあるのか?」
「ミュミューーッ」
「おい、待てよ!」
唐突に走り出した背中を慌てて追いかけた。速い。空腹とは思えないほどの速度だ。オレは、もつれる足をどうにか制して、見失いかけそうな後ろ姿を懸命に追いすがった。
それからしばらくして。木々を抜けると、やや開けた場所に出た。だが残念な事に、森を抜けた訳ではないと、一望しただけで判った。
「なぁ、ここが何だってんだよ」
辺りには洞窟と、切り立った崖が見える。これが何なのかと問い詰める前に、再びケティは走り出した。また追いかけっこかと思えば、その足はすぐに止まる。
「えっと、なんだコレ?」
ゴツゴツとした岩肌の続く中、とんでもなく場違いな物が現れた。丸みを帯びたローブに足首、革のブーツ。まるで上半身が壁に食われでもしたかのような、不思議すぎる生き物が目の前にある。
「これ、魔獣じゃないよな……?」
「ムムゥ、ムムゥーー!」
オレの気配を察知したのか、足が激しく暴れだす。ローブの裾が高くまくれ上がり、柔らかそうな腿が露わになった。
「もしかして人間なのか?」
「フムムゥーー!」
「ええと、どうすりゃ良いんだ。ひとまず引っ張るぞ!」
埋まりかけた腰を掴み、懸命に引いてみる。動かない。今度は渾身の力で、全体重もかけて試してみた。すると、その身体は徐々に解放され、やがてスポッと岩壁から抜けた。
「プハァ! 死ぬかと思いましたぁ!」
赤い顔が激しく咳き込んだ。よほど苦しかったのか、空気との再会を全力で応じるかのように、肩を大きく上下させた。
じっと待つ事しばし。救出した女性が居住まいを正してこちらを向いた。蒼い長髪をとかし、薄汚れた白のローブを叩いて伸ばし、背筋までも美しくする。それに釣られて、オレも服の埃を払い除けた。
「ありがとうございます。お陰様でこの命、救われました」
そう言って、胸元に握りこぶしを作った。テオドールと似た動き。聖職者なのだろう。
「怪我はないか?」
「はい。あれほどの眼に遭ったのですが、掠り傷すら有りません」
「そうか。そんでもって、会っていきなり頼むのもなんだけど……」
「何かお困りですか? 命の恩人です、遠慮なさらず何なりとお申し付けください」
「食い物が余ってたら分けてくれない?」
恩を着せてから唐突に飯をねだる。かつて、ここまで格好の悪い場面はあっただろうか。空腹に苛まれているとはいえ、やはり恥は恥と感じてしまうらしい。
だがオレのおかげで彼女は窒息死から免れ、こっちも餓死から逃れる事ができる。ここに不幸な人なんか居ない。持ちつ持たれつ。分け合えば満ち足りる、とはちょっと違うが、とにかくはそういう事なのだ。
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