第7話 万緑のお茶会
「どうぞフェリック、楽にしてください。アナタの分も用意しますポヨ」
いつの間にか現れた女は、テーブルと椅子2脚を無から取り出した。更には薄緑のテーブルクロスに、金で縁どられたティーセット、そして蒼いバラの一輪挿しまでが続々と卓上を飾る。
トポトポ響くと温かな音、立ち昇る湯気。それを素直に「美味しそう」と感じるには、あまりにも脈絡がなく、そして不条理だった。ただし敵意までは感じ取れない。落ち着き払った口調や、耳ではなく心に染み込むような声色に、気を許してしまったのだろうか。
「今度はさすがに警戒しないのですね。喜ばしい限りです」
女は眩い笑みを振りまいた。実を言うと、誰かに助けを求めようかとも思いはした。この反応からすると、踏みとどまって正解だったかもしれない。
「まずはお座りなさい。立ち話など無粋というものですニャン」
「えっと、なんつうか、気になる事が多すぎて」
「失礼。この語尾でしたらバグの侵食が原因です。気を付けてはいるのですが、不意に乱れてしまいます」
「いや、そこも気になるけど、違う。アンタは何者だよ?」
「あぁ、それも忘れているのでしたね。私は管理者アドミニーナ。地上界では女神と呼ばれる存在でニーナ」
「女神……様?」
彼女はオレの困惑など取り合う素振りを見せなかった。金色の長い髪を耳にかけ、2杯の紅茶を交互に注いだ。はねた飛沫が純白のドレスにかかるのだが、不思議と汚れた風にはならなかった。
「準備ができました。どうぞ、アナタの好物カモシレンティー、砂糖は2杯」
「そんなもん飲んだことねぇぞ」
「きっと気に入りますよゲヘヘッ」
不気味だ。知ったような口ぶりに加え、語尾のニュアンスが不信感を加速させる。だがやはり、逃げたい気分にはならず、素直に対面側の椅子に座った。そしてティーカップに唇を浅く付け、僅かにすすってみる。
「……美味いな、これ」
スッと刺す渋みの後、強めの甘みが押し寄せてきた。これまでにない味わいだ。これまでの疑念などスッカリ忘れてしまい、ひたすら紅茶を飲み進めた。
その間にアドミニーナも、自分の分に口を付けていた。その時、どこからかそよ風が吹き、彼女の頬をなでた。滑らかな金色の髪が揺れ、辺りには虹色の光がいくつも舞い、やがて消えた。素直に綺麗だと思う。感じたのは女性的というよりは、神秘的な美の方だったが。
「覚えていないでしょうが、アナタを招くのも3回目となります」
「そんなにか? 全く記憶にないんだが」
「そうでしょうね。目覚めれば、ここでの出来事など忘れてしまいますから」
「意味がわからん。忘れちまうのに、なぜ招待するんだ?」
「アナタに、世界を救っていただきたいからですモッチ」
「話が飛躍しすぎだな……」
オレは困惑を隠す気すら失せていた。しかしアドミニーナは、さも予定していたかのように、淡々とした口ぶりで語り始めた。
「我々の住まうゲーム世界は、攻略を放棄されてしまいました。プレイ時間は僅か数時間。捨てられるにしても、非情なまでに早すぎる決断でした」
「それくらい知ってるよ。オレも前職の時は、現れない主人公を何日も待ち続けたもんだ」
「これにて世界は停滞します。勇者の救世が進まないからです。人と魔族の争いは終わらず、数多の社会問題は何ら解決されず、延々と不幸の連鎖が続く事になります」
「まぁ、そうなるよな。勇者が魔王を倒すまでは、ずっとこのままだろうさ」
「現状維持が許されるのなら、まだ幸せな方でした」
「どういう事だ?」
アドミニーナは言葉を一度切り、紅茶で口を湿らせた。これまでの話を飲み込んでおけ、という暗示なんだろうか。
「この世界が設計どおりであれば、たとえ100年過ぎようとも同じ形でいられるでしょう。ささやかな変化は起こるにせよ、大筋で適切なバランスを保ちつつ、営みが続いていくのです」
「本当かよ。魔王が放置されてるんだろ。そのうち、オレたち人間が滅ぼされたりしないのか?」
「ええ、タイムオーバーの無いゲームですから。そもそも、魔王や魔獣などは管理された脅威です。必要以上に恐れる必要はありません」
「そうなのか。全く意味が分からん」
「魔王は絶大な力を持つにも関わらず、設定通り居城を離れようとしません。魔人や魔獣も、指定区域に留まるようプログラムされています。また、商隊を襲わないといった、禁則事項などもありますかね。獰猛で悪辣な獣の割には、妙に優しいと思いませんか」
「優しいだって? オレはつい先日、ギガントドラゴンに食われそうになったんだ。生息域もデタラメだし、管理された脅威だなんて思えんぞ」
「はい。それこそが世界の脅威、バグの存在です」
アドミニーナが、いつの間にか額に汗をかいていた。そよ風の吹く、程よい陽気であるにも関わらず。
「バグの猛威がシステムを脅かし、世界には綻びが生じるようになりました。魔獣の分布が狂うなど序の口。条理という条理は乱され、人も魔も死に絶え、混沌の世界だけがニョッキリニョッキ」
「……今、何て?」
「目覚めし青年フェリックよ、未来を託します。戦う術を持たぬアナタに、特別な因子を、紅茶に含ませ、差し上げました。それが才能として発芽し、開花するよう、努力を忘れず、どうだオジサンのモノは立派だろう?」
「おい、アドミニーナ!」
「すみません、気分が優れず。北を目指して旅立って。縁ならつむぎました。そこで出会う人は、必ず役立つ。今後を見据えた上で植えで飢えでウ絵でデデででででデで」
「どうしたんだ、しっかりしろ!」
「さ、さよなら。幸運があれば、また、どこかで」
次の瞬間、強い風が吹き荒れた。眼前の光景が端々から千切れて消えていく。まるで砂で造られた小山が波にさらわれるかのように。草原もテーブルも、そしてアドミニーナ本人も同じ運命をたどる。その顔に、泣き笑いの表情を浮かべながら。
「待ってくれ!」
気づけば、オレは毛布に抱いていた。かすかなイビキ、幼い寝息。子供たちは四肢を投げ出して寝入っている。それらを見聞きするうちに、自分の置かれた状況をゆっくりと把握した。
ここは教会、オレは客。そう思った瞬間、胸の焦りはスコンと消えてしまった。それこそ魔法でもかけられたかのように。
「あれ。何かあったっけ……?」
妙な夢を見たのは覚えている。それでも、何がどうなったのか、詳細を全く思い出せなかった。僅かでさえ印象なり、イメージなりが浮かんで来ないのは不思議だが、夢とは案外そんなものかもしれない。
「まぁいっか。とにかく北へ向かおうかな」
訳の分からんことよりも現実問題だ。神託所へ赴き、手堅い職業を得る目的は変わってなどいない。
そろそろ動き出してみるか。オレは大きくノビをして、肺に新鮮な空気をガッツリ取り込んだ。気力体力ともに十分。旅立つにはうってつけのコンディションだった。
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