第6話 女神の導き

 テオドールに案内されたのは教会の奥、古びた食堂だ。妙に暗く見えるのは、黒ずんだテーブルや食器棚の圧迫感のせいだろうか。だが窓辺に飾られた珍しい華が、まるで尖った白帽子の様で面白く、辺りの重苦しさを和らげてくれた。一輪挿しにここまでの力があるとは知らなかった。


「どうぞフェリックさん。お客様に出すような料理でもないのですが」


 テーブルに置かれた椀は2つ、湯気立ちのぼるスープが並々と注がれていた。コーンの甘い薫りが鼻先をくすぐり、オレ達は飛びつくのを我慢できなかった。


 吐息で冷ますのもそこそこに、熱々のスープをすすりだした。具は少ないながらもジャガイモがある。出来たてなのか、かすかに歯ごたえが残されており、それがまた口中に喜びを誘うのだ。


「うん、美味い! お椀まで舐めたいくらいだよ」


「ミュウミュ」


「こら、意地汚いぞ。本当に舐めるんじゃない」


「ミュゥゥ」


「しょうがないだろ。まさか無一文になるとは思わなかったんだから」


「ミュッ! ミュウ!」


「いやいや、お金を稼ぐのは大変なんだよ。そんな風に考えてると痛い目みるからな」


 ここでふと、テオドールの顔が眼に映った。というのも、彼の表情が大きく変わり、両目を見開いていたからだ。


「あっ、すまねぇ。色々とマナーが悪くってさ」


「いえ、そうではありません……。しかし驚きました」


「驚いたって、何が?」


「フェリックさん。貴方は魔獣の言葉を理解できるのですね?」


「そうだけど……って、あれ? テオドールさんは分かんないの?」


「私には、子猫の愛らしい声だとしか」


「オレもさ、言葉そのものが聞こえる訳じゃない。何かこう、意思がブワァと伝わってくる感じでさ」


「申し訳ありません。私のような未熟者には難しい話です」


 弱々しく首を振る仕草に、こちらの方が驚かされる想いだ。まさかケティの言葉が通じてないとは。てっきり、誰もが会話できるものとばかり思っていたが。


「それはそうと、食わせて貰ったお礼がしたい。薪割りとか、草むしりとか、何かあれば」


「お気持ちだけで結構です。そう、言いたい所ですが……」


 窓の方を見てみれば、そこには泥だらけの顔が並んでいた。オレと眼が合うと2つ、遅れて1つの頭が枠の外へと隠れ、すぐにクスクスと笑う声が聞こえてくる。


「子供たちが、お二方に興味津々の様子でして」


「分かった。しばらく遊び相手になってくるさ」


「ありがとうございます。女神様のお導きに感謝するばかりです」


 テオドールはそう呟きつつ、柔らかく握りしめた右手を胸元に当てた。信心深い人なんだろう。まぁ職業柄、当然の事か。


 それからオレ達は童心に還って遊びまくった。追いかけっこに剣術ごっこ、虫取りに隠れんぼ。特に少年2人は元気一杯で、底知れぬ体力には微かな嫉妬すら覚える程だ。


「ハァ、ハァ、この体力お化けどもめ」


 その一方でケティは女の子の世話をしている、いや、してもらっているのか。毛づくろいだったり、お揃いの花冠を作っては着飾ったりと、随分ノンビリお過ごしのようで。羨ましい。オレもそっちで穏やかな子守りに勤しみたいものだ。


 そうしてボンヤリしていると、オレの尻に木の棒が叩きつけられる。そこからはまた剣術ごっこに逆戻りだ。息を整える間もなく、延々と素人剣技の相手をさせられるとは。いや、かく言うオレも素人そのものか。


 やがて日が傾き、ヒグラシがチキキと日没を惜しむ頃。テオドールがゆっくりとした足取りで現れた。


「フェリックさん。本日はありがとうございました。お陰様で溜まっていた仕事も捗りました」


 子供たちは「まだ遊びたい」と不満気だったが、強く逆らうことも無かった。


「もうじき日が暮れます。あばら家ではありますが、もし宜しければ泊まっていかれますか?」


「ありがとう、そう言ってくれると助かるよ。さすがに2日続けて魔獣と追いかけっこは勘弁だからさ」


「承知しました。では、こちらへ」


 テオドールは特に触れなかったが、晩飯の用意もあった。昼に出されたスープにカチカチのパン、ひとつまみのチーズが食卓に並ぶ。


「テオ先生、もう食べないの?」


 年長の少年が問いかける。確かにテオドールは半分ほど手を付けただけで休み、辺りの様子を温かに見守っていた。


「私は多くを食べる必要がありません。お腹が空いてるなら、どうぞ遠慮なく」


「ほんとに? やったぜ!」


「ズルいよ兄ちゃん、僕だって食べたいのに!」


「分かりました。ではセリスとジャンで2等分なさい。分け合えば満ち足りる、ですよ」


「なんだよそれ。1人で食ったほうが満足するじゃんか」


「今はそう感じても、いずれ分かる日が来ますよ。ですが、ミーシャは既に理解しているようですね」


 話を振られた少女はというと、両肘を机に立て、掌の上に満面の笑みを乗せている。そして温かな視線をケティに注ぎながら、張りのある声で答えた。


「だって先生。この子はとっても可愛いの。小さな妹が出来たみたいだわ!」


 やっぱりテオドールは聖職者だ。言葉の端々に徳の高そうなセリフが飛び出すんだから。


(それに引き換え……)


 チラリと隣を見れば、無心になって皿を舐めるケティの姿があった。隣の女の子、ミーシャからパンの端を恵んでもらったのに、この態度だ。分かち合うという思想は、ケティには難しすぎるらしい。オレも教育とやらを意識する必要があるんだろうか。


 そうして食事が終われば、あとは眠るだけ。あてがわれた寝室で全員が雑魚寝だ。テオドールは仕事があると言い出ていったが、すんなりと眠れそうになかった。


「ねぇ兄ちゃん。外の話を聞かせてよ!」


 爛々と輝く瞳が並ぶ並ぶ。まぁ、追いかけっこよりはマシというもの。これまでの体験を、出立の経緯はうまく省きつつ、その一方で叙情的に旅を語ってやった。


「どうにか逃げ延びたオレだがな、まだピンチは終わってなかった。あぁ、恐ろしい。なんとその森にはだな……」


「森には……?」


「とんでもねぇドラゴンがドォーーン! バシンのズギャーーンってなもんよ!」


「ギャアーーッ!」


 そのようにして賑やかな夜が過ぎていった。やがて1人、また1人と毛布にくるまると、3人とも寝息をたて始める。ようやく本当の消灯が訪れた。


「ケティ。オレ達も寝ようか」


「ミュミュぅぅ」


 オレの肩で舟漕ぐケティを寝かしつけ、空いたスペースで寝転んだ。安心して眠れる事のありがたさよ。一刻も早く安住の地を見つけねばと、そんな気にさせられた。


 そして寝転んですぐの事、まどろみが早くも訪れた。無駄に起きる理由もなく、なすがままに意識を手放した。身体に微かな浮遊感があるのは、認識する以上に疲労が溜まっているせいなのか。


「こんだけ疲れてりゃ、ガッツリ眠れるよ……」


 そう思った矢先の事。辺りには突如として光が舞い込み、閉じたはずの眼を眩ませた。まるで唐突に夜が明けて、太陽でも昇ったかのようだ。


「えっ、何だコレ!?」


 恐る恐る眼を開いてみたが、それでも事態は理解できなかった。周囲には床も壁も、布団もない。ケティや子供達の姿も見えない。いや、それどころか、地面も空もありはしなかった。


 一面が白、まるで新品のキャンパスにでも放り込まれたような錯覚を覚えるばかりだ。


「夢だよな。こんなもん、そうに違いない」


 何の気無しに上の方を見る。するとそこに青い波紋が浮かび、やがて一面を紺碧に染め上げた。部分的に残された白色は雲のように見えなくもない。


「いったい何が起きてんだ……」


 今度は一迅の風が吹いた。すると、足元には色彩豊かな草花が広がり、遠くの方までも美しく染めていく。気づけば小川らしきものまで見え、微かに流水のチョロチョロという音まで聞こえる始末だ。


「おかしいな。この景色、前にも見たことあるような」


 オレの言葉が呼び水となったのか。背後から女の声が返ってきた。


「お待ちしておりましたにゃん、フェリックよ」


 音もなく現れた謎の人物。そいつは昼間に見た幻の女と瓜二つだった。


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