第5話 楽にならない暮らし

 どうにかして夜を明かし、迎えた翌朝。深夜まで逃げ通しだった身体は重たく、腹のど真ん中に泥水でもブッ込んだかのようだ。それでも今日という日を生きねばならない。まだ寝ぼけ眼のケティを肩に乗せると、ノカドの町へと再訪した。


 小さな門は難なく通過。町を縦断する石畳通りを行き、中心部まで来れば立派な建物を眼にする。古びた平屋の並ぶ中でやたらと目立つ、2階建ての木造建築。冒険者ギルドだ。


「ケティ。ここでは仕事を斡旋してくれるぞ。それ以外にも素材を買ってくれるから、ゴブリンの爪が売れると思う」


「ミュウミュ?」


「アハハ。流石にお金持ちにはなれねぇよ」


 大金にはならなくとも、当座の生活費にはなって欲しい。せめてメシ代と宿賃くらいには。


 木戸を押し開けると、中の様子は意外と明るかった。壁に散りばめた雑多な紙がうっとおしいが、木面の床に降り注ぐ日差しが眩しく、施設の荒っぽいイメージに反して爽やかだ。


 向かって正面にはカウンターがあり、店主らしき男はこちらに手を振って挨拶した。気さくそうな雰囲気。割と親切なタイプかもしれず、幸先は良さそうだ。


 だが淡く抱いた期待は、アッサリと踏みつけにされてしまう。


「悪いが、その素材は買い取れない」


 ヒゲ面の、筋肉オバケみたいなオッサンが首を横に振る。チクショウ。旨いもん食ってそうな身体しやがって。


「どうしてだよ。これは偽物なんかじゃないぞ」


「分かってる。問題はお前さんがギルドメンバーじゃないって事だ。一般人からの買付けは禁止されてるんだよ」


 そんなルールがあるとは知らなかった。そりゃあモブ村人には不要な知識ですから。


「どうしても買い取ってくれないのか?」


「つい先日までは、メンバー外からも半値くらいで取引していたんだが、なぜか禁止扱いになったんだ。悪く思うなよ」


「だったらギルドに入るよ。そしたら買ってくれるんだろ?」


「そうだな。お前さんが条件を満たしたなら、だけどな」


「条件って?」


「職業が戦士や格闘家、治療師、魔術師などの戦闘職であること。ちなみに上級職でもオッケーだ」


「む、村人は?」


「いくつかの審査が必要になる。能力と適正次第では合格だ」


 だったら悩むまでもない、審査を頼むべきだ。今の財産ではパン切れ1つ買えないのだから。


 改めて職業を問われたので、ステータス画面を開いてみる。しかしそこには、思わず驚愕するほどの言葉が刻まれていた。


「えっ。ホームレスになってる!?」


「どうした。自分の事だろ、把握してないのか?」


「違うんだよ。オレは村人だったのに、今確認したらホームレスになってて!」


「あぁ。お前さん、上役に許可なく村を飛び出したろ? 察するに夜逃げとか、逃亡とか」


「うっ……」


 彼が言うには、職業は境遇や行動で変わる事もあるらしい。神託所を通さない変化は基本的に悪いものばかりで、世間様には通用しない職業だらけなんだとか。


 例えば盗みを働けば盗賊になり、洞窟に引きこもれば世捨て人、他にも途方も無いヘンタイとかあるそうだ。最後のは良く分からんが、ともかくオレも変わってしまったのは確かだ。言われてみれば、村に定住しない村人ってのもおかしい。


 そして僅かな望みを託して確認してみたが、やはりホームレスは審査すら不可との事。柔らかな物言いだったが、確たる拒絶を突きつけられてしまった。


「どうすんだよマジで。打つ手無しじゃねぇか……」


「まぁ、そう悲観するなよ。ホームレスにも固有スキルがあるんだぞ」


「そんなのあるのか?」


「スキル欄を見てみろ。そこに『聖職者の知人』ってあるだろ」


 言われてみるば、挨拶初級の傍にそんな単語が並んでいる。


「何に使えるんだ?」


「教会に行ってみろ。飯を食わせてくれる。状況次第じゃ宿泊も頼めるかな」


「えっと、そんだけ?」


「さぁてな。オレからしたら専門外の話だからさ」


 彼はそこで仕事があると告げ、丁重にオレ達を追い返した。町の往来へと戻らざるを得なかった。


 足取りが酷く重たい。こうも見事にアテが外れるとは考えもしなかった。まさに暗礁に乗り上げたという感じで、お先真っ暗の気分に苛まれた。


「ともかく、教会に行ってみるか」


「ミュウミュ」


「そうだな。きっと何とかなるさ」


 それからは道なりに歩き、村の外れまでやってきた。辺りは木の柵があるくらいで、広々とした環境だ。子供たちも棒切れ片手に草原を駆け回り、あるいは地面に大きな絵を描くなどして、全力で遊びに熱中していた。


 そんなあどけない騒がしさの向こうには、大きな寺院が佇む。苔とツタに塗れた石造りの施設は、これまで見た中で最も歴史を感じさせた。


「あのぅ、すみません」


 掃き掃除をしていた老人に声をかけてみたところ、彼はゆっくりと振り向いた。曲がり切った背中だが、顔には慈愛と強さが滲み出していた。服装もただの町人ではない。身につけるローブや頭巾は聖職者の物だ。白を基調とした紫縁の布に、折り目が美しく刻まれている。


 使用人などではない事を聞くまでもなかった。


「ようこそ、道に迷いし我が兄弟よ。私は司祭テオドール。何かお困りのようですな」


「きょ、きょうだい? 初対面だよな」


「これは失礼。不思議と他人には思えず、馴れ馴れしい口の利き方をしてしまいました。どうかお許しを」


「いや良いんだ。それより腹が減ってて、そんでもって、お金も……」


 いきなり飯をねだるとか、我ながらヤバイと思う。それでもテオドールは顔を曇らせたりはせず、柔らかく微笑んでくれた。


「さぞやご苦労なさったでしょう。十分にとはいきませんが、温かなスープくらいはご用意できます。中へどうぞ」


「あの、こいつも連れて行っていいかな。魔獣だけど相棒で、気の良いヤツなんだ」


「敵意無き者を拒む理由などありましょうか」


 テオドールが軋む扉を引くと、その内部が露わになる。真っ先に瞳に飛び込んできたのは聖堂だ。椅子の背もたれが並ぶ向こう側に、女性をかたどる石像がある。時間が良いのだろう。ステンドグラスから差し込む日差しが、像の横顔を宝石のように彩っている。


(あれ、なんだ……?)


 強い耳鳴りとともに目眩が押し寄せてきた。眼を開けてられず、まぶたをギュッと閉めて苦痛に耐えた。すると不思議なことに、閉じたはずの両目に、とある光景が飛び込んできた。


 それは1人の女だった。草原の上に立ち、こちらに微笑みを投げかけてくる。


(誰だ……?)


 面識は無いはずだ。それなのに、なぜか懐かしい気にさせられる。そんな人物が脳裏に浮かんだ理由は分からない。


「どうされました。ご気分が優れませんか?」


 再び目を開けば、テオドールが困惑顔が見えた。


「す、すまん。ちょっと疲れてるだけだ」


「そうですか。では差し支えなければ、女神アドミニーナ様にお祈りを」


「分かった」


 口ではそう答えたものの、自分でも分かるくらいに上の空だった。


 さっきの女性は何者なのか。少し長めの祈りを捧げる間、返す返す考えていたのだが、やはり思い当たる人物は思い浮かばなかった。 


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