尊くなんかなくていい
サヨナキドリ
敬介と貴志と奈緒
尊いという言葉が、この一年でずいぶん嫌いになった。
それは、傍観者の言葉だ。
「奈緒さんは何食べる?お金なら出すからさ」
「あああ、アタシはいいです!なんというかもう、お二人が一緒にご飯を食べているところを見ているだけで胸がいっぱいなので!」
手をぶんぶんと振って、2つ下の後輩の奈緒は固辞した。放課後の、手頃なイタリアンを出すファミレス。
「んなこと言ったって、お前の前にだけ食いもんが無いのも収まりが悪いだろ」
隣に座る貴志が不機嫌そうに言って奈緒を縮こまらせる。見かねて僕は助け船を出した。
「じゃあ、3人で何かシェアするものでも頼もうか。ピザ……マルゲリータとか」
その言葉に貴志はこちらを見て小さく口角を上げた。僕は微笑み返す。貴志なら、マルゲリータを選ぶだろうなと思ったのだ。
「尊い……!」
正面の席から聞こえてきた声に、思わず苦笑いになった。向き直ると、奈緒が感極まったような様子で両手で口を押さえていた。そんな様子を見ていた貴志が、大きなため息を吐いて僕に言った。
「言っとくが、これはお前のせいだからな?俺は別に人数不足で文芸部が廃部になる分にはそれで良かったんだ。それをお前が1人で勝手に駆けずり回って——」
「1人で、ではないですよね。貴志先輩が敬介先輩のために必死で頑張ってるところも、私見ていましたから」
スンッと落ち着き払った様子で指摘する奈緒を貴志は眉間に深い皺を寄せて睨んだ。
「……1人で勝手に駆けずり回って、最終的に『一番近くで僕たちのことを見てていいから』なんて殺し文句でこのストーカー女を入部させたのはお前だからな」
「あはは。……でも、この一年、楽しかっただろ?」
僕は苦笑いしつつも貴志に問い返した。貴志は頬杖をつきながらそっぽを向いて返事をする。
「……まあ、悪くはなかった」
「尊い……!」
貴志の顎から手がカクッと外れた。
僕は尊いという言葉が嫌いだ。僕は、僕たちを見て欲しいんじゃなくて、僕を見て欲しかった。僕と向かい合って欲しかった。
それから数日後。貴志は部室に入ってくるなり不機嫌そうに先に来ていた僕に言った。
「なに悩んでるんだよ敬介」
唐突な言葉に驚いて目を丸くして返事をした。
「え?そんな顔してたかい?」
「何を悩んでるのか聞いてるんじゃねえぞ。『なんでお前は悩むだけで何もしねえんだ』っつってるんだ。そこでうじうじ悩んでたら、世界の方から変わってくれるとでも?ずいぶん甘ったれたもんだな」
「……お前に何が分かるんだよ」
「分かんねえだろ。俺にもお前にも。だから、確かめて来いっつってんだろうが。……卒業まで、時間もねえんだから」
僕は眉を吊り上げながら部室のドアに手をかける。そして
「ありがとう、貴志」
それだけ言って部室を後にした。
「先輩、どうかしましたか?」
突然呼び出された奈緒は戸惑った様子だった。
「……奈緒さん。僕のこと、どう思ってる?」
「え?それは……優しくて友達思いな素晴らしい先輩だと思っていますよ?」
「そうじゃなくて、君と僕の関係についてどう思う?僕がいつも君のことを考えているとしたら、僕が君をずっと抱きしめたいと思っていたとしたら、僕が君を好きだと言ったら君はどう思う?」
「そ、そんなこと、想像したこともなかったので」
奈緒は目を泳がせて顔を伏せた後、躊躇いながらも頬を染めてこたえた。
「——でも、それはとても幸せなことだと思います」
敬介が出て行った部室で俺は深いため息をついた。
「お疲れ様」
見計ったようなタイミングで部室のドアが開いて顧問の佐々木が入ってくる。
「……どこから見てた」
「ん?何を?」
すっとぼける佐々木に俺は舌打ちした。
「……いいのかい?君も彼女のことが好きだったんだろう?」
少し真剣なトーンになって佐々木が俺に問いかける。俺は斜め上を向いて、遠くを見ながら応じた。
「奈緒が笑いかけてくれてそれを敬介が困ったように笑って見てるのと、敬介と奈緒が笑いあってるのを俺が不機嫌に見てるのなら、2番目の方がしんどくないなと思っただけです」
「尊い友情だな」
そう言った顧問を俺は苦笑い混じりに睨んだ。
「やめてください。この一年でその言葉がずいぶん嫌いになったんで」
尊くなんかなくていい サヨナキドリ @sayonaki
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