第6話 虚空の王

【TIPS】


 魔導回路=魔族だけが持つ、魔法を起動する為に必要な器官の一つ。体表に皮膚と同化した形で存在しており、基板の回路みたいな模様として刻まれている。肉眼ではあまり見えないが、魔力が一定量以上注ぎ込まれると発光現象と共に表出する。魔族は主に、体内で練り上げた魔力をこの魔導回路に流す事で魔法を発動する。


   ●


【MVR仮想空間内/森林ステージ中央】



 弄月神楽は歩く台風だ。常に豪風を身に纏いながら、風属性のエネルギー体を球状に変形させて射撃を行ってくる。攻撃形態は羽夜の【スパークルバレット】と同じだが、一発の威力が桁違いだ。たった一発で、大木を真っ二つにしてくる。

「あははははははっ!」

 神楽が哄笑を上げて魔法を乱打してくる。向かい風に負けないよう【ヴェローチェ】の出力を全開にしてはいるが、それでも移動速度に制限が掛かる。彼女の通常攻撃魔法――【ストラトスシューター】の回避も難しくなってきた。

 緑の光球が四方八方から襲ってくる。たったいま、一発が頬を掠めた。

「……!」

「凄い凄い! 全部かわしてるよ!」

 余裕のつもりなのか、神楽がその場から動かずに笑っている。

「君の動きは知ってても予想出来ないからねぇ! 思った以上に楽しいよ、渕上羽夜!」

 こうして笑っている隙に、耀真が彼女の横から発砲。【ブランクバレット】が、ぴたりと彼女の頬の手前で止まる。

「ふぅん? 風の隙間も狙えるんだ。凄いね、君」

 神楽が攻撃の手を止める。

「ところでさ、何で君はボクの意識の動き方を知ってるの? さっきからずっと、ボクが嫌がる方向だけ狙ってるよね?」

「こっちの質問にも答えろよ。お前、本当に俺の事を覚えて無いのか?」

「知らないね。事前情報での戦闘データぐらいしか、君の事は覚えてないや。無論、そこの渕上さんもね」

 やはり、彼女の中では耀真は初対面扱いか。

「ボクはここに来る前、この学校の目ぼしい連中の事は大体勉強してきたんだよ。その中でも一番楽しそうな相手が、天霧耀真君と渕上羽夜さんの二人だった。だからボクとウィッチバトルしてもらおうって考えた。ベル様がその機会をくれたんだぁ」

「やっぱりベルフェゴールがお前らのボスか。ここにも来てんのか?」

「さあね。外がどうなってるかは、ボクを倒した後で友達にでも聞けば?」

「…………どうやら、シラを切ってる訳でも無さそうだな」

 耀真の面持ちは暗かった。

「昔のお前は、争い事が一番嫌いだったし、人を傷つけたくないあまり、自分から人を遠ざける奴だった。何があって、こんな風になっちまったんだ?」

「勝手に昔のボクを捏造するなよ」

 いままで楽しそうだった神楽の声が突然冷え込む。

「お前にボクの、何が分かるんだよ!」

 神楽が吼えると、彼女の両手に小さい魔法陣が一つずつ生成される。

「【究極風魔法 スターダストガトリング】!」

 魔法陣から無数の小粒な光の弾丸が吐き出される。究極魔法というだけあって、その総数はたった一瞬でこちらの視界を端から端まで埋め尽くす程だった。

 かわせない――

「そうかよ」

 辛そうな声と、その後の銃声。耀真が放った【ブランクバレット】は風属性の星屑の一欠片を撃ち抜き、射線上にあった別の星屑をさらに吸収して肥大化する。これを弾が進む毎に繰り返し、やがて【ブランクバレット】は大きな緑色の球体となって膨張を続け、周囲の他の星屑を飲み込んで消滅する。

 羽夜には勿論だが、神楽にとっても予想外の現象だったようだ。

「……何? いまの」

「【ブランクバレット】に魔力を喰わせすぎるとこうなる」

 弾倉を交換して、耀真は改めて神楽に銃口を向ける。

「さっきの質問に答えてやる。お前の事は全部知ってる。過去も、魔法の仕組みも、お前自身の性格も」

「ふ……」

 神楽が少しだけ、震えていた。

「ふざけるな!」

 彼女の周囲に再び緑色の光球が無数に生み出される。

「ボクに過去なんて存在しない! ボクの全てはベル様の為にあるんだ! 昔の事なんて知らない……お前はボクにとって、ただの敵プレイヤーだ!」

 今度は耀真と羽夜の頭上に巨大な魔法陣が広がる。

「【マルチキャスト】!」

 再び彼女の両手に一つずつの魔法陣。さらに、耀真達の周囲をぐるぐると衛星のように回る魔法陣が三つ。

 魔法の並列発動を可能とする【マルチキャスト】――それも、究極魔法を三種類同時に発動する技量など、比良坂黄泉を除いて他に使える者がいたとは。

「【究極魔法 スターダストガトリング】!」

 魔法陣が輝きを増し――全ての魔法陣が、たった一瞬にして消え去った。

 魔法が発動する直前で、耀真が全て【シルフィードバレット】で撃ち落としたのだ。

 魔装士の初級技術・【マジックブラスト】。究極魔法にも有効だったとは。

「そんな……」

 神楽が目を大きく見開き、顔面を蒼白にする。

「ありえない……そんな豆鉄砲で、ボクの魔法を全部無力化した……?」

「魔法なんざ、撃つ前に撃ち落とせばいいんだよ」

 耀真がゆっくりと彼女へ歩を進める。

「お前が相手なら簡単さ。言ったろ。お前の事は全部知ってるって」

「君は一体何なんだよ……!」

 後退を止め、神楽が立ち止まると、耀真も一緒に立ち止まる。

「君はボクの何なんだよ……ボクにとって君は……ボクにとっての、何なんだよ!」

「ずっと、好きだった」

 きっと長い間、溜め込んでいたであろう想いを、耀真は口にした。

「初めて会った時、お前は木から落ちそうになった俺を魔法で助けた。その時、俺は思ったんだ。魔法は誰かを傷つける為じゃなくて、誰かを幸せにする為にあるんだって。魔装士の仕事は、お前みたいに魔法を誰かの幸せの為に使える奴を護る事だって。お前は出会ってからいつだって、俺にそいつを教えてくれたんだ」

 銃をホルスターに仕舞い、耀真はほとんど丸腰に近い状態で歩き出す。

「いつも俺達は一緒だった。無茶ばっかりする俺を、いつもお前が止めてくれた。お前は俺の掛け替えの無い、最初で最後の相棒だ」

 羽夜にはもう、何も言えなかった。

 耀真の目は、最初から誰も見ていない。【バルソレイユ】の仲間も、稲穂も、楓太も――本当は全て、どうでも良かったのだ。

 神楽の為なら、自分自身さえも。

「帰ろう、神楽」

 耀真は歩きながら、神楽に手を差し出す。

「忘れたんなら、もう一回思い出を作ろう。もう二度とお前を一人にはしない。一生懸けて絶対に護る。だから、俺と一緒に生きよう。ずっと……!」

 それが如何に哀しい愛の形であったか、耀真には自覚があるのだろうか。現に、未だに耀真の事を思い出せない神楽が、あまりの言い分に恐れ慄いたままじゃないか。

 とうとう二人の距離が一歩間まで詰まる。

 しかし、神楽は差し出された耀真の手を、片腕で強く弾いた。

「……いちいちキモいんだよ」

 彼女の瞳は、憎しみとも恐怖とも違う、何とも言えない感情を宿していた。

「ボクに君のような幼馴染なんていない。学校にも行ってないし、友達もいない。十二歳の頃、親に捨てられた時にベル様がボクを拾ってくれた。ベル様に愛してもらえるなら、ボクには何もいらない!」

 激情に任せたのか、神楽がなおもまくし立てる。

「だからカレシは間に合ってんだよ。分かったら、とっとと失せろよ!」

「そいつは嫌だね」

 耀真がいつもの調子で笑い、神楽を両腕で抱きすくめた。

「どうする? 何なら、いま殺してもいいんだぜ?」

「……どうして」

 さっさとやればいいものを、神楽は全く動かなかった。

「いまなら……すぐ殺せるのに……」

 神楽が体を震わせて逡巡していると、更なる異変が起きた。

 突如として、金色の光が上空の雲間から降り注ぐ。

「何だ?」

「この魔法は……!」

 神楽がいきなり耀真の腹に手を添え、掌で圧縮した空気を解放して吹っ飛ばす。あくまで吹っ飛ばす為だけに威力を調整されていたおかげか、宙を舞う耀真はすぐに体勢を立て直し、着地する。

 同時に、金色の光に包まれた炎のような何かが、神楽を飲み込んで爆発した。

「……! 神楽っ!?」

「耀真さんを庇ったの!?」

 着弾時の爆風に煽られ顔を腕で押さえながらも、羽夜は金色の閃光が収まるまで薄目を開けて状況を見守っていた。

 やがて光が晴れて、視界が灰色の煙で覆われる。

 煙の中に、黒い人影が見えた。

「貴方は……誰?」

「俺の正体はそこの彼に聞いたら?」

 黒い人影は片腕だけで周囲の煙を吹っ飛ばす。

 現れた人物は、金髪碧眼の美男子だった。年齢にして二十代後半くらいだろうか。すらりとした長身に白いスーツを纏い、あれだけの爆煙を浴びておきながら煤や埃の一つも付いていない。まるで、汚れという概念が彼を遠ざけているようにすら思える。

 そういえば、神楽は? 彼女は何処に?

「……ベル様」

 彼の後ろでうつ伏せに倒れる神楽が、息も絶え絶えといった様子で疑問を吐く。

「どう……して……?」

「ああ、君はもう用済みだよ。俺の目的はもう達成した」

 銃声がした。男の頬に小さな亀裂が入る。

「そこを退け、ベルフェゴール」

 銃口を突き出す耀真の瞳には、尋常ならざる殺意が宿っていた。

「現在国際指名手配中のSSS級魔導犯罪者がここに何の用だ?」

「君に会いに来たのさ、天霧耀真」

「そうかよ。でも悪いな、クソ悪魔。お前の用件は後にしてくれや」

「そんなにこのボロ雑巾が気になるかね」

 ベルフェゴールとやらは片足の爪先を彼女の腹に引っ掛けて、そのまま片脚を振り上げた。彼女の体が丸太のように転がり、耀真の足元に辿り着く。

「神楽!」

 ベルフェゴールを無視して、耀真はすぐしゃがみ込み、神楽を抱き起す。

「おい、しっかりしろ! 神楽!」

「……ボクは平気……といっても」

 神楽の体には緑色に発光する魔導回路が浮かび上がっている。どうやら、魔導回路に魔力を流して身体機能を維持しているようだ。

「防御に全力使っちゃったからなぁ……生命維持までは無理かも」

 彼女の全身は半分くらいが焼け爛れていた。どうやら魔導回路を通じて体内に侵入したベルフェゴールの魔力の影響が皮膚にも表れているようだ。

「諦めるな! とにかくそのまま魔力の操作を続けてろ。助けが来るまで頑張るんだ!」

「彼女を治療したければ、先に俺を倒す事だね」

 ベルフェゴールは人差し指の先を空に向ける。

「この空間には内側と外側で一枚ずつ結界を張ってある。脱出はおろか、外からの救援も期待しない方がいい。もし比良坂黄泉の退魔魔法でこの結界を外から攻撃したとしても、システムを丸ごと消し飛ばして俺達全員の存在も抹消されるだろう。しかもここは現実と仮想世界のルールが逆転した【究極時空間魔法 ワールドリバーサル】の中だ。つまり、この空間で神楽のHPが無くなれば、彼女には本物の死が待っている。ただし、術者の俺がブレイクオーバーすれば結界は全て解除される」

「つまり、さっさとお前を殺せば問題は無いって事か」

「そうだな。だが、そう慌てるな。君には大事な話がある」

「うるせぇ! 黙って死にやがれ――」

「何で神楽の記憶が無いのか、知りたくはないかい?」

 この一言で耀真の動きが止まった。

「そもそも、何で俺が神楽と一緒にいたのかってところからだけど……まず、彼女が乗っていた飛行機を撃ち落としたのは、この俺だ」

「……は?」

 耀真が銃を持つ手をだらりと下げる。

「俺は魔装具を作るのが趣味の魔装技師でね。裏社会の連中にその手の武器とか回して生計を立てていたんだけど、あっちの世界は荒事が多くてね。そうなったら、一人じゃどうも仕事の効率が悪くて仕方ない。そこで面倒な荒事に強そうなメンバーを集めてみる事にした。神楽はその一人だ。俺が飛行機を攻撃したのは神楽の性能テストの為。あの程度の事故で死ぬような魔族は弱くて使い物にならないからね」

「そんな事の為に神楽を……」

 暗く呟く耀真の目は、既に殺意で満ち溢れていた。

「お前が……神楽の人生を……幸せを台無しにしやがったのか……!」

「おや? 君が神楽の幸せを語るのかい?」

 ベルフェゴールがあからさまにせせら笑う。

「君と過ごした彼女の生涯が幸せだったと思うのかい? そう思っているのは君だけじゃないのかい?」

「どういう意味だ」

「記憶を覗き見る魔法を使えるのは、君の仲間だけじゃないという事さ」

 ふと、雨音の魔法が脳裏に浮かんだ。

「最初に彼女を拾って治療した時、その記憶をちょいとばかり覗き見たのさ。酷いモンだったよ。友人にも恵まれず、家族の中にさえ味方らしい味方がいない。自分を真に理解する者は誰一人として存在しない。君や君の親御さんとの触れ合いの中にあっても、彼女は君達を内心では恐れていた。この人達もきっといつか、自分を恐れて遠ざける日が来るのではないかと」

 耀真は何も喋らない。言い返さない。ただ、呆然としていた。

「無償の愛情と胸を刺す不安の板挟みさ。だから俺は目を覚ました彼女の記憶を消してやる事にした。あんな思い出、無い方がマシだからね。ああ、でも……」

 ベルフェゴールは何かを思い出すようにして空を仰ぎ見る。

「あれは楽しかったなぁ。記憶を消す前に、ベッドの上で散々イイ声で鳴いてもらったっけ? 魔法で動きを封じて、抵抗出来ない当時十二歳の女の子を――ああ、いま思い出しただけでも勃ってきたよ」

 この発言に、羽夜は真っ先に吐き気を覚えた。もしそれが自分の身に起きていた事だったらと思うと、いまにも正気を失いそうになる。

 いままで黙っていたが、羽夜はとうとう吐き出すように呟く。

「何て事を……」

 たしかに、神楽にも内心で不安はあったかもしれない。耀真から受けた愛情に疑問を抱く事だって、一度や二度ではない。自分だってそうだった。あの時に耀真から受けたスカウトだって、はっきり言って疑いだらけだ。

 でも、妙に真っ直ぐな想いだけは、たしかに伝わったんだ。

「ただでさえ苦しんでいた筈なのに……そんな仕打ち、あんまりだよ……!」

「そうかい?」

 ベルフェゴールは特に悪びれずに言った。

「だって、記憶を消した後に改めて彼女を抱いた時は、本当に幸せそうだったよ?」

「そんな……」

 もはや酷過ぎるという他無い。羽夜は人生で初めて、本物の邪悪を目の当たりにした。

「いやぁ、貴重な経験だったなぁ」

 邪悪そのものが、わざとらしいまでに高笑いする。

「まさかこの俺に、ロリコンの素質があったなんて驚きだよ! あっはっはっは!」

 ベルフェゴールがゲラゲラ笑う。

 耀真は俯き、【ソードグラム】のグリップを壊れんばかりに握り締める。

「……貴様」

 呟き、閉じていた瞳を一気に見開く。

「きさまぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 耀真が吼え、【エアブレード】を起動。地を蹴り、ストレートタイプのエッジ特有の高速機動で疾風の如くベルフェゴールに突撃する。

 ベルフェゴールは瞬間的に姿を消し、耀真の背後に現れる。あれは神人族特有の【ショートワープ】だ。

「【獄炎魔法 ブレイズアウルム】」

 彼は先程の金色の炎を手の平に宿し、球状にして耀真の背中めがけて投げつける。しかし、耀真はすぐに身を反転させ、発砲。【ブランクバレット】が炎の中心点を捉え、上位属性である筈の魔力を巻き込んだままベルフェゴールへ向かって飛翔する。

 またしても瞬間移動。今度は耀真の真横だ。耀真は力任せに【ソードグラム】を振るい、銃身でベルフェゴールの頬を殴りつける。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 絶叫しながら、ベルフェゴールの全身を銃身で乱打する。普通の人間なら、この時点で全身骨折の挙句に死んでいただろう。

 しかし、何発か貰った末、ベルフェゴールは素手で【ソードグラム】の銃身を掴んだ。

「興覚めだな。君の力はそんなものじゃないだろうに」

「黙れ!」

「好きな女を寝取られたのがそんなに不満かい? そっちの可愛いガールフレンドで我慢しておけばいいものを」

「黙れっつってんだろ、この腐れ悪魔ぁ!」

 【エアブレード】を加速させて放った膝蹴りがベルフェゴールの腹に穿たれる。思わぬ反撃に面食らった様子のベルフェゴールは一旦後退する。

「【魔陣展開 魔力合成=水+風+炎】」

 ベルフェゴールの手前に、無数の小さな魔法陣が水色の光を放って展開される。

「【究極合成魔法 白昼の千霧せんぎり】」

 それぞれの魔法陣から霧が大量に漏れ出す。見た目には無害そうだ。

「この霧は水分の粒子の一つ一つが日本刀と同じ切れ味を持った刃だ。つまり、こいつにちょっとでも触ったら即死決定だ。さあ、どうする?」

 問題でも出しているかのようだが、たったいま、霧が全て吹き飛ばされて消滅する。

「ほう? 【シルフィードバレット】で全部消したか。実はこの魔法の数少ない弱点の一つがこれなんだがね――」

 喋っている真っ最中のベルフェゴールの背後に回っていた耀真が、即座に発砲。しかし、またしても瞬間移動でかわされた挙句、逆に背後を取られてしまう。

「どうした? 【神霊の瞳デモンズサイト】は使わないのかい?」

「……!」

 耀真が振り返って銃口を向けるも、ベルフェゴールは意にも介さず、そのまま耀真の腹に蹴りを叩き込んで、羽夜の傍まで軽々と吹っ飛ばした。

 耀真が腹を抱えて蹲り、そのままえずく。

「くっ……は……あ……ちく……しょう……!」

「怒らせれば君の本当の力が目覚めると思ったんだけど、アテが外れたかな」

 羽夜には信じられなかった。いくら耀真が冷静さを欠いていたとしても、こうもあっさりあしらわれるだなんて、夢にも思わなかったからだ。

 羽夜が耀真の傍に駆け寄る。

「耀真さん、しっかりして!」

「クソがああああああっ!」

 もはや耀真に羽夜の言葉は聞こえていない。立ち上がり、再びベルフェゴールと交戦を始める。

 どうしよう。このままだと耀真が死んでしまう。

「どう……すれば……」

 いまの自分では足手纏いだ。相手は魔導犯罪者の中でも極めつけの危険人物だ。二級魔装士ですらない自分に、あの二人の間に割って入れる程の力は無い。

「なん……で……?」

 後ろで神楽が呟いている。

「あいつ……どうして……ボクの為に怒ってるの……?」

「……!」

 ――そんなの、決まってるじゃないか。

 耀真はいつだって神楽の為に生きてきた。どんな形であっても、彼女が帰って来ると信じ続けて地位や人脈を経て、魔装士として強くなった。いまようやく、その努力が実るチャンスが巡って来たんじゃないか。

 そんな耀真の真っ直ぐな想いが、こんな形で潰されていい筈が無い。

「良かったね。一途な彼氏さんで」

 答えているうちに、自然と体から緊張が抜ける。

「ちょっと我慢しててね。すぐ終わらせるから」

 ――そうだよね。私だって、彼に選ばれたんだった。

 場違いとか力不足とかで、怖気づいてる場合じゃないんだよね?

「もしそんな力が私にあるんなら」

 【ヴェローチェ】と【刻印の指輪】を起動。周囲に細かい光の弾丸を散布する。

「ベルフェゴール。アンタは、私が倒す……!」

 耀真が至近距離から離脱して弾倉を交換し始めたあたりで、【ヴェローチェ】による最高速度の加速を発動。同時に、周囲を取り囲むように低速の【スパークルバレット】を撒く。

 耀真が叫ぶ。

「駄目だ、羽夜! 下がれ!」

「何のつもりか知らないけど、視線で狙いがバレバレだよ」

 ベルフェゴールが右手を一閃させ、金色の炎を投げつけてきた。速さとコントロールを重視して命中性能を上げた中距離攻撃だ。

 羽夜はその魔法に対して頭から突っ込む。そして、炎が額に触れる直前、【ヴェローチェ】のエッジに触れていた光の弾丸をジャンプ台代わりに蹴り、ベルフェゴールの真横に浮いていた弾丸に飛び乗った。

 適当に宙に浮いた弾丸と弾丸の間を飛び移り、完全に死角を取ったところで地上に降りて最大加速。全身の回転を交えたストレートタイプのエッジによる斬撃が、ベルフェゴールの頸動脈を鋭く斬り裂いた。

 ベルフェゴールの顔色に、初めて焦りが見える。

「この動き……そういう事か」

 ベルフェゴールが斬られた首筋に片手を触れると、淡い水色の光が傷口を覆う。すると、傷口が一瞬にして塞がり、いとも簡単に止血されてしまった。

「渕上家の秘伝体術――名は【閃打】と言ったか。魔力ではなく気を練り上げ、身体能力を呼吸法により底上げする秘奥義。その馬鹿げた戦闘機動の正体はそれか」

「どうでもいい。アンタを倒せるなら、何でも」

 再び加速。最低速の弾幕で再びベルフェゴールを包囲すると、先程のさらに倍速く、弾丸に飛び乗って攪乱機動を開始する。ベルフェゴールも何発か多種多様な属性の魔法攻撃を撃ってくるが、こちらには全く当たらない。

 痺れを切らして大規模な魔法を使おうとして隙が生まれたら、死角となる位置から急降下して【ヴェローチェ】のエッジで敵の急所を狙う。

 この繰り返しにより、羽夜はたった一人でベルフェゴールを包囲攻撃していた。

「この体術……この強さ。君は本当にただの魔女かい?」

「違う」

 ベルフェゴールがこちらの喉首を片腕で素早く掴み取ろうとしたところで、踵に【スパークルバレット】を当てて体を急回転させ、サマーソルトキックで彼の手を弾き上げる。

 そのまま着地するなり、羽夜は腰を低く落とし、拳を握り、腕を引く。

「私はただの」

 歯を食いしばり、電源をカットした【ヴェローチェ】の靴底をしっかり接地させ、足腰にも踏ん張りを利かせる。

「落ちこぼれだ!」

 そして、ベルフェゴールの腹に正拳突きをぶちかましてやった。



 羽夜は戦いの最中で強くなる。それが例え、相手がどんなに強力であったとしても。

 最初は多勢に無勢の中、格上達を相手に奮戦した。

 稲穂との戦いでは、魔女の王すら感嘆する超絶奥義を生み出した。

 いまだって、SSS級魔導犯罪者と渡り合ってる。

「凄いね……あの子」

 神楽がぼんやりとした目をして呟く。

「ベル様と互角かぁ……妬けちゃうなぁ」

「ベル様ベル様って……自分の人生を無茶苦茶にされた挙句、あっさり裏切った相手だぞ。いまさらあの野郎に何の感情があるってんだ」

「……本当はね、最初から知ってたんだ」

 神楽が笑う。彼女の皮膚に浮かぶ魔導回路の色が、徐々に緑から金へと変わっていく。

「独りだとね……憎い人さえ、自分にはその人しかいないって思えるようになる。どれだけ捨てられても、どれだけ蔑まれても……ボクはきっと、ベル様を愛し続ける。だって、喜怒哀楽と――愛憎の全てなんだから」

 神楽の声に精気が無くなり、小さくなる。

「だから……もう……」

「違う!」

 戦う羽夜から目を逸らさず、耀真は叫ぶ。

「あんなヤツを全てにするなよ! お前の全てはこっから始まるんだ……俺の仲間だってきっと、お前を愛し、守ってくれる。【バルソレイユ】の連中も、稲穂ちゃんも、ウチの親だって……だから、まだお前の人生は作り直せるんだよ!」

「……違うよ」

 神楽が首を横に振った。

「その仲間は……君が作った、君だけの絆。ボクのじゃない」

「……!」

 耀真には何も言えなかった。

 本当は最初から気付いていた。帰って来た神楽を迎え入れる為に作った人間関係の全てが、神楽を受け入れてくれるとは限らないと。神楽が新たに絆を構築出来るかは彼女次第であって、自分ではない事を。

 それでも、準備だけはしておくべきだと思った。

 その積み重ねの全てを、記憶が無い神楽はたったいま、否定してしまったのだ。

「……それより、いいの?」

 神楽が視線を向けた先では、概ね予想通りの展開が始まっていた。

「彼女……このままだと、死んじゃうよ?」

 さっきよりも羽夜のかすり傷が増えている。制服もかなり擦り切れている。ベルフェゴールが羽夜の動きに対応し始めたのだ。

 一旦ベルフェゴールから離れ、羽夜が静止する。

「……まだだ」

 呼吸を整え、彼女は気を練り直している。

「まだ!」

 再び疾駆すると、これまでと全く違う動きを見せ始める。

 弾幕を撒かず、直進する。ベルフェゴールが大地属性の魔法で地面を盛り上げて羽夜の足を取ろうとしたところで、羽夜は跳躍した。

 再び【スパークルバレット】を発動。弾丸を自分の横っ腹に命中させて体を真横に弾き出し、同じようにして体に弾丸を当てて、空中で機動を変え続け、疑似的な三次元移動を開始する。

 そして、先程よりも予測が難しい包囲打撃を敢行する。これには耀真どころか、ベルフェゴールも驚きを禁じ得なかった。

 もはや喋る間も無く、ベルフェゴールが一方的に嬲られ続けている。

「やめろ……」

 震えている手に、銃の感触。耀真はようやく自分が戦闘中である事を思い出した。

「そんな動き……お前、死ぬのが怖くないのか!?」

 そんな叫びも虚しく、羽夜の狂気じみた体術はさらに速度を上げる。

 弾丸の低威力を利用した三次元高速体術。これは戦術として評価はされるだろう。でも、羽夜の体に刻まれ続ける痣は見ていて度し難い。早く止めるべきだ。

 なのに、体は動かない。自分は何に怯えているんだろう。

「この……」

 ベルフェゴールが痣に塗れた顔に、本物の憎悪を滲ませる。

「化け物がああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 全身の魔導回路が金色に輝き、ベルフェゴールの周囲に強大な大気が渦巻いて破裂する。羽夜の体は簡単に弾き飛ばされ、何回か地面で転がった後、耀真の足元に投げ出される。

 羽夜は全身を震わせ、無理矢理立ち上がろうとする。

「……まだ……」

 彼女は立ち上がる。息は既に荒い。

「私は……負けない……」

「もういい、羽夜。止めてくれ」

 彼女の手首を掴み、耀真は懇願する。

「お願いだから……もう、止めてくれ」

「……この命。一度は耀真さんに救われたようなもの」

 羽夜は笑っていた。いつも通りの、優しい羽夜だった。

「耀真さんが誰かを命懸けで護るつもりなら、私が耀真さんを護る。貴方の命も、誇りも、志も……!」

 羽夜が一歩、苦しそうに歩き出す。

「これが……私の、最初の一歩」

 そして、二歩目を踏み出す。

「私は耀真さんが見てる前で、絶対に負けない」

 思わず、羽夜の手首から手を放してしまった。

 いま分かった。どうして羽夜が、いままでこんな自分に従ってくれたのか。

「……君がそういう覚悟なら、こっちも相応の力で相手しなきゃね」

 ベルフェゴールが掌に真っ赤な魔法陣を浮かべる。

「【マナドライブ】」

 魔法陣の中心から現れた、血と同じくらい濃密な赤い柄を掴み、ゆっくりと引き抜く。その柄と同じかそれ以上に濃い赤の刃からは、言い知れぬ魔力の圧力みたいなものが広がり、周囲の大気に重くのしかかる。

「【魔剣バルムンク】。俺が持つ力の全てを凝縮した、俺の切り札さ」

 剣が金色の炎を纏う。ベルフェゴールの周囲が熱気で歪み、この辺り一帯も心なしか気温が上がっているように感じた。

「【マナドライブ】……何それ?」

 呟きつつ、羽夜が【スパークルバレット】を背後に散らす。

 ベルフェゴールの剣が、渾身の力で振り下ろされる。剣に纏う炎が龍のような姿を模し、羽夜の体を丸ごと飲み込まんと頭から突っ込んでくる。

 羽夜の膝から力が抜け、体勢が崩れる。

「羽夜!」

 耀真は羽夜を後ろから抱きすくめ、身を反転して背中を金色の龍に晒す。

 ああ、何で俺は、神楽でも無い奴を庇っているんだろうな。

「――つくづくお似合いね、アンタ達」

 鋭く速い電光が横合いから奔り、龍の頭を貫いて、たった一瞬で消滅させる。

 あっけなく脅威が消えた事に唖然としながらも、耀真はすぐに気付いた。

「この魔法……」

「はいはーい、どいたどいた。千両役者のお通りだよ」

 銀色の剣――【ブリッツヴァジュラ】を手に、魔導事務局の特級魔装士の証である黒く丈の長いジャケットを学生服の上から羽織り、我妻稲穂が耀真と羽夜の前に歩み出る。

 彼女だけではない。その横には、渡来吹雪と比良坂黄泉も並び立っていた。

「学園長!?」

「吹雪……」

 これは思わぬ援軍だった。外からは誰も入ってこれないという話だったのに。

「来るのが遅れてすみません」

 黄泉が魔装具の杖を突き出しつつ言った。

「状況はモニターで見ていたんですが、結界を超えてくるのに時間が掛かりました」

「どういう事だい?」

 ベルフェゴールが空いた片手を腰に当てつつ訊いてくる。

「いま結界を超えたと言ったか? 貴女の魔法では不可能な筈だが?」

「それが出来ちゃうんだなー」

 稲穂が挑発するように言った。

「ウチの吹雪は魔女で唯一、【結界破り】の技術を持ってるのよ」

「渡来吹雪……そうか。魔女と神人族のハーフか」

 話の通り、吹雪は魔女としての出自が少々特殊だ。魔女として高精度の魔法を扱う技術に長けながらも、神人族特有の【ショートワープ】や【結界破り】を持っている。ある意味、空間属性の魔法使いでは最強の魔族なのだ。

 意外な凄みを公開された吹雪が、照れ臭そうに言った。

「いやあ……まさか、私の魔法がこんなところで役に立つとは」

「なるほど、大したものだね。今度、その技を俺に教えてくれるかい?」

「お断りします」

 冷たくあしらうと、吹雪は携えていた薙刀の柄をさらに強く握りこむ。

「さっきの話はタメになりました。この先の人生で、貴方以上の外道と出会わない事が分かって安心しましたから」

「変わった誉め言葉だね」

「ええ。それが、貴方がその生涯で最後に聞く誉め言葉です」

 物騒な宣言をした後、吹雪は後ろの羽夜に目を向ける。

「羽夜ちゃん。あなたの戦い、私達が引き継ぎます」

「吹雪……」

「後は任せて」

 再び眼前の敵に向き直り、薙刀の切っ先を正面に添える。

「行こう、稲穂ちゃん」

「そうね」

 【ブリッツヴァジュラ】に雷電を走らせつつ、稲穂は底冷えした声で告げる。

「耀真が……あいつがいままで、どんな思いで生きていたか」

 稲穂は全て、知っていた。手伝ってもらいさえした。楓太と一緒に三人で、特級魔装士として共に戦い続けていた。

 この中で最も耀真を理解している少女は、この中で最も憤っていた。

「あいつのこれまでの時間を、努力を、アンタは踏みにじった。そのツケがどれだけ高くついたか、ここで教えてやる」

「そういう事です」

 耀真達の前に白銀色の魔法陣が展開され、盾となる。黄泉の魔法だ。

「あなたの顔も見飽きました。今日こそ終わりにしましょう、ベルフェゴール」

「特級レベルの魔女が二人と魔女の王……か。退屈はしなさそうだ」

 ベルフェゴールの剣に再び炎が灯る。

「精々、本来の目的の為に利用させてもらおうか」

「何の話か知らないけど、もう喋らなくていいから」

 稲穂が剣を振り上げると、ベルフェゴールの四方で雷の球体が一個ずつ出現する。

「【マルチキャスト】――【光魔法 飛電雷切】」

 雷の球体が鋭い電光となってベルフェゴールを襲う。彼は【ショートワープ】で包囲から逃れると、稲穂の背後に出現する。

 稲穂が身を反転させ、【ブリッツヴァジュラ】で【バルムンク】の一閃を弾く。

 二人の魔族による剣戟が始まった。【ショートワープ】を交えて四方八方から攻撃を加えてくるベルフェゴールの剣を、稲穂は反応速度と体裁きだけで受け流していた。

 吹雪が【ショートワープ】でベルフェゴールの横を取り、薙刀を突き出す。

 ベルフェゴールが再びワープして、黄泉の正面に現れた。

「まずはお前だ、魔女の王!」

「甘いですね」

 黄泉は杖の先から白銀色の魔力で構成された刃を伸ばし、ベルフェゴールの剣の中腹を叩く。早速、【バルムンク】にヒビが入った。

「おっと」

 再び瞬間移動で距離を取り、【バルムンク】の剣の腹を片手で撫でると、微かな炎の発露と共にヒビが綺麗に消えてなくなった。

「危ない危ない。【退魔の剣】か。懐かしいね」

「いいんですか? 彼女に集中しなくて」

 稲穂が正面からベルフェゴールの間合いに入る。

「【チェインキャスト】」

 【ブリッツヴァジュラ】の柄頭に、小さな五つの魔法陣が連なって生成される。

「【究極光魔法 神槍雷切・五連】」

 剣を突き出すと、柄の根本から青白く極大な破壊光線が伸び、ベルフェゴールの肉体を丸ごと飲み込んだ。さらに柄頭の魔法陣が消え、もう一発。この繰り返しが三回続いて、計五発の究極魔法がベルフェゴールに直撃した。

 全ての攻撃を受け止め、それでもベルフェゴールは生き残っている。全身が黒焦げで、肌が露出している部分はかなりの割合でひび割れていたが。

「何だ……その技は……」

 先程の回復魔法で、服と肌の表面を覆っていた煤や傷が元通りになる。だが、見るからに疲れているようだった。どうやら外傷の回復は出来ても、疲労までは癒えないようだ。

「【チェインキャスト】だと……? 俺も聞いた事が無い技術だぞ」

「当たり前でしょ。私が開発したんだから」

 稲穂が剣を振り上げると、周囲に散布していた魔力が光の粒となって表出して、【ブリッツヴァジュラ】の刀身へ集まっていく。稲穂が得意としている魔法技術の一つ、【マナアブソーブ】だ。

「剣も、魔法も、あんたが得意としている技の全ては、この私に及ばない。ただバカデカい力を振り回してるだけのアンタとは、格が違うのよ」

「言ってくれるね……!」

 挑発に乗ったのか、ベルフェゴールが馬鹿正直に正面から稲穂に突っ込み、再び最速の剣戟が始まった。

 膝を突いて休みながら、羽夜が呟く。

「……凄い。私と戦った時は本気じゃなかったんだ」

「十分本気だったさ。ただ、お前とやり合った時は【マナアブソーブ】が使える状況じゃなかったし、【チェインキャスト】も使う余裕が無かったんだ」

 耀真は気遣ってそう説明したのではない。全てが事実だからだ。

「稲穂ちゃんに特別な才能は無い。剣士として剣術を磨き上げ、魔女として魔法を鍛え、魔装士としての技術をバランス良く体得した。その絶え間ない努力が、その三つの要素を極限まで高め上げた結果、稲穂ちゃんは才能の怪物達である五新星に名を連ねた」

 耀真は知っていた。彼女の目標も、それに近づく為の努力の全ても。

 だから彼女は人の努力を素直に認め、人の努力を嗤われた時に怒れるのだ。

「それが努力の天才。究極の基本性能を持つ、【雷啼の美姫】――我妻稲穂」

 いま改めて思うのは、稲穂と神楽は姿が似ているからと言っても、その実は何もかもが正反対だという事だ。

 才能に愛された彼女は、世界に嫌われた。

 才能の無い彼女は、何千何万の人々を虜にした。

 いまからでも、その二人は友達になれるだろうか。

「……ああ……やっぱり、ボクじゃあ、敵わないのかな……」

 神楽が先程よりも弱弱しい声で言った。

「何か……悔しい……な」

「神楽……!」

 耀真は神楽の前に跪き、彼女の体を抱き上げる。

「頑張れ……頼むから、こんなところで諦めないでくれ……!」

「……やっぱり君は、変な奴だ」

 神楽の手が、耀真の腕を弱く掴む。

「ボクと一緒に……笑ってくれる人はいた。それが嘘だとしても……でも……」

 特徴的なタトゥを侵蝕するように、神楽の顔に金色のヒビが入った。

「ボクの為に怒って……泣いてくれた人は、君が初めてだよ」

 突然、神楽の体を中心として、翡翠色の魔法陣が展開された。傍にいた羽夜も、既に展開範囲に巻き込まれていた。

「羽夜……君の魔力……少し借りるよ」

「どうするつもり?」

「最後の悪あがき」

 神楽の全身に魔導回路が浮かび上がる。何か強大な攻撃魔法を発動している、という訳では無さそうだが――

「この魔法……禁術か?」

「そう……死を目前にした魔女だけが使える秘術……ベル様に教えてもらったんだぁ」

「やめろ! そんな事したら、お前の体力を維持していた魔力が――」

「もう要らないよ、そんなの」

 羽夜の体から蛍火のように小さい光が一粒だけ零れ、地面に落ちる。その魔力を魔法陣が増幅して、魔女の秘術は完成した。

「【禁術魔法 サーキットコンバート】」

 本来、この魔法は発動自体が不可能だ。発動条件が今際の際と厳し過ぎる上に、その上で魔力を一定以上体内に溜めておく必要があるからだ。しかし神楽は元から強大な魔力を持つ上に、いまは臨界性魔力の所有者である羽夜がいる。その魔力をどうにか増幅する術式さえあれば、この魔法は発動条件を満たす。

 しかし、耀真にとっての問題は、魔法の効果そのものだった。

「いますぐ魔法をキャンセルしろ! 早く!」

「もう……遅いよ」

 神楽の体表に浮いていた魔導回路が、徐々に色を失って、溶けるように消える。

 代わりに、全く同じパターンの魔導回路が、耀真の体表に浮かび上がった。

「……ボクの魔力は全て君に与えた。といっても、そんなに多くない……けど」

「神楽!」

  神楽の瞼が半分くらいまで落ちる。全身のヒビがさらに広がり、いまにも粉々に砕けてしまいそうだ。

「冗談じゃねぇ……勝手に死に急いでんじゃねぇよ! 誰がお前の力を貸してくれだなんて頼んだ? 俺は……俺はただ、お前に生きて欲しかっただけなのに……!」

「……やっぱり、ダメか」

 神楽の唇が緩む。

「ごめんね……最後まで、君の事――思い出せなかった」

 ヒビから漏れる金色の光が、神楽の命の鼓動と共に弱くなっていく。

「だか……ら……クの……は」

 彼女の瞳が、徐々に下りていく。

「わす……れ……て……」

 空港での別れ際、最後に聞いたあの言葉と、全く同じだった。

 息絶えた後に浮かべたその微笑みも、あの時と全く同じだった。

「……忘れられっかよ」

 全身を震わせ、耀真は呟いた。

「一生モンのトラウマだろうが、こんなの……!」

 たったいま、天霧耀真は全てを喪った。

 生きていて欲しいと願った唯一の人に妄執して、その結果がこれだ。全く、情けないったらない。ただ一つの生き甲斐を無くして、これから俺はどうすればいい?

 死ねばいいか? 死に場所を求めて、魔装士の特権を利用しまくって戦い続けるか?

 ――それも、悪くないか。

「はっはっはっ! ようやく死んだか!」

 稲穂を風属性の魔法で吹っ飛ばした後、こちらの様子を見ていたベルフェゴールが歓喜の声を上げる。

「いいね、いいね! これで君は全てを喪った。君はもう空っぽさ。俺が待ち望んだ通り、君は真に虚ろなる者へ昇華したのだ!」

「どういう意味でしょうか?」

 黄泉が稲穂や吹雪の周りに魔法陣の盾を置きながら訊ねる。

「貴方の本当の目的とやらを、そろそろお聞かせ願いたいものですが」

「あっれぇ? もしかして、学園長殿はご存じ無いと? こいつは驚いた。自分がとんでもない大物を自らの学び舎に招き入れていたと知らなかったとは!」

 ベルフェゴールが愉快そうに語る。

「ならばお教えしましょう。魔導事務局には、極秘任務でSSS級魔導犯罪者を単独で三人も仕留めた事で名実共に最強の称号を手に入れた伝説の魔装士がいた。しかし、その魔装士の素性について知る者は、ごく一部の近親者を除いて他にはいない。故に、虚空と呼び称されている。貴女もその噂について、少しぐらいお心当たりがあるでしょう?」

「【虚空の王ヴァニティデーモン】の都市伝説ですね。それがどうか――」

 質問しようとして、黄泉は言葉を切り、耀真に向き直る。

「……まさか、天霧君が?」

「そう! アンタの生徒の中に、【虚空の王ヴァニティデーモン】とかいう化け物が混ざっていたのさ!」

 この言葉に、羽夜は勿論、吹雪や黄泉まで、耀真に驚愕の視線を向けていた。

 ベルフェゴールがさらに気分良さそうに喋る。

「そりゃ、驚くでしょうねぇ!  魔族の王である【九天魔】が揃いも揃って恐怖していた怪物が、まさか若干十五歳の高校生ときた!」

「本気になった【虚空の王ヴァニティデーモン】と戦う為に、わざわざこのような大それた真似を?」

「その通りではあるが、俺の場合は思い入れが違う」

 ベルフェゴールが下卑た笑みを浮かべる。

「何せ、俺は王が誕生する瞬間を目の当たりにしたからねぇ」

「……アンタ、まさか」

 稲穂が眉間にしわを寄せて訊ねる。

「耀真君と私が特級魔装士になって初の大規模任務――あのシージャック事件の現場に居たっていうの?」

「そんな……!」

 吹雪までもが息が詰まりそうな反応をする。そういえば、あの時に初めて吹雪と出会ったんだっけか。

「まさか、あの人達を船に送り込んだのって……」

「いやいや。俺は偶然居合わせただけだよ。たまの休暇にクルージングしていただけだってのに、本当にいい迷惑だった。でも、いまとなっては感謝すべきなのかもねぇ」

 ベルフェゴールが、まるで刻むようにして、一歩ずつ歩を進める。

 行く先は勿論、耀真のもとだ。

「目覚めた君の力を見て、俺は憧れた。誰もが君を前にすれば、全てが虚に等しく無に還る。その圧倒的な戦いの完成形を見なければ、俺は死んでも死にきれない」

「ふざけないで!」

 稲穂がベルフェゴールの前に立ちふさがると、彼は足を止めた。

「そんな事の為に、神楽をけしかけて自分で殺したっていうの? 耀真君が大切にしていた全てを――そんな幼稚な理由で!?」

「加えて言うなら、これまでの学校襲撃もね。適当な事件起こして危機感持たせれば、必ず伝説の魔装士が本腰入れてくれるだろう?」

 ベルフェゴールは終始、何ら悪びれない。

 こんな奴の私欲の為に、俺の人生は狂わされた。ただ快楽を貪りたいだけのケダモノに、たった一つの小さな願いが潰された。

 さらなる怒りが芽生え、ふと消えていく。

 ただ一つ。目の前の敵を殺すべしという、単純な使命だけ残して。

「耀真さん」

 優しい声が、耳から心臓の奥まで染み渡る。

「やっぱり、耀真さんは凄い人だったんだね」

 羽夜が、場違いにも程がある事を、さらっと言ってのけた。

「羽夜……?」

 耀真がようやく顔を上げる。

 この瞳に映るのは、暖かな彼女の微笑み。

「本当に凄いよ。そんだけの力を得る為に、たくさん頑張ったんだもんね。いっぱい努力して、毎日苦しんで、今日までそれに耐えた」

 羽夜が傍まで来て跪き、耀真と目線の高さを同じにする。

「そんな人に、私は選ばれた。認めてもらった」

 彼女の声が、眼差しが、匂いが――柔らかな陽光のように、耀真を包み込む。まるで日向ぼっこでもしているような心地良さが、凍てつき砕けそうになった心を融かしていく。

「……何を勘違いしている?」

 反対に、悪寒すら覚える声音が、ベルフェゴールの喉から漏れる。

「【虚空の王ヴァニティデーモン】に認めてもらった? 自惚れているにも程があるぞ、渕上羽夜!」

「もう黙っていただけませんか?」

 吹雪が薙刀の切っ先を改めてベルフェゴールに向ける。

「これ以上は耳が腐りそうです」

「同感ね。どんなCV付けても、あんたの言葉はもう聞きたくないわ」

 稲穂が茶化すように言って、吹雪と並び立つ。

「さあ、耀真君。いつまでそこでヘバってんの? さっさと立ちなさい」

「稲穂……ちゃん……?」

「アンタは全てを喪ってなんかいない」

 稲穂が宣言すると、特に何も言われていないだろうに、羽夜が立ち上がって稲穂と吹雪の間に入って並び立つ。

「少なくとも、ここにいるでしょうが。アンタを最後まで追い詰めたライバルと、アンタと昔からずっとつるんでいた腐れ縁が。そして――」

 稲穂が横目で羽夜を見遣る。

「アンタと一緒の未来を歩く、新しい相棒が」

「…………」

 俺だってまだまだ未熟だ。そんな俺と、歩幅を合わせて歩いてくれる新しい相棒がそこにはいる。過去に憑りつかれた亡者は、未来で待ってくれた希望と既に交差していた。

何でも無くなる筈だったこの未来が、いまどうにでもなるような気がした。

明日の声が――羽夜の魂の言葉が、胸の奥に届いた。

「……羽夜」

 いま再び、彼女に呼びかける。

「こんな俺とでも、お前は一緒に戦ってくれるか?」

 神楽の亡骸を丁寧に地面に横たえる。

 羽夜が、少しだけ笑みに悲しさを覗かせる。

「行こう。まずは、神楽を安心させなきゃね」

「ああ」

 最後に神楽へ「行ってくるよ」と告げると、耀真はゆっくり立ち上がった。

「学園長は神楽の遺体のガードを頼みます」

「貴方はどうするおつもりで?」

「先生の代わりに、俺が奴を教育してきます」

「では、存分に」

 黄泉が後退し、神楽の前に立つ。これで遺体は戦闘に巻き込まれなくて済む。

 後は、思いっきりやらせてもらおう。

「待たせたな」

 再び銃を抜き、弾倉を交換する。

「さあ、火遊びのお代はしっかり支払ってもらうぜ」

「上等だね。踏み倒してあげるよ」

 ベルフェゴールが臨戦態勢に入った。気迫もこれまで以上に充実している。

 耀真は羽夜の横に並び立った。

 さてと。景気付けに、あの決め台詞でも言っておきますか。

「ド腐れ悪魔がナンボのもんじゃ!」

 これから先も、ずっとこんな調子で勝負の前に叫び続ける事だろう。

「俺達四人の首――」

 俺の横に立つのは、こんなバカに付き合ってくれる、最強の仲間達。

「獲れるもんなら、獲ってみやがれぇええええええええええええええええええっ!」

 耀真は【エアブレード】を起動して、加速。トップスピードで直進する。羽夜と稲穂がそれぞれ左右に散開して、吹雪は後方で魔法の発動準備を始める。

 【ソードグラム】の銃身がベルフェゴールの【バルムンク】を叩く。力任せに、無茶苦茶に、無駄骨と言われても仕方のない殴打を繰り返す。時折、至近距離での射撃を交えながら、耀真はぴったりベルフェゴールに張り付いていた。

「はははは! おいおい、随分単純だなぁ、【虚空の王ヴァニティデーモン】!」

「てめぇはいくつも勘違いしてるぜ、この性欲魔人」

 後方に加速してベルフェゴールから離れると、それから間断なく、左右から稲穂と羽夜がそれぞれの刃を以って挟み撃ちを仕掛ける。それから二人は斬撃を入れ替わり立ち代わりでベルフェゴールに与え続けている。全ての攻撃がかわされ、いなされているが、確実に相手の手を塞ぐ役割は果たしている。

 さて。そろそろいいだろう。

「吹雪、行くぜ!」

「はい!」

 吹雪が応じると、羽夜と稲穂がそれぞれの背後に開いていた銀色のワームホールの中に消える。同時に、耀真は手近で複数展開されていた小さなワームホールに向けて発砲して、既にベルフェゴールの周囲で開いていた出口側のワームホールから銃弾を送り出す。

 何発かベルフェゴールに命中した。しかし、全ての銃弾は貫通するには至らず、服の上で止まって地面に転がり落ちる。

 防御魔法か。単純な魔力の防壁を体表に展開したな。

「それがどうした」

 呟くなり、耀真が弾倉を交換して、再び銃口を正面のワームホールに向ける。

 こちらの意図を汲み取ったのか、羽夜は吹雪から薙刀を受け取り、ベルフェゴールのマークに付いた。

「やるぞ、羽夜!」

「おう!」

 耀真はワームホールに向けて連射する。ベルフェゴールと羽夜を覆うようにして展開されていた無数のワームホールから、銃弾が連続して射出される。

 羽夜が薙刀術でベルフェゴールに連撃を加え、奴が何かしらの攻撃をしようとした瞬間に耀真の銃弾が動きを阻害する。下手をすれば射線上の羽夜を誤射しかねない状況だが、そこは【神霊の瞳デモンズサイト】による未来予測でカバー出来る。

 といっても、これは羽夜の戦闘センスが無ければ成立しない狂気の沙汰だが。

「どんな神経してるんだ、貴様らは!」

 羽夜と斬撃と耀真の包囲射撃を何とか凌ぎながら、ベルフェゴールは喚いた。

「同士討ちが怖くないのか? 誰か一人でもミスをすれば死ぬんだぞ!?」

「その時はその時だよ」

 羽夜が放り捨てた薙刀が、ワームホールを通じて吹雪の手元に帰って来る。

「それより、いいの? 私だけに集中してて」

「なに――」

 この危険な領域に入り込んだのは、何も羽夜だけではない。

 稲穂が背後から剣を振り上げ、ベルフェゴールの頭をかち割ろうとしていた。

「ちっ……」

 ベルフェゴールの姿が消える。【ショートワープ】だ。

 出現先は、吹雪の背後だった。しかし、今度は吹雪の姿が消え、羽夜と共にベルフェゴールを挟むようにして出現する。

 羽夜の蹴りと吹雪の薙刀による一閃が、ベルフェゴールに直撃した。

「ぐぉおっ……!?」

 ベルフェゴールがよろける。そこへ耀真の射撃が加わり、右足に命中した。

「ぐっ……! この……!」

 ベルフェゴールは歯を食いしばると、切羽詰まった様子で剣を振り上げる。

「【究極獄炎魔法 アセンションブレイズ】!」

 魔法陣を用いらず究極魔法が発動可能なケースはあまり無い。つまり、【バルムンク】は究極魔法クラスの攻撃魔法を通常攻撃として放つチートアイテムだ。

 その恩恵で【バルムンク】に纏っていた金色の獄炎が、巨大な刃として生成される。

「全員、骨も残らず消えろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 剣の射程には後方の黄泉も含まれている。黄泉だけなら退魔魔法で防御可能だが、これでは正面に剣を一薙ぎされただけで、黄泉以外の全員が纏めてお陀仏だ。

 既に吹雪のワームホールによって、ベルフェゴールの頭上に転送された羽夜を除いては。

「落ちろぉおおおおおおっ!」

 上空から撃ち下ろした無数の【スパークルバレット】が、上を向いていた【バルムンク】の剣脊を叩き、切っ先を地面に埋めて止めてみせた。

 これにはベルフェゴールだけでなく、黄泉も驚愕していた。

「究極魔法をあんな方法で……!?」

「ふざけた真似を……!」

 いい歳こいた大人二人が、何を驚いているのやら。

 羽夜は戦いの中で進化する。吹けば消えてしまいそうなくらい威力の低い弾丸でさえ、羽夜の手に掛かれば無敵の化け物を葬る銀の弾丸だ。

「剣は側面から叩けば、案外脆い」

 稲穂が正面からベルフェゴールの懐に潜り込む。

「覚えておきなさい」

 教訓の一言を添え、雷を纏った斬撃でベルフェゴールの胸板を抉る。これまで以上の量の鮮血が噴き出し、ベルフェゴールはとうとう悲鳴を上げた。

「がぁああああああああああああああっ!? 貴様ぁあああああああああああっ!」

「うるさい」

 稲穂が魔力で身体強化を施して跳躍すると、耀真の射線が開けた。

 ベルフェゴールが【ショートワープ】で姿を消す。行く先はもう分かっていた。

――行くぞ、神楽。

 刹那に満たない合間で、耀真は神楽から譲り受けた魔導回路を起動した。これまで普通の人間だった耀真は、当然ながら魔法を発動した事が無い。だから魔力をコントロールする方法など知りようが無いのだ。とはいえ、かろうじてイメージだけで魔力を一か所に集中する程度なら可能だったのは幸いだ。

 【ソードグラム】の薬室に装填されているのは、触れている魔力を自動で吸収する性質を持った【ブランクバレット】。そちらへ魔力を寄せてしまえば、後は勝手に弾丸が魔力を吸収してくれる。

 耀真はくるりと背後へ振り返り、銃口を正面に向ける。まだ、標的たるベルフェゴールの姿も見えないのに。

 そのまま発砲。螺旋回転する弾丸が、濃縮された豪風を纏って飛翔する。

「え――」

 発砲直後、その射線上に現れたベルフェゴールの下腹部に弾丸が迫る。またしても被弾箇所に魔力の防壁を展開していたが、風属性の魔力によって貫通力を強化された銃弾が防壁を削り、突き抜けた。

 結果、見事にベルフェゴールの下腹部に銃弾がめり込み、彼の体を吹っ飛ばして一番近い大木に叩きつけた。

 ベルフェゴールが膝を突いたまま起き上がる。

「ワープ直後に命中だと……!? 一体どうなっている……!」

「お前は咄嗟の時に【ショートワープ】で敵の背後に回る癖がある。それさえ分かれば、後は【神霊の瞳デモンズサイト】で出現先の細かい予測をしてやるだけで、ほらこの通り」

 耀真は真っ直ぐ羽夜のもとへ歩き出した。

「ちなみに、さっき撃ち抜いたのは魔力の産生器官だ。これでしばらく魔法は使えない」

「これが……【虚空の王ヴァニティデーモン】の【神霊の弾丸デモンズドライブ】か」

 口角から泡と血を吐き、ベルフェゴールが虚ろな目で耀真を見上げていた。

「見えない敵に対して、正確な座標に弾を命中させる技……噂には聞いていたが……!」

 どうやらご存じのようで。まあ、知っていたところで既に手遅れだが。

 余談だが、これは五新星の中でも屈指のステルス戦術の使い手を倒す為に考案された耀真の固有技だ。【アマツカミ】との試合で、ワームホール越しに木枯唯奈を葬ったのも実はこの技である。壁抜き狙撃とか、別の名前で呼ばれる事もある。

「さーて、羽夜様?」

 彼女の前で立ち止まり、耀真はいつもの調子で言った。

「最後はドドーンと、派手にいきましょうか」

「いえっさ」

 羽夜が手を翳すと、その掌から淡く白い光の球体がいくつも漏れ出した。

「【光魔法 蛍火】。最近、魔法の残留時間が少し伸びました」

「おー、やったなー」

 いまが戦いの真っ最中であると忘れるくらい、その光は癒しに満ちていて、とても人を害するような魔法には見えない。

 だが、それはあくまで、耀真が関わらなければの話だ。

「さてと、ベル様? 短い間だったけど、色々と世話になったな」

「……俺を逮捕するんじゃなかったのかい?」

「悪い。気が変わった」

 嘘偽らざる本音を吐き、耀真は銃の照準を【蛍火】に合わせた。

「お前の顔は、もう見飽きたよ」

 発砲。弾倉の弾を全て撃ち尽くし、耀真の前に浮いていた合計十二個の【蛍火】に命中すると、それら全てが極大の破壊光線となってベルフェゴールを飲み込んだ。

 大気中の水分でも蒸発したのか、白い水蒸気がベルフェゴールの周辺を満たす。恐ろしい事に、弾丸が通った跡は文字通り全て焼け野原と化していた。

 いまので丁度、こちらの弾倉もストックが尽きた。【ソードグラム】は、いまやただの鈍器と化した。

「終わった……」

 少しだけ気が抜けて、全身が寒気で硬直した。

 ベルフェゴールは未だに原形を留めていた。それどころか、氷山のような半透明の結晶が、彼の眼前でそそり立っていたのだ。

「防がれた!?」

「氷の……壁……?」

 もはや疲れ切っていた羽夜が呆然と呟く。

 彼女が氷の壁と形容したその結晶体には、耀真が放った全ての銃弾が深くまで埋もれている。信じられない耐久力だった。

「凄まじい威力だ。防御の為に魔力を八割も削った」

 ベルフェゴールの後ろから、悠然と歩いてくる者がいた。

 西洋の教皇が纏っていそうな黒い祭服に身を包み、厳つさの中に爽やかさがある顔つきの、体格が良い男性だ。強さと威厳を上品かつ自然に漂わせるその男は、魔装士界隈に生息するなら知らない者がいないと言われる程の大物だった。

 悪魔族の頂点を統べる王。【九天魔】の一人、ギュンター・ドレッセル公だ。

「悪魔の王……だと……?」

 まず、最初に感じたのは純粋な驚愕だ。何故この男がここにいる?

 そして、何故ベルフェゴールを護った?

「何で……」

 次に感じたのは、絶望だった。

 もう弾倉は尽きた。羽夜の体力も限界だ。黄泉はともかくとして、稲穂や吹雪も既に魔力をほとんど使い切っているだろう。

 そんな場面で、彼は降臨した。そして、同じ悪魔族のベルフェゴールを護ったのだ。

 つまり、この男は敵だ。

「何で……どうして……!」

 耀真は無駄と知りつつ、空っぽの銃をギュンターに向けた。

「どうして邪魔をした!?」

「…………」

 彼は無言でこちらへ歩いてくる。耀真はスライドが開ききったままの【ソードグラム】の引き金に指を掛ける。

 でも、引き金は引けない。当然だ。弾が無いのだから。

 動きたくても動けない。体のダメージと、王と敵対する恐怖が、全身を訳の分からない剛力で縛り付けてくる。

 心臓が早鐘を打つ。

 動け、動け――動け!

「――すまなかった」

 王は丁寧な仕草で耀真の前で跪き、ゆっくりと頭を垂れた。

「私の同胞が君に大変な迷惑を掛けた。私の安い命を捧げたくらいで、到底許される事では無いと理解している」

「……え?」

 全身が硬直したまま、耀真は彼の言葉の意味を理解しようとするが、それを待たずして黄泉が後ろから教えてくれた。

「天霧君、彼は敵ではありません」

「どういう……事ですか……?」

「それより、先に銃を下ろして、彼を立たせてやってくれませんかね? このままだと、彼は一生このポーズのままですよ」

 黄泉が言った通り、ギュンターはずっとその姿勢を維持していた。どうやら、このままでは拉致が空かないようだ。

「あの……ギュンター公。頭を上げて下さい。色々ご説明願いたいのですが……」

「君が許すなら、そうしよう」

 銃をホルスターに仕舞うと、ギュンターは立ち上がり、膝の土埃を払おうともせずに耀真と向かい合った。

「まずは初めまして。私はギュンター・ドレッセルという者だ。君の話は聞いているよ、天霧耀真君――いや、【虚空の王ヴァニティデーモン】よ」

「ど……どうもっす」

 逆に耀真が畏まると、ギュンターは早速、神楽の亡骸に目を向けた。

「【魔力合成=水+風】――【合成魔法 薄霜はくそうひつぎ】」

 唱えると、冷気と共に神楽の遺体の体表が微かに白い霜に覆われる。

「彼女の遺体を冷凍保存した。これで腐敗は進まない。いまの私が彼女にしてやれる手向けは、精々これぐらいだ」

「あ……ありがとうございます」

「礼を言われると辛い」

 言うなり、彼はベルフェゴールを見下げ果てたような目で見下ろす。

「久しぶりだな、ベルフェゴール」

「ギュンター……やはり、悪魔族の同胞は見捨てておけないか? おかげで助かったよ」

「何を勘違いしている?」

 いままでの穏やかな口調から一転、ギュンターが冷え込んだ声音で告げる。

「別に貴様を助けようとは思っていない。お前の余罪を全て吐かせた上で、この地上から抹殺してやるつもりだからな」

「拷問しても俺は何も喋らないがね」

「情けない男だ。ケツ毛が干上がるまで子供達に火遊びのお代を毟り取られた挙句、こうしてみっともなく生き永らえた男の台詞とは思えん」

「貴様――」

「もういい、黙れ」

 ギュンターが指を鳴らすと、ベルフェゴールが一瞬にして巨大な氷塊に閉じ込められた。発動速度といい、威力といい、さすがは悪魔族の王だ。地力の桁が違う。

 彼は何事も無かったかのように、再び耀真に向き直った。

「そういう事だ。あのクソ野郎の始末はこちらで担当する」

「……お任せします」

「それから」

 ギュンターが耀真の両肩に手を乗せる。

「よく頑張った。君には大きな借りを作ってしまったな。ありがとう」

 そして、耀真と共に戦った少女達にも目を向ける。

「君達も、ご苦労だった」

「あのー、ちょっと質問が」

 稲穂が小さく手を挙げて訊ねる。

「外の結界はどうやって破ったんですか? 吹雪が【結界破り】で穴を開けたのは一瞬だった筈ですが……」

『俺達がやったんだよ』

 フィールド全体に、天霧壮真の声が響き渡った。どうやら実況席からMVRを管制して声を届けているらしい。

『外側からの侵入を阻む結界だけなら、俺達でも対処は可能だ』

「課長、グッジョブです!」

『イエスイエス。もっと褒めるんだ、稲穂ちゃん。ああ、そうそう。たったいま変な空間魔法は解除された。いまから全員、強制ログアウトさせるぞ』

 宣言してすぐ、この場にいる全員の体が発光して、次に目を開けた時にはバトルアリーナのMVRポッドの傍に送り込まれていた。

 ようやく、現実の空間に帰って来たのだ。

「耀真!」

 まず、壮真が実況席から飛び降り、耀真のもとへ駆け寄った。

「無事か? 何処か大怪我は――」

「幸運にも軽症です。ご心配をお掛けしました」

「お前達はよく頑張った。謝る事は一つも無い」

「天霧課長」

 安堵する壮真に、ギュンターが申し出る。

「弄月神楽の搬送の手配はこちらでしておく。貴方は部下の手当を」

「手配ならもう済ませてあります」

 アリーナの入場口から救急隊員が担架と共に駆け込んで来た。

「ベルフェゴールの搬送についても部下に指示してある。我々としては、神楽の冷凍保存とベルフェゴールの拘束だけで大助かりです」

「さようですか。ですが、まだ仕事が残ってる」

 言うが早いか、ギュンターは地面にへたり込んだ羽夜の前に立ち、掌から淡い青の光を浴びせた。

 羽夜が少しだけ身を震わせる。

「お……おお、寒い……でも、全身の痛みが取れていく……」

「君は内出血と筋肉疲労が激しかったからね。痛みを産生する物質の作用を、冷却して抑える魔法を使った。応急処置だが、これで日常生活には支障が無いだろう」

「ありがとうございます」

「君にも借りを作ったからな。これでも足りないぐらいさ」

 どうやら悪魔の王は羽夜にも興味を抱いたらしい。

「さて……次は耀真君の治療を――」

「課長!」

 アリーナの入場口から、清水小太郎が泡を食って駆け込んで来た。ギュンターのみならず、この場にいる全員が彼に注目した。

「大変っす! いますぐここから退避して下さい!」

「そんなに慌ててどうした?」

「局長が清掃班の連中と来てるんすよ! 早くこっから犯人達の遺体を――」

「余計な口を挟むなよ、下っ端が」

 小太郎の後から付いてきたのだろう。紫色の防護服とガスマスクを装備した何者かを複数連れ、顔を見ただけで気疲れしそうな相手がやってきた。

 魔導事務局局長の、飯塚伸造だ。

「仕事の邪魔だ。君達は早くここから退散したまえ」

「これはどういう事ですか、局長」

 壮真が進み出て、伸造と対峙する。

「何故、このような所へ清掃班を連れて来たのですか?」

「これは最も迅速な事後処理だよ、天霧課長」

「事後処理?」

「ああ」

 伸造は虫の死体でも眺めるかのような目で、神楽の遺体を見遣った。

「そこに転がってるテロリストの死体を、いまこの場で消去する」

「消去?」

 これには壮真だけでなく、他の生徒達も目を剥いていた。

「弄月神楽には検死が必要です。どのような理由でそんな事を?」

「二度も言わせるな。これ以上の質問は許さん」

「あまり子供達に醜い大人の争いを見せないでいただきたいものですが」

 黄泉が冷ややかに口を挟む。

「飯塚局長。貴方は戦闘課の魔装士に物理的に不可能な護衛の指示を押し付けた上に、事件発生当初の対策を全て天霧課長に押し付けてましたね? 貴方は事態の早期収束を計る事で、自らが招いたその過失をうやむやにする気なのでしょう?」

「何を言っているか分からないな。それより」

 飯塚伸造が合図すると、清掃班の職員の一人が、手錠で拘束された魔女装束の女を床に放り投げる。

 彼女の顔には見覚えがある。SS級魔導犯罪者のコリアンダーだ。

「コリアンダー!? 何でコイツがこんなところに――」

「先程、デスゲームに参加していた生徒の手によって制圧、確保された」

 伸造が目を遣った背後には、彩姫と楓太、政彦が清掃班の職員達の手によって後ろ手に拘束されている姿が見えた。

「私の仕事の邪魔さえしなければ、なお良かったのだがね」

「てめぇ、しおみん達に何しやがる!」

 耀真は疲労と外傷で痛む体で伸造に詰め寄ろうとする。

 すかさず、伸造が懐から自動拳銃を抜き、発砲。耀真の右の太腿に着弾する。

「っ……!?」

「耀真!」

「耀真さん!?」

 壮真と羽夜が青ざめて、膝を突いた耀真の傍に駆け寄る。ギュンターがすかさず指を鳴らして氷の回復魔法を使い、傷口を凍らせて止血してくれた。

 そんな彼らを尻目に、伸造は清掃班の一人に指示を出す。

「先にコリアンダーを焼き払え。世間知らずの子供達に、大人の恐ろしさを教えてやらねばなるまい」

「かしこまりました」

 指示を受けた職員が、携行していた筒状の魔装具の先をコリアンダーに向ける。狙われたコリアンダーは、薄目を開けて筒の奥をぼんやり眺めている有様だった。

「止めろ! 彼女はまだ生きている!」

 彩姫が叫ぶ。

「誰でもいい、早く止めてくれ!」

 楓太もかなり慌てていた。

「あれは死体清掃用に設計された火炎放射器型の魔装具だ。あれに焼かれたら、どんな生物も骨すら残らないぞ!」

「クソッ!」

 小太郎がすぐに、庇うようにしてコリアンダーに覆い被さる。

「局長、彼女は重要参考人っす。いまここで殺してもメリットは無いっす! さっきドニーとイェンの死体を焼き払ったばっかりなんだから、もういいでしょう?」

「……面倒だな。その女は後回しだ」

 伸造は再び、神楽にターゲットを定める。

「先に、主犯の方をやってしまおう」

「やらせるか……!」

 耀真が這う這うの体で、実行役たる職員の足にしがみつく。

「神楽は俺の家族だ……! だから……俺達が弔うまで、誰にも……」

「……私は君の、そういう偽善者っぷりが嫌いなのだよ」

 極めて冷徹に言い切るなり、伸造は耀真の顔面を蹴り飛ばした挙句、被弾した太腿を思いっきり踏みつけ、踏みにじった。

 思わず悲鳴が上がってしまう。それでも、耀真は腕を決して離さなかった。

「……俺の事は…………殺したきゃ殺せ……! でも……神楽だけは……!」

「では、そうさせてもらおう」

 伸造が銃の照準を耀真の頭に合わせる。引き金に指を掛け、すぐにでも発砲可能の態勢を整える。

「君も、骨すら残さず消えるがいい」

「させない」

 羽夜が歩み寄り、伸造と正面から向き合い、彼の手首を取った。

 あろう事か、彼女は伸造の手首を持ち上げ、銃口を自分の胸に合わせる。

「……何のつもりだね、渕上羽夜。いくら君でも、許されない事はあるのだぞ?」

「貴方の許しとか、どうでもいい」

 羽夜の声は、静かな怒りで震えていた。

「もし耀真さんを撃つつもりなら、先に私を撃ちなさい」

 彼女の一言で、伸造は反射的に手首を払って三歩下がった。

 静かで、穏やかで、それでいて冷たい声。いまこの場にいる全ての者達が、羽夜の気迫に少なからず恐怖を抱いている事だろう。自分だってそうだ。

「私は【チーム・バルソレイユ】のエース、渕上羽夜です。そのリーダーと、彼の家族に害意を向けるのであれば、何人たりとも私が容赦しません」

 伸造がまたしても引き下がる。銃を下ろし、ただ羽夜だけを見ていた。

「……困ったな、家族と来たか」

 壮真が羽夜の傍らに立ち、彼女の肩を軽く抱いた。

「じゃあ、神楽は俺の娘だな」

「天霧課長……?」

「ついでにもう一人、娘が増えそうなまである」

 壮真が羽夜に、似合わないウィンクをする。

「羽夜さん。俺の事はパパ、もしくはお義父さんと呼びたまえ」

「天霧課長……貴様、自分が何をしているのか、分かっているのか?」

 伸造が、今度は銃口を壮真に向ける。

「局長の決定に背いた罰は軽くないぞ」

「じゃあ、私達のパパをイジめる局長はどうしてくれましょう」

 稲穂が剣を構え、刀身に雷電を纏わせる。

「課長。貴方の義理の娘はここにもいますよー」

「義理の息子もな」

 楓太が油断しきっていた清掃班の職員を蹴っ飛ばす。彩姫も政彦も、全く同じタイミングで蹴りを放って一人ずつ吹っ飛ばしていた。

「つーか、局長てめぇコノヤロー。俺の弟分に何て事してくれやがんだ、コラ」

「ついでに、よくも俺のビジネスパートナーをやりやがったな」

 政彦が全身に思いっきり力を入れると、彼を構成している筋肉という筋肉が全て膨れ上がり、やがて自らの両手を縛っていた手錠を粉々に弾き飛ばした。

 解放されてすぐ、政彦が懐から予備の魔装具のナイフを取り出して、彩姫を拘束していた手錠のチェーンを一太刀で切断した。

「さて、しおみん? 手錠プレーの感想は?」

「最高に最悪だ」

 さしもの彩姫も、この時ばかりは笑顔で激怒していた。

「入道君。その超パワーで、彼の頭を握りつぶせないものかね?」

「……どいつもこいつも」

 今度こそ苛立ちを露わにして、伸造が怒鳴り散らす。

「貴様ら! この私に逆らって、今後楽な生活が送れると思うなよ!?」

『ハイハイ、そこまでー』

 アリーナ全体に少女の声が流れる。実況席のマイクを経由して、アリーナのスピーカー全てに音声が乗っているのだ。

『局長? これまでの話は全校放送で流れてますけど、これ以上続けます?』

「姫風ぇええええええええええええっ!」

 雪緒が実況席から楽し気に手を振っている。相変わらずだな、と思った。

「……こんな事をして……貴様の弟の命を、誰が繋いでいると思っている!? 私が手を回さねば、お前は病気の弟を抱えたまま路頭に迷っていたんだぞ!」

「それは課長から受けた恩です。さらっと嘘つかないで下さい」

「黙れ! こうなったら、もう手段は選ばんぞ!」

「彼女に手を出すのは控えていただこう」

 ギュンターが持ち上げた右手に冷気を纏わせる。

「元・人間とはいえ、姫風雪緒は悪魔族の同胞である。彼女に危害を加えるつもりなら、この悪魔の王が黙ってはいないぞ」

「それから、私の生徒達に手を出すなら、如何に貴方でも容赦はしません」

 黄泉がギュンターの横に立ち、杖を構える。

「悪魔と魔女の王を、あなた一人で止められますか?」

「くっ……」

 いままで勢いだけだった伸造の覇気が縮退していく。

「何故だ……何で、揃いも揃って私の邪魔をする……?」

「単純に、人望が無いからじゃない?」

 この場に意外な人物が現れた。笠井雨音が、さっきまで沈黙を貫いていた吹雪の案内で伸造の前に躍り出たのだ。

「ていうか、みっともなさすぎて泣いちゃいそう」

「ついでに、私達の逆鱗にも触れました」

 吹雪が地面に這いつくばる耀真の銃創を見遣る。

「彼は最後まで魔装士として立派に戦いました。だからこれ以上、私達の誇りを汚すような真似は許しません」

「でも、私達はまだ優しい方ですから。チャンスをあげましょう」

 雨音はさっきから吹雪と一緒に持ち歩いていた、灰色の魔女装束を纏ったデク人形を抱え上げる。

 雨音が雪緒に放送を切るように指示すると、不敵な笑みを作って告げる。

「ついさっき新しい魔法を開発しまして。この人形に残存していた魔力を辿って、ユーザーの逆探知に成功しました。この行動については、あらかじめ天霧課長から指示を受けていたのですが、あまり公式には知られていません」

「つまり、笠井さんへの依頼は局長が指示した事にすれば、魔導事務局を苦しめていた原因不明のクラッキングの実行犯を取り押さえた手柄は局長のものになります」

 つまり、迅速な事後処理の手柄の代わりに、これまで『学校潰し』の中核を成していたサイバーテロリストの確保をしたという手柄で我慢しろと言っているのだ。

 吹雪がさらに追い打ちをかける。

「本当の事後処理は、この事件で生徒を喪ったご親族への補償。そして人質に取られていた生徒達のアフターケアと、学校設備そのものの立て直し。実際に戦った生徒達への報償なども含めれば、やる事は沢山あります。ところで、局長。貴方はこんな事をしている場合なのでしょうか?」

「死体の処理は、耀真のお父さんにでも任せたら?」

 雨音がわざとらしく腕を広げ、肩を揺らす。

「もしこのチャンスを逃せば、それこそ汚名返上が遠のくんじゃない?」

「…………」

 伸造は少しの間だけ押し黙ると、雨音と吹雪の手からデク人形を取り上げ、そのまま彼女らの横を通り過ぎていった。

「帰るぞ」

 この一言で、清掃班の連中が彼の後を追い、バトルアリーナから立ち去った。

 本当の意味で静かになり、壮真が安堵のため息を漏らす。

「……ふぅ。助かった。ありがとう。笠井さん、渡来さん」

「いえ。むしろ、課長の手柄が一つ無くなっちゃいました。申し訳ありません」

 吹雪が頭を下げるが、壮真はむしろ安心感を隠そうともせずに笑った。

「一つや二つくらい、別に痛くも痒くも無いさ。手柄なんて結果論だ。そのうち、勝手に生まれるさ」

 この台詞が、天霧壮真という男の全てを一言で表していた。

 まだ、父には敵わないな。

「それより、耀真の手当が先だ。ドレッセル公が血を止めてくれてはいるが、銃弾を早く摘出しないとマズい」

「課長、エリーゼがいま到着したって」

 楓太がスマホで通話の相手といくつか言葉を交わしている姿を見ているうちに、徐々に瞼が落ちてきた。

 最後に、すぐ傍で横たわる神楽の遺体に目を向ける。

「いますぐエリーゼに耀真の応急処置を頼んで――」

「耀真さん、いま魔導救命士の人が来――」

「よくやったな、耀真。あと少し――」

「天霧君、しっかり――」

「耀真――」

 仲間達と、肉親と、恩師の声がする。

 ……お前にも、紹介したかったな。

「神楽……」

 でも、それはもう叶わない。

 だからせめて、俺と、俺の仲間達と家族に、お前の新しい旅を見届けさせてくれ。

「おやすみ。…………安らかに」

 そして、いつか聞かせて欲しいし、話したい。

 俺とお前の、それぞれの旅路の、永い永い土産話を。


   ●


 渋谷駅前は決して綺麗な大都会の一か所ではない。ポイ捨てされたゴミや煙草の吸殻などで妙な異臭を放つ日がたまにあるらしく、嗅覚が敏感な獣人族からは蛇蝎の如く忌避されているという。休まらぬ人混みもあってか、むしろスマートさに欠けた俗っぽいイメージの方が先立っている――と、現地住民の耀真は内心で述懐する。

「……ハチ公、か」

 とある約束の待ち合わせ場所に指定されたハチ公の銅像に向き合い、耀真はぼんやりと物思いに耽っていた。

 忠犬・ハチ公は飼い主の死後十年にも渡って、飼い主を出迎える為に渋谷駅前に通い続けたという献身的な精神の持ち主だ。その姿は数多くの人の目に留まり、やがて銅像が建てられる程に尊敬の念を集めたのだという。

どうしてか他人事には思えない。最近まで、身に覚えがあったからだろう。

「俺の前世は、お前だったのかもな」

 単なる独り言である。

 なのに、ハチ公の銅像はやけに可愛らしい声で、その独り言に応えてくれた。

「君はいまでも誰かを待っているんだワン?」

「…………」

 このワン公、俺の内心を言い当てやがった。

「そうだな。待ち合わせ時間から五分経過しても来ないバカ共が四人」

「それは災難だワン」

「…………」

 白々しい犬っころだ。そろそろイラっとしてきた。

「……俺とお前、どっちが不幸だったんだろうな」

 急に馬鹿馬鹿しくなり、耀真は自嘲気味に語り始めた。

「お前は飼い主が死んだ事すら知らないまま、ひたすらに主人を待ち続けた。俺は死んでるかもしれない人を待ち続けて、ずっと迎え入れる準備をしてきた。お前は最期まで愛する人には会えなかったが、俺は会えたと思った瞬間に目の前でそいつが死にやがった。もしお前がまだ生きてたら……言葉を交わせたら、いくらでもお互い、その生涯について語り合っていたと思うぜ。きっと、親友かってくらいに」

「それは残念だワン。ところでお腹減ったワン。何か奢ってくれワン」

 おいワン公てめぇ、空気読めコラ。

「ドッグフードでいい?」

「それは勘弁だワン。肉まんでヨロシクだワン」

「そんなんで良ければ買って差し上げよう」

「マジで?」

 羽夜がひょっこり銅像の裏から顔を出してきた。ゲンキンな奴だ。

「やったー。耀真さん太っ腹」

「お前、さっきからずっと俺の様子を覗き見してたろ」

「うん。一時間くらいここで待ってた」

「俺の方が遅かったの!?」

 嘘だろ? 十分前にはここに来てたんだぞ?

「……ところで、しおみん達はどうした?」

「実はあの三人だけ、後から待ち合わせ時間を遅めに伝えておきました」

「は? 何で?」

「耀真さんのお父さんが、別件で耀真さんに用があるんだって。先にそっちを済ませてからにしようって話になった」

「聞いてないんだが? ていうか、別件って何?」

「ここに空間移動の汎用術式をセットしたから、詳しい話はワープ後に教えるって」

「……嫌な予感がする」

 わざわざ呼び出しの為に羽夜を使ってくるあたり、我が父の性格の悪さがよく分かる。

「ていうか、空間移動って言ってたけど、俺を何処に飛ばす気だ?」

「さあ? 私も知らない」

 つまり、最初から知っていたら耀真が絶対行かない場所へ連れていくつもりだ。

 何だか分からないけど、いますぐ逃げた方が――

「俺、ちょっと急用が――」

「あ、ごめん。もう起動しちゃった」

「嘘ぉ!?」

どうやったのかは知らないが、足元では既に白い魔法陣が光を放っていた。しかもこの感じからして、純粋なる神人族産の汎用術式だ。

 つまり、一回起動したら、もう逃げられない空間転移だ。

 視界がホワイトアウトする。

 次に目を開けた瞬間には、仄暗い会議場みたいな場所に居た。

「……ここって」

「来たか」

 隣には魔導事務局の制服を着た天霧壮真が立っていた。

「羽夜さん、ご苦労」

「いえいえ」

 羽夜がぺこりと頭を下げる。

「で、ここは何処ですか?」

「耀真、羽夜さん。あちらを御覧なさい」

 壮真が指し示したのは、手前から長く伸びる長机の会議席に腰を落ち着ける、九人の有名人の姿だった。

 比良坂黄泉は勿論だが、ギュンター・ドレッセルも居る。それ以外の全員も、その二人と同等以上の立場の魔族達だった。


 エルフの王=アルウェン・イムラドリ

 獣人の王=グランツ・ウォルダー

 グールの王=ハワード・モリス

 吸血鬼の王=エミール・クルクベウ

 ドワーフの王=櫛田弘嗣

 妖怪の王=ぬらりひょん(本名不詳)

 神人の王=ブックマン(本名不詳)


 この魔族社会の頂点を統べる魔族の王達――【九天魔】が勢揃いである。

「……マ?」

 耀真は目が点になった。

「いや。いやいやいや。ちょっと待て」

 続いて、奸計の末に耀真をここへおびき寄せた父を見遣る。

「父さん……ここって、魔族の国会議事堂とも呼ばれる、あの【九天会議】の議席では?」

「そうだ。つまり、極めて政治的な会合だ」

「何で俺を連れてきた?」

「ここにおられる王の方々が、お前と話をしたいとお申し出になったからだ」

 王達の視線はさっきから耀真に釘付けだ。黄泉やギュンターは耀真の反応に少し笑っていたが、それ以外の王達は値踏みするような視線をこちらにぶつけてくる。

 いや、困るんですけど。俺はこれからどうすればいいの?

「そいつが、あの【虚空の王ヴァニティデーモン】か」

 獣人族の王であるグランツ・ウォルダーが鷹揚に訊ねてくる。ライオンのような鬣を持つ大柄な彼は、その威圧感に相応しい鷹揚な態度をむき出しにしていた。

「ただのガキじゃねぇか。なあ?」

 グランツが隣の櫛田弘嗣に水を向ける。日本人名のドワーフは、その種族が示す通りの小柄で恰幅の良い体格だったが、頭に撒いた青い柄物のバンダナが何処となく往年の職人のような雰囲気を漂わせている。

 当然か。彼は世界でも一位、二位を争う魔装具職人だ。

「魔族の王が揃いも揃ってビビっていたのがバカらしいわい」

 弘嗣が渋みのある声でぼやくのを尻目に、耀真は議席に参列する者達の顔ぶれをじっくり見渡す。

 魔族の王達が着いている席の後ろには、それぞれ一人ずつ、従者らしき魔族が控えている。彼らは付き人と呼ばれる存在であり、簡単に言うと王が最も信頼する側近だ。ちなみにブックマンと黄泉の後ろには誰もいない。きっと、欠席しているのだろう。

 弘嗣と同じくらいの背丈の仙人みたいな老師――ブックマンが、参加者全員の様子をそれぞれ見渡し、空気と同じくらい軽やかな声音で告げる。

「では、これで予定していた参加者が揃ったという事で、早速会議を――」

「ちょっと待て、ジジイ」

 またしても、グランツが口を挟んだ。

「俺はまだ納得してねぇぞ。そこのガキ二人が、この場に参加する資格があるのかどうか。まだ、ここの王達は誰も確認していない」

「では、どうする?」

「簡単さ」

 グランツの体表に魔導回路が浮かび上がる。

「ちょっとだけ、力を確認させろ」

 グランツが席から腰を浮かす。それだけで、魔族の王と付き人達が臨戦態勢を整え、壮真と羽夜も軽く身を引いた。

 その時には既に、グランツの毛髪が何本か、宙を舞っていた。

「……え?」

 グランツが自分の頬を撫でる。何が起きたか分からない状態のまま。

 単純な話だ。耀真が発砲して、グランツの頬に【シルフィードバレット】を掠め、ついでに射線上にあった豊富な毛髪の何本かを刈り取ったのだ。

 どうやら、全てが終わるまで、誰も気付かなかったようだが。

「止めておけと言うつもりだったのだがな」

 呆れたように言うのは、グールの王こと、ハワード・モリスだった。袈裟のような白い衣装を身に纏った、西洋人の顔立ちをした知的な風貌の男性だ。

「この場にいる者全員がいまの射撃に反応出来なかった。これが【虚空の王ヴァニティデーモン】の【超高速精密射撃】。撃たれた者は自らの死でさえ気付けない」

「……ああ。どうやら、そうみてぇだな」

 納得したように頷くと、グランツは羽夜に視線を遣る。

「そこのお嬢ちゃんと壮真を除いたらな」

 羽夜と壮真が身を引いたのは、グランツの威嚇に対してではない。既に発砲していた耀真から離れないと、王の反撃に巻き込まれると判断したからだ。

「合格だ。水を差して悪かったな、ジジイ」

「全く、お前ときたら……」

 呆れ果てたブックマンが、咳払いして会議の開催を告げる。

「それでは、九天会議を始める。議題は言うまでもなく、先日の学校潰しの一件だ。今回の一件から、重要な報告がいくつか生まれた」

 やはりそうか。ここに来た時から、そんな気はしたのだ。

「報告書は既に受け取っている。まず、これまでの犯行で監視カメラが使えなくなっていた件だが……結果から言うと、最後の犯行が終了した際に、その犯人は死亡していた」

「死亡?」

 羽夜が首を傾げる。ブックマンは特に気にも留めずに話を進める。

「笠井雨音が突き止めた犯人の居場所は、都内の漫画喫茶だった。そこで車椅子に座った推定十歳の少女の遺体が発見されている。コリアンダーの証言では、マリーアントというコードネームだったそうだ。本名は分からん。ベルフェゴールが生み出したゴーレムの指揮系統の中枢を担うデク人形を操作していたのも彼女だ。そして、カメラの視界を自らの視界と同調させる索敵系魔法を使う事で、侵入の補助をしていたそうだ」

「おかげで天都学園も無防備だった訳だ」

 グランツが頭の後ろで手を組んで天井を仰ぎ見る。

「それで? ベルフェゴールはいつの間にゴーレムを校内に大量投入させる空間魔法を使ったんだ?」

「単純に、奴が天都学園を下見した際に設置型の空間魔法をばら撒いていたらしい。時に天霧耀真よ、お前は覚えておるか? 福島瑞希が原因不明の暴走を起こした騒動を」

「……あの時、福島先輩を暴走させたのもあいつの仕業か」

 あの時は黄泉ですら対処に難色を示していたのだから、まずそれで間違いは無い。

「彼女を暴走させたのも、自分の仕事から天都学園関係者の目を逸らす為だろうよ」

「俺と羽夜をMVR内に引きずり込んだのもベルフェゴールの仕業ですか」

「ああ。アリーナ全体に空間魔法の痕跡が残っていた。それより、問題視すべき点が二つある」

 この発言で、王達の表情が一気に引き締まる。これがこの会議の本題である。

「一つ。ベルフェゴールがMVR内で使用した【ワールドリバーサル】という魔法。その後の調べで、あれは奴自身の魔法ではなく、MVRの装置に汎用術式を組み込んで発動させていたと判明している。つまり、何者かがその汎用術式を世界中に流通させている可能性が高い、という事だ」

「魔法を販売ですか。おぞましい話です」

 吸血鬼の王、エミール・クルクベウが陰鬱な面持ちで言った。

「ウィッチバトルとは、VR空間内で行う絶対安全な魔族のeスポーツ。そのフィールド内で現実のダメージを適用させる魔法など、競技の根幹そのものを揺るがしかねない禁忌の術式そのもの。下手をすれば、九天協定の意義が揺らぐ大事件です」

 そもそも魔族のスポーツへの公式戦出場が禁じられているのも、九天協定という法があってこそだ。だから魔族が唯一公式戦に参加が出来るウィッチバトルは支持を得ている。エミールの発言は、そのままウィッチバトルと魔族の未来に対する危惧を表していた。

「そのような術式は存在してはいけない。すぐにこの世から抹消すべきです」

「憤る気持ちも分かる。だが、今日明日でどうにかなる話ではない。販路の特定や制作者の捜索にしても、かなりの時間を要するだろう」

「ですね。それと、二つ目の問題とは?」

「教師のレベルが低すぎる、という事だ」

 これを聞いた黄泉が少し不快感を露わにする――が、口にはしなかった。

「天都学園の一件では教師が生徒達の命を盾に取られて全員制圧された。それ以前の被害に遭った学校についても、電撃作戦同然で突撃を喰らって対処出来る教員が一人もいなかったと聞く。日本国内でまともな魔装士の教員など、比良坂先生や鬼塚先生くらいしか思い浮かばない。総じて、教員達の戦闘能力が不足している」

「何なら、耀真達みたいなガキ共がまともに見えるくらいだ」

 グランツが口走った事は、そのまま魔装士の能力に対する皮肉だった。

「連中の酔狂が招いた事態だが、今回活躍が目覚ましかったのはガキ共の方さ。魔導事務局の連中はともかく、それ以外の無資格者達が随分と頑張ってたな」

 グランツの視線は羽夜へ向けられていた。

「いっそ、そっちの嬢ちゃんをいますぐ特級に推薦してもいいんじゃね?」

「グランツ。少々、喋り過ぎではないですか?」

 黄泉がやんわりと獣人の王を諫めにかかる。

「とはいえ、ブックマンがおっしゃる事も一理ありますね。教職者全員に特別メニューで特訓してもらうしか、皆様がご納得されるような基準を満たせそうにありません」

「その特別メニューとやらは止めておくんだ」

 黄泉の隣に座るギュンター公が苦笑気味に発言した。

「ただでさえ教師とは重労働だ。他の業種と比べても労働環境が劣悪な状況で、お前が想像するようなメニューを強制してみろ。最悪、死ぬぞ」

 まさか魔族の頂点に位置する会議で過労死の話をする事になろうとは。

「そういえば、来月にはユースクラスの地区予選があったな」

 締まらない空気の中、ギュンターがそしらぬ顔で言うと、黄泉が首を傾げる。

「それがどうかしましたか?」

「その予選前に、他校の選手達同士でのちょっとした交流会を企画している者がいるとかいないとか。強化合宿とは言っているが、単に彼女の酔狂だろうな」

 ギュンターは机の下からA2版のポスターを取り出して大きく両手で広げる。

 内容を簡単に説明すると、JTBが提供する箱根旅行の案内だった。

「少し前に会った時、渕上麻夜からこれを貰った」

「……何故?」

 実の娘たる羽夜が呆れて肩を落とす。ギュンターも大体似たような仕草をしていた。

「知らん。ただ、渋谷ブロックの場合は箱根合宿の開催を計画しているとの話だ。『学校潰し』の被害に遭った天都学園に対する慰労がメインの目的だが、それだと他の学校から見ればただの依怙贔屓となる。そこで、同じ渋谷地区の明星高校と岩鞍高校といった有名なチームを擁する学校等も招待する運びとなった」

「ジャミルと猿飛先輩も来るのか」

 耀真はにやりと唇の端を吊り上げる。

「そいつは楽しみですな」

「…………」

 内心わくわくしている耀真の横で、何故か羽夜が少し不安そうな顔をしている。

「なーるほど。そういう事ですか」

 エミールがふふっと鼻を鳴らして笑う。

「その強化合宿に、参加校の教職員達も連れていけばいいと」

「ああ。まずはそれで様子を見る。もし強化合宿で職員達の能力向上に成功すれば、他の学校でも同じようにやってもらう」

 ギュンターがエミールの背後に控える付き人の少女を見遣る。

「エミール、麻夜からの伝言だ。今回の合宿、お前の娘さんの力もお借りしたいそうだ」

「決めるのはエリーゼです」

 エミールは背後に控える付き人の少女に、椅子ごと振り返る。

 少し浅黒い肌に、くりくりと大きな両目。身長はやや雪緒に近いが、足回りや腰回りの肉付きが少しだけ厚いように感じる。当然ながら太っているのではなく、かなり健康的な体型であり、彼女もまた美少女の類に入るのだろう。

 エリーゼと呼ばれた少女は、にんまりと笑って告げる。

「りょーかい、です! 私でよろしければ」

「話はまとまったかの」

 いままで黙って見守っていたブックマンが朗らかに割って入る。

「麻夜がそのつもりなら、教員の件については一旦保留にしておこう。比良坂先生、成果の報告はお忘れなきよう」

「かしこまりました」

「あー、それから。天霧耀真」

 ブックマンが再び耀真に呼びかける。

「最後に確認したい。お前はワシら魔族の味方か? それとも、敵か?」

「…………」

 質問の意図は何となく理解している。

 最強にして正体不明の魔装士、【虚空の王ヴァニティデーモン】。それが果たして魔族の王達にとっては脅威となるのか、はたまた盟友となるのか。彼らはきっと、今後の魔族社会のパワーバランスを憂慮するが故に知りたいのだろう。

 そうか。この質問の答えを直接聞きたくて、俺をこの場に呼んだのか。

「それは貴方達次第です」

 迷いなく答え、耀真は王達の顔をそれぞれ見渡し、そして告げる。

「魔法とは、戦う為だけじゃない――多くの人々の生活や幸せに直結するものです。それを侵害する者と戦う。それが、魔装士の仕事です」

「王が敵になっても、同じ事を言えるのか?」

「相手が誰でも関係ありません。相手が王でも、俺が倒します」

「…………」

 王達の視線が一気に鋭くなる。あの黄泉でさえ、いまは耀真に対して警戒の色を濃くしている。

 威圧感ぱねぇ。ていうか、超帰りてぇー。

「流石だな」

 エミールが警戒を解き、黄泉を見遣る。

「先生。何やら、とんでもない教え子を抱えてしまったらしいですね」

「壮真君と貴方に比べたら、まだ可愛い方です」

「おっと、これは失敬」

 続いて、エミールはブックマンに視線で伺いを立てる。

 ブックマンは頷き、耀真に優しく告げる。

「天霧耀真。お前は一人の魔族を愛し、失った。それでも立ち上がり、また新たな絆を結ぼうとしている」

 彼の双眸は、いつしか耀真だけでなく、羽夜も視界に収めていた。

「予言しよう。お前達二人は、より多くの縁を結ぶ。隣で共に歩く仲間達が、気付けば視界に収まりきらぬ程に並んでいる。そこに、ワシら王の存在もあればいいな」

 ――認められた。

 【九天会議】の最高権力者である神人族の王から、仲間として認められたのだ。それはすなわち、いままで恐怖の対象だった【虚空の王ヴァニティデーモン】と、冷笑の対象だった【最弱の魔女】が、天霧耀真と渕上羽夜として受け入れられた事に等しい。

 ――神楽が生きてさえいれば、もっと誇らしかったかもしれないのに。

「耀真、羽夜さん」

 壮真が二人の間を割って前に出て、王達に対して深々と頭を下げた。

「弄月神楽の墓標の建造や、事件後の処置に始まる数多くのご厚意に、魔導事務局を代表して感謝を申し上げます。誠に、ありがとうございました」

「壮真も、よく頑張った」

 ブックマンが指を鳴らすと、壮真の手に封筒らしき物体が出現する。

「あまり多くは無いが、家族サービスとお前自身の褒美としては足りるだろう」

「身に余るご厚意、痛み入ります」

「うむ。それでは、今回の会議はこれにて閉幕する」

 あっさりと閉会宣言をするなり、ブックマンの姿がふっと消えた。おそらく、足元の空間魔法の汎用術式でも起動させたのだろう。

 他の王達も、耀真達ゲスト三人に軽く手を振ったり投げキッスをしたりして消えていった。ただ一人、ハワードだけは耀真を一瞥して、興味を失ったようにそっぽを向いていたが。

「よう、壮真」

 エミールがエリーゼを伴い、壮真の前に立つ。

「久しぶりだな。また随分とやつれたんじゃないか?」

「そうだな。最近は色々あり過ぎてマジゲッソリだわ」

 壮真が疲れたように答えると、すぐに耀真達にエミールを紹介する。

「基本的には初めましてだな。こいつはエミール・クルクベウ。見ての通り吸血鬼族の王だ。俺とは高校の同級生で、東京本部の戦闘課にも居た経歴がある。赤ん坊の頃の耀真とも会った事があるんだぞ?」

「といっても、いまは王としがない作家の二足の草鞋だがね」

「存じ上げております」

 耀真は感動を禁じ得なかった。

「まさか、愛読書の作家さんが目の前にいらっしゃるとは」

「マジか。とんだ偶然もあったもんだな」

「ジャミルもファンですよ。ご存じでしょうか、五新星の一人です」

「話には聞いてるが、そいつは初耳だな。一度は会っておきたいものだ」

「それと――」

 続けて、エミールの隣でこちらの様子を窺っていたエリーゼに向き直る。

「エリーゼ・クルクベウ先輩。魔導事務局・ルーマニア支部の特級魔装士。現在中学三年生にして魔導救命士としても活動する超天才。七歳の頃には既に二級持ちで、俺より圧倒的にキャリアは長い。先日も気を失った俺の手当をしていただいたとの事で、いつか直接お礼を申し上げようと思っていました。ありがとうございます、先輩」

「や……やだなぁ、私の方が年下なんだから、タメでもいいってば~」

 エリーゼが少し困っている。しかし、相手が相手だしなぁ……。

「あ、そうだ。羽夜」

 何かを思い出したように、ごく自然にエリーゼがスマホを出した。

「ごめん忘れてた。あん時、連絡先交換し忘れちゃったね」

「ええよ、ええよ。ほれほれー」

 いつの間にか仲良くなっていたのか、羽夜とエリーゼが向き合って楽しそうにスマホを操作している。そういえば、耀真が気絶している間に二人が初対面していたという話を稲穂から聞いた事があるような、ないような。

「そうそう。今後のエリーゼについてなんだが……」

 エミールが壮真と耀真に、事務連絡的に通達する。

「今回の事件を受けて、防衛省の提言によって東京本部も多少の戦力強化が求められた。そこで、エリーゼがルーマニア支部から東京本部の生活安全部・防災課へと転属になる。部署は違うが、戦闘課とは現場の性質はかなり近しいから無関係ではなかろう。今後、仲良くしてもらえると助かる」

「その辺は大丈夫です。ウチの羽夜様が受け入れた奴なら、大体みんな受け入れます」

 もっとも、羽夜は魔導事務局の職員どころか魔装士ですらないが。

「話はもうよろしいかな?」

 待っていてくれたギュンターが、耀真に声を掛ける。

「そろそろ行こう。君の仲間が待っている」

「……はい」

 これから自分は、覚悟を決めて最後の場所へ向かわねばならない。

 何故なら、五年前で止まった時計の針は、まだ動いていないのだから。


   ●


【神奈川県横浜市保土ヶ谷区・久保山霊園】


 ギュンターと壮真の車に送られ、【チーム・バルソレイユ】の面々と比良坂黄泉を伴い、会議のついでに付いてきたエミールとエリーゼも一緒に、耀真と羽夜はとある墓標の前に辿り着いた。

 右も左も前も後ろも全てが墓石。そんな景色の中にあって、魔族の王が三人も同席しているこの状況に、耀真は変な感慨に耽った。

 あの頃の俺達には考えられない状況だよな、これ。

「遅くなったな、神楽」

 耀真は神楽の遺骨が入った骨壺をカロートと呼ばれる納骨用のスペースに入れ、ギュンターと壮真が拝石という部材で蓋をする。これで納骨は完了だ。政彦と彩姫が墓の周りを雑巾で丁寧に水拭きして、雨音が杓子で水鉢に水を注ぐ。エミールと黄泉が線香に火を付けて香炉に添えると、最後に羽夜が持ってきていた花束を花立に挿す。

 添えられた花はピンクのスターチス。茎の長さの割に花弁が小さく少ない姿をしている。

 やる事を一通りやれば、後は手を合わせて捧げる黙祷のみ。耀真と壮真が先頭に立って瞑目して祈りを捧げ、後ろの面々も同じようにする。

 粛々とした時間が流れ、耀真は目を開き、合わせた手を解いた。

「あいつ、好きな花とか無くてな」

 快晴の下、スターチスの花弁がそよ風に揺れる。

「だから花言葉を調べて、俺の身勝手な願いを押し付けてやった」

「どんな花言葉なの?」

 羽夜が静かに訊く。他の者達も、真摯に耳を傾けてくれていた。

「変わらぬ心。途絶えぬ記憶。特にピンクのスターチスは、永久不変だそうだ」

「正反対だね」

「こうあって欲しかった。死人相手に惨い仕打ちかもしれないけど」

 だとしても、この場で耀真を咎める者は一人として存在しなかった。

「あいつは結局、俺を忘れたまま死にやがった。でも、忘れたまんまでも、俺にとって神楽は神楽だ。俺は神楽を家族として、一生忘れない」

「それが君の答えか」

 背後からギュンターが厳かに口を開く。

「ならば、フェアに事実を話そう。神楽の両親についてだ」

 予想外の言葉を聞かされ、耀真は思わず無言で振り返った。

「墓の手配のついでにハワードが調べてくれた。グール族は冠婚葬祭事業の柱だからな。遺族の情報を色々辿っているうちに、いま彼女の両親は仙台で暮らしていると発覚した。新たに男の子を産み、家族三人で暮らしている」

「ご両親とは接触したのですか?」

「ああ。神楽の訃報を伝えに、わざわざハワード本人が出向いたそうだ」

 グールの王はこの件に関して積極的に関与している様子だった。少し意外だ。

「ところが、ご両親のうち、奥方については神楽の話を始めた途端に、覚えてないだの、いますぐ出ていけだのと口汚く彼を罵ってその場から消えた。旦那の話によれば、奥方は神楽をもう自分の娘として見ていないとのことだ。人生の汚点とも、言っていたそうだな」

 耀真が同情ではなく、本当の家族として神楽の存在と、その死を受け入れる覚悟を示さなければ、この話はするべきではない。ギュンターがフェアと言ったのは、そういう事だ。

「彼女を真に思う者は、家族の中ですらいなかった。旦那の方でさえ、神楽の力に恐れを成して、まともに彼女の苦痛に向き合おうとはしなかった」

 ギュンターの真摯な視線が、壮真を射抜く。

「壮真。お前と、お前の奥様と息子さんが、神楽の本当の家族だった」

「……私も、そうありたいと願います」

 壮真が顔を伏せて再び固く目を閉じると、エミールが壮真の背中を軽く叩く。

「その顔で家には帰るなよ? 我慢して家で待っている美香に示しがつかん」

「分かっている」

 こうしてみると、大人の男という生物がどれだけ脆く、感情豊かなのかがよく分かる。大人になったら落ち着きが出てきて、きっと無駄な感傷を抱かなくなるのかな、と思っていたが、実際はもっと情に厚い生き物かのかもしれない。

 父の扱いをギュンター達に任せ、耀真は【バルソレイユ】の面々に向き直った。

「今日は来てくれてありがとうな」

「いいって事よ」

 政彦が気前良く言ってくれた。

「俺達も、まあ……他人事には思えなかったからな」

「それに一瞬とはいえ、彼女は耀真君を護ろうとしたのだろう?」

 彩姫が人差し指を墓標に向ける。

「なら、彼女は【バルソレイユ】の一員だ」

「神楽の生きた証が消えた訳でも無いしね」

 雨音が耀真の腕やら顔やらをまじまじ見ながら言った。

「神楽から貰った魔導回路、まだ体に残ってるんでしょ? あれからどうなの?」

「それがよー、体内の風属性の魔力を全部使ってから、ウンともスンとも言わなくて。だから、一生消えないタトゥーが体に彫られたようなもんだと思っておくさ」

 肉眼ではその魔導回路の姿は見られないが、体内に魔力を流せば見えるようになるのだろうか? 何かの機会に試してみたい気はする。

「じゃ、神楽はずっと私達と一緒に戦う訳だ」

「ああ」

 おそらくは一生使う機会も無いだろうし、【サーキットコンバート】と似たような禁術を使えば別の誰かに転写する事も出来るのだろうが、それでも他者に渡す気にはなれない。

 だって、いまこのタトゥの所有者に相応しいのは、自分だけだろうから。

「さて。そんじゃ、帰るか」

 全員にそう告げると、耀真は再び墓標に向き直った。

「いつでも俺達の作戦室に化けて出て来いよ。羽夜の分のお菓子、全部お前にくれてやる」

「何ですとぉおおおおおおおっ!?」

 羽夜が耀真の胸倉を掴んでぐらぐら揺らし始めた。

「駄目です駄目ですダーメーでーすぅ! そんなの私が絶対許しません!」

「はっはっはっは!」

「何ワロてんねん! 耀真さん? 聞いてるの? ねぇ……耀真さぁあああんっ!」


   ●


【TIPS】


 虚空の王=ヴァニティデーモン世間的には伝説の存在として畏怖される史上最強の魔装士。その正体を知る者はごくわずかな近親者を除いて他にはいない。故に「存在しない」という揶揄を込めて「虚空」と称されている。

 最近になって正体が発覚した彼の者は、誰よりも魔族と人を愛し、その平穏を命懸けで護らんとする、誇り高き魔装士の一人だった。



                【太陽の弾丸編 おわり】

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