第5話 究極の死闘

【TIPS】


 魔陣展開まじんてんかいと究極魔法=魔陣展開とは、何らかの形で魔法陣をその場で描く魔法技術を指す。魔法エネルギーをインク代わりにして魔法陣を形成するタイプもあれば、植物の蔦などを伸ばして陣の模様を描くタイプまで、その魔族個人によって展開方法が異なる。

 究極魔法はその魔法陣を経由して発動する超高威力魔法を指す。魔法陣とはいわゆる「これから発動する魔法の設計図」としての機能も果たす為、その模様や描かれた起動式などの性質や複雑さによって魔法の威力も変化する。

 主に複雑な術式を行使する術に長けた魔女族の得意技だが、他の種族でも使用可能。


   ●


――話は天霧耀真と弄月神楽の戦闘が始まる四十五分前に遡る。

「やってらんねー」

 稲穂は今日何度目になるか分からない愚痴を吐く。

「高井先輩と福島先輩が別のチームに登録したとか……やりにくいったら無いわ」

「何でいきなりそんな事したんだろうね」

 隣を歩く雪緒がお疲れ気味に苦笑する。

 いま二人は校内を巡回中だ。放課後の生徒達が帰らないうちに『学校潰し』が襲ってきても対処がしやすいように、勤務扱いで学校内を適当にぶらついているのだ。局長はこの巡回について人件費削減の目的で現場の魔装士を非番扱いにしたかったようだが、それをやると完全に労働基準法違反だ。それを壮真が全力で阻止したという裏話がある。

 内心で壮真に感謝していると、雪緒が素朴な疑問を口にする。

「ほら、【アンビシャス】って解散したじゃん? それで新しいチームを組むにしても、高井先輩の元にメンバーなんて集まりっこ無いじゃん。ていうか、他のチームにしても受け入れてくれるかどうかって怪しくない? そんな状況で、何で【チーム・チェイン】はあの二人を受け入れたんだろうね」

「多分だけど、高性能な競技用魔装具でもちらつかされたんじゃない? 【チェイン】の連中、魔装技師がメンバーから抜けて大変だったみたいだし」

「なーるほど。そらたしかに……」

 雪緒が全てを言い終わらないうちに、事件は起きた。

 突き当りの陰から、一人の男性教師が爆風と共に床へ叩きつけられたのだ。

「ヘイヘイ、アンタには用が無いんだって」

 さっき教師が飛んできた方向から、その少女はゆっくりと姿を現した。

 ミーティングの時に見た写真と同じ顔。頬に刻まれた三日月の黒いタトゥ。そこはかとなく稲穂と似ていると言われた容姿。たったいま発露した、強力な風属性の魔力。

「弄月神楽……!」

「おや?」

 神楽が稲穂と雪緒を捕捉する。

「やっほー。我妻稲穂ちゃんと姫風雪緒ちゃんだねー? ハジメマシテー」

「お互い自己紹介は要らなそうだね」

 稲穂はあらかじめ携行していた【ブリッツヴァジュラ】を抜刀して、雪緒に鋭く指示を飛ばした。

「雪緒は高井先輩達のもとへ急行して。こいつの相手は私がやる」

「了解。気を付けて」

「そっちもね」

 雪緒がすぐに踵を返して、風属性の魔力を用いた高速移動で退散する。

 稲穂は再び、目の前の相手に集中する。

「さてと……一応警告しとくけど、このまま投降してくんないかな」

「嫌だと言ったら?」

「言わせないでくれる?」

「あっそ。じゃあ……」

 神楽の足元で大気が渦巻き、彼女の周囲に無数の翡翠色の光球が生まれる。

「【風魔法 メテオレインバスター】」

「【光魔法 飛電雷切・八花】!」

 剣の一閃と共に八つの雷の矢が飛び出し、たったいま撃ち出された神楽の魔法の光球が一息に掻き消える。

 すかさず接近。間合いに入った。

「獲った」

 首を狙った斬撃が一閃する。しかし、刃は見えない何かによって神楽の首筋の一歩手前で阻まれ、動かない。

 風圧による防御だ。一旦飛んで後退して、剣の切っ先を正面に突き出す。

 【ブリッツヴァジュラ】が緑色の光を帯びる。大気中に散る神楽の魔力を吸収して、剣の中に取り込んだのだ。

 神楽の周囲を取り巻いていた魔力と風の奔流が弱まる。

「【光魔法 烈槍れっそう雷切】」

 腕を引き、鋭く突き出すと、剣から白い光の刃が伸びて彼女の額を狙う。

 しかし、神楽はその槍をさらりと体を逸らしてかわすと、たった一瞬でこちらの懐に入り、右の掌底を叩き込みにきた。

 直撃。全身から酸素が絞り出されるような錯覚を覚え、強い眩暈に支配される。

「な……」

 速過ぎる。動きもそうだが、こちらの手管への対応も異常に速い。

「君の動きは研究済みだよ」

 前に倒れる稲穂の体を、神楽は片腕で受け止める。

「情報が無い状態で真正面からやり合って君に勝てる自信は無いからね。いまだって、究極魔法を使われたら危なかったし」

「くそっ……」

 たしかにその選択肢はあった。最後に使ったのが【裂槍雷切】ではなく、究極魔法の【神槍しんそう雷切】だったら勝てたかもしれない。

 でも、こいつは耀真の幼馴染で――耀真にとっての、人生の全てだから。

 そんなの、ただの負けた言い訳か。

「悪いけど、君はこのまま眠ってもらうよ」

 彼女が告げた通り、稲穂の瞼はゆっくり閉じ、そのまま意識が途切れた。


   ●


 そして時は現在に至る。

 稲穂が目を覚ましたのは、学校の屋上だった。

「……生きてる」

 まだ自分が死んでない事を確認してから、次の状況確認に移る。

 まず、自分の体は目を覚ました時から起きている。何故なら、両手をめいっぱい広げた状態で、両手両足を鎖で拘束され、背後の黒い鋼鉄の十字架に磔になっているからだ。手首を釘で打たれていないだけ、キリストよりかはマシか。

 そして、場所について。外の眺めからして、ここは校舎東棟の屋上の端っこだ。下を見ると、地上で複数の生徒達が群れを成してその場から動いていない。しかも、彼らは暗い灰色の神官みたいな装束を着た複数の不審者達に包囲されている。

 最後に、自分と同じ状態で拘束されて左手側に並んだ、複数の女子生徒について。なんと、隣には我らが生徒会長の雲井逢花がいるではないか。

「会長……これは一体」

「私が訊きたいっての」

 逢花が舌打ち混じりに言った。

「ちょっと職員室に用があって生徒会室から出たら、いきなりこの状況よ。それに……」

 逢花の左隣には木枯唯奈も拘束されている。その左隣には、【チーム・ラッシュスター】の沖合桜もいる。それ以外の生徒達も目を覚ましてはいるが、自分達がどういう理由でこうなったのかが理解出来ずに当惑し、あるいは泣き叫んでいた。

 試しに魔力を十字架に流してみる。やはり駄目だ。この黒い十字架に使われている素材は、耀真の【ソードグラム】とほぼ同質と言って良いレベルの魔力耐性があるようだ。鎖についても同様だろう。

 逢花が不安を押し殺すように言う。

「これが例の『学校潰し』の手口なの? 聞いてた話と違うんだけど」

「さっき弄月神楽の姿を確認してます。同一犯で間違いない筈なんですが……」

「その通りだよーん」

 後ろから男の声がする。

「さすが特級魔装士様。まだ高校生だってのに、肝が据わってるねぇ」

「……国際指名手配中のS級魔導犯罪者、ドニー&イェン兄弟」

「正解。ちなみに俺はイェンの方だ」

 坊主頭の長身の男が稲穂の前に回り込む。

「どうだった? ウチの神楽は」

「私をエスコートするくらいの腕があって感心したわ」

「後で伝えとくわ。きっと喜ぶぜ」

「あんがと。で、これはどういう遊びなワケ? うら若き乙女を玩具に緊縛プレーでもしたいなら他所でやってくんない? ここは風俗店じゃないんですけど」

「悪いけど、そこまでイイ趣味してないわ~」

 イェンは舐めるようにして拘束された女子達の前を通り過ぎると、床に置いていた拡声器を手に取り、地上に存在する全ての天都学園関係者に対して大音声で告げる。

「あー、あー、皆様、聞こえてますでしょうか。我々は~日本の歪みきった教育という概念の過ちを正すべく、神より命を受けて降臨した正義の天使でありま~す……とか言っちゃって、本当は人殺しが大好きなだけの殺人集団でーす」

 イェンは何を思ったか、来た道を逆に戻り、再び磔の人質の前を歩く。

「だから去年不祥事を起こした教育機関っていう適当な括りでターゲットを見繕って端から端まで目ぼしい奴らをぶっ殺してきた訳でありますが、四件ともなると飽きてきちゃってねぇ。だからこの学校で最後にするつもりだったんですが、最後は趣向をちょっと変えてみようかと思い立ちまして」

 そしてまた踵を返し、ゆっくりと人質の前を往復していく。

「地上の皆様を包囲している灰色の装束の連中は、我々の部下の魔女。校内にいる分も含めたらざっと二百人といったところでしょうか」

 魔女が二百人? そんな人員、何処から用意したのか。

「学園長室におられる比良坂黄泉殿にも彼女らが侍っておられる。もし彼女が下手な真似をすれば、磔になっている人質を殺す。包囲されている連中も同じだ。彼女らに見えてる範囲で何らかの抵抗を示した場合、人質だけでなくお前らも殺す」

「ふざけないで!」

 余程我慢ならなかったらしく、逢花が抵抗を示す。

「そんなの、ただ人を殺して遊んでるだけじゃない! 何のゲームよ!」

「ゲーム。そう、ゲーム! まさしくその通り!」

 イェンが往復を止め、逢花を一瞥した後、拡声器で演説を再開する。

「部下の魔女達が電撃作戦で突撃して校内の連中を包囲してる真っ最中、運良く逃げた生徒達が何人かいたみたいでな。それと、いまバトルアリーナのMVR内には天霧耀真と渕上羽夜の二名を閉じ込めてある。しかも、その二人はこっちの仕掛けで外には出られない」

「何ですって……?」

 稲穂が驚きのあまり声を小さく上げる。

 もし私の勘が当たっていれば、MVRの中には神楽もいる……!

「対してこっちは、SS級魔導犯罪者のコリアンダーとS級の俺の兄貴が校内をうろついている。どっちもその界隈じゃ名の知れた極悪犯だ。本来ならこの学校のぬるま湯に浸かってるお坊ちゃんやお嬢ちゃん達が束になっても勝てないようなバケモンだ。しかし俺達にも慈悲の心ってのが残っててな。もしその二人をここの生徒達だけの力で倒せたなら、俺達は人質を解放して大人しく帰るとするさ」

「無茶苦茶過ぎる……!」

 逢花が呻く。この学校の二年生以上の生徒達の中で、S級以上の魔導犯罪者に対抗出来る戦力はごく限られている。一年は五新星とごく一部の生徒以外は言わずもがなだ。生徒会長としてそれが分かっているだけ、余計に苦しいのだろう。

「ああ、それから」

 イェンはどうでも良い事をいま思い出したかのように言った。

「この学校の敷地外に出ようったって無駄だぜ。上を見てみろよ」

 言われた通り、人質だけでなく、地上の連中全員の視線が空に向けられる。

 どういう訳か、空が薄紅色に染まっていた。

「あれはこの学校全体を覆う結界だ。解除には魔女の王でも一時間は要するレベルの代物でな、仕掛けた当人が許可しない限りはお前ら全員、ずっとここで過ごしてもらう事になる」

「それはつまり、仕掛けた当人さえ殺せば結界は解除されるんでしょ?」

「まあ、原理的にはそうだが」

 イェンが稲穂の質問に軽くおどけて答える。

「でも、だらだら続けていてもこっちが捕まるリスクが上がるだけだしな。ここは、制限時間を設けさせてもらおう」

「制限時間?」

「ああ。ゲーム開始宣告時点から三十分経過する毎に、磔の人質を一人ずつ殺していく」

 イェンは稲穂と対極の位置である左端で磔にされている女子生徒の前まで歩み寄る。

「制限時間以内に全員死んだら、ここの生徒達は皆殺し。つまり、磔になっているお前らはバッドエンドを迎えるまでの人間タイマーってところさ」

「や……やめて……」

 いまイェンの目の前で磔になっているのは、元・【チーム・アンビシャス】の辻本春乃だった。

「せめて祈るんだな。三十分後に俺の仲間が全員倒されるのを……いや、駄目だな」

 イェンが何かを考え直したらしく、腰のホルスターから銃を抜いて、春乃の額の真ん中に銃口を突き付ける。

「俺達に説得が通用しないってところを、結界の外の連中に教えてやらなきゃ」

「い……いやぁあああああああああっ!」

 春乃が恐慌して喚き出す。

「私何も悪い事してない! 何でこんな目に遭わなくちゃいけないの! 私よりも瑞希の方がよっぽど――」

 発砲。乾いた銃声と共に春乃の額を鉛玉が貫通して、黒い十字架まで弾が突き抜けて鈍くも高い金属音が鳴り響く。

 既に亡き者となった春乃の頭がだらりと下を向き、血が水道のように流れて落ちる。

「な……」

 あまりにもあっさりとした殺戮に、稲穂はこの場で初めて恐怖を覚えた。

「なんて……ことを……」

「これで俺達が本気だって理解するだろ?」

 たかがそんな理由で、罪の無い一般生徒を射殺した? しかも、こんな気軽に?

 こいつらはもうテロリストなんかじゃない。大儀も無ければ復讐心もなく、ただ殺人を楽しんでいるだけの狂人の集まりだ。

 なんて幼稚で――なんて、悍ましい。

「ああ、そうそう。我妻稲穂たん? 君は最後だから」

 イェンが稲穂の前まで歩み寄り、唇を耳元まで寄せて囁いてきた。

「安心しろ。死体になっても、腐るまでたっぷり可愛がってやるから」

「……!」

 酷く寒気がする。ウィルス性の発熱でも起こす前兆みたいだ。

 そんな稲穂の心境など気にも留めず、イェンは両手を広げて叫んだ。

「さあ。ゲームスタートだ!」


   ●


【天都学園高等部/西棟裏手】



 SS級魔導犯罪者であり、『学校潰し』の主犯の一人である魔女、コリアンダーは適当な花壇の淵に座り、煙管を吹かしていた。

 校内に展開している雑兵の魔女と同じデザインで色違いの紫色の装束を纏う彼女は、二十代後半くらいの外見をしている。すらりと背が高く、豊満な肉体と白磁のような肌には傷一つ付いていない。先程は十人くらいの魔族の生徒を相手に戦ったが、それでも汗一つかいていない。

 目の前に広がる天都学園の生徒達は既に黒く煤けた姿で地面に倒れ伏している。殺してはいないが、少なくとも戦闘の続行は不可能だ。

「手応え無くて萎えるわ」

 やれやれと大げさに首を横に振ってみる。答える者はいない。

「さて、次は誰かな……ん?」

 どうやら希望通り、次なる相手が現れたようだ。

 しかし、それは人の姿をしていない。赤色の魔力で構成された蜂の大群が、背後から猛烈なスピードで迫ってくるのだ。

 コリアンダーは右手に炎属性の魔力によって生み出された円形の盾を翳し、迫りくる蜂をほとんど受け止め、同時に焼き払う。

 一匹だけ、巧妙に左側から回り込んでくる。

「……!」

 腰を浮かし、即座に前に飛び出して蜂をかわす。完全に一瞬だけ意識の虚を突かれた事に驚きつつも、次なる驚きが頭上から迫っていた。

 大量の炎のミサイルが、容赦なく降り注いできたのだ。

「ふっ!」

 少しだけ本気を出し、左手に携えていた杖を翳すと、杖の先端から放たれたオレンジ色の衝撃波が刃の形を成して、ミサイルを全て斬り裂いて爆散させる。

 続けて、いまのミサイルと同じ弾道で、また別の巨大な炎のミサイルが飛んできた。

 しかも今度は、女子生徒が一人、その上に乗っている。

「わっつ!?」

 信じられない攻撃法に声を出して驚いていると、少女は飛び上がってバック宙を決めるついでに、踏み台にしていたミサイルを足裏で蹴っ飛ばす。

 さらに加速したミサイルが、コリアンダーに迫る。

「【炎魔法 ソルシールド】」

 杖の先から円形の炎の盾を呼び出し、触れたミサイルを爆発すらさせずに飲み込んで無力化させる。もし下手に防御すれば、少しはダメージが入ったかもしれない。

 地上に降り立ったミサイル攻撃の主が、びしっとコリアンダーを指でさす。

「やいやい! お前が世間を騒がす悪の集団の親玉か!」

 いや、違いますけど。

「私は【チーム・ラッシュスター】の特攻隊長、飛田三縁! チームと学校の名に懸けて、お前を成敗してくれる!」

「あー! それ私が言いたかったのにー!」

 さっきから建物の陰に隠れて蜂を操作していたらしき女子生徒が、辛抱たまらんといった様子でコリアンダーの後方から姿を晒す。

「みよっち空気読めぇえええええええええ!」

「リョウがいつまでもコソコソしてるから悪い」

「そんなぁ!」

 ……なんだか、愉快な女子高生達である。

 リョウとか呼ばれていた少女が、三縁なる少女に続いて高らかに告げる。

「だがしかぁし! この新藤涼香が現れたからには、私の可愛い蜂ちゃんの目がアンタを捉えてるうちは好きにさせないぞ! ……と、遅ればせながら宣言しておく」

「なんだか人生楽しそうね、貴女達」

 思わず微笑ましい気分になり、戦意を少し削がれてしまった。

 しかし、魔法による攻撃の精度自体は二人揃って大したものだ。しかも三縁に至っては身体能力も優れていると見た。おそらく、そこらのA級魔導犯罪者程度ではこの二人の相手にならないだろう。

 さて、どう料理したものか。

「でも、丁度良かったわ」

 最後の一服を楽しみ、コリアンダーは煙管の灰を地面に落とした。

「さっきから歯ごたえが無い相手ばかりで退屈していたの。既にゲームの概要は上の坊主頭から聞いてるでしょ?」

「ああ、そうだよ」

 三縁が自らの背後に小型のミサイルや小粒な炎の弾丸を無数に生成する。

「あっちにはウチの参謀も捕まってんだ。桜を返してもらうよ」

「そう。ただ、その前に」

 コリアンダーが指を鳴らすと、さっきからずっと倒れたまま動かない生徒達を炎属性の結界でそれぞれ覆いつくす。

「炎属性の回復魔法兼防御魔法よ。これで、この子達には基本的に危害は及ばない」

「アンタは何がしたいの?」

 喋っている間にも、涼香が蜂の数を徐々に増やして自らの背後に置いている。

「あなたはテロリストで、人殺しなんでしょ? どうして倒した相手をわざわざ回復させるような真似を?」

「理由は三つ。一つ、殺しの前科をつけたくないから。二つ、私は単に強い相手を求めているだけ。そして三つ。自分自身の魔法の腕を鍛える為」

「だったらテロに加担しなくてもいいんじゃないの?」

「あら、アホの子だと思ってたけど、案外賢いのね」

 涼香がむっとした顔になる。アホの子の自覚無かったのね?

「一応、ウチらのボスには恩があってね。だから、これはただの義理立てなのよ」

「あっそ。何かよく知らんけど、お互いやる事は変わらないね」

「正解。アメちゃんあげるわ」

「いらない」

 会話の間に、気づけば蜂がコリアンダーを全方位取り囲んでいる。

「【空間魔法 ホーネットバスター】」

「えい」

 コリアンダーが両手から火の粉を振りまくと、いままさに彼女の全身を貫かんと加速した蜂が動きを止める。

 やはりそうか。最初の奇襲で見せたあの蜂の動きからして妙だと思ったが、新藤涼香の視界と蜂の視界は全てリンクしていたか。

「【空間魔法 ディメンジョンスピア】」

 涼香の手に、蜂と同じ紅色の槍が召喚される。てっきり中距離型の魔族かと思ったら、意外と接近戦も出来たらしい。

 だったら、近寄らせなければいい。

「【炎魔法 バーストビーム】」

 杖の先から直線状のレーザーが放射される。単純だが、これに触れたらどんな硬度の物体も溶けるし、何より光と同じ速さだ。これならかわせまい。

 と思っていた矢先、涼香の姿が消え、レーザーが視界の奥の建物に直撃する。

 当の涼香は、こちらの背後に転移して、真っ先に後頭部を狙って槍を突き出していた。

「ちっ……!」

 瞬転、杖で槍を弾く。

「【ショートワープ】……あなた、神人族ね」

「正解。アメちゃんあげる」

「いらない」

 そこからは槍と杖が幾重にも交差する近接戦闘となった。ほぼ零距離からショートレンジにおけるリーチと背後の取り合いは、開始数秒から熾烈を極めていた。

 なるほど。空間属性の魔法の使い手で近接格闘が出来る魔族は珍しくはないが、単純な反応と攻撃の鋭さはかなりのものだ。こちらも要所で反撃してはいるし、細かく中距離系の火炎弾を撃ってはいるが、いずれも涼香には当たっていない。

 周囲の蜂達も細かく攻撃に参加している。こちらも炎魔法で焼き払いつつ対抗してはいるが、こちらが消した分だけ蜂が召喚されているので、これも一時凌ぎか。

 ただ、これなら飛田三縁は迂闊に爆撃魔法なんて撃ってこられないだろう。連携という意味では不正解だ。

「【炎魔法 バーニングジャベリン】」

「はぁ!?」

 これまた仰天。なんと、味方が敵に貼りついている真っ最中だというのに、三縁が炎属性の細いミサイルを大量に召喚して、即座に発射してきたのだ。

 待って待って。コイツら、同士討ちが怖くないの!?

「ちょっとぉおおおおおおおおおおっ!?」

 涼香が慌ててコリアンダーに背を向けて全力疾走する。コリアンダーも、先程の炎の盾でミサイルを溶かして事なきを得る。

「みよっち! 私まで焼き殺す気か!」

「ふっ……信じていたよ。リョウなら絶対にかわしてくれると」

「アホか! 事前告知くらいちゃんとやれ!」

「そんな事したら敵にバレちゃうでしょうが」

「このドアホぉおおおおおおおお!」

 うん。やっぱりコイツらバカかもしれない。

「……ねぇ。【チーム・ラッシュスター】って、実はアホの子しかいないの?」

「「コイツと一緒にするなー!」」

 三縁と涼香が互いの人差し指の先をぐりぐり頬に押し付け合う。

 何て微笑ましい連中なんだろう。こいつらがプレイヤー側で正解だったわ。

「私が言うのもアレだけど、こんな時に喧嘩しないの」

「敵に正論で諫められた……だと……!」

 三縁が「ガビーン!」という効果音が鳴りそうなくらい驚いている。

 少しだけ戦う気が削がれてしまうが、同時に気付いた事もあった。

「でも、これではっきりしたわね。【ショートワープ】使いがいる以上、こっちは同士討ちを狙えず、あなた達は私に決定打を与えられない。このままでは体力と魔力のチキンレースになる。あなた達の狙いは、消耗戦ね」

 愉快な二人が揃って押し黙る。どうやら図星らしい。

人質になっている彼女らのチームメイトが処刑される順番は後半の方なのだろう。そこまでに何人死のうが、仲間だけは必ず助け出すという算段か。さっきまでのコメディチックな振る舞いとは裏腹に、随分と残酷な計算をしてくれるではないか。

 どうやら、思った以上にこの二人は事の深刻さを理解しているようだった。

「さっき一人死んだのを見たばかりなのに、肝が据わり過ぎじゃない?」

「……アンタはさっきから何か勘違いしてない?」

 三縁がこちらの意表を突く言葉を発する。

「アンタを相手に私達が速攻で勝てるなんて思わない。持久戦になるって覚悟もしてる。でも、それはこの学校にいる魔装士達を信じてるからだよ」

「私を消耗させてる間に、他の魔装士達が何とかしてくれるとでも?」

「そうだよ。この学校に、五新星が何人いると思ってんのさ」

「……ふぅん?」

 特級魔装士の中でも最強と謳われた五人の天才達……か。

 そうだな。まずはこいつらを片付けて、自分からその五新星と会ってみよう。

「【魔陣展開】」

 杖を天に掲げると、百メートルくらい上空に、オレンジ色の光を放つ二十もの数の魔法陣が展開される。絵柄は全て同じで、共通して片翼の天使みたいな絵柄が中央に刻まれている。

「この魔法は最後の挨拶。いつかあなた達が成長したら、また相手してあげる」

 三縁が【バーニングジャベリン】とかいう魔法で、術式を展開している真っ最中のこちらに攻撃してくるが、同時に展開していた炎属性の球体状のバリアで無力化する。

「ちっ……やっぱり駄目か」

「みよっち、あの魔法を迎撃しないと」

「わかってらぁ!」

 三縁が両手を広げると、掌の真下に位置する地面にそれぞれ一つずつの赤い魔法陣が展開される。まさかとは思うが、彼女も自分と同じ技術が使えるのか?

「【魔陣展開】!」

 三縁が描いた魔法陣から、赤い魔力体で構築された九連装のミサイルポッドの砲台が出現する。

 展開速度がこちらより速い。だが、その分だけ威力や規模は小さい筈だ。

「【魔陣展開】!」

 これまた驚いた事に、涼香が白い光を帯びた手の平サイズの魔法陣を自らの目前に大量展開する。蜂と同じで、出鱈目な数だ。

 これは一人の魔女として、最高に燃える展開だ。

「予想以上よ、あなた達」

 思わず笑ってしまう。それだけに、ここで終わらせてしまうのは口惜しい。

 でも、次なる強敵が、私を待っている。

「【究極炎魔法 フォールダウンイカロス】」

 コリアンダーの魔法陣から放たれるのは、陽光にも似た、神罰の光芒。それらが無数に放たれ、焦熱の雨となって地上へ降り注ぐ。

「【究極炎魔法 ナインバーストジャベリン】!」

 対する三縁の究極魔法は、九連装のミサイルポッドの連続一斉掃射。赤く細いミサイルが、こちらの光芒と同じぐらいの数だけ地上から突き上がり、神の光に挑みかかる。

「【究極空間魔法 ホーネットブラスター】!」

 涼香が展開する無数の白い魔法陣から放たれたのは、まるで浄化されたかのような神々しく美しい白い光を帯びた蜂の巨軍だった。これも単純な数の暴力だが、もしかしたらこの中で一番美しく見える魔法なのかもしれない。

 そういえば、【究極魔法】の使用はユースクラスのウィッチバトルで禁止だったか。あまりにも強力過ぎて、勝負が一方的になり過ぎるから、という理由だったような気がする。

 つまり、これがあの二人の隠し玉。本当の全力だ。

「見事だったわ」

 コリアンダーが唇を緩ませる。

 天から注ぐ光芒は襲い来るミサイルと蜂を全て打ち消しながら、地上へ立て続けに着弾する。周りの建物や車も木っ端微塵に破壊されて熱風が吹きすさぶが、さっき倒した生徒達はこちらの防御魔法によってその影響から逃れている。何発かミサイルと蜂に相殺されているのもあって、意外にも被害規模としては想定の半分以下だ。

 一方、三縁と涼香は。

「まだだあああああああああっ!」

「いっけぇええええええええ!」

 この期に及んで諦めず、未だに究極魔法を連発してこちらの魔法を相殺し続けている。そろそろ魔力が尽きてもおかしくないだろうに、よくやるものだ。

 やがて予想通り魔力が尽き、三縁と涼香が膝を突く。

 対して、まだ余力があったコリアンダーの魔法陣からは五本くらいの光芒が飛び出し、二人を狙って真っ直ぐ降りる。

 直撃したら終わりだ。さあ、どうする?

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 空気を裂くような女の咆哮が轟いたと思ったら、その主が光芒の正面に立ち、左手に携えていた刀の柄に右手を添え、居合の構えを取る。

 刹那、目視すら敵わぬ斬撃が、光芒を全てかき消した。

「なんですって……!?」

 あり得ない。光の速さで飛来する魔法を、刀一本で無力化した?

 そんな常人離れの芸当を見せた彼女が刀をもう一回だけ一閃させると、刀身から赤熱した三日月状の魔力体が放たれ、こちらへ飛来してきた。

「……!」

 すかさず杖で叩き落す。その衝撃に手が痺れ、骨まで痛みが行き渡る。

 自分の身に起きた事態を理解しようとする直前で、白い餅みたいな物体が足首から下を覆い尽くす。反射で後退しようと足に力を入れるが、全く体が動かない。

 立て続けに、杖を持つ手が衝撃と共に餅に包まれる。これで右手は使えない。

「よぉし、そのまま動くなよ、お姉さん」

 三縁の背後からのしのしと黒いマシンガンを構えて歩いてくるのは、学生にしては随分とガタイの良い少年だった。

「どうよ。我らが入道メタルの最新作。あらゆる魔族を無傷で捕らえる捕縛兵器。名付けて、【トリモチバレット】の威力は」

 自社製品を気持ちよさそうに紹介するこの男の名前は知っている。彼は入道メタル社長の義理の息子。【チーム・バルソレイユ】の魔装技師・入道政彦だ。

「魔力の放射が上手くいなかいだろう? そいつは触れた対象の魔導回路の動きを乱す機能がある。生半可な魔力のコントロールで抜けられると思うなよ?」

「大したものね。これ、あなたが作ったの?」

「その通り。企画・設計・開発、全て俺だ。ちなみに発売日は昨日でございます」

「へぇ?」

 当然ながら、力で強引に剥がそうとしてどうにかなる代物ではない。おそらく、相手が魔族の場合はその魔力に応じて形や硬度を適度に変える細胞でも組み込まれているのだろう。おかげで右手が指一本すら動かない。

 まあ、対処法はあるか。

「……ところで」

 最大の驚愕を生み出した相手は政彦ではない。

 こちらの魔法を簡単に斬って捨てた、あの少女だ。

「あなたの顔には見覚えがあるわね。【チーム・バルソレイユ】の……ああ、駄目だわ。あんまり活躍してなかった子の名前は記憶に無いの」

「何処で試合記録を覗き見したのかは知らんが、初っ端から失礼だな」

 少女は黒い刀の切っ先をコリアンダーに向ける。

「私は天都学園一般コース魔装士科一年。【チーム・バルソレイユ】の汐見彩姫だ」

「そう。汐見さん。あなたもこのゲームのプレイヤー側に回ったのね」

「何の話か知らんが、一応言っておくぞ」

 彩姫は既に気づいているのだろう。目を細め、腰を落とす。

 たしかにこの【トリモチバレット】とやらは魔導回路を用いた魔力のコントロールを幻惑させる効果がある。だが、それはあくまで一般レベルに対して効く、というだけだ。

 このSS級魔導犯罪者、コリアンダーには通用しない。

「私の事は――」

 彩姫が駆け出す。勘の良い奴だ。

 右手と両足のトリモチが、火炎と共に焼き餅と化して爆散する。

「しおみんと呼べぇええええええええええええええええええっ!」

 こうして、第二ラウンド――汐見彩姫・入道政彦とコリアンダーの激闘が始まった。


   ●


【東棟校舎/1年B組教室】


 誰もいない教室の中で、笠井雨音はずっと息を潜めて掃除用具入れに隠れていた。

 いきなり耀真と羽夜がバトルアリーナから姿を消したかと思えば、灰色の装束の女達がなだれ込んで来た時は心臓が止まりかけたが、政彦が投げた煙玉のおかげでなんとか逃亡には成功した。実を言うと、政彦が耀真からそういう指示をあらかじめ受けていたのだ。そして、耀真から自分に与えられた指示は、とにかく生き残り、逃げ続ける事。

 頭の中で、試合前のミーティング時での耀真とのやり取りを思い出す。


「で、どうだった?」

 試合の作戦を一通り説明した後、耀真が雨音に訊ねてくる。

「例のカメラの件。一応、この学校のカメラを調べはしたんだろ?」

「うん。たしかに魔力反応があったよ」

「逆探知は?」

「出来なかった。いま、新しい魔法を開発してるとこ」

「まあ、そう簡単に出来たら苦労しないわな」

 耀真が気を遣ってそう言ったのは分かるが、さすがに苛立ちが顔に出ている。

 自分の力の足りなさが、初めて不甲斐なく感じた。

「試合が終わったらもう一回トライしてみる。親にはもう連絡入れてあるし」

「何度もやって駄目だったんだろ。さすがにこれ以上はいつまで掛かるか……」

「カメラ自体の電源を落とした場合は試してない。生徒や教師が全員帰った後で、耀真達が周りを警備してくれるなら、私も頑張ってみる」

「すまない。俺達の力不足で迷惑を掛けてるな」

「気にしないで。既に仕込まれてるって事は、襲撃まで時間が無いんでしょ?」

 これは建前であり、内心は少し嬉しかったりする。

 中学時代までは人の記憶をまさぐって内心を暴き出す事で自分の身を護り、自分に利する学友達に人間関係に影響する情報を献上していた。それが原因で孤立する事になってしまい、結局は大人から子供まで恐れられる魔族になり果て、自分も歪んでいった。

 でも、いまは誰かを護る為の仕事に従事する人の手伝いをしている。特に、記憶を通じて信頼を共有する耀真の協力者になれた事は、一種の人生の財産でもある。

 彼と彼の仲間の為にも、いまの自分に出来る事を成し遂げる。そう決めていたのだ。

「雨音」

 耀真が呼びかけてくる。

「お前がそのつもりなら、一つだけ頼みがある」

「何?」

「お前だけは生き残れ」

 あまりにも唐突な、それでいて重い要求だった。

「お前の魔法はこの先も希望になる。もし解析が間に合わない状態で『学校潰し』の奴らが襲ってきたら、真っ先にお前だけでも逃げろ」

 耀真は次に、雨音以外のメンバーを見る。

「下手すりゃ、今日がXデーだ。全員、雨音だけは何としても護り抜けよ」

「あいあいさー」

 簡単に返事したのは羽夜だった。

「合点承知」

 彩姫が腕を組んで鼻を鳴らす。その自信、ちょっとはこちらに分けて欲しい。

「えーっと、煙玉、煙玉……」

 政彦は返事せず、作業スペースに引っこんで探し物を発見してこちらに戻って来る。

「おーい、天霧さんよ。入道メタル謹製の煙玉、一個三五〇円のところ、いまなら無償提供ですぜ」

「いいモン持ってるじゃねぇか。雨音にも二個ぐらい分けてやれ」

「ほい」

 政彦の手から白い球体が雨音の手に渡る。

「いいか、笠井。他の連中の事は気にしなくていいから、何かあったらコイツを地面に叩きつけて、さっさと逃げろよ」

「……うん」

 ああ……何てバカな連中だろう。自分の身だって危ないかもしれないこの状況で、よく耀真のあんな指示を何の抵抗も無く聞けたものだ。

 こんな私の為に、こんなにも簡単に。



「……私が何とかしなきゃ」

 【チーム・バルソレイユ】という最強にして最高のバカ集団がくれたこの命、絶対に無駄には出来ない。何とかして、この状況の突破口を見つけなければ。

 まず、手持ちの武装を確認する。一つ目は政彦に渡された煙玉。残弾はあと二発。便利だが、使いどころは慎重に見極めなければならない。

 二つ目は試合で使う予定だった魔法銃。装填されているのは供給型のマガジン。予備弾倉は充填型が二本。いずれも弾丸の設定は【シルフィードバレット】だ。

三つめは【シールドグローブ】と呼ばれる魔装具の一種。これは手の甲の魔力発生器から人工魔力の盾を呼び出す指ぬきグローブだ。フル充電にしてあるので、使用回数の限度は考えなくていい。

 次に使える魔法だ。【ドラグネット】を用いて使える技は三種類。一つは自分と相手の精神の交信。これには記憶の強制的な想起が含まれる。二つ目は条件付きの位置の特定。三つ目は索敵魔法の探知。

 これだけあれば、一人の魔族として十分に戦える。

 雨音は外に誰もいないと踏んで掃除用具入れから静かに出て、おそるおそる教室の扉を開き、左右を確認する。誰もいない。おそらく、人質を管理しやすいように一か所に人を集めているのだろう。

逃げる途中で小蜘蛛ユニットを敵の一味や適当な生徒なり教師なりに寄生させていたので、いま何が起きているのか、屋上の人質がどういう状況なのかは把握している。

 たくさんの人の心の声が聞こえる。吐き気を催すような醜悪な状況に転化してしまっただけに、悲しみや苦痛がダイレクトに伝わってくる。

 でも、このくらいは耐えないと。

「……よし」

 まだ廊下には出ない。敵が来ない事を確認しただけだ。下手に動けばこちらが死ぬ。

 扉を閉め、姿勢を低くして、目を閉じる。

『……聞こえますか?』

『その声、笠井さん?』

 とある女性の声がした。思った通りだ。

『鬼塚先生。いま私の蜘蛛を先生に寄生させて、私と精神を繋げて交信可能な状態にしてあります。いまどういう状況か教えて下さい』

『いつの間にそんな事を……』

『念の為、今朝こっそりと。そんな事より、いま先生は何処に?』

『学園長室です。比良坂先生と一緒に、敵の勢力に囲まれています。私達が下手に動けば、上の生徒達が殺されてしまいます』

『他の教師達も職員室に集められて同じ状況です。先生達は私が助けるので、そこから動かないで下さい』

『そんな……あなた達だって危険な状況なのに?』

 灯里が明らかに焦っている。もしかしたら顔に出てしまっている可能性もある。学園長室内の敵にこの交信について怪しまれたら面倒だ。

『落ち着いて下さい。どのみち生徒達だけでやるしかないんです。私は逃げ延びてる他の生徒達と合流して、なんとか例の主犯格を一人は倒します。それと、魔導事務局の人達が外の結界を解除するのはどれくらい掛かりますか?』

『結界次第だけど、最低でも三十分。天霧課長がこっそりドワーフに頼んで学校の周りにオートジャミングの汎用術式を搭載したデフレクターを発注してた筈だから、そこまで時間は掛からない筈』

 デフレクターという事は、魔力の流れを変な方向に導いて奔流を乱す機械、という認識で間違いないだろう。いくら強力な結界でも、構造さえ弛緩させれば解除は容易い。

『デフレクターの位置は? 敵が気付いて壊しに行くかも』

『東西南北の四方に一個ずつ。地面に埋め込んであるから、簡単には気付かれないと思う』

『私の蜘蛛を確認に向かわせます。とにかく、先生達はそこを動かないで』

『……分かりました。最後に、もう一つ』

 灯里は何か躊躇ったような息遣いをすると、思い切ったように告げる。

『校内を巡回しているのはS級魔導犯罪者のドニーです。人間ですが、特級魔装士に匹敵する魔族殺しのプロです。どうか注意して』

『了解。一時間以内にケリをつけます』

 交信を終え、一息つく。

 いくつか重要な情報を得た。まず、魔導事務局が想定より早く突入するかもしれないという不確定要素だ。結界を破ったとしても、屋上に人質を取っているイェンを排除しない限りは下手に突入出来ない。つまり、解除するまでの間にイェンを何とかする必要がある。

 だが、屋上に行くまでの間は雑兵らしき女達を相手にする必要がある。残念ながら、それを単独で突破する程の力は自分には無い。

 つまり、いま自分が最初にすべきなのは、プレイヤー側の生徒達との合流だ。

 そして、ドニーの排除。デフレクターの問題も、彼と派手にドンパチやっていれば自然と解決する。一石二鳥だ。

 雨音は意を決し、再び教室の扉を開け、廊下から顔を出す。

 誰もいない。おそるおそる廊下に出て、人の気配が少ない右側へ駆けだす。監視カメラがある場所を避けながら、この一階を半周する。

 正面に、灰色の装束を着た女達が躍り出てきた。数は三人だ。

「いたぞ!」

 声を上げるなり、それぞれが違う属性の魔法弾を手の平から撃ってきた。

 【シールドグローブ】を起動。魔法弾を全て受け止め、魔法銃で応射。【シルフィードバレット】が女達に一発ずつ命中する。

 すると、女達の体が泥のように崩れ落ち、服ごと灰色の粘土となって床に広がった。それぞれが別の体だった者達が地面で平べったく混ざり合うのを見て、雨音は目を丸くして銃口を下げる。

「こいつら、大地魔法の人形……ゴーレムって奴?」

「正解だよ、お嬢さん」

「……!」

 一瞬だけ心臓が止まるかと思った。嫌な汗が全身から噴き出る不快感を無視して振り返ると、自分と少し離れた距離に、いつの間にか坊主頭の男が立っているのが見えた。

「それにしても、いい腕してるねぇ。随分と銃の練習をしたみたいじゃないか」

「……ウチには世界最強のガンスリンガーがいるもんでね」

「天霧耀真か。あいつに銃を教えてもらえるとか、高級風俗のどんなサービスより刺激的じゃねぇのよ」

 のっけから下品なジョークを飛ばしてくるこの男が、噂のドニーという犯罪者か。たしかに、それっぽいオーラはある。

「世界中にはあいつから銃を教わりたくてウズウズしてるプロの殺し屋が腐る程いるってのに。なあ、どうすれば教えてもらえると思う?」

「そんなに教えてもらいたきゃ、ウチのチームに入れば?」

「そいつは名案だ。でもな」

 ドニーが懐から銃を抜き、ゆっくりと銃口を雨音に向ける。

「あいつと俺とじゃ、立場が違うんだよな、これが」

「……一つだけ教えなさい」

「何だよ」

「さっきのゴーレム。誰の魔法?」

「ああ。うちのボスだよ」

 意外とあっさり答えてくれた。もしかして正直者なのか?

「うちのボスは悪魔族でな。色んな属性の魔法が使えるのよ」

「へぇ。でもその割には、ゴーレムの耐久値が低いんじゃない?」

「魔法が使える個体を二百体出しただけでも褒めてやれよぉ」

 ドニーが言う通り、弱いながらも魔法が出せる泥人形を大量に作れる魔法の使い手はそうそういない。なんなら、【九天魔】に匹敵すると言ってもいい。

 雨音は敢えて不敵に笑う。

「じゃあ、その魔法使った奴に後で言っといてもらえる?」

「お? いいぜ? 何でも言うてみ」

「とっととくたばれ、クソ野郎ってね」

 ドニーの引き金に添えられた指に力が籠ろうとしていたその時、彼の動きがぴたりと止まり、銃を取り落とした。

「て……てめぇ……何を……」

「たったいま、私の蜘蛛をこっそりあんたに寄生させたの」

 彼が高級風俗だのと言い始めたあたりから、雨音の中では勝利の算段が瞬間的に組み上がっていた。

 きっとこいつは性欲旺盛なのだろう。だから、会話の途中からさりげなく胸をちょっとだけ前に出してみたり、スカートから覗く足を微かに動かしてみたりした訳だが、これがどうやら効果を示したらしく、彼の視線はさっきからそちらに釘付けだった。おかげで、会話の最中から放っていた蜘蛛の接近に全く気付かれなかったのだ。

 まさか、中学時代から評価されていた容姿の良さが、ここで役に立つとは。

「こいつであんたの記憶を強制的に引き出して、精神を破壊する」

 さあ。まずはどんな記憶を引き出してやろうか。こんな稼業をやっているくらいだから、きっと酷いトラウマレベルの記憶が眠っているに違いない。

 不安があるとすれば、耀真と同じように、こちらの魔法の弱点を看破している可能性があるという一点だけだ。彼と同じ手を使ってこないと祈るしかない。

 頭の中に、映像化した記憶が流れ込んでくる。

「……あ……ああ……」

 これは、直近の記憶。

 ホテルの一室で、裸の少女が、真空パックされた男の死体に縋りついている光景。

 そして、その少女が、たったいま殺された。

 殺害に使用した銃の引き金を引いたのは――自分だ。

「……っ!」

 強制的に蜘蛛をドニーの体から排出して、記憶の交信をシャットダウンする。

 頭を押さえてふらついていたドニーが、にやりと笑う。

「いい判断じゃねぇか」

「……あんた、私と精神を強引に同化させようとしたの?」

「洞察力もある。一般人にしておくのが惜しいなぁ」

 まさか、耀真以上の芸当をやってのけるとは。

 耀真がやったのは、あくまで引き出される記憶の順番を精神力で操作しただけ。しかし、いまドニーがやったのは、交信可能になっていた雨音と自身の精神を完全に融合させようとしていたという、ある意味では神業のような妙技だ。

 たしかに、S級魔導犯罪者と呼ばれるだけはある。

「これで分かったろ。お前の魔法は俺には効かない。もし次に同じ事をやったら、次はお前が廃人になってるって寸法だ」

 ドニーが銃を拾い上げ、舌を出して告げる。

「次は逃がさねぇよ、お嬢さん」

「…………」

 駄目だ。もうこちらに、奴を倒すカードは無い。どうする? 頭の中で色々考えてはいるが、どれも現実的ではない。煙玉を使用するのも距離的に間に合わない。スカートのポケットから出してる間に射殺されておしまいだ。

 どうしよう。せっかく逃げられたと思ったのに――

「さてお嬢さん。お前さんはどう遊んだもんか――ん?」

 ドニーが何か怪しんだ直後、雨音の横を疾風が通り抜ける。

 次の瞬間、疾風の正体が人の姿であったと思ったら、その風のような男は鋭い回し蹴りでドニーの銃を綺麗に払い飛ばし、その腹に猛烈な掌底を叩き込んで吹っ飛ばした。

 床の銃を拾って窓の外へ投げ捨てると、彼は雨音に向き直った。

「笠井さん! 大丈夫っすか!?」

「清水君!?」

 予想外の援軍に腰を抜かしそうになった。

「とにかく逃げましょう」

「何で? いまのうちにトドメを――」

「手榴弾!」

 小太郎が叫んで身を翻し、慌てて雨音の手首を掴んで、ドニーに背を向けて走り出す。

 彼の宣告通り、たったいま投擲していたドニーの手榴弾が、放物線を描いてこちらに迫ってきていた。

「ちっ」

 舌打ち混じりに小太郎がボールペンを投げて手榴弾を失速させる。それからすぐに廊下の突き当りを折れると、後方で激しい爆発音が床と空気を揺らした。

 危なかった。小太郎の判断が一つでも間違っていたら、いまごろ二人共木っ端微塵だ。

「とにかく二階に上がりましょう。いまこの校舎には人がいないので大丈夫です」

「わ……分かった」

 小太郎の判断に従い階段を駆け上り、適当に選んだ視聴覚室の奥に潜り込む。この部屋は仕切り板で二つに区切られており、いま小太郎と雨音がいるのは普段誰も使わない音響や映像に関する機材が収納された、言わば物置スペースだった。

 突き倒してきた仕切り板を立て直すなり、二人は床に座り込んだ。

「た……助かった……」

「間一髪でしたね」

「清水君も無事だったんだ」

「入道さんのおかげでね。煙幕に紛れて一人で消えた笠井さんを探してたんす」

「私を? どうして?」

「笠井さんには逆探知の仕事が残ってますからね。何としてもここでリタイアはさせられないっす」

 まあ、そんな事だとは思っていた。

「それに……いや、後にしましょう」

「何ソレ気になる」

「先日あれ程こっぴどく振った相手にそれ言います?」

「う……」

 チーム勧誘の際にあんな対応をしたら、誰だってそう言いたくなるだろう。自らの愚かしさが本当に恨めしい。

 突然、扉が開く音がした。

「はいはーい、ボーイズ&ガールズ。何処にいるのかなー? もしかして、そこの仕切りの向こうに隠れてるのかなー? ねぇ、ほらー、出てきてよー」

 ドニーが茶目っ気を出したと思えば、いきなり銃声が聞こえて、仕切り板の一部に穴が開いた。もうこちらの位置がバレているのだ。

「あらら、見つかっちゃいましたね」

「どうするの?」

「しょうがない。ここは俺一人で何とかします」

 こちらが何か言おうとする前に、小太郎が仕切り板を蹴倒して、扉を塞いでいるドニーの前に姿を晒す。

 ドニーが上機嫌に挨拶する。

「ハロー、清水小太郎くーん。君の噂は聞いてるよ。二級のくせして、かなり腕のいい魔装士らしいじゃん?」

「お褒めに預かり光栄っすね」

「ところで、さっきまで二人で何してたのかなー? あ、もしかしてチュッチュしてた? ここって隠れてナニかするのに良さそうだもんねぇ? 俺が先に味見する予定だったのに、このスケベ野郎め」

「残念ながら、アンタが笠井さんの貞操を好きにする機会は一生来ませんよ」

 小太郎が落ち着き払って言うと、懐から特殊警棒らしきものを抜いた。

「最近知ったんすけど、笠井さんって、あれで結構純情らしいので」

「そうかい。余計に犯したくなっちまったよ」

「させねぇよ」

 お互い静かに睨み合い、動いた。

 ドニーが発砲。座り込む雨音の頭上を弾丸が通り過ぎる。いまは机が陰になっているから安全だが、これでは頭が出せなくて様子も見られない。幾度の発砲と、何かが打ちつけられる音が不規則に続く。

 どうする? 蜘蛛を寄生させて、一瞬でもドニーの動きを止めるか? いや、激しく動き回っているドニーを捕捉するのは難しい。下手をすれば小太郎に寄生させてしまうかもしれない。

 ――清水君に?

「そうか……!」

 一つだけ、この状況で使える手がある。

 だが、発動には時間が掛かる。それまでの間、小太郎が何とかドニーを抑え込んでくれると信じるしかない。

 とにかく蜘蛛を大量に散らしてから、まずは状況確認。小太郎とドニーはお互い普通の人間。ドニーの武装は銃を始めとした火器類。手榴弾の残り弾数はおそらくさっきので最後。もし残っていたら、こちらが隠れていると分かった時点で焼き出しの為に使っていただろう。

 見えなくても分かるが、互いに徒手格闘の名手だ。さっきよりも銃声が減り、打撃音が多く続いている。ドニーが魔族専門の殺し屋でも、魔族の弱点が無い人間相手なら対処には多少手古摺るようだ。現に、二級魔装士である小太郎を未だに仕留めきれてない。

 いける。私の勘さえ間違っていなかったら。



 なんとかドニーを視聴覚室から蹴り出して廊下に出る。これで雨音に対する危険度は下がったが、今度はこちらがピンチだった。

 ドニーがジャケットから小型の筒みたいな物体を両手一杯に取り出す。

「【スペルシリンダー】……!?」

「そうだ。お前らお得意の魔装具だよ!」

 その【スペルシリンダー】を空中にばらまき、ドニーが叫ぶ。

「【スペルナンバー05 バーストファイア】!」

 音声認証により、【スペルシリンダー】が起動。筒の中に溜め込まれていた人工魔力が赤色に染まり、それぞれが爆発を引き起こす。

 装備していた【シールドグローブ】で爆発を凌ぐと、急接近していたドニーが手刀を繰り出し、いまの衝撃で脆くなっていたシールドを指先で貫通する。

 素手でシールドを割りに来ただけでも驚きだが、ドニーの指はそのまま小太郎の目玉を狙いに突き進んでいた。

 なんとか顔を逸らして回避して、そのまま膝をドニーの鳩尾にめり込ませる。

 ドニーが呻き、腹を押さえてふらふらと下がる。

 勝機っ!

「終わりだ、ドニー!」

 警棒を振りかざし、駆け出す。

 目と鼻の先に、【スペルシリンダー】が一本だけ、浮いていた。

「【スペルナンバー75 フラッシュセイバー】」

 【スペルシリンダー】の筒先から光の刃が伸びようとする。本来なら回避は不可能な距離で、額の中央を貫かれている筈だった。

 なのに、体は信じられない速さで反応して、【スペルシリンダー】そのものに頭突きをかまして弾き飛ばす。

 ――左に避けて!

 誰かの声がした。身を左に倒すと、たったいま放たれたドニーの弾が真横を通り過ぎる。

「何だと……?」

 ドニーが何かを怪しみ始めるが、こちらも何が起きているか分からない。

 小太郎は自分の体が誰かに操られているような錯覚を覚えつつも、その指示に従って、ドニーが放つ銃弾や徒手空拳の全てを的確にいなしていた。

「これって……」

「そういう事か」

 ドニーが動きを止め、小太郎の背後――たったいま視聴覚室から出てきた雨音を睨む。

「お前の魔法だな。一体何をした?」

「簡単な話だよ。私の魔法は精神の交信を可能とする」

 気づけば、紫色に光る糸のような何かが、この廊下全体に幾何学的な図形や模様を描いている。小太郎の視界の端々に映る無数の蜘蛛が糸を吐き、何かの図柄を床や壁の至るところに張り巡らせているのだ。

 これはもしかして、この廊下全体を使って魔法陣を展開しているのか?

「【魔陣展開】」

 雨音が小声で呟いた、【魔陣展開】という言葉。これは自らの魔力で魔法陣を描き、究極魔法を発動する為の準備を行う行為の総称だ。【ラッシュスター】にも、未熟ながらその技術が使える魔族がいる。

「【究極空間魔法 ハイパードラグネット】。この魔法領域内にいる私達の精神は全て繋がっている。あんたの思考を読んで、私を経由して清水君に伝えれば、いまみたいに動きを予知して回避する事だって出来る」

「なーるほど」

 この魔法を前にしても、ドニーは笑っていた。

「でも、それは俺も同じ事だろ。そっちの坊やの思考さえ読めば、条件は同じだ」

「果たしてそうっすかね」

 小太郎が彼女の意図を理解して、雨音と同じように、不敵に笑った。

「だったら試してみればいい。きっと後悔しますがね」

「そいつは楽しみだ」

 この期に及んでも、まだ余裕なのか。

 しかし、残念だ。雨音がこの魔法を組み上げた時点で、既に勝敗は決した。

「行くっすよ、笠井さん」

「うん」

 ドニーの行動はもう分かっている。ノーフェイクでいきなり発砲してくるのだろう。この魔法領域内で、フェイクという行動はまるで無意味だ。

 しかも、こちらが体を逸らしてかわそうとしている方向まで織り込んだ照準。この時点で小太郎の死は決まったようなものだった。

 でも、実際に発砲されても、弾は小太郎の横を素通りした。

 横に動くフリをして、全く動かなかったのだ。

「何だと!?」

 フェイクが通用しない空間で、フェイクが成功した。

 ドニーはいま、こう考えている。何故自分の思考だけが相手に筒抜けで、小太郎と雨音の考えが全く読めないのか。空間内のルールが絶対なら、あまりにもこの状況は自分に対して不平等過ぎる、と。

 小太郎が走る。ドニーの正面からの射撃を、右に少し体の軸をずらすだけでかわし、さらに距離を詰める。それからも発砲され続けるが、全て回避に成功した。

 やがて至近距離に到達。完全に小太郎の間合いだ。

 間髪入れずに掌底を放ち、ドニーの胸板を打つ。相手が呼吸に苦しみ始めたところで、左フックと右ボディのコンボが決まり、締めの一撃となる回し蹴りが横っ面に炸裂する。

「バカな……!」

 追い込まれ過ぎてあからさまに焦り始めたドニーが、銃口を雨音に向ける。

 発砲。しかし、雨音の手前まで先回りしていた小太郎が【シールドグローブ】で弾丸を受け止めて無力化する。

「っざけんな!」

 ドニーが苛立ちを露わに叫ぶ。

「どういう事だ! 何故俺にお前らの思考が読めない!?」

「当然っす。目を凝らし、耳を澄ませ、よく感じてみるっすよ」

 小太郎に言われたからか、ドニーが呼吸を落ち着け、静止する。

 ややあって、彼が目玉をひん剥く。

「マジかよ、オイ……!」

 もう見えているのだろう。小太郎の心の声が、雨音の心の声にかき消されているのを。

 まるで、互いにかばい合うように、二人の心の声が入れ替わり続ける。小太郎の思考が加速している途中で雨音の思考力が小太郎を上回ったかと思えば、その逆も起きて、心の声が嵐のように吹き荒れてドニーの聴覚を乱していた。

「お互いの精神が盾になって、俺の干渉をガードしてるだと……? そんなもん、お前らの精神が纏めて吹っ飛んで脳みそ焼き切れるだけだろうが! お前ら、死ぬのが怖くねぇのかよ!?」

「「怖くない」」

 小太郎と雨音が同時に答える。精神の同調律が上がっている感覚がある。

「私は必死に戦う清水君を信じる覚悟をした」

「俺は笠井さんの期待を受け止める覚悟をした」

「その結果、私が死ぬ事になっても」

「例え俺が死ぬ事になったとしても」

「後悔はしない」

「死なせはしない」

「「絶対に二人で、生き残る」」

 精神同調率・一〇〇%到達。小太郎と雨音の瞳孔が、白銀に輝いた。

「くそがぁああああああああああああっ!」

 半ば狂乱したドニーが銃を連射するが、小太郎は全ての弾丸を一歩も動かず特殊警棒を振っただけで弾き飛ばす。

 小太郎の身体能力と、索敵魔法から与えられる膨大な情報を瞬時に処理する雨音の能力が導き出した力は、奇しくも最強の未来予知。

天霧耀真の【神霊の瞳デモンズサイト】。出鱈目に放たれた銃弾ごとき、弾道を読むのは容易かった。

 ドニーの銃のスライドが開く。それでも、彼は引き金を引き続けた。

 弾は出ない。それでも、彼の指は止まらない。

「そんな……あり得ない。全部読まれるなんざ……!」

 もう彼にまともな戦闘は不可能だ。既に壊れかけた心がさらにひび割れていくのが、手に取ったように分かってしまう。

 縮地法を用いた歩行術で距離を一瞬で詰め、警棒を振り上げる。

「ま……待てっ……」

 この期に及んで命乞いか。最後まで、つまらない男だ。

 廊下全体に展開されていた魔法陣が消え、小太郎と雨音の間で形成されていた精神同調のリンクが断絶する。どうやら、この魔法を維持する為の魔力か体力か精神力のいずれかがガス欠でも起こしたらしい。

 それでも、二人は全く同じ事を考え、

「「待てと言われて――」」

 全く同じ怒りが、全く同じ言葉となって炸裂した。

「「誰が待つかぁあああああああああああああああああああああああああっ!」」

 雷の如く警棒の一撃が横っ面にめり込み、ドニーはくるくる独楽のように回転しながら吹っ飛び、廊下の床に叩きつけられ鉛筆のように転がった。

 文字通り、心を一つにした小太郎と雨音の勝利だった。

「……終わった」

 雨音がぺたんと座り込む。

「勝ったんだよね?」

「ええ」

 小太郎はまず、床で伏せるドニーの傍まで歩み寄り、しゃがみ込んで彼の首筋に指を当てて脈を計る。

 五秒くらい経過しても、小太郎からは一言も無かった。

「……あのー、清水君?」

「……やっべ」

 何やら不穏な小声が聞こえた。

「死んでますね、コイツ」

「……殺っちゃったの?」

「ま……まあ、アレです。一応、殺傷許可は事前に出ていたので……」

 言い訳してみるが、人を一人殺した事実は変わらない。でも、不思議と罪悪感は湧いてこなかった。

「でも、どうしよう。余罪の証言が引き出せなくなっちゃいました」

「どんな力でぶん殴ったのよ、アンタ」

「まさか首の骨が一撃で折れるとは思わないっすよ」

 たしかに最後の一撃の際は何か嫌な感触を覚えたが。事前に【ハイパードラグネット】が終了していたおかげで雨音にその感覚が伝わらなかったのは不幸中の幸いか。

 気を遣ったのか、雨音が慌ててフォローしてくる。

「ま……まあ、こっちだって殺されそうになったんだし? ただの自業自得だって。それに、ほら、早く屋上の人質を助けないと」

「そうっすね。反省は後っす」

 立ち上がり、小太郎は雨音の前まで来て、手を差し伸べる。

「立てますか?」

「ありがとう」

 素直に礼を言って、雨音はこちらの手を取って立ち上がった。

 何だろう。ちょっと前までは排他的な雰囲気が満ち溢れていたというのに、どうして中々、可愛いじゃないか。一秒経つ毎に彼女への愛着が増していく。

 もしかしたら、これが本来の彼女なのか?

「と……とりあえず、ドニーの弟を何とか排除しないと」

「そうだね。幸い、屋上にはそいつ一人しかいないし」

「道中で渡会さんと合流出来れば御の字っすね。彼女の魔法は便利っすから」

「スマホで連絡は取れないの? 連絡先くらいは交換してるでしょ?」

「誰の仕業なのか、校内はさっきからずっと圏外っすよ。全く、とんだ小細工を……」

 小太郎が雨音と手を繋いだまま歩き出そうとする。

「いたぞ!」

 先程も聞いたような声が廊下に響き渡る。後ろを振り返ると、さっきの雑兵の魔女型ゴーレムが既に攻撃魔法を発動しようとしている真っ最中だった。

「清水小太郎! さっきはよくも仲間をやってくれたな!」

「お前は殺す!」

「地獄へ落ちろ!」

 散々な謂れようだった。お前ら本当にゴーレムなの?

「清水君。アンタ、何をやったの?」

「笠井さんのところへ向かう最中に五体は仕留めましたかね」

「へー」

 雨音が薄ら笑いを浮かべている。

「で、どうするの?」

「逃げる!」

「ですよねー!」

 もはや迷わず、雨音は入道メタル謹製の煙玉を床に叩きつける。破裂した球体が濃密な白煙となって拡散してすぐ、とりあえずゴーレムに背を向けて駆け出す。煙の向こう側の連中が当惑しているのを声で感じつつ、二人は階段を駆け下りる。

 早速、正面から別のゴーレムに発見された。

「やばっ!」

前も後ろも行く道が無い。ならばと思い、手近な非常扉を蹴破って外に出る。この東棟校舎は上から見れば長方形だが、真ん中だけは憩いの中庭なのだ。

 雨音が訊ねてくる。

「ちょっと? こんな所に出たら袋の鼠じゃ……」

「逃げ場が無いよりマシっす! 対岸の非常扉を破って、何とかこの棟から――」

 中庭の真ん中あたりに来たところで、小太郎と雨音は足を止めた。

 いつの間にか、総勢五十体近くのゴーレムに包囲されていたのだ。

「な……っ!? コイツら、何処に隠れていたんすか!?」

「いくら何でも唐突過ぎじゃ……」

 言いかけて、雨音が息を呑む。

「……空間転移の魔法」

『正解だよ、お姉さん』

 ゴーレムの一体が、外見より遥かに幼い声で答える。

『ボスがこの学校の至るところに空間属性のワープゲートを事前に設置していたからね。最初にいきなり校内にゴーレムが大量に湧いて出たの、疑問に思わなかったの?』

「なるほど。学校全体に結界を張った後、校内の決められた場所にこのゴーレム達を一斉に召喚してたって訳?」

 それならこの状況にも説明がつく。そもそも、外からゴーレムが二百体以上侵入しようものなら、鬼塚灯里のとある魔法で全て排除されていた筈だ。しかし、校内から現れた敵については、いくら彼女でも対処が遅れるのは当然だ。

 とはいえ、雨音にも灯里にも気づかれずに空間魔法を大量に設置するなど、もはや魔族の王ですら不可能な芸当ではないのか?

 ていうか、仕掛けた当人はいつこの学校に侵入していたんだ?

「で、アンタは誰?」

 雨音が肝心な質問をする。

「そのゴーレムを遠隔操作して、安全なところから見物してるアンタは何者?」

『ワタシはベル様からマリーアントって呼ばれてる』

「ふーん? で、そのマリーアントちゃんは、私達に何の用なのかな?」

『……悪いけど、もう時間が無いの』

 さっきから妙なノイズ音がする。あのゴーレムからだ。

『ワタシの肉体はもう死ぬ寸前。いまは精神だけで魔法を動かしてる。その前に、ワタシの仕事……を……』

 さっきまで元気良く喋っていたと思ったら、急に言葉が途切れ途切れになる。

『ご……んね。ワ……は……もう……』

 ぷつんという音がして、さっきまで遠隔操作されていたゴーレムが膝を突き、前のめりに倒れこむ。

 さっきの連中と違って形は崩れていない。これは回収する必要がありそうだ。

 いや、その前に、周りの連中をどうにかしないと。

「こうなったら……」

雨音が虎の子の一発である最後の煙玉をポケットから取り出した。

「ハイ! ちゅーもーく!」

 中庭全体に響き渡る声が、雨音だけでなく、ゴーレム達の動きも止める。

 突然、二人の前に小さな影が降り立った。

「笠井さん。その煙玉、後で切り札になるからとっといて」

「姫風さん!」

「そう!」

 姫風雪緒が、マイクを天に突き出して変なキメポーズをする。

「レディース&ジェントルメーン! 本日はお忙しい中、この場にお集まり頂きありがとうございまーす! これより、天都学園高校・広報部一年にしてランキングバトルの実況を務める姫風雪緒の、手に汗握る最高のヒーローショーを開演しまぁす!」

「お……終わった」

 雨音が膝を地面に落とし、がくりと項垂れる。

「なんか、すっげー弱そうなのが来た……さようなら、私の十六年の生涯よ」

「大丈夫っすよ」

 小太郎は知っていた。だからこそ、安堵する。

「むしろ、この状況で来たのが姫風さんで本当に助かりました」

「どういう事?」

「よく見ていてください。彼女の戦いは、特別ですよ」

 小太郎に言われたからか、雪緒の小さい背中が、いまは誰よりも大きく見える。それくらいの頼もしさが、いまの彼女から止め処なくあふれていた。

 雪緒が三歩くらい前に出て、ごく平然と周囲のゴーレム達に勧告する。

「ところでさー、君達。投降する気は無い?」

 ゴーレム達の返答は言葉ではなく、再び始めた魔法の発動準備によって行われる。元から話が通じるような連中ではないか。

「……やれやれ、仕方ない」

 雪緒がスカートをたくし上げ、細い太腿に巻き付いたホルスターから、ガンメタリックの自動拳銃らしき物体を一丁ずつ抜き放つ。ちなみにスカートの下はベージュのショートパンツだったので、動き回ったり銃を抜いたりする分には何の問題も無い。

 幼い見た目の彼女に見合わぬ無骨な外観の銃による二丁拳銃スタイル。あの銃は姫風雪緒専用のオーダーメイド魔装具、【S&W MP9/イージス】。弾倉の交換によって充填型や供給型、果ては実弾も装填可能なハイブリット機だ。

「んじゃ、始めますか」

 気軽に開戦宣告をした直後、雪緒の姿が消える。

 次の一瞬で、極彩色の魔法弾が十体近くのゴーレムを粉々に破砕していた。

「え……?」

 何が起きたのかを探ろうとして、四色の弾幕を浴びせられ、また五体のゴーレムが全身を吹っ飛ばされる。そこで、雨音は衝撃の光景を目の当たりにしていた。

 なんと、分身するような速さで頭上を瞬間移動しまくっている雪緒が、転移する毎に発砲して、地上のゴーレム達に魔法弾を次々と命中させているのだ。

「何アレ!? 速過ぎない!?」

「姫風さんは元・人間の悪魔族っす」

 小太郎が彼女の戦いぶりを呑気に眺めながら解説する。

「悪魔族は最低でも三種類以上の魔力属性を扱う種族っす。特に姫風さんは炎・水・風・大地の四元素属性を操り、供給型のマガジンに自分の魔力を注いで複数の属性の魔力弾を立て続けに敵へ叩き込む戦法を得意としてるっす。あの高速移動は、姫風さんが最も得意としている風属性の移動魔法っす」

 高速で動き回る雪緒にゴーレムの魔法は当たらない。しかも、当たりそうになった魔法は全て耀真と同じくらい的確な射撃で打ち消している。

「そして姫風さんの銃の師匠は、あの天霧耀真さんです。もはやその腕は師匠である彼が自分と同等であると認めた程。その腕と自らの魔力の特性を合わせて生み出された戦法が、たった一人で弾幕の包囲陣形を敷く彼女の固有技、【一人包囲網】っす」

 さっき小太郎が特別と言ったのは、まさしく雪緒の戦法そのものだ。

 一騎当千。この四字熟語が似合う魔族は、彼女を於いて他にはいない。

「【魔力合成=炎+風】」

 遥か頭上へ飛んで滞空する雪緒が、銃を赤熱させ、炎属性と風属性の魔力同士の摩擦によって生み出された赤い雷電を全身に纏う。

 地上に照準すると、雷電が銃口に全て収束する。

「【合成魔法 バーニングボルテクス】!」

 引き金を引くと、それぞれの銃口からレーザーのような赤い魔力の光芒が放たれ、残りの十五体くらいのゴーレムを一気に斬撃の如く薙ぎ払う。着弾時の爆発も併せて、凄まじい熱風が中庭の隅々まで行き渡った。

 やがて焦土と化した地面の中央に、雪緒がすたっと降り立つ。

「魔導事務局の特級魔装士にして、五新星の一人」

 語っていて、改めて垣間見た彼女の強さに、小太郎は勝手に背筋が震えていた。

「最速最多の攻撃手段を有する【音速の射手ターボシューター】・姫風雪緒」

 これを聞いた雨音は、口をぽかんと開けて沈黙していた。さっき弱そうとか言っていた手前、意外過ぎて開いた口が塞がらないようだ。

「おーい、清水君や」

 雪緒が何事も無かったかのように歩み寄ってくる。

「君達を追ってる途中でドニーの死体を見たんだけど、アレは君達がやったの?」

「え……ええ、まあ」

「そっか。私が来るまでの間、よく頑張ったね」

「笠井さんが俺を護ってくれましたから」

「ほほう。それはそれは」

 雪緒が見た目に相応しくない母性的な目を雨音に向ける。

「ウチの後輩が世話になったね、笠井さん」

「……なんか、弱そうとかナメた口利いてすんません」

「素直でよろしい」

 雪緒が子供っぽく笑う。

「さて。私達は学園長と鬼塚先生を助けなきゃ」

「ちょっと待って。上の人達はどうすんの?」

「それならもう片付いてるよ」

 屋上から男の悲鳴と、激しいオーロラ色の閃光が炸裂する。

「あーあ、とうとう会長がブチ切れちゃったか」

「どういう事?」

「後で説明する。清水君はそっちの人形を一緒に運んできて」

「うっす!」

 小太郎がマリーアントとかいう謎の人物が使用していたゴーレムを担ぎ上げると、雪緒は改めて雨音に向き直った。

「君の煙玉は学園長室の手前をガードしてる連中を排除する為に使う。学園長室の敵は私一人で片付けるから、清水君はその間、笠井さんのガードをお願い。最悪、その人形を盾にして構わないから」

「分かった」

「了解っす」

 これで『学校潰し』最大の問題は片付いた形になるのか。後は、もう一人巡回しているというSS級魔導犯罪者の排除と、MVR内の耀真達の救出だ。

「…………」

「清水君?」

「ああ、大丈夫っす。行きましょう」

 ――あと、もう一人。随分前に学校へ侵入して空間転移の魔法陣を誰にも気づかれずに設置した挙句、ゴーレムを校内で大量に召喚した者が残っている。

 そいつはいま、何処で何をしているんだろう?


   ●


【東棟/屋上】


 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。もう三十分が経過する頃ではないだろうか。時計が見える場所に無いので確認する術は無い。

 辻本春乃が殺害されてから、彼女の遺体はずっと磔のままだ。額から漏れる血液の量が少なくなり、やがて粘り気のある小粒の水滴しか垂れなくなった。

 全く動けない他の女子生徒達の目からは既に精気が抜けている。ずっとこの体勢だからというのもあるのだろうが、ずっと死体と並んでいるという状況と、時間が経過すればすぐにでも自分が殺されてしまうという恐怖が精神をゆるやかに破壊しているのだ。

「はい、三十分経過」

 イェンが腕時計で時刻を確認するなり、腰かけていた屋上の淵から立ち上がり、春乃の隣で青ざめている女子生徒の前まで来る。

「じゃ、次はお嬢さんね」

「い……いや……いや……」

「だーめ。そんじゃ、バイバイ」

 発砲。二人目があっさり死んでしまった。

 隣の三人目が、目に涙を溜めて吠える。

「い……いやぁああああああああああっ! こんなの、もうイヤぁあああああああああ!」

「うるせぇな。制限時間短縮すんぞ」

 言って、うんざりしたような顔でイェンが三人目に銃を向ける。

「待ちなさい」

 静かな声で、逢花が告げる。

「次殺すなら私にしなさい」

「あ? お前、自分の立場分かってんの?」

「この状況なら死ぬ順番くらい、誰でも一緒でしょ?」

「面白くねぇな。俺は、死にたくないー、死にたくないーって泣き叫んでる奴のデコに鉛玉ぶち込んで黙らせるのが楽しいの。死に急いでる奴の介錯なんざ、真っ平御免だね」

 つくづく吐き気を催す外道だった。本当なら、真っ先に自分が殺してやるのに。

 稲穂は歯噛みしつつ、逢花の隣の木枯唯奈を見遣る。彼女は稲穂が目を覚ましてからずっと、目を閉じ頭を垂れている。さっきからずっと気絶しているのだろうか。もし、彼女がこの状況で目を覚まして、自分の窮地を理解したら? イェンの性格上、次に殺されるのは唯奈だ。

 せめて、助けが来るまで唯奈に目を覚まして欲しくは無いのだが。

「さてと……」

 イェンは次の標的として、【ラッシュスター】の沖合桜に目を向けた。

「次はそこの賢そうな可愛い子ちゃんね」

「あっそ。まあ、いいけど」

 桜も肝は据わっていたらしく、その態度は素っ気なかった。

「いいね」

 イェンが口をにやりと歪ませ、さらに彼女の体の至るところ――爪先から太腿、腰と胸を視線で舐め上げる。

「おっと、勃ってきちゃった。殺す前に味見でもしとこうかね?」

「マジで? ちょっとヤだ、最近足回りが太ったばかりなのに……!」

「いや、そっちかい!」

 思わず突っ込む稲穂であった。いや、そんな場合ではないか。

「待って? ね? 待とう? ほら、天霧君とかちょっとカッコイイかなーって最近思い始めたばっかりなのに! そういう青春をもうちょっと味わってからヤる事じゃないの、それ!?」

「へー。沖合さんってああいう顔のド変人が好みなんだね」

「呑気な事言ってないで早く助けてよぉおおおおおおおおっ!」

 ……さて。そろそろいいか。

 この十字架や鎖の組成解析は大体終わった。耐魔力性能が非常に高いこの素材でも、魔力を細かくコントロールして内側から流してやれば分解は可能だ。

 でも、自分だけ脱出出来たとして、魔装具が無い状態でイェンに勝てるか?

 いや、いまは桜の貞操が危ない……!

「そうだ。いい事思いついた」

 イェンが桜の前に立ち、左手の指先で彼女の顎をくいっと上げる。

「いまからお前さんの痴態をカメラで録画する。そしてお前さんが死んだ後、その天霧君を監禁して、録画した映像を見せる。そこから先はノープランだが、後で考えればいいか」

「いっそ殺せ……!」

「さっきも言ったろ。死に急ぐ奴に興味は無いって」

 イェンの手が桜の太腿に添えられ、じっくりと撫で上げられていく。そろそろスカートの中に手が入ってしまいそうだ。

 こっちもそろそろ十字架の分解が終わる。間に合え――

「【大地魔法 チェインズコンバート】」

 すっと目を開いた唯奈が呟くと、手首と足首に巻き付いていた黒い鎖が解け、先端がイェンに向かって急速に伸びていく。

 反応したイェンが素手で鎖を打ち払い、素早く飛び退いて屋上の中央に降り立つ。

「……てめぇ、何しやがった」

「魔力に耐性がある拘束具でも、弱点が無い訳じゃない」

 拘束から逃れた唯奈が十字架を回り込み、距離を空けてイェンと向かい合う。

「魔装技師は魔力に関わる素材のプロ。特に魔族の場合、解析と加工に使う魔法の習得はほぼ必須。捕まえる相手を間違えた、貴方のミス」

「だからどうした? てめぇ一人で俺を倒せるとでも――」

「それも貴方のミス。残念だけど、私は一人じゃない」

 バキンっと音がしたかと思えば、また新たに解放された人質が、唯奈の横に並び立つ。

 雲井逢花が、仄暗い笑みを浮かべてイェンを睨み据える。

「ありがとう、唯奈ちゃん。私に復讐のチャンスをくれて」

「何だと!?」

 イェンの顔に冷や汗が流れる。

「どういう事だ? まさか同じ方法で?」

「簡単よ。唯奈ちゃんはこの場にいる全員の拘束を平行して解除しようとしていたの。もっとも、対象の距離が遠くなる分だけ遅れが出ていたみたいだけど」

 こればかりは稲穂も仰天だった。まさか、目を閉じてる間はずっとその作業をしていたというのか。凄まじい精神力と魔力のコントロールである。

「これで形勢逆転ね。ところで、稲穂ちゃん」

 たったいま自分の力で鎖の解除を終えた稲穂に、逢花は頭だけ振り返って問う。

「アイツ、私がやっちゃっていい?」

「特級魔装士の名の許に命じます。どうぞお好きに」

「ありがとう」

  再びイェンを視界の正面に捉えた逢花が両手を突き出すと、彼女の手から放たれたオーロラ色の光の線が円形を成し、やがて円の内側に複雑な紋様が刻まれる。

 何かを悟ったイェンが銃口を向け、

「させるか!」

 発砲。しかし、弾丸は逢花の目の前に現れた銀色のワームホールによって吸い込まれ、イェンの左側の足元に現れていた出口側のワームホールを抜け、彼の左のふくらはぎに命中する。

「がっ……!?」

「させませんよ」

 屋上の通用口から現れたのは、渡来吹雪だった。

「ここから先、銃弾は全て貴方にお返しします」

「くそっ……」

 膝を折り、動けなくなったイェンが吹雪をねめつけている間に、逢花の魔法は完成を目の前にしていた。

「ポート解放。異空間へのアクセスを確認。最終プロセス実行」

 魔法陣の中央から、さらに光が溢れ出す。

「【究極召喚魔法 サモンネットワーク】、解放!」

 ――全ての索敵系の魔法を持つ魔族には、最終的な到達点がある。それが、異世界との接続。元々、魔族は【魔法界】という異世界に存在していたらしく、それがかつて人間だけだったこの世界に流れ着いたというのが、いまのこの世界のルーツだとされている。

 索敵系魔族は、自らの魔法で【魔法界】に繋がるゲートを感知し、探り当て、そして未知なる力を従える事を最終目標としている。

 それはつまり、【魔法界】に住まう生物の召喚だ。

「あり得ない……!」

 イェンが目を剥いて呟く。

「高校生のガキんちょが、【サモンネットワーク】を開くなんざ……!」

 魔法陣の向こうから、オーロラ色の甲冑を纏う、騎士みたいな外観の何者かが悠然と歩いて出てくる。体格的には女性だろう。それもあってか、神々しさをより強く感じる。

 あれは戦いの女神。つまり――

「【麗騎士 ヴァルキリー】。極光属性の魔法を使う、異世界最強の剣士よ」

「ウソだろ、オイ……!」

 イェンが一歩ずつ引き下がっていく。

 しかし何処へ行こうが、逃す気は無い。

「さあ、ヴァルちゃん。あのクソったれを一撃で沈めなさい」

「御意」

 ヴァルキリーが逢花と同じ声で頷き、腰の鞘に収まった両刃の剣を抜く。剣には早速、オーロラ色の魔力が猛スピードで収束されている。

「やめろ……よせ! そんなもんを喰らったら……!」

「人を散々玩具にした挙句、簡単に二人も殺されて、この私が許すと思う?」

 いままで沸々と溜めてきたであろう怒りが、逢花の顔にそのまま出ている。

「アンタの敗因はたった一つ。この私の逆鱗に触れた事よ」

 魔力のチャージが終わり、ヴァルキリーが居合の如く構えを取る。

「天都学園の全関係者の怒りと、殺された生徒の無念を、思い知りなさい!」

 全ての想いを乗せて叫ぶと、ヴァルキリーが全身の力を抜いて更に腰を落とす。

「【極光魔法 オーロラディヴァイダー】!」

 斬撃一閃。無限の色彩を誇る魔力の刃が飛翔し、たった一瞬でドニーの上半身と下半身を綺麗に等分して撥ね飛ばす。それぞれの半身の切口から噴き出した血が床を汚し、距離を置いていた逢花の頬にも少しだけ返り血が付着した。

 ドニーの上半身が屋上を超えて、地上に落下する。遠くで鈍く、嫌な音がした。

「渡来ちゃん。フォローご苦労様」

「お見事でした、会長」

 逢花と吹雪がハイタッチを交わすと、戦闘中に唯奈がさらに解除を進めてくれたようで、次々と人質が拘束から解放される。

 ただ、死んだ二人だけは磔のままだが。

「…………あの二人は、そのままにしておきます」

 稲穂が魔導事務局の職員として当然の判断を口にする。

「現場保存の必要があります。仏さんには申し訳ないけど」

「ええ」

 逢花が疲れたように応じる。

 外では結界の解除に成功したのか、校外でずっと待機していた魔導事務局の職員達が突入し、地上を支配していた魔女の軍勢を制圧する作業に入っていた。これで校内の人質についての問題はクリアされる。ちなみに、あの魔女達がただの魔法で生まれたゴーレムだったと稲穂が知るのは、少し先の話である。

「まだ終わってないです」

 吹雪が後ろから話しかけてくる。

「たったいま姫風さんから指示がありました。稲穂ちゃんは【ブリッツヴァジュラ】を回収した後、私と一緒にMVR内の天霧君達を助けに行くように、と」

「了解。それで、楓にぃは何処に?」

「もう一人の敵を片付けに行くとか。とにかく楓太先輩については心配無用です」

「分かった。でも、そう簡単にMVRに侵入出来るの? さっき仕掛けがどうとか言ってたけど」

「それについては私が何とかします」

「……分かった。任せる」

 稲穂は逢花に向き直って告げる。

「会長はここの生徒達をお願いできますか?」

「任せて」

「まだ油断は出来ません。気を付けて」

「ええ」

 いざという時に頼れる会長に背を預け、稲穂と吹雪は駆け出した。


   ●


 私には、人生で最も苦い勝利を味わった経験がある。

 当時中学二年生で挑んだ、全中女子剣道、夏の大会。恥ずかしながら剣道小町などと呼ばれていた私は、剣道部のエースとして部員や他の生徒達、果てには先生達にまで期待を寄せられていた。正直、ただのプレッシャーでしかない。

 それでも私は戦い、決勝まで勝ち進んだ。全ての試合を順調にこなし、次も一撃で面を取れば終わりだ。そう思っていた。

 試合前に何となく観客席を見てみると、我妻稲穂と我妻楓太の姿を見つける。彼らはあの年で既に特級魔装士であり、稲穂に至っては五新星などと呼ばれる天才だ。そんな大物二名がわざわざ見に来るとはな。

 ところで、その天才兄妹の隣に座っている男子生徒は誰だ? さっきから親し気に彼らと話をしているようだが。

 審判に促され、試合が始まった。最初はこちらのペースで揺さぶりをかけ、先程の準決勝までと同様に相手を追い詰めていた。あと少しで勝てる。この時ばかりは、そんな風に気が逸っていた。

 そして来るべくして来た、面の一撃を叩き込むチャンス。迷わず竹刀を縦に一閃する。

 しかし、かわされた。それも、瞬間移動並みの速度で。

 相手は即座に切り返し、こちらの面を打とうとしていたが、何とか反応して竹刀で凌ぐ。それからは、その瞬間移動を細かく使われた。

 私はその時、既に気づいていた。相手は魔法を使っている、と。

 【九天協定】にて、スポーツの公式戦における魔族の参加は禁則事項である。相手の選手はそれを破った挙句、何度も試合中に魔法を行使していた。これは明確な協定違反。魔導事務局の取り締まり対象だった。

 私も頑張って相手の魔法込みの猛攻に耐えた。でも、結局は抜き胴で負けてしまった。

 その時はみっともない姿を晒したと思う。試合後は相手への礼もせず、ただ地面に両手と膝をついて、呆然自失になっていた。

 そこで我妻稲穂が介入する。試合中に魔法の使用があった事を指摘して、相手の選手は現行犯で逮捕された。ビデオ判定等を経て、最終的にこの試合は私の不戦勝だった。

 何て苦い勝利だろう。正面から立ち向かって敗北しておきながら、礼を失して、実力不足を責められる事も無く、周りからは同情の言葉を掛けられ、優勝を褒め讃えられて――

 自分の弱さをここまで痛感した事は、後にも先にもこれだけだっただろう。

 心が萎れ、腐っていくのが、手に取るように分かった。

「惜しかったっすねー」

 大会が終わり、帰り支度を済ませてこの場から消えようと思っていた矢先の出来事だ。試合会場のラウンジを通りすがると、ある男子生徒のそんな言葉が耳に飛び込んだ。

「魔法を使われた瞬間の初撃を凌いだまでは良かったけど、途中から足運びもグズグズでしたわ。精彩を欠いていたのが良く分かる」

「仕方ないだろ。まさか対戦相手が協定違反してくるなんて夢にも思わないし」

「それでも俺は彼女が勝つと思ってましたがね」

 あれは我妻楓太と、彼の隣にいた謎の男子生徒だ。敬語を使っているという事は、あの男子生徒は楓太の後輩だろうか。

「そうだ。魔装士として訓練すれば、俺達と同じくらい強くなるんじゃないっすかね?」

「お前がそう言うって事は、結構マジな話なんだな? 耀真」

 耀真――それが彼の名前か。

「ええ。あ、そうそう。何ならいまからスカウトします?」

「バカ、止めとけって。汐見さんの様子をさっき見たばかりだろ」

「それもそっか」

 耀真は肩を大げさに竦めると、こんな事を口走った。


「それにしても、負けたのは残念です。俺、しおみんのファンなんだけどなー」


 これが、汐見彩姫の人生の全てを変えた、天霧耀真の一言だった。

「しおみん? なんじゃ、そら」

「いま考えたニックネームです。可愛くないっすか?」

「たしかに、親しみは持てるかもな」

「でしょー? 今度会ったら呼んでやろうかな」

「お前、緊張して目も合わせられないだろ」

「大丈夫ですって。いつも稲穂ちゃん見てるんだから、アイドルには慣れっこっす」


 彼にとっては他愛の無い会話の一つだったのかもしれない。でも、私にとってはその言葉が――私に与えてくれた新しい名前が、私の次なる一歩を踏み出す原動力になった。

 同情せず、私の強さと弱さを全て見て、受け入れてくれる人。

 私は天霧耀真の事を可能な限り調べた。彼は五新星の一人で、【宣告者の弾丸】と呼ばれる大物魔装士の一人でありながら、最低最弱という不遇な扱いを受けていると聞く。

 そんな訳が無いだろう。

 私にとって、彼は最高最強の魔装士で――人生の恩人なのだから。


【西棟/駐車場】


 炸裂する火炎が肌をちりちり焦がしていく感覚に負けず、彩姫はひたすら至近距離でコリアンダーと剣と杖を交えていた。いくら中距離攻撃が得意な魔女でも接近戦なら関係無い。もし距離を取ろうとすれば、援護に回った政彦が銃撃で牽制してくれる。

 でも、コリアンダーは近接戦でも強かった。それどころか、魔法よりこっちの方が得意なんじゃないかと疑うくらい、杖の扱いが熟達している。

「強い……!」

「あなたもね……!」

 コリアンダーがこめかみに汗を浮かべながら笑っている。彼女の顔や腕も、彩姫の負った火傷同様にかすり傷だらけだった。

「しおみん、その強さは何処で手に入れたのかしら?」

 剣戟の最中、コリアンダーが問うて来る。

 彩姫の答えは、実にシンプルだった。

「惚れた男に認めてもらいたくて強くなった。それだけだ!」

「最っ高!」

 哄笑を上げて剣を弾き、コリアンダーが飛び退る。すかさず政彦が【シルフィードバレット】の弾幕で面制圧を計ろうとするが、弾丸の全ては炎を宿した杖の一薙ぎで払われる。

「【究極獄炎魔法 グラムエッジ】」

 コリアンダーが唱えると、杖の先に小さな魔法陣が展開され、中央からマグマみたいな色をした片刃が出現する。杖も含めて見ると、全体の形が薙刀みたいだ。

「これが私の最強魔法。本当の全力」

「……来い」

 コリアンダーが杖を大きく上に掲げると、彩姫が剣を居合に構える。

 獄炎属性。炎属性の一段上に属する、上位属性の魔力か。ここに来て、そんな切り札を隠し持っていたとは。楽しませてくれる。

「しおみん、待て!」

 政彦が叫ぶ。

「いくら【虚】でも無茶だ! その魔力は吸収しきれない!」

「遅い!」

 躊躇いなき一閃。獄炎属性の刃が杖から放たれ、彩姫の体の中心へと飛翔する。

 しかし、彩姫の前に一人の男が割り込み、黒い剣を一閃させてその一撃を完全に破壊して無力化した。

「何っ……!?」

「……貴方は」

 現れた彼の事は良く知っている。中学時代では、二回ぐらい手合わせしてもらった経験があるからだ。

 我妻楓太が、ミネラルウォーターのペットボトルを彩姫に投げて寄こした。

「よう、しおみん。悪いな、お前の戦いの邪魔をしちまって」

「何故……先輩がここに?」

「さっきまでコソコソ隠れて行動してたんだが、途中で誰を助けに行こうか迷ってな。色々考えた挙句、ここに来た訳だ」

「そう……ですか」

 結局、私はあの頃から、何も変わってない。弱いままだ。いまだって、他者のお情けで命拾いしたに過ぎない。

「しおみん。そいつ飲んだら、手伝ってくんね?」

 意外な事に、楓太が軽々しく助けを求めに来た。

「俺一人じゃコリアンダーの相手は無理だ。お前の力が要る」

「私……の?」

「ウチとの試合後に耀真が言ってたぜ。しおみん、強くなったなって」

「……!」

 耀真が認めてくれた。ただそれだけで、力が湧いてくる。

 やれやれ、なんて単純な女だ。やっぱり、私は彼の事が大好きなんだ。

「俺も同じだ。一人の剣士として、お前の力が必要だ」

「……いいでしょう」

 貰った水を一気に飲み干してペットボトルを地面に投げ捨てる。

 いま私は、特級魔装士の剣士と並んでいる……!

「行くぞ、しおみん」

「はい!」

 体内を巡る冷たい水で意識が冴える。虚脱しかけていた足が動き、楓太と共に疾風となってコリアンダーに迫る。

 楓太と彩姫の二人分の剣を同時に捌くコリアンダーの顔色に焦りが見え始める。まだ究極魔法が発動中なのか、杖の先の魔法陣は展開しっぱなしだ。次なる獄炎の刃の生成が始まった。

 刃が元の長さまで伸び切ると、楓太がすかさず剣をその刃に合わせる。

 またしても、獄炎属性の刃が弾けるようにして消し飛んだ。

「またぁ!? 貴方、何をしたの!」

「ウチの魔装技師に聞きな!」

【アマツカミ】との試合前のミーティングで話だけは聞いていたが、あの黒い刀には魔力の分子を触れただけで高速振動させて破壊するという機構が備わっているらしい。それが例え上位属性の魔力でも、関係は無い。

 稲穂の魔装具である【ブリッツヴァジュラ】と同じ機構でありながら、性能的には対を成す非魔力型の【ブラックシャクラ】。

  そして、その強烈な性能を持った魔装具の使い手である彼の剣の技量は、あの五新星と謳われた我妻稲穂を遥かに超え、魔導事務局最強の剣士としてその名を轟かせている。

 【剣聖】・我妻楓太。魔導事務局戦闘課課長・天霧壮真の右腕と呼ばれた男。

「……このガキが、うっとおしい!」

 さっきまで戦いの愉悦に酔いしれていたコリアンダーも、ここに来て初めて本物の苛立ちが顔に出ている。どうやら、彼女にとっては相性が悪すぎる相手らしい。

 いや、それを抜きにしても、純粋な戦いの技量は彼が勝っている。

 ――まだまだ、私にとっては超えられない壁だ。

「それでも、私は」

 楓太が一人でコリアンダーと激しくかち合ってる間、彩姫は再び居合の構えを作り、後ろでマシンガンを構えたまま静観していた政彦に指示を出す。

「入道君。一瞬だけ、コリアンダーの意識を私に向けさせてくれ。そうすれば彼女は必ずさっきの魔法を撃ってくる」

「それはいいが、お前はどうする気だ?」

「考えがある。私を信じてくれ」

「分かった」

 政彦は銃口を再びコリアンダーに向けると、大きく息を吸い、叫んだ。

「音声認証。【ソードグラム・type-ブラスト】! 【フルアーマメント】!」

 政彦がさっきから使っているそのマシンガンは、【ソードグラム】のデザインをモデルにして新たに自分専用に設計・製造したオーダーメイド品、【ソードグラム・type-ブラスト】。この魔装具は銃内部のバッテリーにチャージされた魔力を全開放する事で、特殊な機能を一時的に解放する【フルアーマメントモード】を持つ。

 音声認証で発動して政彦の頭上と左右に現れ浮遊するのは、全く同じ形をした銃の列。

 数にして上三丁、右四丁、左四丁。政彦が持つ分を含めると、合計十二丁。

 それらの砲門が全て、コリアンダーに照準された。

「シスコン兄貴、下がれ!」

「うるせぇ、このド変態!」

 互いに罵り合いながらも、楓太が指示に従って後退して、射線上にコリアンダーしか存在しなくなったところで政彦が発砲。

 十二の砲門から放たれる水属性――【アクエリアバレット】の弾幕がコリアンダーの全身へ襲い掛かる。しかし、彼女は先ほどの炎の盾を展開して、何とかといった様子で弾丸を全て凌ぎ切った。

 すかさず、コリアンダーが杖の先からさっきと同じ刃を生成する。視線から、狙いは既にこちらへと定まっていた。

「しおみん、まさかお前……!」

 楓太は既に気づいているようだ。いまからこちらがやる事の全てに。

 政彦の言う通り、この刀――【虚】の能力で上位属性の究極魔法の威力を完全に吸収して、相手にお返しするのは、かなりの無理が伴う。

 でも、方法はある。難易度は極めて高いが、やるしか無い。

「【究極獄炎魔法 グラムエッジ】!」

 再び炎の刃は放たれる。最後の一撃のつもりなのか、さっきよりも威力や刃の大きさがケタ違いだ。

 これを捌くのに成功したら、彼は何て言うかな。

「技を借りるぞ、耀真君」

 耀真が最も得意としている技は二つ。一つは、【ブランクバレット】で魔法の中心点を狙い撃って魔法を吸収して、そのまま銃弾の軌道に沿って相手に返す【ヴァニティバレット】。

 そしてもう一つは【超高速精密射撃】。これについては、もう説明など要らないだろう。

 その二つの技を、私はいまから、剣でやる。

「【虚速一閃】」

 いま自分が出せる最も精密な斬撃が、こちらの間合いに到達した【グラムエッジ】の中心点を捉える。たったいま吸収したマグマ色の魔力が【虚】の黒い刃を赤熱させ、いまにも一杯になって溢れ出しそうだ。このままでは、吸収した魔力でこちらが自爆する。

 だからこそ、返す刀で、もう一閃。魔力が勝手に膨れ上がる前に、溜め込んでいた魔力を最速の一振りで一気に解放。

 結果、全く同じ威力の炎の斬撃が、彩姫の剣から放たれた形になる。

 唖然として棒立ちになったコリアンダーに直撃。白い閃光の大爆発が巻き起こり、彼女の背後にあった西棟の校舎が中央から横幅五メートルくらい丸ごと削り取られ、爆風で駐車場の車が裏返って吹っ飛ぶ。

 轟音と爆風に煽られる。政彦が自分の体を盾にして彩姫を飛来物から護り、楓太は【シールドグローブ】で自分の身を守っている。

 やがて破壊現象が全て収束すると、政彦が彩姫から体を離して呟く。

「……この威力、下手すりゃ普通に学校全部消し飛んでるな」

「コリアンダーが途中で相殺してなきゃヤバかったな」

 服の煤や埃を払い、楓太が倒れるコリアンダーを見遣る。

「こいつ、自分の身を守りながら俺達にも獄炎属性のシールドを張ってやがった。敵ながら尊敬に値するよ、本当」

「……あら、褒めてくれるのね」

 煤だらけのコリアンダーがうつ伏せの状態から首だけ起こし、疲れきったように苦笑する。やはり、無傷とはいかなかったか。

「それにしても、見事だわ、しおみん」

「当然だ」

 彩姫がコリアンダーの近くまで寄り、正面に立つ。

「私は、しおみんだからな」

「……そう」

 仰向けになると、コリアンダーは清々しそうな表情で、両手を空に向けて差し出した。

「降参よ。我妻楓太、私を逮捕しなさい」

「言われなくてもそうさせてもらう……と、言いたいところだが」

 楓太が取り出した手錠を彩姫に手渡す。

「特級魔装士の名の許に命じる。しおみん。お前がやるんだ」

「……はい」

 コリアンダーの横で跪き、捧げられた両手に渡された手錠を掛ける。

「コリアンダー。お前をテロ共謀、並びに魔族刑法違反の現行犯で、逮捕する」

 そして、彼女の両手を、赤マメが増えた自分の手で優しく包み込む。

「お前とはいつか、ウィッチバトルの世界で、また会いたいな」

「……その時が来たら、次は私が勝つ」

「臨むところだ」


 ――私は人生で最も苦い勝利を経験した。

 けれど、たったいま、私は人生で初めて価値を感じる勝利を収めた。

 私は汐見彩姫。しおみんという名前を貰った、誇りある魔装士見習いだ。


   ●


【TIPS】


 五新星ごしんせい=魔導事務局東京本部に所属している魔装士達の中で、中学生の時点で特級魔装士への昇格試験に合格した五人の天才達に対する呼称。十年に一度の奇跡と呼ばれる天賦の才能を秘め、彼らの実力は全ての魔装士の中でも世界最強と恐れられている。

 判明しているメンバーとその異名は次の通り。


宣告者の弾丸デクレアラーバレット】天霧耀真

雷啼らいてい美姫びき】我妻稲穂

音速の射手ターボシューター】姫風雪緒

影の公爵デュークシェード】陽炎坂ジャミル

水晶すいしょう魔眼まがん泉雹華いずみひょうか


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