第4話 学校潰し

【TIPS】


 魔導犯罪者=魔法を用いて犯罪を起こす者、または魔族に害を成す者に対する総称。それ故に人間でも魔導犯罪者になり得る。

 魔装士同様、その危険度や戦闘能力によってランクが設定され、下からC・B・A・S・SSエスエスSSSトリプルエスに分類される。CからAまでは一級魔装士が単独で対処可能だが、S以上になると特級魔装士でなければ対処は難しく、最高ランクのSSSは一人で特級魔装士三人分の戦力とされている。


   ●


『――この事件を受け、文部科学省の池村大臣が先程会見を開きました』

 画面がその池村大臣のアップに切り替わる。

『ええ……学校という機関のみを狙ったこの特殊なテロにつきましては、ただいま魔導事務局とより深く連携して対処している最中でございます』

『全国的に学校の休校などはあるのでしょうか?』

 マスコミの一人が無遠慮にマイクを向けてくる事に対して何ら不快感を顔に出さないまま、池村大臣がさらりと答える。

『いいえ。現段階ではそのような事は検討しておりません』

『今後生徒達が襲われる可能性は考えれば、休校も視野に入れるべきでは?』

『それは今後の議論次第です』

 どのテレビ局のチャンネルも、終始こんな調子だった。

 最近貰ったばかりの作戦室のテレビでは、この一か月もの間で話題になっている日本国内で頻発しているテロリストに関するニュースが流れている。昨日もまた一件、今度は神奈川で発生している。

 いずれ、この東京にもやってくるのだろうか。

「これで三件……か」

 彩姫が腕を組んで呟くと、羽夜も無言で頷く。

「そろそろこっちに来たりしてねー」

 後ろのベッドで寝そべっていた雨音があくびしながら言った。

 最近になって始まった【チーム・バルソレイユ】三人娘の日課は、いつもより早く登校して作戦室で優雅な朝のまどろみを貪る事だった。簡単に言うと、授業前にだらだらしたいのだ。

 彩姫にポッキーを餌付けしてもらいながら、羽夜はふと思いついた事を呟く。

「【虚空の王】がいれば、すぐ解決するのかな」

「あんなもん、御伽噺でしょ」

 雨音も彩姫に餌付けしてもらいながら言う。

「そもそも、存在すら疑わしい奴なんでしょ?」

「年齢どころか、男か女かすら分からんのですよ」

「耀真だって正体は知らないよね、きっと」

「もしかしたら耀真さん本人だったりして」

 これに対し、彩姫も雨音も笑いながら「ないない」と否定した。羽夜自身も、正直なところ耀真がそんな物騒な人間には到底思えない。

「おーっす、てめぇら。おっはよー」

「いつも思うが、来るの早いな」

 挨拶しながら作戦室に入って来たのは耀真と政彦だった。これで【チーム・バルソレイユ】が全員集合である。

「耀真さん、ちーっす」

「ちーっす。そんじゃ、今日のミーティングをはじめっぞー」

 羽夜達が早めに作戦室に居るのは、ただ惰眠を貪りたいから、という理由だけではない。始業前に今後の試合に関するミーティングをする為でもある。

「といっても、今日は試合が無いから、今後の展望についての話になる」

 耀真が壁に寄せてあったホワイトボードを引き出し、何枚か資料を貼っていく。政彦はそれらと同じものを、三人娘全員に配布した。

「結論から言うと、俺達の最終目標は第一回世界大会への出場だ」

 いきなり大規模な話を持ち出され、さっきから寝そべっていた雨音が起き上がる。

「世界大会って……まだ開催するかどうかすら分からない大会じゃない」

「そうだな。なんなら、この競技で全国大会がまともに開いたのは一昨年からだ」

 耀真は何処からともなく取り出した指示棒の先を、試合のレギュレーションに関する記述が載った資料に向ける。

「そもそもウィッチバトルという競技で世界一になるにはどうすればいいか、っていう細かいプロセスを説明しないとな。実はその辺、羽夜の方が詳しいんじゃないのか?」

「……うん、まあ」

 一応、ウィッチバトルの創始者の娘だし。

「という訳で、羽夜。俺も少し説明し切れる自信が無いから、一緒に解説頼む」

「あいよ。それじゃあ、最初はクラス分けについて……かな」

「そうだな。ウィッチバトルの公式戦のレギュレーションは社会的立場で分けられていて、それぞれプロ・アマチュア・ユース・ジュニアクラスとなっている。ユースはウィッチバトル推進校に在学している高校一年生から三年生までに該当する連中が集まっている。ジュニアクラスは中一から中三までだ」

「アマチュアクラスは大学生専用クラス。そしてレギュレーション最高峰のプロクラスは、プロテストに合格した社会人向けコースです。プロでは基本的に魔導事務局本部か、全国の各支部に設置された最新式のMVRを使用します。こちらは学生クラスと違って一台で複数の試合を可能とするから、ユースみたいに学校側でローテを組まなくてもバンバン試合出来ちゃう。回数と形式に差が出るから、年齢毎にクラス分けされて当然という訳だね」

 羽夜が耀真から指示棒を受け取り、別の資料を指し示した。

「次はユースクラスでの必要な出場資格について。まずは毎年七月までに学校内でたくさん試合して、学校毎に勝利数ランキングトップ三位に入ると八月初頭の地区予選に出場出来ます。地区大会のベスト4に入ると一週間後に県大会。そして県大会の優勝・準優勝チームは夏の全国大会への出場資格を得ます」

「ちなみに全国大会は年に二回で、後半シーズンのスタートは九月から。冬の全国大会は三月末に開催されるぞ」

 言いつつ、耀真は現在の天都学園に属しているチームの現時点の点数表に目を通しながら説明する。

「俺達のスタートは入学時期に始めた連中と比べてかなり出遅れてる……が、全チームに対して勝利数を上げまくって、敗北数を可能な限り抑えれば、試合数との対比で勝利数が高いチームが上位入りする可能性もある。よって俺たちが稼ぐのは勝利数よりも試合数の方だ」

「ポイントは【アマツカミ】以外のチームの頭をどれだけ抑えられるかだね」

「ああ。ぶっちゃけ、五新星相手にそう何度も勝てるとは思ってない」

 耀真が満足げに頷く。

「さて。他に何か質問は?」

 雨音が手を挙げる。

「結局、世界大会云々の話は?」

「おっと。忘れるとこだった」

 【神霊の瞳デモンズサイト】の使い過ぎか? と思うくらい、いまの耀真は少し抜けている感じだ。

「これはまだ未確認情報だが、世界大会は全クラス混合の総力戦になるらしい」

「は?」

 雨音が首を傾げるが、そのあたりは羽夜が丁寧に説明してくれる。

「例えば、ユースクラスにも耀真さんみたいに海外の軍から招待状が届くくらいの魔装士がゴロゴロいる。逆にプロでも世界と戦うには実力不足の中堅選手も多く存在する。だから全クラスのトーナメントの成績上位チームから、最強クラスの選手を日本代表として引き抜くのです」

「まさしくオールスターといったところだな」

 彩姫が頷き、さらに別の質問を投げかけてきた。

「ところで純粋な疑問なんだが、どうして耀真君は――」

 ここで始業十分前の鐘が鳴った。忘れていたが、ここは高等学校だ。

「おっと。授業が始まるな。じゃ、俺行くわ」

 耀真が彩姫の質問を無かったかのように振る舞い、さっさと支度して作戦室から出て行ってしまった。リーダー不在の作戦室に、妙な沈黙が流れる。

 先に彩姫が切り出す。

「少し気になる事がある。何で耀真君はこの競技で世界大会に出たがるんだ?」 

 スポーツ競技経験者らしからぬ彩姫の発言に、彼女以外の全員が目を丸くする。

「何でってそりゃ……あれ? 何でだ?」

 雨音まで目線を宙に浮かせて考え込む。

 彼女の反応も彩姫の疑問も予期されていた事だ。何故なら、これは羽夜自身が耀真からスカウトを受けた時から感じていた疑問の一つだったからだ。

 それについて、政彦が顎に手を当てて考えを述べる。

「たしかに。ウィッチバトルは元々、魔族が魔族らしく力を全開にして楽しめる唯一無二の競技だ。ていうか、それが最初のコンセプトだったって話だし」

 彼の説明は何一つ間違っていない。創始者である渕上麻夜が全く同じ事を言っていたのだから。

「天霧の奴なら、わざわざ魔族中心の競技じゃなくても世界の頂点に立つ方法がいくらでもあるような気がする。それこそ、オリンピックで射撃の日本代表だって言われても驚かないくらいだ。なのに、奴はこの競技にこだわってる。俺みたいな企業お抱えの現役魔装技師を引っ張り出すくらいには」

「そして、私達がその疑問を持つ事すら、耀真には予知されてる」

 おそらく正解に一番近いであろう雨音が呟く。

「私が見た記憶は耀真が魔装士になったキッカケだけ。他に何か理由があって、私達に聞かれるのを嫌がってる?」

「だったら、あんまり詮索は良くないね」

 皆を嗜めつつ、羽夜が自分の鞄をベッドから拾い上げる。

「でも、ごめん。やっぱり知りたいかも」

「だったら、知ってそうな人に聞いてみよう」

 雨音がらしからぬ積極性を発揮する。

「私自身、確認したい事があるし」

 何やら気になる発言を聞いたが、もう始業三分前だ。そこまで聞いているゆとりは、善良なる一般学生の羽夜には無かった。


   ●


 放課後の学生食堂では、これまた異様な光景が繰り広げられていた。

 テーブルの一角で向き合う我妻稲穂と姫風雪緒が、それぞれの手前に鎮座する一本の缶コーヒーを見下ろし、いまから命を懸けたギャンブルでも始めそうなくらいの形相で黙っているのだ。

 稲穂の手前には、激甘の帝王ことマックスコーヒー。

 対する雪緒の手前には、普通のブラックの缶コーヒー。ブランドはBOSSだ。

 互いに目を閉じ、緊張の一瞬。

 開眼。それぞれ素早くプルタブを空け、中身を飲み干そうとするが、早々に二人揃って飲んでいた缶を手元に置いた。

 そして何故か、二人はさっきまで飲んでいた缶を相手に押し付け、まるで砂漠の中のオアシスでも見つけたかのような必死ぶりで交換直後のコーヒーを一気に飲み干す。

 ぷはぁ、と息を吐き、二人は辛そうな顔で声を揃えて叫んだ。

「「やっぱ無理ぃぃぃぃぃぃっ!」」

「何をしとるんだね、君達は」

 二人のあまりにも意味不明な行動に、とうとう羽夜がツッコミを入れる。

「ん? ああ、羽夜か」

「お? 【バルソレイユ】の皆様じゃないですか」

 ようやく稲穂と雪緒がそれぞれこちらを認識してくれた。

「耀真君は……ああ、楓にぃと一緒に当直か。で、何か用?」

「その前に、稲穂さん達は何をしてたんですかね?」

「これは自分との戦いよ」

 稲穂が切実そうに述べる。

「私はね、甘いのが苦手なの。女子なら皆大好き可愛いアピール製造アイテムのパンケーキにウルトラデスソースでも塗ったくってやりたいくらいには」

「パンケーキに恨みでもあるの?」

「そして雪緒は逆にブラックのコーヒーが苦手なの。それこそ、買ったブラックコーヒーに蜂蜜一リットルを全量流し込むくらいには」

「それ、ただ蜂蜜飲んでるだけじゃね?」

 互いにどうやら偏食らしい。さては魔導事務局の戦闘課には変人しかいないな?

「という訳で、これは互いの弱点を克服する戦いなのよ。邪魔しないで」

「いや、私はもう諦めていいかなぁ、なんて」

 などと雪緒がひより始める。

「雪緒。そんな事じゃ、あんたの幼児体型はいつまで経っても改善されないから。何で●ーさんが毎日蜂蜜を貪ってると思う? それはあの体型を維持する為だよ、きっと」

「くっ……それを言われたら……! ん? いやちょっと待って。体型の事を言うなら、稲穂ちゃんがコレやる必要なくない? もしかしてマゾなの?」

「トレーニングする魔装士はみんなマゾです!」

「無茶苦茶だぁ!」

 なんだろう。国民的アイドル魔装士こと我妻稲穂の真実が見えた気がする。

「あのー、お二人さん? ちょっといいですかね」

「ああ、ごめんごめん。で、何か用があったんだっけ」

 ようやく稲穂が聞き手に回ってくれた。

「用っていうか……まあ、ちょっとお聞きしたい事がありまして」

「わざわざチーム総出で? 大事な話?」

「どうだろ。一応、耀真さんの事なんだけど」

「あいつがどうかした?」

「稲穂さんは耀真さんと付き合い長いんだよね。じゃあ、耀真さんがウィッチバトルを始めようと思ったキッカケを知ってるんじゃないかって」

「……ああ、その話ね」

 稲穂は分かるとして、何故か雪緒まで難しそうな顔をする。

「雪緒、どうする? あの話はさすがに……」

「まあ、この様子だと本人も話したがらないだろうし」

 どうやら、話すのを躊躇うレベルの大問題らしい。そうなると、やはり詮索は止めた方が良いのだろうかと思ってしまう。

 しかし、ここで雨音が予想外の言葉を口にした。

「ねぇ、あんた達。弄月神楽って名前、聞いた事無い?」

「……!」

 稲穂が慌てて席を立ち、雪緒が驚きのあまり眉を顰める。

「ちょ……その名前、何処で聞いたの?」

「耀真の記憶の断片から」

「……あの時ね」

 雨音のチーム入りの時を思い出したのか、稲穂が苦い顔をして席に座りなおす。

「耀真の奴、まさかあの記憶を……」

「何か知ってるんだね?」

「とりあえず、座ったら?」

 稲穂が気を利かせて近くの席を勧めてくれた。【バルソレイユ】の面々が着席すると、稲穂はゆっくり語り始める。

「耀真君には魔女の幼馴染がいたの。名前は弄月神楽。課長の話だと、魔族としての才能は小学六年生の時点で現在の私よりも圧倒的に上で、もし彼女がまだ生きていたら、私の代わりに五新星になっていたかもしれない人物だよ」

「生きていたら……だと?」

 彩姫が嫌な予感をそのまま顔に出している。

「ええ。彼女は小学六年生の時、飛行機の墜落事故で亡くなってる。というか、そもそも事故だったかすら怪しい痕跡がいくつか残っていたけど……それはともかく、そこまでは笠井さんも見てるでしょ?」

「うん。ただ、神楽って子の詳しい事まではちょっと……」

「神楽はね、その圧倒的過ぎる風属性の魔力を持つが故に、周りの人間どころか自分の家族からも恐怖されていた存在だったんだと。でも、彼女自身は何があっても自分から人を攻撃するような性格じゃなかった。むしろ、自分から人を遠ざける為に、威嚇で魔法を使うくらいだったんだって」

「…………」

 雨音が沈痛そうな面持ちで唇を引き結ぶ。過去の自分の境遇と、弄月神楽の境遇でも重ねているのだろうか。

「だから神楽をいじめる連中も後を絶たなかった。課長曰く、天霧家の人間以外に味方がいないような環境で育って、しかも耀真君自身も彼女を守る為に日がな体を張っていたから、ある時期は帰って来る度に傷だらけだったんだって」

「それは……凄まじいな」

 彩姫まで息を呑む。いつもの堂々たる態度は見る影も無い。

「耀真君はそこまで、その神楽という子を大切にしていたのか」

「耀真さんが魔装士になったキッカケはそれだね」

 なんとなくだが、耀真の考えそうな事が、羽夜には手に取るように分かった。

「飛行機の事故もそうだけど、神楽みたいに罪も無い魔族が傷つかないような社会を作りたくて、耀真さんは魔装士になった。笠井さんを相手に自殺行為みたいな事をしたのだって、その辺が行動原理だったのかもしれない」

「待ってくれ。それと奴がウィッチバトルを始めたきっかけはどう繋がる?」

 政彦が肝心な質問をするも、答えは既に出ているようなものだった。

 その辺りは、雪緒が答えてくれた。

「ウィッチバトルはただの手段だよ」

 実に冷たく、乾いた言い方だった。

「耀真君は未だに神楽の死を受け入れていない。死体を見た訳じゃないしね。だから、いつか神楽が自分のもとへ帰ってくると本気で信じてる。その時の為に神楽の新しい居場所を作ろうとした。彼女の力に相応しい精鋭が集うチームを。それが君達だよ」

 全てを聞いても、少なくとも羽夜は納得出来なかった。それだけ自分達を認めていると思うと悪い気がしない反面、自分達は彼の妄執に付き合わされただけかという呆れもある。そういう二律背反の感情の中にあって、これまでの彼の行いに救われた手前、その義理は果たさなければという葛藤もある。

 つまり、余計な感情を呼び起こされて、彼に対して少し不満を抱いたのだ。

「一つ、腑に落ちない」

 羽夜が思った事をそのまま口にする。

「稲穂はどうして、それを私達に教えたの?」

「あんた達から質問したんじゃない」

「そうじゃなくて。それ、耀真さんが一番私達に知られたくない情報じゃ……」

「単純に、フェアじゃないから」

 稲穂は手をピストルの形にして、指先を羽夜に向ける。

「あいつだけがやりたい放題ってのは、納得いかないっしょ?」

「……そうだね」

 耀真も隅には置けない。ただ協調するだけでなく、違うと思えば反抗もする。良い友人を持ったじゃないか。

「ありがとう、稲穂。教えてくれて」

「一応言っておくけど、私達が話したって言わないでね」

「場合による」

「ちぇ。ま、いいけどさ」

 稲穂がひらひら手を振りつつ、立ち去っていく羽夜達を見送る。

 しばらく廊下を歩いていく中で、政彦が頭の後ろで手を組んで言った。

「結局、あいつは周りの誰の事も見てなかった訳だな。虚しい奴だ」

「ある意味、一途とも取れるけどね」

 雨音が嘆息する。

「でも結局、世界一を取りたい理由は聞けなかったなー」

「それは本人に訊かないと分からないね。あの二人も知らないみたいだったし」

 もしかしたら、こちらをその気にさせる為の口から出まかせの可能性もある。さっきの話を聞いた以上、こちらがそんなものに本気になれるかは怪しいところだが。

「あ、入道さんっす!」

「ようやく見つけた……!」

 正面から小走りで近寄って来たのは、清水小太郎と渡来吹雪だった。

 二人共、何やら慌てているようだが。

「? 俺に何か用か?」

「魔導事務局からの緊急招集っす」

 小太郎が事情を説明する。

「さっき課長から電話で呼び出しを喰らいまして。入道さんも校内に残ってるようなら、声を掛けて一緒に魔導事務局まで出頭するようにと」

「分かった。そういや、食堂で稲穂と姫風を見たが?」

「もう連絡を受けてる頃っす。あ、それから……」

 小太郎は羽夜達に無言で軽く会釈するなり、政彦を近くの通路の陰まで連行した。どうやらこちらには聞かれたくない内容らしい。

 残った吹雪が苦笑して頭を軽く下げる。

「ごめんなさい。局内の機密事項なもので」

「気にしないで」

 羽夜が軽く手を振って応じる。

「私達に変な気は遣わなくていいよ。そっちも大変なんでしょ?」

「ええ。正直、猫の手も借りたいくらいです」

「ごめん。せめて渡来さん達の邪魔にならないようにはするから」

「お心遣い感謝します。それから……」

 吹雪は少し気恥しそうに言った。

「私の事は、吹雪でいいです」

「お……おう」

「それから、渕上さんは明日何か予定ってあります?」

「明日一試合だけやったら特に無いけど……」

「では、明日もし気が向いたら、魔導事務局までいらして下さい。明日は清水君と戦闘訓練の予定があるんですけど、ご一緒に如何ですか?」

「え? それ、いいの?」

 魔導事務局刑事部戦闘課の仕事の一つに、戦闘訓練というものがある。要はこの学校で言うところの【プラクティス】みたいなもので、MVRを使った疑似戦闘による対人訓練も戦闘課の職員の仕事なのだ――と、耀真が言っていた。

 要は、羽夜が誘われたのは、給料が発生する仕事そのものなのだ。

「戦闘課の仕事に素人の私が入るのは、ちょっと……」

「課長が以前、戦闘課のメンバーの練習相手に渕上さんの名前を挙げていたんです。ハイギャラ・ノーアポでもいいから、連れてきてくれたら嬉しいとも言ってましたし」

「そこまで言われるとは……」

 耀真から聞いたところによると、実は【アマツカミ】との試合の映像は戦闘課課長の壮真も後日鑑賞していたらしく、「羽夜さんをスカウトしよう」などと真顔で話していたのだという。その時は冗談だと思って流していたが、まさか本気だとは。

「渡来さん、こっちはOKっす」

 話が終わったらしく、曲がり角の陰から小太郎と政彦が出てきた。

「そういえば、渕上さんに例の件は……」

「話しましたよ。まあ、今日の会議次第ですが」

「そうっすね」

 小太郎が羽夜に向き直る。

「明日の予定がちょっと怪しいですが、またこっちから声を掛けるっす」

「うん」

 頷いたところで、後ろから気だるそうに稲穂と雪緒が歩いてくる。こうなると、もう長居は無用だろう。

「清水君、吹雪。また明日ね」

「うっす」

「また明日」

 背を向けた二人が、数秒もしないうちに稲穂達と合流する。

「じゃあな、お前ら。気を付けて帰れよ」

 政彦も適当に手を振って、吹雪達の後を追う。彼が戦闘課の面子の傍まで来て、初めて思った。

 ただの学生風情の私と、あそこにいる彼らは、住む世界が違うんだろうな――と。


   ●


 魔導事務局の戦闘課のオフィスは、一種の異様な空気に包まれていた。一言で表すなら、世界を破滅させかねない大魔王的な存在との最終決戦の間際である。いましがた一緒に到着した稲穂達を始めとする未成年魔装士も、事情の説明を受けていないにも拘わらず、この部屋に入って数秒で黙り込んでしまう。

 はて……こんなところに、俺が居ていいのかね、とすら思う。

「よう、入道」

 後ろから飄々と声を掛けてきたのは、我妻楓太だった。

「まだ生きてたか。てっきり今日も元気にローアングルで殺されてるかと思ったぜ」

「おっと、今日のローアングルは一味違うぜ? 最新式の光学迷彩をキメてきた。アンタもお一つどうだい?」

「そいつはゴキゲンだな。後でウチの科捜班にでも回しておくよ」

 魔導事務局・刑事部科学捜査班。その名の通り、魔法絡みの科学捜査を行う部署だ。彼らの手にかかれば、政彦が作った魔装具の半分以上は違法魔装具として認定され、冗談ではなく前科一犯として処断されてしまうだろう。

「やっぱ止めときますわ。ところで、天霧はどうしたんです? あんた、一緒に巡回の当直じゃなかったでしたっけ?」

「あいつは急遽、他の二級の研修に回したんだと。まあ、内容が内容だしな」

「あいつに何か関係が?」

「まあな。正直、信じられん話だが」

「? 何を……」

 疑問符を浮かべたところで、奥の課長室から天霧壮真が静かに現れ、魔装士の面々の前に立つ。

 ここには現在、事務所所属の職員だけでなく、政彦のような一級以上のフリーも何名か集まっている。【アマツカミ】の魔装技師であり一級魔装士でもある木枯唯奈と、天都学園生徒会長の雲井逢花も特別に招集されていた。ちなみに学生組は全員制服姿のままだった。

 そんな彼らを前にして、壮真が淡々と語り始める。

「隊員の諸君。そして、フリーの魔装士の方々や、その他の協力者の皆様におかれましては、今日は無理を言って緊急の呼び出しに応じてもらった事に、まずは感謝する」

 壮真は頭を下げ、数秒で元の姿勢に戻る。

「本日正午、また一件、教育機関が襲撃に遭った」

 まあ、そうでなければ、こんな形で呼び出しは無いか。

「しかも今回は学校ではない。神奈川県の教育委員会だ」

「マジかよ」

 思わず声に出てしまい、政彦はすぐに口を噤んで居住まいを正す。

 壮真が構わず続ける。

「これではっきりしたのは、我が組織で『学校潰し』と呼んでいるそいつらは、日本国内の青少年教育に携わる機関なら何処でも狙いかねないという事だ。それが例えどんな場所でも、どんな状況でも――そして、誰が相手でも、だ」

 壮真は背後のホワイトボードに、一枚のA4版の資料を貼りつける。どうやら、とある魔装士のプロフィール表らしい。

「教育委の職員の中に、緊急事態に対応する為の予備策として、妖怪族の特級魔装士が一人配備されていた。日本三大妖怪こと酒呑童子系の血統を持ち、妖怪族でも屈指の戦闘能力を持つと呼ばれた魔装士だ。その魔装士の死体も、事件発生から一時間が経過したところで発見された」

「あの飲んだくれが?」

 稲穂が反応する。どうやらそこそこの顔見知りらしい。

「俺もにわかには信じられんが、本当に信じられないのはこれからだ」

 酒呑童子のプロフィールの隣に、今度はA4に引き伸ばしたと思われる、画質の荒い写真が追加される。

「この中に、こいつと似た外見の知り合いはいるか?」

 写っていたのは、粉塵を纏いながら周囲の建造物に対して破壊の限りを尽くしていると思われる、一人の少女の姿だった。

「これは……風属性の魔力?」

 雪緒が写真を凝視して、さらに険しい表情になる。ていうか、いまさらだが、お前も魔装士だったんかい。

「思いっきり破壊工作に全力を尽くしてるね。こんな知り合い、さすがに居ないかな」

「俺も知らない」

 政彦が答えると、周りの大人の魔装士連中も口々に知らないと言った。逢花も唯奈も顔を見合わせるが、特に何か有益な情報は出なさそうだ。

 ただ一人を除いては。

「俺は知ってる」

 新たな魔装士が戦慄を露わにする。彼はたしか、望月倫太郎という特級魔装士だ。顔立ちにもこれといった特徴の無い、普通の二十代半ばくらいの男性である。

「課長。彼女は、もしや……」

「そういえば、あの時はお前が最初に電話してきたんだったな」

「しかし、だとすれば……何故彼女が生きている?」

 倫太郎が気になる事を言うと、壮真が頷き、その正体を明らかにする。

「聞いた事がある者もいるだろう。彼女は恐らく、弄月神楽だ」

 その名前を聞いた面々の反応は、主に二分化されていた。

 片や、何の話だと首を傾げる者。

 片や、その名前と例の事件を知っているが故に驚愕している者。

 政彦の場合、後者だった。

「神楽って……天霧の死んだ幼馴染の名前か……?」

「死んだって?」

 小太郎が首を傾げて質問してくる。そうか、こいつは聞いてないのか。

「随分昔に飛行機事故で亡くなったらしい。だが、遺体は見つかってないそうだ」

「奇跡的に生き残った……って事ですかね」

「それはよく分からんが……とにかく、天霧の奴が呼ばれてない理由が分かったぜ」

 政彦は壮真に向き直り、質問を投げかける。

「正体の是非はともかく、その可能性が高い人物と最も親しかった魔装士を捜査には加えられない。そういう事ですね、天霧課長」

「入道君も聞いていたのか」

「タイムリーな話題です。知ったのはついさっきですからね」

「そういう事なら話が早いな」

 壮真が思ったより普通に説明を続ける。

「件の彼女については後で詳しい書面を渡すが、読んだらすぐにシュレッター行きだ。万が一にでも耀真に見られるとマズい。それと、この件は耀真に知られないように」

「それはちょっと賛同しかねます」

 倫太郎が腰に手を当て、やや威圧的に言った。

「もし万が一に天都学園が狙われたら、否が応でも耀真君は戦わなければならない。その場合は弄月神楽と邂逅する可能性も高い。情報くらいは渡しておくべきです」

「知らせて耀真が使い物にならなくなったら、それこそ大惨事だ」

「どのみち同じ話です。捜査への参加はともかく、情報の開示と防衛の指示はこちらの義務として与える必要がある。お子さんへの情があるのは理解出来ますが、それとこれとは別問題です」

「……すまん。俺も冷静さを欠いていたようだ。いまの話は忘れてくれ」

 壮真が非を認めるなり、今度は稲穂が手を挙げる。

「もうじき耀真君も研修から帰って来ますので、彼への説明は私の方からしておきます。課長、いいですよね?」

「ありがとう。助かるよ」

 楓太を除けば耀真を最も知り、尚且つ刺激しにくいのは稲穂だ。適材適所である。

「他にも、複数の容疑者が動いていた形跡がある」

 壮真がさらに追加で三枚の顔写真を貼り付ける。

「確認出来ている限りでは、SS級魔導犯罪者のコリアンダーと、S級魔導犯罪者のドニー&イェン兄弟の三人だ。いずれも国際指名手配中の凶悪犯。特にコリアンダーは稲穂ちゃんでも少し手を焼くだろう。後で連中の情報も諸君らに渡しておこう」

「あー、課長? ちょっと待って下さい」

「雲井さん?」

 逢花が手を挙げる。何か説明不足なところでもあったか?

「確認出来ている限りって……それって監視カメラか何かでって事でしょうか?」

「いや。酒呑童子が守っていた部下が命懸けで隠し撮りしたものだ。というか、俺達にこの情報渡す為に酒呑童子がそういう作戦を取っていた節もある」

「やっぱりそういう事ですか」

「というと?」

「相手の中にもう一人、索敵系の……おそらく、魔女がいる」

 逢花の推論に周囲がざわつく。

「雲井さんがそう思うなら、そうなんだろうな」

 壮真がさっきまでの暗い面持ちを棄てて述べる。

「監視カメラに干渉し、なおかつあのテロ集団を誰にも気づかれずに犯行現場まで送り込むような索敵系の魔法。しかも機械系統に干渉する。かなりのレア魔法だ」

「これまでの事件でも、被害に遭った施設内はおろか周辺の監視カメラにもそれらしい映像が一つも残っていなかったとなると、十分に可能性はあるかと」

 学生の身でありながら、逢花の索敵系魔女としての実力は日本でもトップレベルだ。雨音のように索敵魔法の効力範囲が見えるような異端者が相手でなければ、誰も彼女の魔法から逃れる事は出来ない。そんな彼女の言う事だから、重みもひとしおだ。

 何かを思いついたらしく、逢花が壮真に意見を提示する。

「相手が索敵系魔法の使い手なら、笠井さんが逆探知の手段を持ってるかも」

「その手があったか。雲井さん、彼女と渡りをつけられるかい?」

「ええ。そちらはお任せ下さい」

「頼む。それから、犯人を捜す手掛かりになりそうな情報が一件」

 この場において、壮真が初めて希望になり得る話を始める。

「そもそも、何で連中は教育機関しか狙わないのか。最初はよく分からなかったが、最近になって面白い事実が判明している。例えば、一件目の兵庫。神戸市のとある学校で、教師同士のイジメがあって問題になったのは覚えてるだろう? 四名の教師が一人の同僚教師に対して、激辛カレーを無理矢理食わせてるところを動画にしてアップしたとかいう事件だ」

「何故かカレーが悪者にされて、神戸市の給食からカレーが消えたとかいう奴ですな」

 激甘党の雪緒が強張った笑顔で補足する。どうやら、想像するだけで悪寒でも走ったようだ。

「ああ。そして、三件目の千葉の学校は、そいつを模倣して大問題になったそうだ」

「うわぁ……ん? ちょっと待って下さい。その言い方だと、もしかして襲撃に遭った学校って、必ず何かしらの大問題を起こしてるって事ですか?」

「そうだ。二件目の福岡は大津市中二いじめ自殺事件の再現があり、直近の四件目である神奈川県の教育委員会は職員の未成年への淫行が横行していたらしい。もしかしたら、これが犯人の動向を追尾する足掛かりになるかもしれん」

「まあ、こちらで一応調べてはみますが……」

 雪緒が反応に困っている。普段は変なノリで人を困らせている人物らしからぬ顔だ。

「でも、そんな学校なんてこの国だったらいくらでもありません? ぶっちゃけ、日本全国がターゲットでもおかしくないような……」

「その通り。教育という一面においてのみ、日本は犯罪大国だ」

 課長・天霧壮真、さらっと極大級の問題発言である。

「ただ、他の学校には無い共通点が、襲撃された学校には一つだけ存在する。魔族の受け入れに対して寛容な学校、という事だ」

「ウィッチバトル推進校ですね」

「そうだ。どの一般校も魔族には人間の道徳や勉学しか教えないが、被害に遭った学校は魔族の生徒専用の特別カリキュラムが存在する。不祥事を起こした学校のイメージ回復の手段として、そういう科目を増やす学校が近年増えているんだ」

「でも、それが襲われる理由としての共通点、というのは無理がある気がします」

「だろうな。だが、手掛かりがこれしか無いんだ。次に襲われる学校をどう予測するのかさえおぼつかない俺達にとっては、重要な情報源だ」

 壮真は改めて、この部屋の面々を見渡す。

「いま判明しているのは、そんなところだ。『学校潰し』はいつ襲ってくるか分からないが、犯人の面貌を押さえられたのは大きいと思っている。トイレでケツまくって踏ん張ってる時は仕方ないが、それ以外はいつでも戦えるように心掛けておくように。では、解散!」

 天霧壮真という人を良く知らないのに、何故かいまの政彦には、彼が無理な振る舞いをしているようにしか見えなかった。


   ●


 魔導事務局の資料室のPCで、姫風雪緒はある事件の検索をしていた。

 先程の会議で壮真が言っていた、魔族受入優待推進校――つまりはウィッチバトル推進校で起きた不祥事についてだ。魔導犯罪が絡むケースで、かつ教育に絡む事件の絞り込みは容易だったが、いざ表示してみると校名が多くて眩暈がする。少なくとも十件以上はある。まさか、これが全部『学校潰し』のターゲットなのだろうか。

「……ん?」

 一つだけ、気になる学校名があった。

 なんと、天都学園の名前が載っているのだ。

「天都学園……って、ウチじゃん」

「ほんとーだ。何やったんだろうな、ウチの学校」

「そうだねー……って、にゃぁああああああああああっ!?」

 背後から気配も無く画面をのぞき込んでいたのは、天霧耀真だった。

「よよよよよよ耀真君!?」

「資料室ではお静かに」

「……帰ってきてたんだ」

 雪緒は周りの目を気にしつつ、小声で訊ねる。

「それで、例の話は?」

「稲穂ちゃんから聞いた。皆、気ぃ遣い過ぎだよ」

「……そっか」

 耀真の様子は思ったより普通だった。

「……大丈夫?」

「何が?」

「あの……神楽が敵に回ったかもって言ってたでしょ?」

「まあ、最初は少し驚いたな」

 耀真は隣の席から椅子を引っ張り出して、雪緒の隣に腰を下ろす。

「でも他人の空似かもしれないから、本人かどうかはそいつに会った時、直接確認すればいい。それで本人だったら、俺はラッキーだね」

「どうして?」

「生きていれば、それでいいんだ」

 耀真の言葉には、切実な響きが籠っていた。

「あいつをどうするかは、とっ捕まえた後に決めればいい」

「でもコトがコトだし……最悪、死刑になるかもしれないよ?」

「させねぇよ」

 いまの耀真の横顔は、ここ数年の間で見た中で最も暗かった。

「死んでも俺があいつを護るさ。そう決めて、俺は魔装士になったんだ」

「護るのはいいけど、死ぬのはナシで」

 雪緒は即答した。

「君はどんどん人の新しい居場所を作る事で有名な一級建築士なんだから、そう簡単に死なれたら困ります。そんな事言ってると、羽夜ちゃんも泣いちゃうぞー?」

「そりゃ困る。じゃあ、長生きするわ」

「ならば良し」

 私も死んじゃうぞー? だなんて言ったら、君はどう返してくれるんだろう。

 まあ、言わないけどね。

「ところで、ゆっきん。そいつは何かの報告書か?」

「ああ、これね」

 頭を仕事モードに切り替え、天都学園の名前をクリックする。

 程なくして、その事件の概要が表示される。

「解決済み扱いの事件の忘備録だって。詳細な報告書は課長の閲覧許可が要るけど、過去の事件を簡単に調べたい場合にはこっちの方が楽ちんなのさ」

「そういや、課長もさっき気になる記事があるって言ってたな。こいつの事か?」

 どうやら壮真と自分の懸念は重なっていたらしい。これはファインプレーか?

「なになに? これは……去年の事件?」

「……おい、ゆっきん」

 耀真が目を見開き、唇を震わせている。

「これ……この名前って……」

「うん。【チーム・アンビシャス】のメンバーだね」


【高校生・婦女暴行並びに死体遺棄事件】


20■■年十一月二日、東京のゴミ処理施設の溶鉱炉の監視カメラに、天都学園高等学校の制服を着た女子生徒が何者かに放り込まれている様子が映されていたのを確認した職員の通報によって事件が発覚。被害者の女子生徒の名前は穂波優香ほなみゆうか(当時十五歳)。彼女はウィッチバトルチーム【アンビシャス】に所属していたプレイヤーの一人であったが、試合時での扱いは相手チームを引き付ける囮役だ。ただ敵の前に駆り出され、ブレイクオーバーされる為に出場していたとしか思えないような彼女の有様には、天都学園の一部関係者から不快感を抱かれる程であった。後に彼女はリーダーである高井弘毅から日常的に性的暴行を受けていた事が判明し、その事を教師に相談したものの事態は改善されなかった。さらに彼女は産婦人科から暴行についての診断書を貰い警察に被害届を提出するも、何故か高井は不起訴処分だった。これについては、彼の父親である参議院委員の高井照康たかいてるやす氏が何かしらの工作を行ったものと見られるが、証拠が出なかった為、捜査を断念した。

彼女の死体が溶鉱炉へ遺棄されたのは、高井が件の婦女暴行で不起訴になった後の事だ。事件発生当日、ゴミ処理施設の外壁を何者かが高出力の炎属性の魔法で破壊して侵入に成功するなり、その凶行に及んだものと思われる。魔力の残滓から容疑者として、同じく【アンビシャス】所属にして当時は天都学園高等学校一年だった福島瑞希(当時十五歳)が候補に挙がったが、こちらも証拠不十分として不起訴処分とされている。

この事件に関しては魔導犯罪の有無よりも、容疑者である高校生二名が政治家の子息子女であった関係から、金と政治についての在り方に焦点を当てて捜査すべきだったのではないかと、いまさらながら此処へ書き残すものとする。



「これが天都学園の不祥事だって? ただの生徒間のいざこざじゃねぇか」

「問題は比良坂先生の身の振り方だね」

 この資料をプリントアウトして、雪緒は背もたれに寄り掛かる。

「この時、学園長や他の教師がどういう対応をしたのか。どの学校の不祥事も、全ては教師側の不手際がすっぱ抜かれる時代だからね」

「それにしても驚いたぜ。あの二人、まともな量刑だったら現時点で前科二犯かよ」

 こちらが知る限り、笠井雨音への猥褻未遂を含めれば、高井の場合は前科三犯だ。

「そういや、高井も福島も最近普通に登校していたような……」

「広報部の先輩にも聞いた事がある。あの二人、羽夜ちゃんの事件が広まってからは二年生の間で腫物扱いされてるって」

「アンビシャスも解散してるしな」

「ていうか、去年も今年もチームメイトの扱いに進歩が見られないんですが」

 耀真と雪緒はしばらく顔を見合わせ固まると、すぐに弾けたようにパソコンの画面に向き直った。

「ゆっきん。これ、去年の事件とか言ったな」

「神戸の事件も去年だった。襲われた学校の不祥事を発生順に並べると……」

 事件の発生時期順に学校名をソートしてみた結果、襲撃された学校が起こした不祥事の発生時期の順番が『学校潰し』の被害順と一致していた。

「綺麗に順番通り……だけど」

「よりによって、次はウチかよ」

 雪緒と耀真が苦い声を上げる。

一番目に襲われた神戸がスタートで、二番目に襲われた福岡が神戸の次に不祥事を起こしている。この調子で、千葉と神奈川が文字通り順序良く襲撃に遭う。

 そして、次なる五番目は――

「次に襲われるのは、天都学園だ」

「耀真君」

「ああ。出力して、課長にすぐ報告だ」

 雪緒が迅速に資料をプリントアウトしている間に、耀真は学校に残っている筈の鬼塚灯里に電話を入れていた。普通に電話が通じたのか、たったいま確認したい事をいくつか質問して、ひとしきり終わるなり通話を切る。

 雪緒の支度が終わり、二人は大股で戦闘課のオフィスへと急ぐ。

「鬼塚先生の話だと、ここ最近の高井と福島は大人しくしているらしい」

 耀真はさっきの電話の内容を歩くついでに話す。

「クラス内どころか学校内全体で避けられたりして、もう味方はいない感じなんだと。もうすぐ退学しそうな勢いまであるって噂だ」

「そりゃヤバいね。これまで以上に行動が掴めないって事でしょ?」

「これ以上は二人の保護が難しくなる。早く何とかしないと」

 言ってる間に、課長室へ到着。雪緒は焦燥感を可能な限り抑えながら、課長室の扉をノックした。

「どちら様ですか?」

 扉の奥から壮真の声がする。思ったより普通の声色だった。

「姫風です。取り急ぎ報告が。あ……耀真君も一緒です」

「そうか。入ってくれ」

 許可を貰うなり、雪緒は耀真を引き連れて課長室に入り、デスクで書類仕事をしていた壮真に例の資料を提示した上で、さっき得た情報を報告する。

 雪緒が一通り説明すると、耀真が補足する。

「ここで重要なのが、『学校潰し』の犠牲者達の中には必ず、その不祥事の中心になっていた人物が含まれていた事です」

「……やはりそうか」

 壮真はやや難しい顔で頷いた。どうやら、これは大方予想がついていた事態らしい。

「しかし、次のターゲットが天都学園とは思わなかったな」

「では、早く高井と福島を保護しないと」

「すまない。そいつは無理だ」

 壮真が意外な回答をする。

「な……無理って……」

「耀真、お前らしくないぞ。少し冷静になって考えてみろ。そいつはあくまで状況証拠に過ぎない。たしかに手掛かりが少ないとは言ったが、それだけであの二人を軟禁同然で保護するつもりなら許可は出せない。それに、敵がいきなりターゲットを変えてくる可能性だって十分にある。未発覚の不祥事があったら尚更だ」

 これには耀真も雪緒も納得させられてしまった。言うまでも無く正論だ。

「ただ、無視出来ない情報なのは確かだ。俺達があの二人に直接手を出せないまでも、親御さんを通じてしばらく自宅謹慎を促すくらいはやってみよう」

 壮真が手元の固定電話の受話器に指を触れようとした時、ノックも無く課長室の扉が開かれ、新たな人物がやって来る。

 黒いチェック柄のスーツを着こなし、鼻の下にカモメの翼みたいな形の黒い髭を伸ばした、いかにも偉そうな態度の男だった。

「天霧課長。その電話から手を離したまえ」

「局長?」

 壮真が立ち上がり、耀真も雪緒もすぐに彼へと向き直る。

 彼こそはこの魔導事務局東京本部局長、飯塚伸造だ。

「課長。君はいま、誰と連絡を取ろうとした?」

 伸造は面持ちからして、かなりご立腹の様子だった。

「『学校潰し』に巻き込まれると厄介な人物達を保護しようとしたまでです」

「違うだろう。君は、自分勝手に一般市民の就学の権利を奪おうとした。そうだな?」

「何の話でしょうか?」

「率直に言う。高井君と福島さんは通常通り通学させる。彼らのガードは校内に居る戦闘課の職員だけでやりたまえ」

「ちょっと待って下さい」

 あんまりな指示に、耀真が食ってかかる。

「もし事件が起きたら他の学生だって巻き込まれる。その中であの二人だけを警護するのは物理的に不可能です」

「甘ったれるな、天霧隊員。それは君達の実力不足だ」

「ふざけるな!」

 とうとう堪忍袋の緒が切れたらしく、耀真が激昂する。

「あんた、人を何だと思ってんだ! 俺はともかく、他の仲間達を不要な危険に晒すつもりなら、俺はあんたを――」

「やれやれ、聞き分けの無い子供だ」

 伸造は呆れたように大げさに首を振ると、無造作に耀真の前に歩み寄り、彼の顔を拳で横薙ぎに殴打した。予期せぬ事だったのか受け身も取れず、耀真の体が壁に衝突して、もたれるように倒れ込んだ。

 さすがの壮真も跳ねるように立ち上がる。

「耀真!?」

「耀真君!」

 雪緒はすぐに駆け寄り、耀真を助け起こす。

「大丈夫?」

「あ……ああ。悪い」

 耀真がいつものように笑うが、どうにも力無く感じる。

 壮真ですら、とうとう伸造を殺意満々でねめつける。

「局長、いまのは明確な部下への暴力行為です。この事は労働基準監督署を通じて正式に抗議させて頂く」

「別に構わんさ。どうせ、誰も君の言う事などに耳を貸す者はいない」

 伸造は手をシルクのハンカチで拭くと、何事も無かったかのようにくるりと踵を返す。

「覚えておきたまえ。持つべきものは権力者だ。どれだけ人柄や能力が優れていようが、結局はゴマを摺った方に女神は微笑む。労基局なんぞ、とっくに落としてある」

 清々しいまでのクズっぷりだった。

 この男の父親は元・内閣総理大臣。その顔は広く、いまでも政界の重鎮として日本の政局の陰に腰を落ち着けていると聞く。無論、その息子が虎の威を借ってどのように振舞おうとも、その友人の子息子女がどう暴れようと、その処遇は如何様にも捌き、裁ける。

 そんな前代未聞の悪党は、さらっと課長室を後にした。

「やられたな、釘を刺された」

 耀真は唇の端から漏れる血を学生服の袖で拭う。

「局長、あいつらの親御さんから賄賂貰ってやがるな。これで俺たちがおおっぴらに動けば、課長の首と戦闘課の存続が危うくなる。はっきり言って最悪だ……!」

「耀真。仕事はいいから、お前はもう帰れ」

「いや、でも……」

「そもそもお前は予定を詰め込み過ぎだ。普通の社会人でもぶっ倒れるぞ」

 そういえば最近、耀真の目の下の隈が少し濃くなった気がする。それに、何となく頭の回転も鈍っているような印象を受ける。

 雪緒はとうとう、耐えかねて警告する。

「耀真君。課長の言う通りにしよう」

「お前まで……何を……」

「普段の耀真君なら、あんな暴力はすぐ躱せたでしょ? それに、いまだって十分フラフラじゃん」

「……ようやく……神楽につながる……手掛かり……が……」

 力無く呟いたところで、耀真の瞼が落ち、首もかくんと下がる。

 もう何も喋る気配が無い。とうとう気絶したか。

「……よっぽど疲れてたんだね」

「普段の職務とチーム結成、その他諸々……局長め、こんな時にトドメ刺しやがって」

 壮真が耀真の傍まで歩み寄ろうとすると、雪緒は首を横に振って彼を制止した。

「医務室に運ぶだけなら私だけでも。課長も少し休んで下さい」

「……耀真が言った通りだ。皆、いい人過ぎる」

 感慨深そうに頷くと、壮真は自分の席に座りなおす。

「後で一本おごるよ。頼めるか?」

「マックスコーヒーでヨロシクです」

「甘党め」

 雪緒は今日初めて、壮真の疲れ切った苦笑を見た。


   ●


 仕事が終わり、望月倫太郎は魔導事務局の庁舎を後にするなり、周りの人の目を気にしながら目的地へと向かう。特に電車やバスも使わず、徒歩で到着したのは、この地域でも随一の高さを誇る高層ホテルだった。

 正面から堂々と入り、エントランスの惨状を視認する。

 この階層に生物はいない。天井のシャンデリアのせいでやたら明るい空間のせいで、床に転がる死体の数々が余計に不気味だ。

 例に漏れず、全員血塗れ。中には首を落とされたエルフ族もいる。

「……うわぁ、マジかよ」

 それ以外の感想を漏らさず、魔導事務局の黒い特級魔装士の制服を着ている倫太郎は普通に死体を素通りして、エレベーターで六十階に昇る。

 エレベーターを出たところで、ボーイの死体と出会う。こちらは壁にもたれ掛かり、何故か股間のあたりが血で濡れている。

 ……まさか、去勢でもされちゃったの?

「南無」

 適当に手を合わせて黙祷もどきを捧げるなり、何事も無かったかのように目的の部屋の前まで歩み寄る。

 女の喘ぎ声がする。思ったより激しめだ。

 倫太郎はごく普通にノックして、部屋の中へ呼びかける。

「旦那~。ベルフェゴールの旦那~。帰ってきましたよ~」

「ああ、ドニーか。おかえり。入っていいよ」

「んじゃ、お邪魔して」

 マスターキーを使って部屋に入るなり、いきなり嗅覚にダメージが入る。

「うぉ……! 何だ、このニオイ!?」

「最新作のスタンアロマだよ」

 ごく普通に答えた部屋の主は、一言で表すなら全裸で金髪の若い男だった。

「女にしか効かない調合がされているレア物でね」

「それを何でいま使うんすか」

「今回の獲物はこれまで以上の化け物揃いらしいじゃないか。その前祝だよ」

 などと軽々しく言う変態系男子は、ベッドの上で一人の若い裸の女――それも、まだ十八にも満たないであろう少女を組み敷いて、彼女の下半身を相手に腰を激しくピストン運動させていた。犯されている当の彼女は、既に瞳から精気が抜け落ち、ただ反射で声帯を断続的に震わせるだけの壊れたスピーカーのようになっていた。

 だらしなく口を開け、口角から涎を流し、全身の力が虚脱した彼女を見咎め、倫太郎はたったいま思い出した用件を口にする。

「そんな事より、あんたが言った通りにはしといたぜ。これで天霧耀真は晴れて参戦決定だ。スパイも楽じゃないってんだよ、全く」

「ご苦労だったね。ボロは出てないかい?」

「まあ、課長も随分お疲れだったしなぁ。気づかれちゃいないと思うが……」

「お……」

 仕事の会話の途中で、少女の方が言葉を発した。

「お……おぉ……おにぃ……ちゃ……」

「ただいま、香澄。お兄ちゃんが帰って来たよ」

 倫太郎が妹である香澄の傍まで歩み寄ると、ベルフェゴールは苦笑気味に彼女から離れて、あろうことか普通にシャワールームに消えてしまった。

 香澄は震えながら、おぼつかない言語を操る。

「おにぃ……ちゃん……たす……け……」

「そうだよ。お前を助けに来たんだ」

 などと言って、倫太郎は彼女に顔を寄せる。

「……なーんてな」

 そして、倫太郎は顔の淵に指を引っ掛け、顔の皮を剥ぎ取った。

 変装用の特殊メイクを裂いて表れた顔は、倫太郎なる人物とは全くの別人だった。

「残念でしたぁ! お兄ちゃんは来ておりませーん!」

 香澄の顔が、また絶望の色に染まる。

 部屋の奥から聞こえるシャワーの音だけが、この空間に寂しく流れる。これで彼女は気絶して大人しくなるだろう、などと思っていた。

 またしても、部屋の扉がノックされる。

「おーい、ドニーの兄貴―。いるー?」

「おう。入ってこいよ」

 こちらの許可で新たに入室した人物は、自分と全く同じ顔の男だった。彼は持ち込んでいた黒いトランクをドニーの前に差し出す。

「さてと。兄貴、こいつはどう始末したもんかね」

「置いてけ。でも、その前に」

 ドニーが無造作にトランクを開けると、中から人間の体が一つ、転がり出てきた。

 まるでチルド室にでも入っている肉のように真空パックされた、男の遺体。芸術的な観点につき変な傷を残しておくのを嫌ったせいか、主なダメージの形跡は首の周りに巻き付いた一本の赤い跡のみだ。

 この様子を目撃した香澄が、徐々に目を見開き、突然跳ね起きる。

「お兄ちゃん!」

 香澄はもう力が入らない筈の体を無理に起こし、ベッドから転がり落ち、這いずるようにして男の遺体に縋りつく。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん……お兄ちゃん!」

 さっきからお兄ちゃんお兄ちゃんうるせーなー、などと呆れながら、ドニーは片手の小指で耳の穴をほじる。

 そう。この男の遺体こそ、香澄の兄にして魔導事務局の特級魔装士こと望月倫太郎本人だった。

「ねぇ……起きてよ、お兄ちゃん……お兄ちゃぁあああああああああんっ!」

 それからというものの、香澄はただ枯れた声でむせび泣き、嗚咽を漏らしていた。

 こんな時に、ベルフェゴールがシャワールームの陰からひょっこり顔を出す。

「ああ、そうそう。もう時間だよね。そろそろ行くから、支度しておいて」

「それはいいにしても、この女はどうします? これから一発ヤる予定だったんですが」

「今回は我慢してちょ」

「はいはい。死体はどっちもこの部屋に?」

「うん。そろそろコリアンダーと神楽も来る頃合いだし」

「思ったより時間無いっすね」

 耳を澄ませると、パトカーの音が徐々に近づいているのが分かる。誰か新しい来客がエントランスの死体群を目撃して通報したな?

「……さてと」

 ドニーはスマホでも取り出すような仕草で、懐から自動拳銃を抜いた。

「感動の再会は済んだろ。じゃ、二人で仲良くお幸せにー」

 まるで目の前の塵や埃でも払うような気軽さで、ドニーは香澄の頭部と脊椎に一発ずつ銃弾を叩き込み、ついでに倫太郎の死体にも発砲して同じ個所に弾痕を残してやる。

 これでようやく静かになった。後はここを出るだけだ。

「イェン。待ち合わせの手配は?」

「屋上だ。ステルス迷彩のヘリで優雅な空の旅をご提供いたしまーす」

「オーライ。さて、お預け喰らったせいでムラムラしてきたぜ」

「次はもっと可愛いのが手に入るといいな」

「天都学園にはレベル高いのがいくらでもいるぜ」

「そりゃいいや」

 双子が揃って笑うと、ベルフェゴールがYシャツに黒いチノパンというラフな格好でシャワーから上がる。

「警官隊に発見されたら皆殺しにしよう。そんじゃ、行くかね」

「「うーい」」

 適当に返事するなり、ドニーとイェンはベルフェゴールの後を追って部屋を出る。幸いにも屋上までは警官の一人にすら出くわさず、精々騒ぎを察知して表に出てきたマダムと出会っただけだった。

 とりあえずドニーが発砲してマダムを殺害すると、イェンが苦い顔で質問してきた。

「おいおい。ホテル内の奴らは全員殺したんじゃねぇの?」

「マリーアントがとちったんだろ」

 などと言っている間に、屋上に到着する。

 ヘリポートには既に黒いステルスヘリがプロペラを回転させながら待機しており、ハッチからは一人の少女が顔を覗かせていた。

「ベル様ー! はーやーくー!」

「はいはい。いま行くよー」

 ベルフェゴールを様付けで呼ぶこの少女は、弄月神楽。魔導事務局の現場では『学校潰し』などと呼ばれているテロリスト集団のエース的な魔女だ。

 これから、俺達はこの魔女と共に、最後の標的の元へ向かう。

 世界で最も凶悪な戦闘狂の巣窟へ。

「さあ、行こうか」

 プロペラの音に負けないくらい声を張り、ベルフェゴールは宣言した。

「最終目標は天都学園。作戦決行日は明日だ」


   ●


 そして時は経ち、翌日。ホテル・オートクレール大量惨殺事件の現場にて。

「……間違いない。望月だ」

 壮真はパックで真空包装された旧友の遺体を見下ろし、力なく答えた。

「そっちの彼女はこいつの妹さんだ」

「見た感じ、レイプされた後だろうな」

 さらっと告げるのは、昔から付き合いのある警察の巡査部長だ。大の大人の男二人が、自分の息子娘と変わらぬ年の少女の遺体を眺めている事に、壮真は酷い嫌悪に陥る。

 絶望が足の指先から蛇のように這いずり、やがて首まで上がって締め付けてくる。

「……古い付き合いだったんだ」

「そうか」

「奴を殺した犯人は?」

「監視カメラには何も映ってねぇよ。ホテル内の生存者は従業員含めゼロ。新しい来客が来て、初めてこの惨状を通報した始末だ。金持ち向けのエレガンスなホテルの数少ない欠点ってところだろうが、だとしても異常だ」

「……これでハッキリしたな」

 壮真にはこのような惨事を引き起こした相手に心当たりがあった。

「犯人は『学校潰し』だ。しかも、カメラに干渉するタイプの索敵魔法を使う」

「こないだの仮説だな。それが本当だったとして、どうやって逆探知する?」

「出来そうな魔族に新しい魔法の開発を頼んである。いまは授業中だが……」

「それって天都学園の生徒か?」

「ああ。ウチの息子のチームメイトだ。一応、進捗だけでも聞いておくか」

 まずは学園長室直通の番号にでも電話を入れて、我らが恩師に便宜を図ってもらうとしよう。そう思い立ち、壮真はスマホを取り出してコールしてみる。

 存外すぐに繋がった。相手は比良坂黄泉だ。

「天霧です。突然申し訳ございません」

 それから、通話相手の黄泉に事情を説明して、いくつかのお願い事をしてみる。当然、笠井雨音に対する索敵魔法の逆探知の話も含めてだ。

「――はい。そうですか。……分かりました。それでは、失礼します」

通話を切ると、壮真は巡査部長と顔を見合わせ、眉をひそめる。

「まだ魔法の完成には時間が掛かるそうだ。それより、とっとと望月を回収しなきゃな」

「もう救急車が来てるぜ。さっきサイレンが聞こえた」

「ああ。俺は彼に付き添う。遺族にも連絡を入れなきゃだし」

「検分はこっちに任せろ」

「すまない」

 一礼するなり、壮真は外の救急隊員を案内すべく部屋を出た。

 疲れていた上に旧友の死で気力を削がれ過ぎたせいか、頭の動きも鈍っていた。だが、普段の壮真なら、すぐに気づいていただろう。

 つい先日の会議に参加していた倫太郎が、既に偽物と入れ替わっていたという事実に。


   ●


 外は生憎の雨だった。しとしと降りしきる雨が、窓の外の草木に弾かれ、落ちる。

「……それで、私に訊きたい事とは?」

 いつもより剣呑とした面持ちで学園長室のデスクに両肘をついて指を組むのは、天都学園の長であり、魔女の長でもある比良坂黄泉その人。デスク一台を隔てて、耀真は我妻兄妹と共に、ある話を切り出した。

「比良坂黄泉。失礼ながら、貴女が秘匿している事件についての事情をお伺いしたい」

 耀真は生徒としてではなく、魔導事務局の刑事として、魔女の王に向かい合っていた。

 黄泉もそれが分かっているようで、黙って先を促す。

「いまから丁度、一年前。【チーム・アンビシャス】が起こした殺人事件についてです」

「概要は?」

「当時【アンビシャス】のメンバーだった穂波優香さんが、高井弘毅と福島瑞希によってゴミ処理施設の溶鉱炉に叩き落されて亡くなった。しかし、この事件は報道されなかった。それどころか、容疑者二名は逮捕どころか書類送検すらされていない。貴女はこの事件の裏を、何かご存じの筈では?」

「まず一つ言える事は、その事件は存在しなかった、という事実です」

 黄泉は椅子を反転させて、窓の外の雨模様を眺める。

「では、その手段とは何か。簡単に言うと、賄賂です」

「誰が、誰に対して?」

「まず最初に持ち掛けられたのは、穂波さんの親族です」

 本当は言いたくないだろうに、黄泉は淡々と説明する。

「高井君の親御さんとパイプのあった財務大臣が、直接彼女のご家族の元へ。ですが、当然のように突っぱねたそうです。そこで次に話を持ち掛けたのが、なんと警視庁の上層部、そして魔導事務局のトップです」

「あのクソ局長め」

 殴られた頬の痛みを思い出しながら毒づいてみる。

「という事は、そいつらのせいで事件そのものが隠蔽されたと?」

「ええ。なので私と穂波さんの遺族の方々で手を組んで抗議をしていたのですが、ちょっと面倒な事態になりましてね。それが原因で私も沈黙せざるを得なかった」

「何があったんです?」

 楓太がやや厳しめに追及すると、黄泉はすました顔で淡泊に告げる。

「学園の存続を盾に取られました。あなた達がそれで納得するかは知りませんが」

「天都学園の存続は魔族の人権そのものです。なるほど、効果的な脅迫だ」

 現代の人間には本来、就学の権利もあれば、就業の権利もある。生きる権利があり、それを奪われる謂れは無い。それは、この世界に存在するあらゆる魔族も一緒だ。数少ない魔族の受け入れ優待校の廃校は、魔族の人権の大半を損失するのに等しい。

 教育者として、魔女の王として、決して許してはならないのだ。

「【アンビシャス】は元々、それなりに社会的地位の高い家庭に生まれた生徒達だけで構成されていました。そこへ一人、一般家庭の生徒が加入した。聞けば、彼女は有田君の交際相手だったらしいじゃないですか」

「何だと?」

 意外な情報に、耀真は目を剥いた。

「ちょっと待って下さい。有田先輩は事件の犯人を知らないんですか?」

「ええ。彼女は何かのトラブルに巻き込まれ、何らかの魔法で肉体ごと消滅した。そう聞かされている筈です」

「酷い」

 稲穂がいまにも吐きそうな顔で唸るのを尻目に、黄泉が説明を続ける。

「価値観の不一致で人間関係のトラブルに発展。それが悪化して身内同士の殺人に及ぶ。よくある話ですが、その一件で異常な点が二つ見られます。一つは過剰なまでの事件の隠匿。そして二つ目は、いまこのタイミングで貴方達が私からその話を引き出そうとしている、という点です」

 黄泉はようやく向き直り、睨まれただけで凍り付きそうな視線を向けてくる。

「今度はこちらから質問です。何故、いまこの話を知りたがっているのですか?」

「もしかしたら、次の標的はその容疑者二人かもしれない」

「……やはり、そうですか」

 黄泉が諦めたように嘆息する。

「さっき壮真君から電話があった時より、そんな気はしていたんです。おかしいですね。生涯現役で納税の義務は果たしているのに、もう年貢の納め時ですか」

「魔女の王が何を言いますか」

 耀真はあえておどけてみせた。

「ともあれ、わざわざアポを取ってお邪魔しにくる連中じゃないのは確かです。早いうちに高井先輩と福島先輩を学園長の手で一か月の自宅謹慎にしてやってください」

「当人達にはどう説明すれば?」

「必要ありません。俺がシメます」

 銃を抜いてにやりと笑う耀真を見て、黄泉がやれやれと首を横に振った。

「まさか教師の目の前で恐喝宣言とは……壮真君の方がまだ可愛げがありますよ」

「よし。これでまた一つ、親父を超えたぜ」

「アホか」

 耀真に軽めの空手チョップを下すと、楓太がずいっと前に出る。

「このバカの言う事はともかく、早めの回答が欲しいのは同意です。ご検討を」

「そうですね。少し、考える時間をください」

 この言葉を皮切りに耀真達三人は態度を改め、魔導事務局の職員から天都学園の生徒へと戻る。

 黄泉もまた、魔女の王から、一人の教育者に戻る。

「そろそろ授業が始まります。早く戻りなさい」

「はーい」



 学生らしく和気藹々と去っていく三人の魔装士の背を眺め、黄泉はある光景を思い出していた。

 天霧壮真と小笠原美香。渕上麻夜。エミール・クルクベウ。

 いまでこそ彼らはそれぞれ違う道を歩んでいるが、それでも黄泉はこの四人の教え子達との思い出に浸ってしまう。きっと彼らは未だに、あの頃のままなのだと妄執する。

 後にも先にも、彼らは人生最高の教え子だった。

 願わくば、たったいま学園長室から消えた三人の若者が、あの四人の意思を継いで、前へ、前へ、強く進んでくれますように。


   ●


「試合終了! 勝者、【チーム・バルソレイユ】!」

 たった一人で三人のターゲットを三秒で沈めた耀真は、緊張感を吐息にして解放するなり、現実空間のボックス席に戻って来る。

 隣の席に座っていた羽夜が、開口一番に心配そうに尋ねてくる。

「耀真さん、大丈夫?」

「ん?」

「さっきから顔色良くないよ」

「気のせいだろ」

「……ならいいけど」

 羽夜の顔を見ていると元気が出る。思えば、最近はストレスを感じた時に羽夜の姿を探し求める癖と、羽夜が傍にいるだけで緊張感が解れる習慣が身に着いた気がする。逆に言えば、それだけ自分が疲れている、という事でもある。

 もっとしっかりしなければ。あまり羽夜にも心配は掛けられないし。

「それより、しおみん」

 耀真がギラリと彩姫を睨む。

「お前……さっき俺の獲物を横取りしたな?」

「良いではないか、一人くらい」

 彩姫がドヤ顔で返答する。

「そもそも、単独で全員をブレイクオーバーとか贅沢過ぎるだろう。ここは分かち合いの精神で行こうではないか。次は君と私で三:二の割合で頼む」

「残念でしたぁ、うち一人は羽夜様の餌だから三:一:一ですぅ」

 などと言いつつ、内心では彩姫の成長スピードに驚いていた。最初から即戦力級とは思っていたが、とうとう特級魔装士を出し抜いてしまうとは。

 少しばかり感動を覚えているところに、さっきまでボックス席内の電話に応答していた政彦がしまらない顔で声を掛けてきた。

「天霧。次の試合だが……」

「ん? 今日はもう俺達の出番無くね?」

「詳細はよく分からんが、さっきの試合前に【ラッシュスター】がいきなり棄権したらしくてな。空いた枠に俺達が入れるんだと」

「お? ポイント稼ぎがワンモアチャンスか?」

「ああ。それで、次の相手なんだが……」

「何か問題でも?」

「問題っつーか……次の相手チームに高井先輩と福島先輩がいるんだが……」

「は?」

 耀真は思わず立ち上がり、政彦に詰め寄った。

「ちょっと待て。さっき学園長に……」

「分かってる。でも、さっき聞いたらチームへの加入登録もついさっきだって」

「どうなってるんだ……?」

 もしかして、黄泉ですらあの二人を抑えきれなかったのか? しかし、最近はずっと大人しくしていた筈の二人が何故――

「耀真さん!」

 いきなり、ボックス席に血相を変えて踏み込む者がいた。

 【ラッシュスター】のリーダーである、清水小太郎だ。

「? よう、小太郎。どうした?」

「桜さんが居ないんす! 学校の何処を探しても!」

「桜って……ああ、沖合さんか」

 【ラッシュスター】の実質的な司令塔である魔女、沖合桜。植物系統の大地属性魔法を操り、羽夜の高速機動攻撃すら防ぎきる手練れの選手だ。

「とりあえず落ち着けって。最後に彼女の姿を見たのは?」

「ウチの作戦室でミーティングが終わった後、お手洗いに行くと言ったのが最後っす。戻ってくるのが遅いから新藤さん達に女子トイレを確認してもらったんすけど、もぬけの殻で……それで校内全体を探していたんですが、誰も彼女の姿を見てないって」

「だとすれば、行方不明になってから、少なくとも三十分以上が経ってるな」

 耀真は【バルソレイユ】のメンバーを見渡して言った。

「仕方ない。次の試合は棄権して、俺達も沖合さんを探すぞ」

「ちょっと待って」

 言うなり、羽夜がスマホを耳に当てて、誰かと通話を始めた。

「もしもし? どうしたの? ……うん。…………会長が?」

 羽夜の顔が曇る。

「……実は【ラッシュスター】の沖合さんも行方不明で。……うん。分かった。こっちも無茶はしないから、そっちも気をつけてね」

 通話を切り、羽夜が不安げに小太郎に向き直る。

「吹雪から。【アマツカミ】からも会長が消えてるって」

「だったら一緒に探しましょう。何か、時間が無い気がする」

「そうだね」

 羽夜がこちらに許可を求めてくる。

「耀真さん。いいよね?」

「当然だ。行くぞ」

 耀真は手持ちの予備弾倉と【ソードグラム】に装填された弾丸をチェックすると、ボックス席内のメンバーと小太郎を伴って表に出る。次の対戦チームである【チーム・チェイン】は、既にMVRのタラップに乗ってスタンバイしていた。そういえば、もう試合開始時間か。

 耀真が相手チームへ向かおうとすると、羽夜も自然についてくる。交渉だけなら自分一人で大丈夫だとか言おうとしたが、時間が無いので止めておいた。

 タラップに乗り、耀真は相手チームと向かい合う。

「すみません、先輩方。俺達、次の試合は棄権します」

「は? どうした、いきなり」

 【チーム・チェイン】のリーダーが訝しげに眉を寄せる。

「棄権って……何か焦ってるみたいだけど」

「すみません。説明している時間は無いんです」

「あ……ああ、分かった」

「それから」

 耀真は高井弘毅と福島瑞希をそれぞれ鋭く睨みつける。

「魔導事務局の特級魔装士として命じます。この試合は【チーム・チェイン】にも棄権してもらいます。ついでに、高井先輩と福島先輩には俺達と一緒に来てもらいます」

「はあ?」

 さっきまで押し黙っていた弘毅が納得しかねるといった反応を示す。

「何だそりゃ? 何で魔導事務局の一存で試合を棄てなきゃいけないんだ?」

「黙れ」

 耀真は【ソードグラム】を抜き、弘毅に銃口を向ける。

「早くこっから降りて、俺達と来い」

「お願いします、高井先輩」

 本来なら口も利きたくないだろうに、羽夜が頭を下げて懇願する。

「ここはどうか、耀真さんの言う通りにしてください」

「……分かったよ」

 思いの外、弘毅がすんなり応じて瑞希と目配せする。瑞希も渋々と言った様子で、何も言わずに踵を返してタラップから降りようとする。

 その時だった。耀真と羽夜、弘毅と瑞希の足元に、紫色の魔法陣が展開されたのは。

「な……!?」

「これは……空間属性の魔力……!?」

 全ての魔族は展開されている魔力から伝わる気配で魔法の属性を判別する感覚器がある。羽夜が空間魔法とはっきり判別したのだから、事実なのだろう。

 それより、早くここから離れないと――そう思った時には、既に遅かった。


【MVR内/森林ステージ/天候:晴れ】


「ここは……MVRの中か?」

 目を覚まして起き上がった耀真が見たのは、見渡す限りの木々と、清々しいまでの青空だった。

「森林ステージ……でも、何でいきなりMVRが起動したの?」

 耀真と同じタイミングで起き上がっていた羽夜が、耀真と背中合わせになって周囲の風景を見渡す。これで不測の事態があっても互いの背中を護れる形になった。

「それに、さっきの魔法陣……設置型にしては、位置がピンポイント過ぎる」

「だとしたら、学園長みたいに魔法陣を即時生成するバケモンの仕業って事だ」

 羽夜と背中同士が触れ合う。彼女のほのかな体温が、緊張と共に伝わってくる。

 MVRの中だというのに、生身の体温を感じる。不思議だ。

「……ん? いや、ちょっと待て。羽夜、ちょっとこっち向け」

 耀真は警戒を忘れて羽夜と向き合い、軽く彼女の頬をつまんでみる。

「ふひ? 耀真さん?」

「おお……ぷにぷにだ――じゃなくて。羽夜、ちょっと俺の頬を強くつねってみろ」

「りょ……了解」

 羽夜が怪訝な面持ちで返答すると、指示通り、こちらの頬を片手の指でつまんで色んな方向にこねくり回してくれた。

「んふふ……耀真さんってお肌すべすべですなぁ」

「いやいや、羽夜様には負けますって」

「ところで耀真さん。私達は何してるんですかね?」

「いや、ちょっと変だと思ってな」

「何が?」

「MVRの中で、現実の五感が働いてる」

 互いに手を離すと、耀真は可能な限り脳をフル回転させる。

「状況を整理しよう。さっき、俺達の足元で起動したのは空間転移の魔法陣だと仮定する。そいつでMVRの転移ゲートの手前まで俺達を放り込んで、この空間に叩き落した……それくらいなら渡来さんにも出来る。ただ、問題はその後だ。こういうイレギュラーな状況なら、運営側は絶対に俺達を真っ先に強制排出してる筈なのに……」

 耀真は何となく、頭上を見上げる。

「何で未だにここから出られない? こんな事をしたのは何処のどいつだ? 何でこの空間で痛覚が機能してる?」

「耀真さん、空が……」

 羽夜に指摘されるまでも無く、既に耀真にも見えていた。

 さっきまで青かった空が、徐々に薄紅色に染まっているのだ。

「何かの魔法か……? あんなの、俺も見た事が無いぞ」

 最初から困惑尽くしだった耀真の耳に、新たな困惑の音色が訪れる。

 ここから対岸に位置するフィールドの端から、遠雷のような爆発音がした。

「いまのは……福島先輩の魔法か?」

「分からないけど……とにかく行ってみよう」

「ああ」

 ここで羽夜だけ置いていく訳にもいかない。仕方なく、【エアブレード】を起動して森林を駆け抜け、爆発があったと思しき現場に赴く。

 そこは既に、焼け野原の跡と呼んでも差し支えない惨状だった。

「何だ、これは!?」

 さっきまで生い茂り、高々とそそり立っていたであろう木々は全て乱暴に引き裂かれて粉々になり、或いは倒されている。足元に散らばる木の破片が所々焦げているのを見ると、やはりここで瑞希がご自慢の高火力魔法を使用したのだろう。

「一体何が……」

 羽夜が辺りを見渡していると、彼女の足に何かがひっかかる。

 よく見ると、それは人の手だった。

「ひっ……!?」

 驚いて飛び退き、羽夜が荒い呼吸をして動きを止める。

 反対に、耀真は冷静に、その手の先を目で追い――全身を目視する。

「……高井先輩だ」

 全身が血塗れで、衣服もずたずたに引き裂かれているものの、高井弘毅は全身の原形を留めていた。しかし、動く気配が全くない。

 近づき、膝を突いて、脈を測ってみる。

「死んでる」

「うそ……でしょ?」

 羽夜が唇どころか全身を震わせながら、じりじりと後ずさる。

「だって……MVRの中だよ? ただのゲーム用の仮想空間だし、私達だって仮想体だし。そもそもダメージが一定量を超えたらブレイクオーバーで排出されるんでしょ? ……そうだよ。高井先輩だって、実はまだ死んでないんじゃ……」

「仮想体は血を流さない」

 希望論を述べる羽夜と反対に、耀真は事実だけを述べる。

「さっき俺達自身で確認しただろ。ここでは現実世界のルールがそのまま適用されている。五感も、生死も。おそらく、全てだ」

「じゃあ、ここで死んだら……」

「現実世界に戻っても、命は帰ってこない」

 無論、それは現実世界に帰ってから判明する事だ。いま議論しても意味は無い。

 だが、魔装士でもない一般市民の羽夜にとっては、そうではなかったようだ。

「そんな……ウソだよ……MVRの中で、人が死ぬなんて……」

「俺だって信じたくないが、何にせよ、これで迂闊に自殺はできなくなったな」

 この空間で自殺すれば、それがそのまま本当の死に直結する。強引に自分自身をブレイクオーバーさせて脱出するプランは、これでもうお釈迦である。

「こうなったら仕方ない。とりあえず、福島先輩を探さないと――」

「君達が探していた人はこれかな?」

 その少女は、耀真達の後ろから、人間の体を一つ引きずって歩いてきた。

 頬に入った黒い三日月のタトゥーが特徴的で、それ以外は何となく我妻稲穂を思わせるような外見をした少女は、さっきまで引きずっていた福島瑞希を片腕で持ち上げる。

「もう死んじゃってるけど、欲しいならあげるよ」

 彼女は瑞希の体を放り棄て、改めて耀真と羽夜をそれぞれ見渡した。

「やあ、天霧耀真君。会いたかったよ」

 ――会いたかった、だって?

 それは、こっちの台詞だよ。

「……神楽」

「ん?」

「お前は、弄月神楽だ」

「そうだけど」

 自らを神楽と認めた少女は、心底訝しげにこんな事を言ってきた。

「……何でボクの名前を知ってるの?」

「え……」

 最初、彼女の言葉の意味が全く分からなかった。しかし、徐々に飲み込んで理解し始めたあたりから、全身から嫌な汗が噴き出そうになる。

「知ってるって……覚えてないのか? 俺だよ、耀真だよ。天霧耀真だ。お前の幼馴染で……俺はずっと、お前が生きてるって信じて、待ってたんだ」

「はあ? 知らないし」

 ただすっとぼけている訳では無さそうだ。素で難色を示している。

 息が苦しい。ただでさえ乱れかけた心が、砕けそうになる。

「おい、あまり下手なジョークを吐くなって。お前、そうやって俺をからかおうったってそうはいかないからな」

「あのさぁ」

 神楽は右手でピストルの形を作ると、指先に翡翠色の魔力を溜め、一つの球体状にして耀真に照準を合わせる。

「何それ。新手のナンパ?」

「神楽……?」

「【風魔法 ストラトスシューター】」

 この魔法は、良く知っている。球体状の風属性の魔力を真っすぐに撃ち出す、神楽の基本的な攻撃魔法だ。シンプルでありながらも、その威力は稲穂の基本魔法である【雷切】を遥かに超えていると言ってもいい。

 その魔法の名前だって、俺が付けたんだ。

「神楽……」

 耀真はただ棒立ちで、たったいま発射された風属性の弾丸を正面から眺め、そのまま受け取ろうとしていた。

 あいつは俺を覚えていない。俺がどれだけ想いを寄せていても、あいつにとってはそうではなくて、数年かそこらで忘れ去られるくらい、俺の事なんてどうでもよくて――

「てやぁああああああああああああっ!」

 喉を裂かんばかりの咆哮を上げ、羽夜が耀真の前に躍り出て、左足を一閃。風の弾丸を見事に斬り裂き、割れて通り過ぎた二つの魔力が耀真の背後で爆風を巻き起こしてから霧消する。

 【エアスラッシュ】だ。しかも、以前より精度や威力がケタ違いだ。

「耀真さん、しっかりして!」

「羽夜……」

「私だって、もうどうしたらいいか分からないよ。でも……」

 羽夜は改めて、眼前の敵である神楽を見据えた。

「そんな事より……耀真さんが死んじゃうのは、もっと嫌だ!」

 彼女は優しい子だ。分かっていた筈なのに、それでも、ここまでとは思わなかった。

 少しずつ、動かなくなっていた体に力を取り戻す。

「……詳しい話は後回しだ」

 羽夜の横に並び、銃を抜き、筒先を神楽に向ける。

 ――俺はもう、あの頃の無力な子供ではない。

 一歩踏み出し、手を伸ばし、その手を掴む力が、いまの俺にはある。

「弄月神楽。魔導刑法違反並びに殺人の現行犯で、お前を逮捕する」

 特級魔装士・天霧耀真の本懐となる戦いの火蓋が、たったいま切って落とされた。


   ●


【TIPS】


 魔法=魔力というエネルギー源を持つ魔族だけが使える特殊な術。使用者によって形態は様々だが、大概は炎・水・風・大地・光・闇・空間の七属性に分類された術を行使する。また、一人の魔族が行使可能な魔法は悪魔族などの例外を除くと一属性のみである。特殊な事例だと比良坂黄泉の退魔属性や、前述の七属性の進化系となる獄炎や極光などが存在する。

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