8:洞窟の奥 2

「グールは私が剣で倒す。毒を焚くのは……」

 危ないし、と続けることはできなかった。

「何を言ってる!?」

「無謀です、そんなの」

「一頭やそこらじゃないのよ、分かってるの?」

 ざわめきがそれまでの三倍になって復活し、アイラの声をかき消したからだ。

 重なって聞き取れない反対意見にアイラが対応しかねていると、声の群れからギュンツの手が伸び、アイラのマントを引っ張った。

 その眉は、疑うようにひそめられている。

「アイラが人間相手に強いのは知ってるぜ。でも獣は勝手が違うだろ」

 ギュンツも無茶だと思ってるんだ。

 アイラが小娘だから、なんかじゃないとは分かってるけど。

「毒のが確実だ」

「確実でも、安全とは言い切れない」

「ああ? おまえ、オレが標的以外をうっかり殺すようなヘボだとでも――」

「ギュンツ」

 マントをつかむ手を押しやり、アイラはいぶかるような目を見返した。

「お願い。ここは任せて」

「…………」

 誇りのため、と言ってもギュンツは納得しないだろう。かと言って他の言い訳も用意できない。

 黙って押し通すつもりのアイラに、ギュンツは薄青の目をじっと向け、やがて苦笑まじりにため息をついた。

「そうかよ。やるに当たって懸念はあるか?」

「ギュンツくん、何言ってるの! 止めなさいよ!」

 ワルダートの焦った声に、「止めても無駄らしいしな」とギュンツは肩をすくめる。

「自信はあるのか、とは聞かないんだね」

「どうせイエスとしか答えねえだろ」

 その通りだ。こんなときだというのに、アイラも微笑んだ。

「懸念と言ったら、やっぱり毒かな」

「は、馬鹿馬鹿しい。オレが自分の用心棒を毒で死なせると思うかよ。毒があるのは爪だったな?」

「うん」

「一匹殺したら死体をこっちに蹴り飛ばせ。爪に毒腺があるはずだ。元になる毒がありゃ解毒薬を作れる」

 リンゴがあればジュースを作れる、というくらい自信満々に言う。ワルダートが「信じらんない」と首を振った。

「生物毒の解毒薬なんてただでさえ時間がかかるものよ。グールの存在すら知ったばかりのあなたが、何をふざけてるの」

「ふざけてる? 世界は広いって知らねえんだな」

 ギュンツが腰に巻きつけていた鞄を外し、中身をひっくり返した。取っ手つきの木箱やらボコボコ穴の開いた金属の筒やらがギュンツの前に転がり出る。ローブから取り出したのは柄の長いスプーンだ。

「オレはクスリ使い、毒で殺すも毒から生かすも手の内だ。解毒薬は時間がかかる? 短縮するすべくらい用意してる」

 転がった金属の筒をわざと音高く立て直す。

 見せつけるような仕草をしても、正体不明の道具類には何の説得力もない。しかしアイラは疑わなかった。

「大丈夫です、ワルダートさん。ギュンツはふざけてるように見えて、こういうときに嘘はつかない」

「信用されてるようで嬉しいぜ」

 ポンッ!

 おどけたような言葉に軽い爆発音が続いた。同時に明るい光が洞窟を照らした、と思ったが、実際にはそれはグールがひるみもしないような小さな炎だったようだ。

 アイラはふと違和感を覚えて振り返った。

「ああ悪い、アイラは暗視目薬を使ってんだったな。明るいと逆に見えねえだろ、何かさえぎるモン用意するよ」

「うん、視界はいいんだけどさ……何それ?」

 眩しい中心に目を凝らすと、金属筒の中で炎がちらちらしている。

携帯焜炉ブレイザーだな」

「さっき、火種はないって」

「ああ。暗視目薬使った方が手っ取り早いだろ? 嘘ついたんだ」

 なるほどね、嘘ついたのか。

「あのさあギュンツ、親切心から忠告するけど――」

 呆れた気持ちの分、大きく息を吸いこむ。

「信用を進んでドブに捨ててくスタイル、早めに直すべきだと思うよ!」

「ご忠告痛み入るぜ、馬鹿には見えないインクで手に書いとこう」

 ああもう。文句を百個は投げつけてやりたいところだけどそんな場合じゃない。

 嘘つきを怒鳴りつける代わりに、アイラは剣を抜いた。


          ***


 キャハハハ!

 楽しそうな声を上げて飛び掛かってきた二頭を、流れるように斬り捨てる。そのスキにもう一頭が背後から襲い来るのは予想済みだ。踊るように爪を避け、グールに刃を食らわせる。血しぶきのまだら模様が床に広がるのを見て、誰かが驚嘆の息をもらした。

 あっという間にグールの半数を片付けたアイラに、無謀だと反対していた声も静まり返っている。

 マルヤムとザナバクは一応剣を抜きながらも、参戦のスキを見つけられないようだ。アイラとしては、連携に失敗してお互いを斬ってしまうよりマシなので構わないが、ワルダートがそんな二人を見てつぶやいた。

「あなたたちでも尻込みする場面で、あんなふうに戦えるなんて……あの子、もしかして本当に〈戦士団〉のアイラなのかしら」

「と言うと、ヤティムとラキヤの秘蔵っ子だという?」

 アイラが所属していた〈砂漠の戦士団〉は二十人ほどの小規模な集団だが、精鋭ぞろいで有名だ。リーダーであるヤティムとラキヤの名は、ファルナで知らない人はいない。

 一方でアイラ自身の名は、ヤティムとラキヤの陰に隠れてそれほど知られていない。しかし、リーダー二人に稽古をつけてもらっていた少女のことを、知っている人は知っている。ワルダートはその数少ない一人のようだ。

「アイラという名で、緑の目の戦士……まさかと思っていたのだけど」

 そこまで分かってて、「まさか」だったんだ。

 どうせ自分はちゃんとした戦士には見えない。いちいち気にしないことだ、とアイラはまた一匹グールを斬り捨てた。雑念で剣先が揺らいだか、グールは即死せずしばらく悶えていた。

「ギュンツくん。あなたの用心棒って、〈戦士団〉のアイラなの?」

「別の呼び名をつけてやれよ。そこからは独立したって聞いてるぜ」

 ギュンツは採取したグールの毒をガラス管の液体に混ぜているところだった。

「独立か。そうなんでしょうね」

 ワルダートが納得したように深くうなずく。

「なんだそりゃ。何かあったのか?」

「何かというか、あの集団、今はゴタゴタしているようなのよ。あの子もそれで逃げてきたんじゃないかしら?」

 ささやくように声を落としたのは、さすがに気を遣ってのことだろう。それでも聞こえてしまった言葉に動揺したのは一瞬だった。

 逃げてきたって。

 悪いことにそのとき、アイラは最後の一頭を仕留めようとグールにじりじり迫っていた。張り詰めた空気が破れた瞬間、飛び掛かられたのはアイラの方だった。

 あっ、と思う間もなく毒の爪が肩に食い込む。

 構えた剣を手前に引き寄せたのは、とっさの行動だ。

 大人一人分と同じ体重で体当たりを食らい、石の床に背中を打ちつける。しかしグールがそれ以上のしかかってくることはなかった。

 鳩尾の前に滑り込ませた剣が、グールの胴を貫いていた。

「アイラさん!」

 串刺しにされて痙攣する体が、牙の隙間から赤いよだれをあふれさせる。ぼたぼたとよだれが落ちてきて、そのとき初めて全身に汗をかいていると気がついた。これは冷や汗も混ざっているだろう。

「アイラさん、大丈夫!? 毒爪を食らっていたでしょう! 痛みは? どこなの? 見せて見なさい!」

 ワルダートにしてみれば、噂話ひとつでアイラが気をそらすとは思わなかったのだろう。マルヤムたちを従えて駆け寄ってくるなり、アイラの肩に手をかけ服の裂け目をめくった。その顔がウッとしかめられたのを見ると、酷く腫れているらしい。アイラは肩に手を伸ばして、ワルダートに止められた。

「触らない方がいいわ」

「でも、痛みはなくて」

「そりゃ、暗視目薬の副作用で痛覚がなくなってるだけだ」

 ギュンツが言った。アイラの周りに集まった中にはいない。

 後ろの方でまだ解毒薬作りにかかっているらしい。

 振り返ろうとしたとき、ぐらり、と突然視界が揺れた。

 洞窟の天井が落ちてきた。そんなふうに思ったのは、目の前が暗くなったせいだ。しかし崩れたのは洞窟ではなく、自分の体の方だった。アイラは気づくと床に這いつくばっていた。

「ぐ……っ」

 眩暈。吐き気。息苦しさ。体全部が苦痛でぎちぎちに満たされて、それ以外の感覚が皮膚からしぼり出されてしまったようだ。

 一瞬だけ、意識を失っていたのだろう。

 引き戻されたのは、小さな笑い声がぎゅっと心臓をつかんだからだった。

 笑い声?

 フフッ、フフフッ。子供がはにかんでいるような小さな声。

「生き残りか?」

「子供だな。グールの幼獣だ」

 頭上でささやき合うのはマルヤムとザナバクだ。細く開けた目に、二人が剣を取ってうなずき合うのが見えた。

「ダメです」

 誰かが言った。やけになじみのある声。

 いや、なじみがあるどころじゃない。

 これ、私の声じゃないか?

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