7:見えざる敵 3

「情報、と言われてもね」

 殺気をふくれ上がらせる従者たちを手で制し、ワルダートは小生意気な少年を見返した。

「話せるようなことはないわ。ただザナバクの言う通り、商談相手に有力者が増えてからよ、迷惑なお客がよく来るようになったのは」

 暗殺者、とはっきり言わないのは、お金持ち流の上品さなんだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、アイラはワルダートの伸びた背筋をまじまじと見た。

 アイラだって命のやり取りには慣れている。でもそれは、自分で望んで戦いの世界に飛び込んだからだ。この、暴力とは縁のないように見える商人の女性が、暗殺者相手に皮肉を言っている。現実感のなさに、思わず口から言葉がこぼれた。

「本当に、命を狙われてるんですね……」

「ええ。送り主は両手の指じゃ足りないくらい。私が死んで得をする人間は、それだけ多いということでしょう」

「心当たりが多すぎる、ってことか。ならさっきの奴らの目的までは絞れねえな」

 ギュンツはというと、八百屋でも花屋でも殺されるときは殺される、とでも言いたげなあっさりした態度だ。ワルダートの事情はどうでもよく、それより敵の具体像がさっぱりつかめないことにいら立っているようだった。

「あーあ、どうするかな。こっちを皆殺しにする気なら、オレたちまで巻き添えだ。さっさと火の粉を払いてえとこだが」

 その言葉に、ザナバクがじろりと目を向けた。

「狙いがワルダート様お一人なら構わないとでも言いたげだな、小僧。ワルダート様のご意思ゆえ客人として遇しているが、それ以上無礼なことを言えば舌くらい失うことになりかねんぞ」

 ザナバクの顔に描かれた赤い花が、不愉快そうに大きく歪んだ。しかしザナバクの長身に詰め寄られても、ギュンツはいつも通り軽く笑う。

「誰が小僧だよ、相手を見てものを言え。ああさては顔面だけじゃなくって頭の中まで花盛りなのか?」

「そのまま無駄口を叩いていろ。舌を抜きやすい」

「そっちこそ、顔に蛍光塗料塗ってやろうか」

「なんだそれは、夜間に便利そうだな」

「ザナバク」

 どんどん筋から外れていく口論を、マルヤムがぴしゃりと止めた。

「そうね、相手の目的によっては私一人が標的とは限らないわ。お客を巻き込むことも不本意だけれど、さらに隊商全体を害する可能性もある。隊商長として、それだけは防がなければ」

 ワルダートが軽く頭を振って話題を戻した。気丈な隊商長もさすがに疲れが出たのか、ため息のような細い息がこぼれる。

「ルムスと護衛たちのことも心配だわ。こんな砂嵐の中ではぐれてしまって」

 その言葉に、えっ、と思ったのはアイラだけではなかったらしい。

「はあ? 本気で言ってんのかよ」

 ギュンツが驚きに声を高くした。口元が馬鹿にするように歪んでいる。

「班についてた護衛は三人。襲ってきたのも三人だ。砂漠の大商人様は、そろばんがなきゃ算数もできねえのか?」

「慎めよ小僧。私はザナバクほどには優しくないぞ」

 今度怒りをあらわにしたのはマルヤムだった。派手な色のまなじりを吊り上げ、ギュンツをにらんでいる。お互い目が慣れてきたようで、ギュンツも相手を面白そうに見返した。しかし、またも舌戦が始まるかというとき、

「うわっ」

 後ろから首根っこをつかまれて、ギュンツは不機嫌に眉をしかめた。

「何しやがる、アイラ」

「君さ、怒らせる以外のコミュニケーションを知らないの?」

 ギュンツのフードを引っ張りつつ、アイラはため息をついた。何しやがる、はこちらのセリフだ。

「君が喧嘩売ってばっかなせいで、全然話が進まないんだよ。とにかく、ちょっと黙ってて」

「ちょっとってどのくらいだよ」

「私がいいって言うまで」

「なるほど永遠にって意味か? オレより、怪我人を構ったらどうだ」

「おあいにく様、君の邪魔もできないほど忙しくはないよ。薬は塗ったし包帯は巻いたし、フィドさんの様子も落ち着いてる。ほら」

 視線でチラリと指し示すと、壁に背を預けたフィドが気づいて、薬をくれたギュンツに頭を下げた。腕に巻いた包帯は、今は羽織った長衣に隠れている。ギュンツは素直に感謝されることが苦手なのか、「はん」と吐き捨てて会釈を受け流した。

「でもワルダートさん。ギュンツの言い方はともかく、私も護衛たちが怪しいと思います」

 引き続きギュンツを抑え込みながら、アイラは控えめにワルダートを向いた。

 いくら視界の悪い中でも、数歩先の護衛対象からはぐれるなんて、ありえない。初めは、完全に疑ってはいなかった――襲撃の目的がギュンツだと思い込んでいたから。たまたま巡り合った隊商にまで刺客が紛れ込んでいるのはできすぎている――のだが、ワルダートを狙っていた可能性が明らかになった今、ほぼクロだろうと思っている。

「考えてみれば、ルムスさんの行動も不自然でした。ラクダ使いなら砂嵐くらい慣れてるはずなのに、あんなにパニックになるなんて」

「ワルダートを引き離すために、わざと飛び出したってことか」

 ギュンツがアイラからフードを取り返しながら言う。黙っててという言葉を早速無視しているわけだが、アイラも同じ考えなので、口を封じるのはやめておいた。

「そういうこと。三人を倒したあと矢を射かけてきたのもルムスさんかもね。小さな弓くらいならマントの下に隠し持てるし」

「護衛どもと、ルムス。その四人だけじゃねえだろうな。特に護衛三人、標的と偶然同じ班になるなんてよっぽど運がよくなきゃだろ。きっと護衛団全部がグルだぜ」

 いつの間にか、話題の中心であるワルダートを置き去りにして、アイラとギュンツで盛り上がっていた。

 ワルダートは岩壁の一部のように黙りこくっている。自分の命がかかった会話だというのに。

「ワルダートさん?」

「それは……そうとは限らないわ」

 ぎこちなく言葉を濁す様子に、ギュンツが大袈裟にため息をついた。

「限らないって? 単純な結論が嫌だってんなら、別の可能性とやらを教えてほしいね。それとも、急に頭が馬鹿になったか?」

「貴様!」

 またも従者たちがいきり立つが、ワルダートは、それを止めようともしない。

 何を悩んでいるのだろうか。暗視目薬を塗ったアイラには、ワルダートの眉根を寄せた目元までよく見えていたが、心までは見透かせない。

「あーあ、つまんねえ家来どもだな。から従うだけ! オレならもっとイキがいい奴をそばに置くね、三日に一度反逆起こすような」

「頻繁すぎない?」

 ギュンツが心底つまらなそうに手を振るので、アイラは思わず口をはさんだ。

「その方が面白いだろうが」

「安心安全より面白さを取るのは君くらいだよ」

 ただでさえ命を狙われているなら、そばにいる仲間くらいは信用できる人でいてほしい。ワルダートも重苦しい顔ながら、ギュンツの言いようには呆れが勝ったらしく、

「ええ、反逆は困るわね」

 だんまりをやめにして、目を上げた。

「だからハジャルさんと隊商を?」

 アイラはふと思いついて尋ねてみた。

 副隊商長のハジャル・アルカマル。水色のターバンを巻いて微笑むお爺さんの顔が頭に浮かぶ。

 ワルダートの家、アルラムル家は大商家だ。その当主率いる隊商がたった二人の商人で組んだものだというのは、やけにわびしい。しかし敵が盗賊や獣だけでなく、昼間行動を共にする仲間のうちにも湧きうるとなれば、大所帯であるほどリスクも大きくなる。組めるのは、相当信用のおける相手だけというわけだ。

「ハジャルさんなら数年前からのつき合いだって聞いてます。穏やかな人だし、仲よく旅できそうですよね」

「そうね……」

 勝手に納得してうなずくアイラに、ワルダートもうなずきを返した。

「ハジャルは私が唯一相棒と呼べる人よ。家を盛り立てて以来、周囲の人間にはさんざん裏切られてきたけど、ハジャルは一度もそんなことなかったの」

 しかしその言葉の割に、ワルダートの声は暗い。きりりと結ばれたその唇が、ためらいがちに開いた。

「ハジャルなの」

「えっ?」

「あの護衛団は、ハジャルの紹介で雇うことになったの。腕の立つ人たちを知ってるから、次の旅で雇ったらどうか、って……」

 言葉の意味がだんだん呑み込めてきて、アイラは口をあんぐり開けた。

 ハジャルと、護衛団が、つながっている?

 ギュンツと従者たちも喧嘩をやめて、ワルダートの発言に聞き入っている。従者たちにも初耳の情報らしく、アイラと同じくらい目を丸くした顔が並んだ。

「疑いたくないの。彼のことも、彼が紹介した護衛団のことも。だってこの年でまた相棒を失ったら、二度と他人を信用できないわ」

 思い詰めていた理由を吐き出して、ワルダートは苦しげに目を伏せた。

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