第10話 レイラさんのバイオレンスお料理教室

 テレジアに砦の防衛を任せて、レイラは砦から真北へ向けて駆け出した。

 その方角にあるのは、ガルランド王国とトール王国を隔てる山脈だ。テレジアから教えてもらった道は、確か真北へ向かって山を登り、頂上に到着したら真西へ向かうとのことだった。ひとまず山を登り、ある程度の高さになったら俯瞰して地形を確認すればいいだろう。少なくとも、国境の関所はどうにか抜けなければならないのだから。

 大地を砕き、砂煙を巻き上げながら最強無敵は疾走する。

 荒地であれ、砂地であれ、森の中であれ、その速度は一切変わることなく。唐突に現れた暴虐に、木々は軋み鳥は飛び立ち、獣はざわめいて森から逃げ出した。

 邪魔な木々は大剣で斬り飛ばし、たった一人で森林破壊をしながらレイラは駆け抜ける。

 獣道ならぬレイラ道が森の入り口から山へと至り、傾斜が激しくなっても止まることなく。


 そして、ようやく至った山の中腹。

 レイラは飛び上がり、大きめの木を垂直に駆け上がり、その頂点に立った。


「ふー……」


 小さく息を吐いて、方角を確認する。沈みかけている太陽の位置は真西のはずだ。

 眼下に広がるのは森と、その向こうに見える平原だ。そんな平原にぽつんと佇んでいるのが、恐らくガルランドの最前線の砦だろう。あの平原を抜けようとすれば、間違いなくガルランドの物見の兵に見つかってしまうはずだ。

 そして、砦の向こうに微かに見える、城塞都市。

 恐らく――あれがガルランド王都。


「どう行くかね……」


 平原を抜けるという選択肢はない。

 どれほどレイラが超人的な速度で駆け抜けようと、必ず砦の上には物見の兵がいるはずだ。そして速度を上げようと思えば砂煙が上がるし、地響きもする。そうすれば必ず、ガルランドの兵には発見されるはずだ。

 いっそのこと砦ごと殲滅してやろうか――そんな物騒な考えが浮かぶけれど、ひとまず止めておいた。レイラならば一人でも可能だろうけれど、一人でも逃げ出す者がいれば、逃げた者は王都に報告へ行くだろう。そして最前線の砦が陥落したと聞けば、即ちガングレイヴ側から奇襲が行われたと判断される。

 その結果、戦争が起こるということで、人質は無意味だと判断するかもしれない。そうなれば、アントンの命はそこで奪われてしまう。


「……ちっ、面倒だね」


 一人も敵兵を逃がすことができない以上、殲滅は現実的な案ではない。

 加えてレイラがガルランドに潜入しているという情報を与えたら、その瞬間にトール王国が全力で砦を落とそうとしてくる可能性もある。滅びに瀕しているとはいえ、全軍でかかってこられたらさすがのテレジアでも防衛しきることは難しいだろう。

 つまり、レイラの潜入は誰にも知られることなく行われなければならない。

 ああ、面倒だ――そう頭を掻きながら、レイラは木から降りる。

 常人ならば両足の骨を折るだろう高度から飛び降りながら、しかし周囲の草を巻き上げるだけで無傷のレイラは、まず周囲を見回した。


 レイラは人間である。

 テレジアあたりに言ったら「何言ってんすか、化け物の間違いっすよ」とでも言われそうだが、一応人間である。

 そして腹が減っては戦が出来ぬという言葉もあるように、人間というのは空腹では戦えないのだ。

 つまり、敵国に侵入して人質を救い出すという重大任務にあたり、空腹では十全に動くことができない。さらに言うと昨日の夕方から帝都へ向けて走り、朝にマリアと皇帝を恫喝し、それから最前線の砦に再び戻ってからテレジアに地図を見せてもらい、そのまま駆け出してここまでやってきたのだ。それまで何一つ口に入れることなく。

 簡単に言うと腹が減った。


「一、二……こっちは小物だな。三……あれが一番大きいか」


 森の中において、多種多様な生き物が存在している中――レイラは周囲の、食べられそうな生き物の気配を探る。

 左に一つ、右に二つ。右にいるのは恐らく兎だろう。捕まえたところで、大した量にはならない。

 そして左にいるのは、恐らく鹿か猪のどちらかだ。

 ならば当然、レイラが向かうのは左である。

 息を殺し、気配を極限まで抑え、足音一つ立てることなく、跳躍。


「……」


 木々を蹴り飛ばして森の中を駆け、吹き抜ける風のように木々の葉音だけを響かせながら。

 レイラに背を向け、草を食む鹿――その背後に立つ。

 野生の獣の驚異的な聴覚や勘に一切気付かれることなく。

 ひゅんっ、と手刀を一振り。

 それだけで、鹿の首が飛んだ。


「すまんね」


 鹿には何の罪もない。

 ただそこで草を食んでいただけだ。強いて言うならば、運が悪かったのだろう。

 空腹で苛立っているレイラの前にいたという、残念すぎる不運である。


 鹿を即座に解体して、手刀を血で染めながらレイラは肉を切り裂く。

 ある程度形になったところで木片と木片を擦り合わせ、火を焚く。本来棒状にした尖った枝と板切れを用いて火を起こすのだけれど、面倒なのでひたすら摩擦を起こすだけだ。煙が上がってくれば、そこに枯葉を入れて火種とし、そこから小さな枝に火を移す。

 これで焚き火の完成だ。


「よっしゃ」


 薄切りにした肉を炙り、そのまま口に運ぶ。調味料すら何もなく、ただ純粋な肉の味しかしない。

 あとは小分けにしたものを骨ごと炙り焼きにして、火が通ったら貪り食らう。

 これでいい。

 腹が満たされれば、それだけで戦うことができる。


「ふぅ……」


 程なくして鹿一頭を喰らい尽くし、内臓と骨と頭だけの残骸を穴に埋める。『殺戮幼女』とすら渾名される矮躯だというのに、喰らい尽くした。罪もない鹿を殺したのだから、せめて全部食べてやるのが礼儀だろう。

 レイラの血肉と化した鹿に感謝の念と共に手を合わせ、跳躍する。

 そして、やや太めの枝の上に座る。そして太い幹へと背中を預けて。


 目を閉じた。


 戦士たる者、どのような環境でも眠ることができる――それが一つの特技でもある。木の枝の上で座っているという、明らかに眠ることのできない状況であっても、レイラは一瞬で睡眠に入ることができるのだ。


「くかー」


 幸いにして、今は夕刻。

 日が沈むまで、まだ時間がある。

 ならば。


 夜闇に乗じて、潜入する――。

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