第8話 恐怖の『殺戮幼女』
「おい皇帝この野郎!」
「はっ!? か、カーリー将軍!?」
ばんっ、と思い切り扉を開けて、玉座の間の向こうにある皇帝執務室――本来、皇族に関わりのない者は一切入ってはならぬと定められているそこに、思い切りレイラは土足で入った。
当然ながら、皇族以外に入室を許されないそこにいるのは、皇帝ラインハルト、そしてラインハルトの息子であり第一皇位継承者である皇子ディール・ラインハルト=ドロテア・ガングレイヴの二人だけである。
レイラはそんな、皇帝執務室であるがゆえに他と一線を画し、高そうな絨毯の敷かれたそこをどかどかと歩く。
憤怒にその表情を歪めながら。
しかも腰に大剣を二本差して。
今にも大剣を振るって暴れまわりそうな怒れる最強を初めて見て、その威圧感を初めて感じて、恐らく皇子ディールの寿命は十年くらい縮まった。
「あたしは今からガルランドに行く! アントンはあたしが助ける!」
「は……?」
「アントンは行方不明なんだよ!」
「い、いや、それは、聞いているが……」
相手は皇帝であり絶対的な権力を持つ相手である。
だというのに、レイラは敬語の一つも使うことなく、ともすれば胸ぐらを掴んで話すのではないかと思えるほどの気合いでそこにいた。そして、当然ながらそんなレイラを窘められるほどに、ラインハルトに度胸などない。
ゆえに。
ただただ怒り狂う最強無敵の『殺戮幼女』と、護衛の一人も連れずに対峙しているようなものである。
少しでも言葉を間違えれば死ぬ――そう、目の前に迫った死の顕現に恐怖を覚えながら、ラインハルトは筆を置いた。
「あ、あー……その、何というか、うむ」
「アントンを攫ったのはガルランドだ! そうだろうが!」
「い、いや、確証は……」
「間違いねぇ! 今この時も、アントンが拷問を受けてるかもしれない! だったらあたしのやることは一つだ! あたしが助けに行く!」
「む、む……」
やばいどうしよう。
顔中から冷や汗が流れながら、しかしレイラに対してどう言えばいいか全く分からないラインハルトは、自然言葉を失ってしまう。
そして皇帝たるラインハルトですらそうなっているのだから、皇子であるディールは震えながらレイラを見るだけだ。
そもそもアントンがガルランド王国に攫われたという証拠はどこにもない。
だが、確かにその可能性は高いだろう、とマリアとも話していた。厚顔にもレイラを自国へ出頭するように命じる国だ。レイラという最強無敵、天下無双の矛を手に入れるために、アントンを利用してもおかしくはない。少なくとも、アントンとレイラの婚約は隠蔽しているわけでもないし、他国の諜報員が手に入れてもおかしくない情報だ。
そしてアントンを捕らえ、洗脳でも懐柔でも買収でも、何らかの方法でガルランド王国へ帰属させるように持って行くことができれば、アントンを心から愛しているレイラは間違いなく追従するだろう。
ラインハルトとて、何もしていないわけではない。自国の諜報員をガルランド王国に派遣して、アントンを探すよう命じている。そして帝都とガルランド王国という離れた地であるがゆえに、未だ報告は入っていない。というか、多分諜報員はもうすぐガルランド王国に到着するくらいではなかろうか。
まさか、情報の一つも入らないうちから、レイラにそう言われるだなんて。
「いいか、あたしは絶対にアントンを助け出してみせる! ガルランド王族もついでにぶっ殺す!」
「そ、それは……」
「あたしを敵に回したこと、後悔させてやる!」
ラインハルトとしては、ガルランド王国側に大義名分を与えることはしたくない。
特使の件は、ガングレイヴ側としても「特使が自国の将軍に対して閨を強要した」という主張があってのことだ。だがそれでも、「他国の将軍が特使に対して暴力を振るった」という大義名分には勝てない。
その上で、レイラがガルランド王国に赴いて勝手に暴れた場合。
今度こそガングレイヴは、「宣戦布告を行う前に王都に急襲を仕掛けた卑怯な賊国」としての誹りを免れることはできないだろう。レイラの独断だったとしても、将軍が動くということは国がそれを認めたことにもなるのだから。
「う、うむ。か、カーリー将軍よ、まずは落ち着いて……」
「これが落ち着いていられるかっ! いいかっ! あたしは今すぐガルランドに行く!」
「む、むぅ……」
無理。
ラインハルトはあっさりとそう判断した。無理。こんなレイラを止められる者は、多分アントンだけだ。
そして、そんなアントンが敵国に捕らえられているかもしれない以上、レイラを止めることは誰にもできない。
「……わ、わ、分かった」
「よっしゃ、行くぞぉ!」
「だ、だが、カーリー将軍……何点か、守ってほしいことがある」
「あぁん!?」
ラインハルトの言葉に、レイラは眉を寄せる。それだけで恐らくラインハルトの寿命は三年くらい縮まった。
当然、その勢いをラインハルトの隣で受けたディールは、多分十年くらい縮まった。
震え、今にも髪が真っ白になりそうなディールと違い、ラインハルトはしかし気丈に続ける。心から「もう無理!」と叫びながら。
「そ、その……我が国としても、できるだけ……その、向こうに大義名分は与えたくないというか……」
「どういうことだよ!?」
「で、できれば……顔と身分は隠して、潜入してほしいなぁ、と……」
「分かったよ! あとは何だ!」
思ったよりも素直にレイラが頷いて、ラインハルトは心から安堵する。
相変わらず怖いけれど。今にも大剣握って暴れそうだし。
「が、ガルランドの王族は……えー……なるべく、殺さないでいてくれると」
「無理だ!」
「そ、それは無理なのか……」
「あのロベルトとかいうクソ野郎は絶対にぶっ殺す!」
「……あの、それ、私怨」
「あぁん!?」
「……な、何でもありま、せん」
普段、レイラが『将軍モード』のときにはちゃんと敬語も使ってくれるし、命令にも従ってくれる。
だが、アントンの危機に怒りを抑えきれない『殺戮幼女モード』のレイラは、何を言っても聞かない。というか、下手なことを言えばラインハルトでも両断される気がする。
ゆえに、皇帝と将軍という絶対的な立場の差がそこにありながら。
圧倒的に、レイラの方が偉そうなのである。
「もうねぇな! だったらあたしは行くぞ!」
「う、うむ……」
「待ってろよぉぉぉぉぉぉぉっ! アントぉぉぉぉぉぉンーっ!」
疾風の如く、扉を蹴り壊してレイラが出て行くのを呆然と見送る。
皇帝執務室ということで、それなりに頑丈な素材を結構な値段をかけて作っているはずのそれが、あっさりと木屑になって。
ようやく、嵐が去った――そう安堵して、ラインハルトは腰を下ろした。
「ふぅ……あぁ、恐ろしい……」
「ひ、ひぃ……」
「あ、ああ……お前は、初めてか。カーリー将軍を見るのは……」
次代の皇帝であり、現在未だ十歳という若さの息子ディール。
恐怖に震えている声に、少しでも安心させてやろうとラインハルトが振り返ると。
ディールの美しい銀色だったはずの髪が、完全に真っ白になっていた。
「ディール!?」
「ち、父上……わ、私は、ここで死ぬのでしょうか……」
「気をしっかり持てディール!」
恐怖のあまりに白髪になってしまった息子を見て。
ラインハルトは、レイラの引退を伸ばしたことを少しだけ後悔した。
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