第7話 マリアの懸念
「マリアああああああああ!!!!」
「ひっ!? レイラちゃん!?」
帝都、宮廷。
いつも通りの出仕と、いつも通りの仕事を行っていた軍部統括官にして前『銀狼将』マリア・アッカーマンの執務室に、突然そんな声を上げながらレイラが乗り込んだ。
ぜぇぜぇと、息を切らしながら。
身体中を土まみれにしながら。
休む間もなく、最前線の砦からここまで最短距離を走ってきたのだ――そう、分かるほどの疲れた顔で。
しかし、心からの焦燥をその顔に浮かべながら。
「おい! マリア!」
「ど、どうしたの……?」
マリアにしてみれば、レイラは自分の元部下だ。
いつだったか、既に滅んだかつての敵国――グランデ公国に対する戦において、マリアは引退してレイラに後任を譲った。その時点でマリアは三十六歳という、引退をするにはあまりに早すぎる年齢でありながら。
その最大の理由が、アグロー河突破戦――思い出すのも忌々しい、無茶苦茶な命令である。
当時『銀狼将』であったマリアのもとに、当時のグランデ公国に対する総指揮官『黒烏将』ガイウス・セルエットから命令が寄せられた。
それが、帝都より南のアグロー河近くにあるグランデ公国の砦を攻め落とせ、という命令である。
アグロー河はこの近辺では最も大きな河であり、長い歴史の中でも氾濫を起こしたことのない大河である。だが対岸が霞みがかっているほどに広く、泳いで渡ればそれだけで疲れるほどの大きさを誇る。
だというのに、橋も遠く川幅も大きい、そんな対岸にある砦を攻め落とせ――そう命じられたのだ。
噂では、ガイウスから愛人になるように迫られたマリアが断り、その意趣返しとして無茶な命令をされたと言われているが、事実その通りである。断ってすぐにそんな命令が来たのだ。きっと、マリアが泣いて頼んでくれば許してやろう、というくらいの気持ちだったのかもしれない。
絶望と共に進軍し、そして攻め落とす手立ても見出すことができず、どうしようかと悩んでいた先で。
たった一人で、その砦を落としたのがレイラだった。
あの戦いから、マリアはより強い者がより主導すべきだと考えて、躊躇することなく『銀狼将』をレイラに譲った。
そして、その引退があまりにも早いと惜しまれ、皇帝より軍部統括官という地位を与えられたのである。統括官とはいえ、やることなど国家全体における方針の提案や全体の物資搬入における最終調整などだが。
そして、そんな経緯があると共に、自分よりも遥かに若いレイラに対して重責を与えてしまった負い目もある。そして何よりも新兵の頃から知っているゆえに、どことなく自分の娘であるような感覚すらあるのだ。
そんなレイラが――血走った目で、マリアを見てくる。
その理由には、心当たりがあった。
「アントンはどこだ!」
「そう……聞いちゃったのね。ゴンザかしら」
「お前!」
「一週間前から、出仕していないわ。レイルノート宮中侯曰く、屋敷にも戻っていないって。禁軍の兵士に帝都を捜索させているけど、まだ見つかってないわ」
「なっ……!」
「今回は、物資が滞ってもいけないから、ゴンザに任せたけど……全力で捜索はしているわ」
嘘ではない。
事実、真面目で一切休むことのなかったアントンが突然来なくなり、すぐにマリアを始めとした事務官は随所に確認を行った。その上で、ロウファル・レイルノート宮中侯は、私兵を使って探しているとさえ聞く。現在も、禁軍の兵が帝都をしらみつぶしに探しているはずだ。
だというのに、何の報告も来ていない。
「なんで……! なんでアントンが行方不明になるんだよ!」
「私に言われても……」
「くそっ……!」
はっ――そう、レイラは顔を上げる。
レイラと婚約をしたアントンが、自ら姿を消すとは思えない。責任感は強いし、将来的には宮中侯を継ぐという目的もある。何より、レイラという婚約者を得ている現状で誰にも言わず旅立つほど、アントンは愚かではないはずだ。
ならば、何者かに攫われた――そう考えるのが自然だ。
そして攫われたならば、そこには少なからず目的があって当然だ。女や子供ならば身売りのために人攫いが現れることもあるけれど、アントンは成人男性である。
そんなアントンを攫う理由――。
「まさか、ガルランドが……!」
「可能性は……ないことは、ないわ。陛下もそれを考えておられるの」
「だったら……!」
「ただ、確証はどこにもないわ。ガルランド側から犯行声明がない限り、私たちには分からないのよ。アントン君が、自ら姿を消した可能性もゼロじゃないし……今は下手に、ガルランド側と揉めるわけにはいかないのよ。ただでさえ戦端が開こうとしている今、こちらから口出しをすれば周辺国も刺激する可能性があるから」
「……っ!」
マリアの言い分に、思わず血が昇る。
アントンを攫うにあたって、最も可能性が高いのはガルランド王国だ。そもそもレイラに出頭せよと命令は来たけれど、それをあっさり守るほどガングレイヴ帝国は愚かでない。
ゆえにアントンという、レイラにとって唯一無二の人物を攫い、レイラを掌中におさめようとしているのではないか――そう考えれば、限りなく自然である。
だというのに。
だというのに――!
「マリア……お前は、どう思うんだよ」
「何とも言えないわ」
「……」
国家としてどうあるべきか。
そんな難しいことは、レイラには分からない。
外交関係なんて糞食らえだ。
それよりも。
何よりも。
「アントンが……今、この間にも、殺されてるかもしれねぇのに、か……?」
「……」
レイラの言葉に、今度はマリアが黙り込む。
ガングレイヴ帝国における最強無敵、天下無双の矛――レイラを繋ぎ止めているのは、アントンだ。
帝国の動き一つでアントンの危機があるとなれば、それは絶対に避けなければならない。
ふぅっ、とマリアは形の良い唇から、そう溜息を吐く。
「いい、レイラちゃん」
「何だよ!」
「アントン君は、今はまだ大丈夫よ。死にはしないわ。私が保証してもいい」
「何でそれが分かるんだよ!」
「それはね、アントン君があなたの抑止力だからよ」
「は……?」
マリアの言葉に、眉根を寄せる。
意味が分からない。
隣国に攫われたかもしれないアントンの安否を、何故そのように保証できるというのか。
「もしもガルランド王国がレイラちゃんを手に入れるつもりなら、アントン君に危害を加えることは絶対にないわ。むしろ、賓客として持て成すくらいのことはするかもしれない。アントン君は絶対に乗らないと思うけれど、ガルランドにおける要職と高位の貴族位を約束するくらいのことはするはずよ」
「い、いや、何で……?」
「アントン君がガルランドに所属を変えるなら、そのままレイラちゃんが付いてくるじゃない。そうすれば、ガルランド側はレイラちゃんを手に入れることができて、この戦争は一気に向こうに傾くわ」
「……」
つまり。
アントンは、レイラを手に入れるための餌。
そして餌であるならば、殺すことはない――。
「で、でも……! それでも、可能生はあるだろ! アントンが……!」
「……ええ」
「だったら……!」
レイラは、決意する。
国として動くことはできない。そして、今はガルランドと揉め事を起こすわけにいかない。
ならば。
「あたしが、助けに行く!」
「――っ!?」
レイラがガルランド王国に侵入して、アントンを救えばいい――。
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