第6話 レイラさん走る

 レイラは帝都から、最前線の砦へと戻った。

 かといって、やることは普段と特に変わりない。ガルランドと戦争になる可能性は高いが、しかしまだ決定しているわけではないのだ。そしてガルランド側も戦争における正当性を主張したいがために、向こうの方から宣戦布告をしてくるわけがない。

 国交にピリピリとした緊張感は走っているけれど、現在のところはまだ動けないというのが事実なのである。

 ゆえに、レイラの仕事はいつもと変わらない。いつも通りに酒を飲んで飯を食ってナッツをつまんでのんびりするだけだ。

 そう列挙すると全く仕事をしていないわけだが。


「実際してないっすからね」


「心を読むな」


「まぁ、それはアタシの仕事だから問題ないっすよ。レイラさんには常に英気を養ってもらわないと困るっす」


「つってもなぁ……」


 帝都から戻って、既に三日。

 当然ながらレイラのいる砦へと攻め込んでくるほどにトール王国も馬鹿ではなく、現在のところ攻め入ってくる気配はない。そしてガルランドとの国交が厳しくなっている今、帝国における最大戦力であるレイラを下手にトールの王都へ攻め込ませるわけにもいかないのだ。

 軍部統括官のマリアと少し話したけれど、ひとまず最前線へと騎士団を三つ派遣する形に落ち着いた。どの騎士団が来るのかまでは聞いていないが、別の騎士団に国境の防衛を任せながら、レイラ率いる銀狼騎士団にトールの王都を攻めさせるとのことらしい。

 ゆえに、現在のところ動けないのである。


「あー……かったりぃ」


「まぁ、のんびりしていてくださいよ。今日はアントンさん来る日っすから、一緒に夕食でも行ったらどうすか?」


「だからあんまり食わないようにしてんだよ」


 むすーっ、と頬を膨らませながら、いつまで経ってもやって来ないアントンを想う。

 今日は二週間に一度の、銀狼騎士団への物資搬入の日だ。いつも大抵、午前の早いうちに来るアントンだというのに、既に昼が過ぎたというのにやって来る気配がない。

 厨房から拝借してきた、揚げたナッツを齧りながら小さく嘆息。

 アントンが今まで、これほど遅れたことは一度もない。

 レイラとの婚約に関する件とか色々あったから遅れているのではないかと思うが、それでも少し心配になってしまう。


「はー……」


「そんなに気になるなら、迎えに行ったらどうすか?」


「迎え、ねぇ……」


 ガングレイヴ帝国の治安は、それほど良くない。

 元々レイラが幼い頃には、帝国の版図は現在の三分の一以下だったのだ。周辺諸国との関係悪化から、レイラが最前線で働き始めてから一気に広がった版図という形であり、急激に広がった版図には未だ抵抗勢力がいたりするのだ。

 ゆえに、西の蛮族と滅びかけのトール王国くらいしか敵対している勢力はないというのに、八騎士団はほとんどが出張っているほどに忙しいのである。

 そんな抵抗勢力により、アントンが襲われたという可能性――それは、決してゼロではないのだ。


 とはいえ、このあたりは割と平和だ。

 その最大の理由として、レイラがこの砦に駐留していることが挙げられる。誰だって、周辺諸国から恐れられる大英雄たるレイラが駐留している近くで略奪など行わないのだ。


「うーん……」


「ええ。用もないのにアタシの執務室に来てゴロゴロしながらナッツ齧りつつうんうん唸ってるよりは、迎えに行方がましだと思うっすよ」


「悪い言い方すんな」


「事実っす」


 テレジアの言葉に、唇を尖らせる。

 実際、今日はアントンが来る日なので、朝から落ち着かないのだ。執務室で一人でいても、うろうろと歩き回っては唸ってばかりだったために、暇潰しも兼ねてテレジアの執務室まで来たのである。

 時折やってくる報告の兵が、レイラの姿を見て「ひっ」と声を上げたのも、一度や二度ではない。最強すぎて周辺諸国から恐れられるレイラは、残念ながら部下にすら恐れられているのだから。


「しゃーないね。ちょっと行ってくるわ」


「承知っす。最近長雨が続いたんで、ちょっと遅れてるくらいだと思うっすよ。この辺は平和っすからね」


「だろうね。あたしもそう思うよ」


 ひょいっ、とソファから立ち上がり、欠伸をしつつ執務室から出る。

 まったく、しょーがねー奴だ。そう思いながらも、口角が上がってゆくのが分かる。

 まだ妻にはなれないけれど、レイラはアントンの婚約者なのだ。婚約者を迎えに行くというのも、悪くない。

 馬で一週間はかかる距離にある帝都まで、一日もかからず駆け抜くことのできるレイラの脚力をもってすれば、そう時間もかかることなくアントンのところに到着することができるだろう。

 ふーっ、と大きく息を吐き、力を下半身に集中させる。


 ごうっ――と。

 暴風の如く、土煙を巻き上げながら。

 レイラの小さな体が大地を削るかのように、駆ける。


「さーて……どの辺にいるのかねぇ」


 常人ならば速度に耐えることすら難しいであろう、駆け抜ける暴風。

 その中央にいるレイラは、特に何も気にすることなく呟く程度に余裕があったりするのだ。

 もっとも、このように何も気にせず全力疾走をするのも、別の街に到着するまでだ。さすがに街中で石畳を踏み割りながら駆けるわけにはいかないため、基本的には街道から僅かに逸れた場所を走るのである。


 人の域を越えた速度で駆けながら、人の域を越えた視力でもって、ようやくレイラは目的のものを見つけた。


「お」


 それは、帝国の印が施された幌馬車である。

 周囲を十人ほど、砂を吸わないようにと顔の半分を布で覆った護衛の兵士。そして同じく、目以外の全てを布で包んだ旅装束の男が馬車の手綱を持っている。

 いつもアントンが引いている馬車だ。もう何度となく砦で迎えたレイラにとっては、見慣れた相手である。

 だが。


「……ん?」


 馬車を引いているのは、アントンであるはずだ。

 だというのに、何故か奇妙な感覚が過る。

 あれほど、アントンは恰幅が良かっただろうか――と。


「ひっ!?」


「な、なんだ!?」


「よ、っと!」


 速度に乗っていた体を、ひょいっ、と飛ばす。

 それだけで矢のようにレイラは飛び、そのまま土煙を上げて馬車の隣に降り立った。並の人間ならば両足が折れて当然の衝撃だが、当然ながらレイラは無傷である。

 だが、そんなレイラに。


「れ、レイラ将軍!? どうしてここに!?」


「あ……?」


 いつも、アントンが引いていたはずの馬車の手綱。

 それを今、持っているのはアントンでない、もっと恰幅の良い男。

 遠目で見て違和感を覚えたその姿は、近くで見ればもっとよく分かる。

 どこをどう見ても――アントンではない、と。


「誰だい、あんた」


「や、やだなぁ。お忘れですか、私を」


「いや、だから」


「私です。まぁ、ほとんどお会いしたことはないですけど」


 顔の布を取り、その顔が露になる。

 アントンよりも十は年上であり、ふっくらとした顔立ちが人の良さを感じさせる――いつか、以前に会ったことのある男。

 それは。

 銀狼騎士団の物資搬入を以前行っていた担当官――ゴンザ。


「ゴンザ……?」


「はい。ちょっと本日は、私が代理で物資の搬入を」


「何であんたなんだよ」


 心から落胆しながら、そう眉根を寄せる。

 それほど忙しいのだろうか。帝都からここまでやってくることもできないくらいに。

 そう、残念に思いながら溜息を吐くと。


「いえ、実はですね……」


「あん?」


「アントン……ああ、レイラ将軍がご存知かは知りませんが、現在の担当官なのですけどね。私の後任としてやっていてくれたのですけど」


「知ってるよ」


 そもそも婚約者だし。

 将来的には夫になるわけだし。

 そのあたりの事情を聞いていないのだろうか。


「ああ、ご存知でしたか。いえ……その、彼なのですけどね」


「どうしたんだよ」


「一週間ほど前から、行方が掴めないんですよ」


「は……?」


 ゴンザが何気なく言った、そんな言葉に。

 レイラは、目を見開いた。

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