第3話 不穏な外交関係
レイラの一撃と共に、ロベルトが文字通り吹き飛ぶ。
もっとも、レイラにしてみれば手加減に手加減を重ねた一撃ではある。さすがに頭に血が昇っているとはいえ、他国の要人をこの場で殺してしまってはいけないと思う程度に常識はあるのだ。
だが、さすがに想定していない場所を触られたために、手加減を施すのが遅れてしまった。ゆえに、ロベルトの成人男性として一般的な体であれど、壁に当たるまで吹き飛ぶほどの一撃を加えてしまった。内臓の一つや二つ、破裂しているかもしれない。
「ぐ、ご、ふっ……!」
「貴様っ! ロベルト様に何を!」
「ロベルト様っ!」
護衛は別室に案内したために、ロベルトのお付きであろう文官たちが駆け寄って、壁に当たってそのまま尻をつくロベルトを囲む。
やっちまったなー、とは思うけれど、別段後悔はしていない。この男は誰にも触らせたことのないレイラの胸を触ったのだ。殺されてもおかしくない所業である。
アントンにすら触らせていないのに。いや、多分触ってこられたらアントンでも殴る気がするけれど。
それはそう、あれだ。ちゃんとした雰囲気でちゃんとした気分の中でなら――。
そこまで考えて、少しだけ頬が熱くなった。一体何を考えているのだ、と。
「き、きさ、貴様ぁ……!」
「ロベルト様!」
「この、俺に……手を、上げたな……!」
「許可もなく、女の胸を触ってくる奴に手加減の必要はないと思うがね」
「たかが、女が……! ここで死にたいと言うかっ……!」
「あ?」
ロベルトの、どこまでも横柄な態度に、思わずそう眉を寄せる。
そもそも、この男の態度はおかしかった。まるで女を物扱いしているような態度であり、違和感はあったのだ。
ロベルトの相手はレイラがやり、他の者には適当な女騎士をあてがえ――それは、一夜の性処理を務めろということなのだから。
あまりにも横暴なその態度は、許せるものではない。
「お前、あたしと戦争をしたいのか?」
「貴様……! この俺に、このような真似をして、ただで済むと思うな! ガルランド王国に牙を向けたこと、後悔するがいい!」
「あー……つまり、ガルランド王国はガングレイヴ帝国に宣戦布告をするって考えていいのかい?」
「む……!」
ロベルトの立場は、ガルランド王国第二王子。
ここは公的の場ではないといえ、一国の王子と一国の将軍が顔を合わせている場所なのだ。思わず口から出てしまった言葉でも、法的根拠を持つ場合がある。
大陸では最も大国であるガングレイヴ帝国に対して、ガルランド王国の国力は半分ほどだ。滅びかけているトール王国と合わせても、その兵力も国力もガングレイヴには遠く及ばない。ガングレイヴの次に大きい砂の国ダインスレフと組めば脅威にもなり得るだろうけれど、現在のところガルランドとダインスレフの間に国交は皆無である。
そして元々、トール王国と友誼を結び、その上で盤石の国造りをしてきたガルランドだ。
ここで国力の遥かに高いガングレイヴに対して宣戦布告をするほど、愚かではあるまい。
「ろ、ロベルト様……!」
「うるさい! 貴様……覚えておれ! この俺に手を上げたこと、地獄の底で後悔させてくれる!」
「いや、だからあたしは宣戦布告をするのかどうか聞いてんだけど」
「馬車を用意せよ! このような場にこれ以上いられるか! 他国の特使に対してこのような真似をする賊国を、決して許しはせぬ!」
「いや、だからぁ……」
足をふらつかせながらロベルトが立ち上がり、他の文官たちと共に出てゆく。
腹を殴ったことで足元が覚束ないのか、文官たちに肩を借りながら。
そんな姿を見送りながら。
やっぱり殺しておくべきだったかなぁ、とちょっと後悔した。
「何してんすか、レイラさん……」
「いや、だって明らかに向こうが悪いだろ」
ロベルトとその一行が馬車に乗り、そのまま踵を返して国元へ帰ってゆくのを砦の上から見守りながら、テレジアが呆れたようにそう言った。
一応、ことの経緯は説明してある。ロベルトの横柄な態度にはテレジアも苛立っていたらしく、そのあたりはすぐに納得してくれた。
もっとも、少々胸を触られたくらいでレイラが殴るとまでは思っていなかったようだけれど。
「まぁ……明らかに、ロベルト王子の態度は、他国の将軍に対して行うものではないっすね」
「だろ? あたし悪くねぇだろ?」
「いえ、悪いっす」
はぁぁ、と大きくテレジアが溜息を吐く。
これから起こる色々に頭を悩ませているのだろうか。そのあたりの頭脳労働はテレジアに丸投げしているから、レイラは何も考えないのだけれど。
テレジアが疲れた顔で、腕を組む。
「まず、特使に手を出したっていう事実は間違いなく残るっす」
「ふむ」
「んで、ガルランドの王に報告をするのは、ロベルト王子っす。そのときに、どんな風に報告されるかを考えると、間違いなくこちらが悪いと報告するっす。理由もなくいきなり殴ってきた、とかっすかね」
「でも向こうが……」
「そんな自分に都合の悪いことは報告しないっすよ。証拠もないっす。ただ、他国の特使に手を出した賊国だ、って噂が広められるだけっすよ。これを機に、ガングレイヴに良い感情を抱いていない他の国も動くかもしれないっすね」
「……あー、面倒くせぇ」
レイラは何も悪くないのに、レイラが悪くなるなんて国交とは実に意味の分からないものだ。
強いて言うなら短気なのが悪いのだけれど。
「とりあえず、陛下には報告をしなければならないっすね。恐らく近いうちに、ガルランドの方から謝罪と賠償を求める使者が来るはずっすよ。それにガングレイヴ側が応じた場合、戦争にはならなくて済むっす。賠償額が想定よりも多くて、ガングレイヴ側が受け入れることのできない場合、そのあたりの調整に入ることになるっすね。その上で応じることができなければ、戦争っす」
「……どういうことだ?」
「結局、戦争っていうのは意見を通すための外交の一環っすからね。ガルランドが賠償を求めた後、ガングレイヴが一切支払わないって姿勢を見せた場合、ガルランドはそこから引き下がることができないっす。賠償を払うことができないならば、実力で意見を通すことになる、となるっすね。それが戦争っす」
「ふーん」
「分かってないっすね」
「分かろうとも思わん」
とりあえず戦争が起こりそうだと、それだけ分かっていればいいだろう。
くくっ、と我知らず口角が上がるのが分かる。
レイラが引退するにあたってのテレジアの条件は、トール王国が滅亡することだ。
だが、それまでに他の国との戦端が開けば、引退は延長される。つまり、ガルランドとの戦端が開ければ、レイラはまだ最前線にいなければならないのだ。戦時から平時に変わるまで、という条件がついているのだから。
アントンには申し訳ないけれど、それで心が弾んでしまうのが、レイラという女の悪癖である。
「ガルランドとどうなろうと、トールがどう動こうと、あたしのやることは変わらないよ」
「つまり?」
「あたしは暴れるだけさ。滾るね」
「……絶対、アントンさん嫁にする相手間違えてるっすよ」
はぁ、と小さく。
テレジアがそんな失礼なことを呟いた。
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